件と秀吉

西村重紀

文字の大きさ
5 / 32
第一章

しおりを挟む
 秀吉に差し出した姫路城本丸主殿評定の間には、羽柴家中の重臣が居並んでいた。
「おお、来たか官兵衛」
「遅くなり申した筑前殿。ご無礼仕る」
 左の膝を曲げられず、伸ばしたまま腰を下ろす非礼を詫びてから、官兵衛は末席に着いた。
「早速であるが」
 と、秀吉の実弟羽柴小一郎秀長が口を開いた。
 ここで秀吉の異父弟小一郎秀長の諱について少し触れることにする。
 信長存命中に、秀長という諱はどう考えても不都合が生じる。
 信長の偏諱である長の文字が、秀吉の偏諱である秀の下に来るというのは、合理的に判断しておかしい。恐らく信長の生前、小一郎の諱は長秀だった筈だ。
 だが、今日こんにち一般的に通っている秀長という諱でここは統一することにする。
「三木城のことでござるな」
 官兵衛は秀長を見やりながら言う。
 秀長は軽く頷いた。
 兄秀吉とは父違いの弟だ。猿に似た容貌の兄とは違い、この男は逞しい体躯をしている。
 秀吉の軍師として長年羽柴家中を支えて来た竹中半兵衛が世を去って以降、実弟の秀長が彼の代わりとして兄を支える存在となっていた。
「小寺殿が戻られた現在いまとなっては、某は必要ない。ご貴殿が亡き半兵衛に成り代わり、我ら羽柴家中の知恵袋となって兄者を支えてくれると信じておる」
「買い被りでござるご舎弟殿……今一つ皆様方に申し上げねばならぬことがござる」
 畏まって官兵衛が告げる。
 すると、首座に着く秀吉が訝しげに眉を顰めた。
「何じゃ、申してみよ」
「はは、然らば謹んで申し上げまする。某、御着の殿と縁を切り、苗字を旧姓の黒田に戻したく思っておる次第に」
 官兵衛は上目遣いで秀吉を見やった。
「うん、官兵衛よ殊勝な心掛けじゃ。よきに計らえ」
 秀吉の許しを得て、以降官兵衛は公式に小寺の姓を捨て、黒田姓を名乗ることになった。
 官兵衛が有岡城に赴く前、つまり竹中半兵衛存命中に、別所長治が籠る三木城に対し、兵糧攻めの作戦を実行に移した。三木城に繋がる補給路を全て断ち切ったのだ。
 しかし、有岡城の荒木村重に離反され、逆に羽柴勢が窮地に陥った。有岡城攻略後、秀吉は再び三木城攻めに取り掛かることになった。
「干殺しを続けよ、と仰せか」
「ああ」
 秀吉は首肯した。
 兵糧攻めを継続するには手間と時間と資金が掛かる。
 官兵衛は頭の中でそれらを見積もった。
「あと数年は掛かりますな。少なくとも一年近くは」
「官兵衛、何とか致せっ。先頃上様はこの儂に、一年以内に三木城を落とさなければ織田家から放り出すと仰せになられた」
 秀吉は今にも泣き出しそうな顔で官兵衛に訴えた。
(なるほど、先頃、安土にて上様が『猿。ちと話がある、そちはここに残れ』と仰せになられたのは、このことであったか……)
 敵対勢力を叩くにあたって、信長と、その家臣たちとでは、全く戦法が違っていた。
 秀吉や謀臣明智光秀は、調略といった手法を多用し、戦わずして敵の力を削ぐ。しかし、信長はそれが失敗に終わると、殲滅作戦を実行に移す傾向があった。
 大量の人員と火器を戦場に投入する戦法だ。伊勢長島一向一揆、比叡山延暦寺焼き討ち、長篠合戦などがそうだ。
 逆に秀吉は、手間と時間と資金が掛かる戦法を好んだ。
 苛烈な性格の信長と、陰湿な秀吉の性格の違いだった。
 官兵衛は直ぐに秀吉の意を汲んで、小さく頷いた。
「分かり申した。この黒田官兵衛、殿の御ため何とか致しましょう」
 この期を境にして、官兵衛は秀吉を、その受領名である筑前殿とは呼ばず殿と呼び、自らの主君として仰ぐことになった。
 三木城攻めが開始される時点で、軍師竹中半兵衛が取った作戦が功を奏した。
 秀吉率いる羽柴勢は、別所長治の領民たちを脅し、一向門徒や領民たち丸ごと三木城に籠城させた。
 これを『諸籠り』といい、長期間籠城するには大量の食料を必要とさせた。
 この時点で既に三木城の兵糧は殆ど尽きているので、落城は時間の問題だった。
 だが、信長という男は時間を掛けること嫌い、秀吉を急がせたのだ。
「殿、彦進(長治の実弟友之)が籠る宮ノ上砦と山城守(長治の叔父吉親)の鷲尾山城を落とせば、小三郎(長治の通称)は孤立無援と成り申す」
 官兵衛は、宮ノ上砦と鷲尾山城攻略を秀吉に進言する。
「然もすれば小三郎も我らに下りましょう」
「うん、官兵衛。其方の申すこと尤もじゃ。聞いたか、小一郎、弥兵衛(浅野長吉の通称)、小六。直ぐに手配致せ」
 年が明けると、秀吉の命を受けた羽柴勢は直ぐに作戦を実行した。友之の籠る上ノ宮砦と吉親の鷲尾山城を攻め落とした。
 治長は織田方に与した叔父重棟の説得によって、自らの切腹と引き換えに家臣領民の助命を認められ開城する。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...