道誉が征く

西村重紀

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第五章

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 検非違使結城親光に捕縛された大塔宮護良親王の身柄は、彼の政敵である足利尊氏に引き渡された。それは最早大塔宮にとって復権する方法を失ったことを意味する。そればかりでない。命さえも危うい立場となった。
 大塔宮の身柄が、尊氏の弟直義がいる鎌倉へ送られた日の夕刻だった。
 入魂にしている天竺屋に顔を出した道誉は、来月館で開催する予定の闘茶の景品として伽羅の香木を購入すると、数名の供廻り衆を伴い帰途に就いた。辻を左に折れ、京極高辻の館が目と鼻の先に差し掛かった時、豪壮な正門の前で佇む直垂姿の武将が目に留まった。
「あれは」
 道誉は目を凝らして、逆光の中に立つその人物を確認する。
「楠木左衛門尉ではないか……」
 道誉は正成の名を口にした。
 正成の他に、二人の男の姿がった。恐らく楠木家の家人、あるいは楠木党に属する野伏であろう。どうやら彼ら三人もこちらに気付いたようだ。
 大塔宮を慕う正成は、道誉に相当根深い恨みを抱いていても不思議でない。
「殿をお護りしろっ」
 太刀に手を掛け、嘉兵衛が供回り衆に指示を出した。
「待てっ、こちらから仕掛けるなっ」
 道誉は血気に逸る家臣共を制した。
 正成と目と目が合った。一礼し、ゆっくりと近寄って来る。
「佐渡殿、御辺のお帰りを門前でお待ちしておりました」
 正成はその豪胆無比な顏に似合わず、物腰の柔らかい口調で言うと、道誉主従に深々と頭を下げた。褐色の地味な直垂を纏っている。
 正成は口許に薄い笑みを浮かべた。
「楠木殿、身共に何かご用がおありか」
 道誉は正成を確と凝視しながら問い掛けた。
「まあ、そう硬くならずに、もそっと柔らかく参りましょう」
 他人を喰ったような惚けた口調で言うと、正成は白い歯を見せにんまりと笑った。
「門前で立ち話も何じゃ、御家来衆共々中に入られよ」
 顎をしゃくりながら道誉は言った。
「ならばお言葉に甘えて」
 正成は道誉に一礼してみせ、家臣たちに、
「佐々木殿のお許しを頂いた。館の中に入らせて頂こう」
「はっ」
 野伏とも野盗とも見分けが付かない薄汚れた直垂を身に着けた男が、深々と頭を下げた。
 正成の家臣は控えの間で待機させ、本人だけをハレの場で東対の書院に通した。
 比叡山を借景とした枯山水の庭に臨む板敷に道誉は腰を下ろした。対座する形で正成が座った。両人とも腰に太刀は帯びていない。脇差のみ差している。
 近習が盆に乗せた茶を運んで来た。
「忝い」
 正成が礼を言った。
「今年摘んだ栂尾の新茶でござる」
 闘茶に精通している道誉が、悪党上がりの正成を試すような眼差しを向け言った。
「頂戴仕る」
 頭を下げ、正成が茶碗を手に取った。
 道誉も茶碗を手に取り、口に運んだ。
 新茶独特のふくよかな甘みと渋みが口の中いっぱいに広がった。
 この時代、洛中郊外の栂尾の茶が最高級品とされていた。
「……美味い。このようなお茶を頂いたのは生れて初めてでござる」
 正成は感慨深げに言った。
「楠木殿も茶の味が分かる御仁と見た。近々当家で闘茶を催そうと思ってござる。御辺も是非ご参加下さい」
 道誉は正成を誘った。
 だが、正成は意味ありげな笑みを浮かべるだけで、道誉の誘いに乗って来ることはなかった。
 道誉は、気の合った婆沙羅大名を招き、月に何度か闘茶を催していたのだ。無論ただの闘茶ではなく、莫大が景品を目当てにした賭け事という側面もあったが、実のところは情報交換の場であった。
 暫くの沈黙ののち、正成が口を開いた。
「帝は過ちを犯された」
「過ち?」
 道誉は首を傾げ、穿った眼差しを正成に向けた。
「然様、過ちでござる。宮様こそが足利を止めることが可能な唯一のお方であったのに」
 正成は悲しげな表情を作り、ゆっくりと語った。
 立場的には道誉と真逆であるが、その胸中にある基本的な考え方は、殆ど大差はなかった。
 足利尊氏という武将が、近い将来必ず後醍醐天皇を裏切るとことだ。
 その時道誉は、武家の棟梁である征夷大将軍に尊氏が就任していれば従うつもりだった。勿論、征夷大将軍になっていなくても、状況を踏まえ従属する気でいる。
 しかし、今目の前に座るこの律義者は、尊氏が征夷大将軍になっても従う気はないだろう。
 弘元の乱の折、正成は大塔宮と共に、幕府軍を相手に戦って来た。彼にとって大塔宮という人物は、苦楽を共にした仲間なのだ。
「御辺は足利殿にお味方する気でござろう」
 正成に問われ、道誉は一瞬、その胸中に後ろめたさが去来した。
 既に足利尊氏に味方し、大塔宮を失脚させるため罠に嵌めた。その際、最も目障りとなった楠木正成を大塔宮から遠ざけるように仕組んだのも、道誉と高師直の二人だった。
 道誉が黙っていると、正成はそのまま話を続けた。
「やり方が卑怯でござる。清廉潔白な宮様を陥れるとは、しかも、身共が邪魔になり態と宮様から引き離すとは……」
「恨んでおられるのか」
「いいや、悔いておるのでござる」
「悔いておられる?」
 怪訝そうに眉を顰め、道誉は鸚鵡返しに尋ねた。
「斯様な謀があったことを見抜けなんだ、身共の自身の愚かさを」
 憮然と言って、正成は自嘲気味に笑った。
 ゲリラ戦法を得意とする正成は、戦に勝つためには手段を択ばない男であった。しかしそれは戦場に於いてのことだけだ。
 政治に於いてはむしろ、目の前にいる道誉や、足利家家宰の高兄弟に比べると、腹の白い人物だった。心の内が清く正直な人間だった。
 正成は道誉に辞去する旨を伝え、京極高辻の館を後にした。
 正成が去った館内では、道誉が一人不機嫌気味に歯軋りをしていた。
「善助っ」
 道誉は広縁に出て、雑色の名を叫んだ。
 目の前に広がる自慢の枯山水の庭は、深淵に沈んでいた。
 その闇の中から、善助の声が聞こえた。
「お呼びでござるか殿」
「楠木左衛門尉から目を離すな」
 道誉は低い声で言い捨て踵返した。
「はっ」
 応答した善助の気配が、いつの間にか背後から消えていた。
 洛中に厳しい冬の訪れを告げる寒風が吹き荒んだ。
 道誉は身震いし、愛妾の未麻が用意した火鉢に手を翳した。
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