暗殺 志士たちの群像

西村重紀

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第三章 龍馬暗殺

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 寺田屋騒動が起こった頃の坂本龍馬の動静は実のところ定かではなかった。
 ただ、この間龍馬の故郷土佐国で異変が発生していた。土佐藩の参政吉田東洋が、武市半平太が放った土佐勤王党の刺客の手によって命を奪われたのだ。
 文久二年(一八六二)四月八日、東洋はこの日、藩主山内豊範に講義を行っていた。最終講義だったため、酒肴に預かり、亥の刻(午後十時頃)近くになって帰途に就いた。その帰途中に、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助に襲われ暗殺された。
 吉田東洋暗殺後、半平太は藩論を転換させ、藩主豊範の上洛を画策する。先んじて上洛した薩摩藩に対する焦りもあったのだろう。
 寺田屋騒動と吉田東洋暗殺が起こったこの年、文久二年(一八六二)の七月には大坂に潜伏していた。
「何じゃと、わしが吉田様を殺(や)ったと疑われいるがか」
 同郷の望月清平から知らされた龍馬は、目を白黒させ驚きの表情を隠せずにいた。
「ああ、土佐では専らの噂じゃ。何しろ吉田様は一刀流の使いで、それに勝てる者は、北辰一刀の免許を持つ龍馬おんししかおらん」
「知らん、わしゃ殺(や)っちょらん。吉田様が殺されたのいつのことや」
「四月じゃ。四月の八日のことじゃ」
「四月のはじめの頃は、確かわしゃ薩摩におった」
「何でまた薩摩らあに」
 清平は怪訝そうに眉根を寄せ問うた。
「そがな深い訳はない。強いて言うたら物見遊山かな」
 龍馬はニンマリと笑ってみせた。
 こののち、龍馬は以前世話になった小千葉道場を頼って江戸へ向かうことなった。

 龍馬は嘗て、嘉永六年(一八五三)四月に剣術修行のため江戸へ来た。一年三ヵ月の修行を終え土佐に戻った。その間、アメリカ合衆国の海軍艦隊を率いるマシュー・ペリーが浦賀に来航。真田家松代藩の軍学家で思想家である佐久間象山の私塾に入学し、その後多くの著名人や、のちに亀山社中の同志となる近藤長次郎や長岡謙吉と親しくなった。
 安政元年(一八五四)に土佐に帰国して以来実に八年振りの江戸となった。
「龍馬さんが尊王攘夷にかぶれたってそいつぁ凄ぇや」
 久し振りに龍馬に会い、土佐藩を脱藩した経緯を聞かされた千葉重太郎は、上擦った声を上げた。
「わしゃ阿保じゃきよう分からんが、尊王攘夷とはそもそも何処の何方が言い出いたものなんや」
 龍馬は惚けた口調で訊ねる。
「そんなことも知らずに尊王攘夷にかぶれるとは、こいつぁ驚いた。全く以って可笑しれいやぁ」
 呆れながら言うと重太郎は、真顔になった。
「千代田のお城におわす公方様のご後見職を務めなさる一橋慶喜様のお父上、前の水戸のお殿様だった徳川斉昭様のご発案と聞いているぜっ」
「水戸の斉昭公の……」
 龍馬は感慨深げに首肯した。
「ところで龍馬さんよ。勝安房守って野郎を知っているかい」
 重太郎が訊ねると、龍馬は首を横に振った。
「知らんぜよ、何処の誰がや」
「ご公儀の海軍奉行並って大層な役に就くお旗本だ」
「海軍奉行並?」
 龍馬は怪訝気味に首を傾げた。
「何でもよ、若い頃にメリケンに渡ったっていうじゃねえか」
「メリケンに渡ったゆう男なら、わしも一人知っとる」
「ほうそいつぁ初耳だね。で、一体どこの誰なんでぇ、メリケンに渡ったことのある知り合いってのは」
 珍しいことに重太郎が興味を示し龍馬に訊ねた。
「土佐の生まれで、ジョン万次郎ってゆう男じゃき」
「ジョン万次郎? あのジョン万次郎かい」
「そのジョン万次郎や。先生は知っちょられるがですか」
「名前だけは聞いたことがある」
「ところで先生、先ばあ言うちょられた勝安房守ゆう男は、何をやったがか」
「否、まだ何もしていねえよそいつぁは。ただこれから何か凄ぇことを仕出かすかも知れねえがな」
「何か凄いことやか……」
 龍馬は訝し気に呟いた。
「先生、このわしがその勝安房守ゆう人に会うことは出来るやろか」
 龍馬は物欲しげな眼差しを重太郎に向けた。
「難しいと思う。何しろ相手は幕臣だぜ。龍馬さん、お前さんは一介の浪人だ。そう簡単に会ってはもらえねえだろう。会うには誰かの紹介状が必要となるぜ」
 重太郎は渋面を作りながら言った。
「紹介状やか」
 憮然と呟くと、龍馬は溜め息を吐いた。
「そんな顔すんな龍馬さんよ。このおいらが一肌脱いで、何とかしてやろうじゃねえか」
 重太郎は満面に笑みを浮かべ、龍馬の肩をポンポンと叩いた。
「ほんまやか先生。恩に着るぜよ」
 龍馬はまるで子供のように手を叩き喜んだ。
 江戸で最も有名な北辰一刀の道場主である千葉重太郎は、自身の名前と伝手を使って、勝安房守義邦に会うための有りと有らゆる方法を模索した。そして、勝よりも更に身分の高い幕府政事総裁職に就く松平春嶽に謁見することが出来た。重太郎の弟子の中に越前藩士が数名いて、彼らに依頼したのだ。
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