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第三章
三
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「明智殿のように、誰かに横槍を入れられはせぬか」
秀吉は陣幕を張った本陣の中を落ち着きなく右や左に動きながら問い掛けた。
すると官兵衛は気怠く嘆息を吐き、
「殿。明智殿には、上様に諫言した殿やこの官兵衛めがおりましたが、殿には殿の邪魔立てを致す者は一人もおりません」
織田家中内で秀吉の好敵手と成り得る存在自体が皆無であることを告げた。
「そ、そうじゃの。明智殿にはこの羽柴筑前のような男がおったが、この儂には儂の邪魔をする輩は一人もおらぬ」
秀吉は納得がいき、漸く安堵したように何度も頷いた。
官兵衛がその明晰な頭脳で描く織田家の将来を占うと、信長の天下はそう長くは続かないという答えが出ていた。
信長ほど、近しい存在に裏切られる男は珍しい。
父信秀の死後、真っ先に鳴海城の山口親子に裏切られて以来、裏切りの連続に遭っている。
実弟信勝をはじめとして義弟の浅井長政、信頼していた家臣の荒木村重、他には松永久秀などだ。
官兵衛は信長亡きあとの織田家中で、主君秀吉が重きを成すには如何にすればよいのかこの頃から既に模索をはじめていた。
別の言葉を使えば、秀吉に織田家の第一人者に成ってもらわねば仕えた意味がないということだ。
「承知した。官兵衛よ、毛利との和議を進めよ」
秀吉は毛利との和睦を許可する旨を伝えた。
「承知仕った。早速取り掛かりまする」
官兵衛は首肯した。
この和平交渉の毛利側の相手は、外交僧の安国寺恵瓊が務めた。
恵瓊の出自は、嘗ての安芸守護職だった武田氏である。
若狭武田氏同様、甲斐源氏の武田氏の庶流に当たる。
安芸武田氏は、毛利輝元の祖父元就の代に滅ぼされた訳であるが、恵瓊は一族の仇である毛利家に軍僧として仕えるに至った。
官兵衛にとって交渉相手が恵瓊であったことは、結果的に好都合だったと言える。
恵瓊は官兵衛と同じく、早い時期から秀吉の才能に気付いた数少ない存在だった。
『信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候』
これは、恵瓊が吉川元春の側近に宛てた書状の一部である。この文からも恵瓊の彗眼が窺い知ることが出来る。
また恵瓊は、嘗て信長によって京を追われた室町幕府十五代将軍足利義昭が、毛利を頼って西国に来ることを断固として拒んだ。
結果義昭が備後国の鞆に動座した際には、宇喜多と手を切って織田と結ぶべきだと主張した。
このことも、官兵衛にとっては和睦交渉を進める上で成功材料の一つとなった。
秀吉の許可を得た官兵衛は直ぐに毛利方に使いを遣り、恵瓊を羽柴勢の本陣に呼び付けた。
羽柴勢の陣城に単身で赴いた恵瓊は挨拶もそこそこに、早速交渉の席に着いた。
官兵衛の目には、毛利方の軍僧は中肉中背の脂ぎった中年男として映った。
恵瓊が床机に腰掛ける際、具足が擦れ、音がした。漆黒の法衣の下に、甲冑で身を固めていたのだ。
恵瓊は、周囲に睨みを利かせてから口を開けた。
「備中、備後、美作、伯耆、出雲の計五ヶ国を織田様にお譲り致そう」
恵瓊は毛利側の条件を官兵衛に伝えた。
官兵衛は訝しげに眉を顰めた。
「備中、備後、美作、伯耆、出雲の計五ヶ国の割譲に加え、清水長左衛門尉(宗治の仮名)殿の切腹が和議の条件でござる」
官兵衛は涼しい顔で、平然と織田方の条件を提示した。
「むむむっ、何を言わっしゃるか黒田殿ともあろうお方が、五ヶ国を織田方に割譲し清水殿のお命までとっ。そんな道理が通用するとお思いかっ」
忽ち恵瓊は顔を紅潮させ、臆することなく官兵衛に噛み付いた。まさに飛び掛からんほどの勢いだった。
「この条件、一歩足りとも譲ることは出来ぬ」
官兵衛は飽くまでも五ヶ国に加えて、高松城主清水宗治の切腹は譲れないと主張する。どこまでも強気だった。
「否、出来ぬ。五ヶ国はお譲り致そう。されど清水殿と城兵共の命は救って頂きたいっ」
恵瓊の方も、宗治と城兵の助命を主張し一歩も退かず、交渉は平行線を辿った。
秀吉は陣幕を張った本陣の中を落ち着きなく右や左に動きながら問い掛けた。
すると官兵衛は気怠く嘆息を吐き、
「殿。明智殿には、上様に諫言した殿やこの官兵衛めがおりましたが、殿には殿の邪魔立てを致す者は一人もおりません」
織田家中内で秀吉の好敵手と成り得る存在自体が皆無であることを告げた。
「そ、そうじゃの。明智殿にはこの羽柴筑前のような男がおったが、この儂には儂の邪魔をする輩は一人もおらぬ」
秀吉は納得がいき、漸く安堵したように何度も頷いた。
官兵衛がその明晰な頭脳で描く織田家の将来を占うと、信長の天下はそう長くは続かないという答えが出ていた。
信長ほど、近しい存在に裏切られる男は珍しい。
父信秀の死後、真っ先に鳴海城の山口親子に裏切られて以来、裏切りの連続に遭っている。
実弟信勝をはじめとして義弟の浅井長政、信頼していた家臣の荒木村重、他には松永久秀などだ。
官兵衛は信長亡きあとの織田家中で、主君秀吉が重きを成すには如何にすればよいのかこの頃から既に模索をはじめていた。
別の言葉を使えば、秀吉に織田家の第一人者に成ってもらわねば仕えた意味がないということだ。
「承知した。官兵衛よ、毛利との和議を進めよ」
秀吉は毛利との和睦を許可する旨を伝えた。
「承知仕った。早速取り掛かりまする」
官兵衛は首肯した。
この和平交渉の毛利側の相手は、外交僧の安国寺恵瓊が務めた。
恵瓊の出自は、嘗ての安芸守護職だった武田氏である。
若狭武田氏同様、甲斐源氏の武田氏の庶流に当たる。
安芸武田氏は、毛利輝元の祖父元就の代に滅ぼされた訳であるが、恵瓊は一族の仇である毛利家に軍僧として仕えるに至った。
官兵衛にとって交渉相手が恵瓊であったことは、結果的に好都合だったと言える。
恵瓊は官兵衛と同じく、早い時期から秀吉の才能に気付いた数少ない存在だった。
『信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候』
これは、恵瓊が吉川元春の側近に宛てた書状の一部である。この文からも恵瓊の彗眼が窺い知ることが出来る。
また恵瓊は、嘗て信長によって京を追われた室町幕府十五代将軍足利義昭が、毛利を頼って西国に来ることを断固として拒んだ。
結果義昭が備後国の鞆に動座した際には、宇喜多と手を切って織田と結ぶべきだと主張した。
このことも、官兵衛にとっては和睦交渉を進める上で成功材料の一つとなった。
秀吉の許可を得た官兵衛は直ぐに毛利方に使いを遣り、恵瓊を羽柴勢の本陣に呼び付けた。
羽柴勢の陣城に単身で赴いた恵瓊は挨拶もそこそこに、早速交渉の席に着いた。
官兵衛の目には、毛利方の軍僧は中肉中背の脂ぎった中年男として映った。
恵瓊が床机に腰掛ける際、具足が擦れ、音がした。漆黒の法衣の下に、甲冑で身を固めていたのだ。
恵瓊は、周囲に睨みを利かせてから口を開けた。
「備中、備後、美作、伯耆、出雲の計五ヶ国を織田様にお譲り致そう」
恵瓊は毛利側の条件を官兵衛に伝えた。
官兵衛は訝しげに眉を顰めた。
「備中、備後、美作、伯耆、出雲の計五ヶ国の割譲に加え、清水長左衛門尉(宗治の仮名)殿の切腹が和議の条件でござる」
官兵衛は涼しい顔で、平然と織田方の条件を提示した。
「むむむっ、何を言わっしゃるか黒田殿ともあろうお方が、五ヶ国を織田方に割譲し清水殿のお命までとっ。そんな道理が通用するとお思いかっ」
忽ち恵瓊は顔を紅潮させ、臆することなく官兵衛に噛み付いた。まさに飛び掛からんほどの勢いだった。
「この条件、一歩足りとも譲ることは出来ぬ」
官兵衛は飽くまでも五ヶ国に加えて、高松城主清水宗治の切腹は譲れないと主張する。どこまでも強気だった。
「否、出来ぬ。五ヶ国はお譲り致そう。されど清水殿と城兵共の命は救って頂きたいっ」
恵瓊の方も、宗治と城兵の助命を主張し一歩も退かず、交渉は平行線を辿った。
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