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第二章
六
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秀吉に従い官兵衛は安土の地に入った。
伊勢へと続く鈴鹿の峰は、その頂きに白いものを被っていた。
空には雲の影が一つもない。にも拘らず先ほど来から粉雪がちらつきはじめた。
官兵衛は秀吉の後に付き、不自由な左足を庇いながら大手道の石段を一段ずつ上った。
五層七階の天主閣を見るのはこれが二度目だった。しかし、何度見てもその豪華絢爛な姿に驚かされる。
「上様は間もなくこの日ノ本という国を平定なされる。そうなれば我ら家臣は不要となる」
秀吉の恐れが、つい言葉になって口を吐いた。
官兵衛は前々からそのことに気付いていた。
「か、官兵衛よ。儂は恐ろしいのじゃ、その時が来るのが……」
秀吉は怯えていた。
秀吉のこの言葉を聞き、官兵衛は昨年の晩秋、鳥取城内に出没した件が遺した予言の言葉が脳裏に甦った。
(『時が来れば立つ』とは、上様が天下を平定なさる時か……)
「ううん」
官兵衛は低い声で唸ると、徐に空を仰ぎ見た。
粉雪の舞う冬の空に、一羽の鳶が円を描き飛んでいた。その鳶を、突然二羽のカラスが襲った。縄張りに入った鳶を追い払おうと、カラスは嘴を使い執拗に攻撃を加える。鳶は堪らず滑空し、安土城の廓の隅へ逃げ込む。だが、二羽のカラスは連係し、鳶に容赦のない攻撃を加えた。
その様子を、石段から眺めていた官兵衛は、
「カラスが鳶を襲うか……」
と感慨深げに言った。
(まさに武田が滅び行く様を見ているようじゃ。弱みを見せれば寄って集って嬲り殺しにされる)
官兵衛は暫くその様子に見入っていた。
「何をしておる官兵衛」
先を行く秀吉に声を掛けられ、官兵衛はハッとなり我に返った。
「申し訳ござりませぬ」
秀吉に詫びの言葉を入れ、官兵衛は杖をつき、再び石段をゆっくりと上りはじめた。
安土城内に入ると、小姓頭の森蘭丸が応対に現れた。
眉目秀麗な青年だ。信長お気に入りの近習の一人である。
猿に似た容貌の秀吉や、一年半近く幽閉されたため、皮膚病に罹り醜悪な容姿となった官兵衛とは雲泥の差があった。
「上様にお目通りを」
秀吉が用件を伝えた。その声はどことなく沈んでいた。
一向に毛利征伐が進まず、秀吉は信長から叱られるのではないのか、と気を揉んでいたのだ。
官兵衛には、それが手に取るように分かった。
最近の主君秀吉の様子を見ている限りでは、気鬱な感じすらした。
蘭丸は、秀吉と彼に従う官兵衛を、まるで品定めするのかのような目付きで見たあと、漸く口を開いた。
「こちらへどうぞ」
顎を本丸の方へ向けた。
「忝い」
秀吉は、虎の威を借る狐の如き蘭丸に頭を下げ、その後についていった。
更に官兵衛は秀吉の後を追い、痛めた左足を引き摺りながら廊下を歩く。
蘭丸が配下の小姓に顎をしゃくった。
すると彼らは、よく躾けされた犬のように、素早く襖障子を開けた。この襖には狩野永徳の筆による花鳥画が描かれていた。
「筑前殿、上様は多忙でござる。暫しこの場でお待ち下され」
蘭丸は、秀吉主従を安土城本丸主殿の対面の間に通した。
そこで、信長が現れるのを待つことになった。
「お手間を取らせ忝い」
秀吉は蘭丸に一礼した。
それに倣い官兵衛も蘭丸に頭を下げた。
冬は日が暮れるのが早い。西日が対面の間に差し込んで来た。
申の刻(午後四時頃)――。
一刻(約二時間)ほど待たされ、漸く信長が対面の間に現れた。
伊勢へと続く鈴鹿の峰は、その頂きに白いものを被っていた。
空には雲の影が一つもない。にも拘らず先ほど来から粉雪がちらつきはじめた。
官兵衛は秀吉の後に付き、不自由な左足を庇いながら大手道の石段を一段ずつ上った。
五層七階の天主閣を見るのはこれが二度目だった。しかし、何度見てもその豪華絢爛な姿に驚かされる。
「上様は間もなくこの日ノ本という国を平定なされる。そうなれば我ら家臣は不要となる」
秀吉の恐れが、つい言葉になって口を吐いた。
官兵衛は前々からそのことに気付いていた。
「か、官兵衛よ。儂は恐ろしいのじゃ、その時が来るのが……」
秀吉は怯えていた。
秀吉のこの言葉を聞き、官兵衛は昨年の晩秋、鳥取城内に出没した件が遺した予言の言葉が脳裏に甦った。
(『時が来れば立つ』とは、上様が天下を平定なさる時か……)
「ううん」
官兵衛は低い声で唸ると、徐に空を仰ぎ見た。
粉雪の舞う冬の空に、一羽の鳶が円を描き飛んでいた。その鳶を、突然二羽のカラスが襲った。縄張りに入った鳶を追い払おうと、カラスは嘴を使い執拗に攻撃を加える。鳶は堪らず滑空し、安土城の廓の隅へ逃げ込む。だが、二羽のカラスは連係し、鳶に容赦のない攻撃を加えた。
その様子を、石段から眺めていた官兵衛は、
「カラスが鳶を襲うか……」
と感慨深げに言った。
(まさに武田が滅び行く様を見ているようじゃ。弱みを見せれば寄って集って嬲り殺しにされる)
官兵衛は暫くその様子に見入っていた。
「何をしておる官兵衛」
先を行く秀吉に声を掛けられ、官兵衛はハッとなり我に返った。
「申し訳ござりませぬ」
秀吉に詫びの言葉を入れ、官兵衛は杖をつき、再び石段をゆっくりと上りはじめた。
安土城内に入ると、小姓頭の森蘭丸が応対に現れた。
眉目秀麗な青年だ。信長お気に入りの近習の一人である。
猿に似た容貌の秀吉や、一年半近く幽閉されたため、皮膚病に罹り醜悪な容姿となった官兵衛とは雲泥の差があった。
「上様にお目通りを」
秀吉が用件を伝えた。その声はどことなく沈んでいた。
一向に毛利征伐が進まず、秀吉は信長から叱られるのではないのか、と気を揉んでいたのだ。
官兵衛には、それが手に取るように分かった。
最近の主君秀吉の様子を見ている限りでは、気鬱な感じすらした。
蘭丸は、秀吉と彼に従う官兵衛を、まるで品定めするのかのような目付きで見たあと、漸く口を開いた。
「こちらへどうぞ」
顎を本丸の方へ向けた。
「忝い」
秀吉は、虎の威を借る狐の如き蘭丸に頭を下げ、その後についていった。
更に官兵衛は秀吉の後を追い、痛めた左足を引き摺りながら廊下を歩く。
蘭丸が配下の小姓に顎をしゃくった。
すると彼らは、よく躾けされた犬のように、素早く襖障子を開けた。この襖には狩野永徳の筆による花鳥画が描かれていた。
「筑前殿、上様は多忙でござる。暫しこの場でお待ち下され」
蘭丸は、秀吉主従を安土城本丸主殿の対面の間に通した。
そこで、信長が現れるのを待つことになった。
「お手間を取らせ忝い」
秀吉は蘭丸に一礼した。
それに倣い官兵衛も蘭丸に頭を下げた。
冬は日が暮れるのが早い。西日が対面の間に差し込んで来た。
申の刻(午後四時頃)――。
一刻(約二時間)ほど待たされ、漸く信長が対面の間に現れた。
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