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第三章 龍馬暗殺
七
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文久三年(一八六三年)二月二十五日、勝海舟の従者として龍馬が、前土佐藩主山内容堂の前にふらりと現れた。
容堂は安政の大獄により、江戸藩邸にて謹慎中であった。
容堂は、勝海舟の後ろで平伏する癖毛頭で長身のその男を、半ば呆れるような眼差しで見詰めた。
「土佐守殿。この勝安房、本日はお願いの儀があって参上仕った」
「して、安房守殿。そのお願いの儀とは……」
容堂はその双眸で、平伏する龍馬を見据えてまま、平然と訊ねた。
「脇に控えしこれなる者、我が門人にて、名を坂本龍馬と申す」
「……坂本龍馬……? 知っちゅうか、猪之吉?」
容堂は近習の箕浦猪之吉に訊ねた。
「恐れながら申し上げまする。こん男は、先年我が土佐を脱藩致した大罪人でございます」
「脱藩……」
容堂は素知らぬ顔で惚け、小首を捻ったあと、じろりと龍馬を睨み付けた。
ここで海舟が口を挟んで来た。
「この者の脱藩の罪、赦して頂きたい」
「安房守殿には、赦免致せと仰せか」
「はい」
海舟はこくりと頷いた。
「坂本龍馬とやら、面を上げや」
「大殿のお許しが出た。坂本、面を上げや」
猪之吉に告げられ、龍馬は恐る恐る頭を起こした。
「おんしに一つ訊ねたいことがある。差支えなければ答えや」
容堂は龍馬の目を見据えたまま告げた。
「はい、何なりと仰せとおせ」
「吉田東洋を斬ったんは、龍馬、おまんか」
「某じゃーございやーせん」
龍馬は間髪入れず首を横に振った。
「おんしは、下手人を知っちゅうか」
「知りやーせん」
「戯言を申すな、坂本っ!!」
ついかっとなり、猪之吉は思わず大声を張り上げてしまった。
「控えろ猪之吉、安房守殿の御前やきぞ」
容堂が苦笑気味に制する。
「おいらに、気遣いは無用だぜ」
海舟はニヤリと笑った。
「大殿。恐れながら申し上げまする。某はまっこと吉田様を殺めた下手人を知りやーせん」
「左様か……」
容堂は仏頂面で憮然と言うと、溜め息を吐いた。
「さて、土佐守殿。この者の罪、赦して頂けまするか」
いま一度海舟に訊ねられ、顰め面の容堂は、渋々聞き届けた。
勝海舟と坂本龍馬が土佐藩邸から去ったあと、納得がいかない猪之吉は、血相を変え、容堂に喰らい付いた。
「大殿、何故、あの者をお赦しになられたがかぇ」
「これこれ、そう怒るな猪之吉。あの龍馬とゆう男、勝安房殿の弟子ならば使える。我が土佐藩にとって福の神になるかも知れぬ……」
「福の神? あの者がなが」
猪之助は狐につままれたかのような顔で、ポカンと口を開け、首を傾げた。
この年、文久三年(一八六三年)の八月、京で会津藩・薩摩藩による長州藩追い落としのため、朝廷軍事クーデターが発生した。八月十八日の政変である。
これに伴い佐幕派による粛清の猛威が復活すると、容堂も漸く謹慎が解かれることなった。これを機に土佐へ帰国した容堂は、藩政を再び掌握し、吉田東洋暗殺の首謀者の検挙に乗り出した。土佐勤王党の大弾圧を開始する。
師である勝海舟の仲介によって、容堂から脱藩の罪を赦された龍馬は、この時、神戸にいた。神戸海軍操練所設立のため奔走していたのだ。
「これから海の時代が始まるがぜよ」
「また坂本さんの大風呂敷が始まった」
「陸で侍が刀を振り回す時代は終わったがぜよ」
「しかし、坂本さん。一向に人が集まらぬ」
和歌山藩出身の陸奥陽之助は情けない声を上げ、かぶりを振った。
「陽之助さぁ、弱音を吐きなさんな」
龍馬は白い歯を覗かせ笑ってみせた。
「このままで本当によいのか……」
陽之助は首を傾げると、溜め息を吐いた。
「狭いこの日本で燻っちょっても何も始まらん。これからは海や、海の時代が始まるがぜよっ!」
「坂本さん……」
陽之助は冷めた視線を龍馬に向けていた。
***
土佐へ帰国した容堂による土佐勤王党に対する弾圧は苛烈を極めた。
間崎哲馬、平井収二郎、弘瀬健太の三名の切腹からはじまり、文久三年(一八六三)九月二十一日にはついに土佐勤王党の盟主武市瑞山が捕縛された。
話は前後するが、竜馬の脱藩を助けた吉村虎太郎、那須信吾ら天誅組が大和国で挙兵した。しかし、直ぐに鎮圧され勤王党に属する多くの尊攘志士たちが討ち死にを遂げた。
天誅組の変と武市瑞山の捕縛によって土佐勤王党は壊滅した。
その頃、龍馬は師である勝海舟の私学、神戸海軍塾の塾頭となり、資金集めに奔走していた。
元治元年(一八六四)、龍馬は帰国延期申請が拒否されると再び土佐藩を脱藩する意を固めた。
二月九日、勝海舟は幕命によって長崎へ出張することになった。
「聞き分けのねえ、長州の野郎が関門海峡をして天子様や公方様がお困りになっておられる。おいら、その調停のために長崎へ行く」
「先生、わしも一緒に連れていっとーせ」
龍馬は海舟に長崎に同行することを懇願した。
「龍馬、こいつぁ遊びじゃねえんだ。そこんところ弁えろ。とは言って後学のためだ。いいだろうお前さんもついてきな」
海舟は、龍馬の長崎同行を認めた。
その序でに熊本まで足を運び、熊本藩細川家家臣の横井小楠と会合した。これより先年、龍馬は越前藩江戸藩邸内で小楠と会っている。
小楠は幾度か、政事総裁に就任した越前藩主松平春嶽の招聘を受け、福井並びに江戸に赴いていた。
元治元年(一八六四)二月の龍馬熊本来訪の際、小楠は『国是七条』を説いた。
楢崎お龍は、安政の大獄で隠居永蟄居となった久邇宮朝彦親王(青蓮院宮)こと中川宮の侍医であった楢崎将作の長女である。
将作も仕えていた青蓮院宮同様勤王家で、過激な攘夷論者であった。そのため、安政の大獄に於いて、井伊直弼の懐刀、長野主膳の命を受けた島田左近配下の目明し猿の文吉らに捕らえられ投獄された。
ご赦免後の文久二年(一八六二)父将作が病死すると、楢崎家の生活は困窮する。
そして、お龍の二人の妹が、島原と大坂の女郎屋に売られると知ると、
「殺せ、殺せ、うちは殺されにはるばる大坂に来たんや。こらおもろい殺せ」
と刃物を懐に忍ばせ、男二人を相手に啖呵を切って妹を救い出した。
この頃、お龍は七条新地の旅館『扇岩』で女中として働いていた。母のお貞は、方広寺大仏殿近くの土佐勤王党及び天誅組の残党の隠れ家で働いていた。
ある日、お龍は母お貞が賄いを務める天誅組の残党の隠れ家から奉公先の旅館扇岩へ戻る途中、壬生浪士組改め新選組に追われる浪人たちと遭遇した。
浪士は二人いた。土佐弁を使っていることからどうやら土佐藩の脱藩者らしいと、お龍は悟った。
「何処へ行くがや亀弥太」
「こっちだ、こっだち坂本さん。そっちは危ない。まだ新選組の奴らろいろいしちゅー」
望月亀弥太は龍馬の袖を引っ張った。
「わしが留守にしちゅー間に、京は物騒なとこになってしもうたねや」
「ああ、あの以蔵も幕吏に捕まって土佐に送り返された」
「ほんまか、あの以蔵がか……」
嘗て、土佐勤王党の同士としてともに活動した岡田以蔵の現在の境遇を知り、龍馬は愕然となった。
すると突然、青白い闇の彼方から呼子笛が鳴った。
「いたぞっ! こっちだっ!」
一町(約一〇九メートル)先に、青いだんだら羽織を着た無頼の徒の姿があった。悪名高い壬生狼こと新選組だ。
「見つかった坂本さん。早う逃げるがよ」
「おいっ亀弥太。逃げる言うても何処に逃げるがよ」
焦る龍馬の前に、突然粋な女が現れた。
「こっちや。こっち。うちについて来て」
「おまんは……?」
唖然として怪訝そうに龍馬はその長身の女を見やった。
「あんたらは土佐のお人やろう。新選組に捕まったら酷い目に遭うさかい、さあうちについて来て」
女は龍馬の腕を引っ張ると、路地裏を駆け出した。
女は碁盤の目のようになった京の道に詳しく、忽ち新選組を撒いた。
ひと気のないところまで来ると、漸く龍馬は安堵の溜め息を吐いた。
「済まん、ほんまに恩に着る。わしゃ土佐の坂本龍馬ゆう。こいつはわしの友で、望月亀弥太ゆう」
龍馬は女に身分を名乗った。
「うちは楢崎お龍と申します」
「お龍、どんな字を書くがよ。わしゃ、龍に馬いう字を書いてりょうまって呼ぶ」
「一緒や。うちは龍って書いて、おりょうと呼びます」
「そうか、そいつは奇遇や」
「ほんまに可笑しいわ」
お龍は龍馬の前で白い歯を見せてケラケラと笑って見せた。
「坂本さん、わしゃもう行きますき。長州の人らぁのとこへ」
「亀弥太、気ぃ付けるがやぞ」
「はい」
望月亀弥太は、龍馬とお龍の二人に頭を下げ走り出すと、闇の中へ消えていった。
「お龍さん、おまん、どこに住んじゅーがかえ」
「うちは七条新地の扇岩ちゅう旅館で働いとる」
「七条新地の扇岩か……今日はげに世話になった。お龍さん、そのうちおまんを訪ねて扇岩に行くき、それじゃ今日はこれで」
龍馬はこののち生涯の伴侶となる女性楢崎お龍に深々と頭を下げ、師である勝海舟が待つ越前藩邸へ向かった。
容堂は安政の大獄により、江戸藩邸にて謹慎中であった。
容堂は、勝海舟の後ろで平伏する癖毛頭で長身のその男を、半ば呆れるような眼差しで見詰めた。
「土佐守殿。この勝安房、本日はお願いの儀があって参上仕った」
「して、安房守殿。そのお願いの儀とは……」
容堂はその双眸で、平伏する龍馬を見据えてまま、平然と訊ねた。
「脇に控えしこれなる者、我が門人にて、名を坂本龍馬と申す」
「……坂本龍馬……? 知っちゅうか、猪之吉?」
容堂は近習の箕浦猪之吉に訊ねた。
「恐れながら申し上げまする。こん男は、先年我が土佐を脱藩致した大罪人でございます」
「脱藩……」
容堂は素知らぬ顔で惚け、小首を捻ったあと、じろりと龍馬を睨み付けた。
ここで海舟が口を挟んで来た。
「この者の脱藩の罪、赦して頂きたい」
「安房守殿には、赦免致せと仰せか」
「はい」
海舟はこくりと頷いた。
「坂本龍馬とやら、面を上げや」
「大殿のお許しが出た。坂本、面を上げや」
猪之吉に告げられ、龍馬は恐る恐る頭を起こした。
「おんしに一つ訊ねたいことがある。差支えなければ答えや」
容堂は龍馬の目を見据えたまま告げた。
「はい、何なりと仰せとおせ」
「吉田東洋を斬ったんは、龍馬、おまんか」
「某じゃーございやーせん」
龍馬は間髪入れず首を横に振った。
「おんしは、下手人を知っちゅうか」
「知りやーせん」
「戯言を申すな、坂本っ!!」
ついかっとなり、猪之吉は思わず大声を張り上げてしまった。
「控えろ猪之吉、安房守殿の御前やきぞ」
容堂が苦笑気味に制する。
「おいらに、気遣いは無用だぜ」
海舟はニヤリと笑った。
「大殿。恐れながら申し上げまする。某はまっこと吉田様を殺めた下手人を知りやーせん」
「左様か……」
容堂は仏頂面で憮然と言うと、溜め息を吐いた。
「さて、土佐守殿。この者の罪、赦して頂けまするか」
いま一度海舟に訊ねられ、顰め面の容堂は、渋々聞き届けた。
勝海舟と坂本龍馬が土佐藩邸から去ったあと、納得がいかない猪之吉は、血相を変え、容堂に喰らい付いた。
「大殿、何故、あの者をお赦しになられたがかぇ」
「これこれ、そう怒るな猪之吉。あの龍馬とゆう男、勝安房殿の弟子ならば使える。我が土佐藩にとって福の神になるかも知れぬ……」
「福の神? あの者がなが」
猪之助は狐につままれたかのような顔で、ポカンと口を開け、首を傾げた。
この年、文久三年(一八六三年)の八月、京で会津藩・薩摩藩による長州藩追い落としのため、朝廷軍事クーデターが発生した。八月十八日の政変である。
これに伴い佐幕派による粛清の猛威が復活すると、容堂も漸く謹慎が解かれることなった。これを機に土佐へ帰国した容堂は、藩政を再び掌握し、吉田東洋暗殺の首謀者の検挙に乗り出した。土佐勤王党の大弾圧を開始する。
師である勝海舟の仲介によって、容堂から脱藩の罪を赦された龍馬は、この時、神戸にいた。神戸海軍操練所設立のため奔走していたのだ。
「これから海の時代が始まるがぜよ」
「また坂本さんの大風呂敷が始まった」
「陸で侍が刀を振り回す時代は終わったがぜよ」
「しかし、坂本さん。一向に人が集まらぬ」
和歌山藩出身の陸奥陽之助は情けない声を上げ、かぶりを振った。
「陽之助さぁ、弱音を吐きなさんな」
龍馬は白い歯を覗かせ笑ってみせた。
「このままで本当によいのか……」
陽之助は首を傾げると、溜め息を吐いた。
「狭いこの日本で燻っちょっても何も始まらん。これからは海や、海の時代が始まるがぜよっ!」
「坂本さん……」
陽之助は冷めた視線を龍馬に向けていた。
***
土佐へ帰国した容堂による土佐勤王党に対する弾圧は苛烈を極めた。
間崎哲馬、平井収二郎、弘瀬健太の三名の切腹からはじまり、文久三年(一八六三)九月二十一日にはついに土佐勤王党の盟主武市瑞山が捕縛された。
話は前後するが、竜馬の脱藩を助けた吉村虎太郎、那須信吾ら天誅組が大和国で挙兵した。しかし、直ぐに鎮圧され勤王党に属する多くの尊攘志士たちが討ち死にを遂げた。
天誅組の変と武市瑞山の捕縛によって土佐勤王党は壊滅した。
その頃、龍馬は師である勝海舟の私学、神戸海軍塾の塾頭となり、資金集めに奔走していた。
元治元年(一八六四)、龍馬は帰国延期申請が拒否されると再び土佐藩を脱藩する意を固めた。
二月九日、勝海舟は幕命によって長崎へ出張することになった。
「聞き分けのねえ、長州の野郎が関門海峡をして天子様や公方様がお困りになっておられる。おいら、その調停のために長崎へ行く」
「先生、わしも一緒に連れていっとーせ」
龍馬は海舟に長崎に同行することを懇願した。
「龍馬、こいつぁ遊びじゃねえんだ。そこんところ弁えろ。とは言って後学のためだ。いいだろうお前さんもついてきな」
海舟は、龍馬の長崎同行を認めた。
その序でに熊本まで足を運び、熊本藩細川家家臣の横井小楠と会合した。これより先年、龍馬は越前藩江戸藩邸内で小楠と会っている。
小楠は幾度か、政事総裁に就任した越前藩主松平春嶽の招聘を受け、福井並びに江戸に赴いていた。
元治元年(一八六四)二月の龍馬熊本来訪の際、小楠は『国是七条』を説いた。
楢崎お龍は、安政の大獄で隠居永蟄居となった久邇宮朝彦親王(青蓮院宮)こと中川宮の侍医であった楢崎将作の長女である。
将作も仕えていた青蓮院宮同様勤王家で、過激な攘夷論者であった。そのため、安政の大獄に於いて、井伊直弼の懐刀、長野主膳の命を受けた島田左近配下の目明し猿の文吉らに捕らえられ投獄された。
ご赦免後の文久二年(一八六二)父将作が病死すると、楢崎家の生活は困窮する。
そして、お龍の二人の妹が、島原と大坂の女郎屋に売られると知ると、
「殺せ、殺せ、うちは殺されにはるばる大坂に来たんや。こらおもろい殺せ」
と刃物を懐に忍ばせ、男二人を相手に啖呵を切って妹を救い出した。
この頃、お龍は七条新地の旅館『扇岩』で女中として働いていた。母のお貞は、方広寺大仏殿近くの土佐勤王党及び天誅組の残党の隠れ家で働いていた。
ある日、お龍は母お貞が賄いを務める天誅組の残党の隠れ家から奉公先の旅館扇岩へ戻る途中、壬生浪士組改め新選組に追われる浪人たちと遭遇した。
浪士は二人いた。土佐弁を使っていることからどうやら土佐藩の脱藩者らしいと、お龍は悟った。
「何処へ行くがや亀弥太」
「こっちだ、こっだち坂本さん。そっちは危ない。まだ新選組の奴らろいろいしちゅー」
望月亀弥太は龍馬の袖を引っ張った。
「わしが留守にしちゅー間に、京は物騒なとこになってしもうたねや」
「ああ、あの以蔵も幕吏に捕まって土佐に送り返された」
「ほんまか、あの以蔵がか……」
嘗て、土佐勤王党の同士としてともに活動した岡田以蔵の現在の境遇を知り、龍馬は愕然となった。
すると突然、青白い闇の彼方から呼子笛が鳴った。
「いたぞっ! こっちだっ!」
一町(約一〇九メートル)先に、青いだんだら羽織を着た無頼の徒の姿があった。悪名高い壬生狼こと新選組だ。
「見つかった坂本さん。早う逃げるがよ」
「おいっ亀弥太。逃げる言うても何処に逃げるがよ」
焦る龍馬の前に、突然粋な女が現れた。
「こっちや。こっち。うちについて来て」
「おまんは……?」
唖然として怪訝そうに龍馬はその長身の女を見やった。
「あんたらは土佐のお人やろう。新選組に捕まったら酷い目に遭うさかい、さあうちについて来て」
女は龍馬の腕を引っ張ると、路地裏を駆け出した。
女は碁盤の目のようになった京の道に詳しく、忽ち新選組を撒いた。
ひと気のないところまで来ると、漸く龍馬は安堵の溜め息を吐いた。
「済まん、ほんまに恩に着る。わしゃ土佐の坂本龍馬ゆう。こいつはわしの友で、望月亀弥太ゆう」
龍馬は女に身分を名乗った。
「うちは楢崎お龍と申します」
「お龍、どんな字を書くがよ。わしゃ、龍に馬いう字を書いてりょうまって呼ぶ」
「一緒や。うちは龍って書いて、おりょうと呼びます」
「そうか、そいつは奇遇や」
「ほんまに可笑しいわ」
お龍は龍馬の前で白い歯を見せてケラケラと笑って見せた。
「坂本さん、わしゃもう行きますき。長州の人らぁのとこへ」
「亀弥太、気ぃ付けるがやぞ」
「はい」
望月亀弥太は、龍馬とお龍の二人に頭を下げ走り出すと、闇の中へ消えていった。
「お龍さん、おまん、どこに住んじゅーがかえ」
「うちは七条新地の扇岩ちゅう旅館で働いとる」
「七条新地の扇岩か……今日はげに世話になった。お龍さん、そのうちおまんを訪ねて扇岩に行くき、それじゃ今日はこれで」
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幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
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