道誉が征く

西村重紀

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第五章

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 正体不明の賊に襲撃された数日後、道誉は戦の支度を整えるため、領国北近江に向けて京を発した。
 旧鎌倉幕府の御家人たちよって担がれた北条高時の遺児時行は、七月十四日、後醍醐天皇に反旗を翻し信濃の地で挙兵した。まず時行は、新政権が定めた信濃守護の小笠原貞宗を打ち破り、十八日に兵を上野国に進めた。
 この時期、各地で頻繁に反乱が勃発していた。
 六月には、西園寺公宗が後醍醐天皇を暗殺するべく立ち上がったが、楠木正成、高師直らによって討ち取られ、未遂に終わっている。
 北条一門の名越時兼が越中で挙兵。しかし、時兼は上洛を目論んで進軍中に、新田義貞配下の武将、瓜生判官保らによって加賀国の大聖寺で討ち取られた。
 一方、信濃国で挙兵した時行らは、その勢いのまま北関東を席捲し、鎌倉将軍府が派遣した追討軍を討ち破り、鎌倉を目指して二十日頃には武蔵国に侵(はい)った。
 足利尊氏の実弟で鎌倉を預かる直義は、反乱軍を迎え撃つため鎌倉を発した。
 両軍は井出沢で激突し、合戦が行われた。しかし、この戦いでも時行勢は直義勢に勝利し、二十五日に鎌倉は陥落した。
 直義敗れるの一報は直ちに京にいる兄尊氏の許に齎された。
 尊氏は四万の軍勢を率い、後醍醐天皇の勅許を待たずに京を発することになった。八月二日のことだった。
 その頃、領国北近江柏原の館にいた道誉の許にも、
「鎌倉が北条方の手に陥(お)ちました」
 と佐々木家家宰吉田厳覚の口から伝えられた。
「相模守(直義の受領名)殿は無事か」
「はい」
 頷くと厳覚は話を続けた。
「足利殿の御舎弟相模守殿は、鎌倉を落ち延びるにあたって、家人の淵辺伊賀守なる者に命じ、先の将軍、大党宮様を殺められたそうです」
「大塔宮様に手を掛けられたか……それも仕方あるまいな。もしも仮に、北条方に宮様の身柄が奪われたら一大事、詮無きことよ」
「仰せの通りにござる」
「厳覚よ、我らも足利殿の軍勢に加わり、鎌倉を目指す」
「はっ、承知仕った」
 厳覚は恭しく一礼した。
 足利尊氏が京を出陣する前、後醍醐天皇は我が子成良親王を征夷大将軍に任じている。
 尊氏の弟直義は、鎌倉を脱出する際、大塔宮を殺害する一方で、成良親王と尊氏の嫡男千寿王を伴って鎌倉を離れた。
 尊氏は、直義救援のため、後醍醐天皇に北条時行追討との綸旨と、総追捕使と征夷大将軍職を求めたが、それらを全て却下されていた。
 後日、後醍醐天皇は尊氏に征東将軍の号を追認した。
「足利殿は帝の許しを得ぬまま、鎌倉に向かわれたとのことです」
「あの御仁は、主上と袂を分かつ気と見た」
「殿は如何なさるご所存で」
 厳覚が尋ねる。
 すると道誉は、近習共に大鎧の装着を手伝わせながら、
「その時になってみなければ分からぬ」
 と答えた。
 戦支度が整うと、道誉は足利勢に加わるため、領国北近江柏原を出陣した。
 佐々木勢は尊氏率いる足利勢本隊に加わり、一路鎌倉を目指した。東海道を東へ進む。途中、足利本隊に鎌倉を脱出した直義の手勢が合流した。
 二引き両の陣幕に囲われた足利本陣に、甲冑に身を固めた直義が現れたのは、その日の午後だった。
 正面に据えられた床机に尊氏が腰掛けていた。左右には足利一門の面々も列座している。そのなかに交じって道誉の姿もあった。
「兄上……鎌倉を護れず面目次第もござらん」
「よくぞ無事で」
 と直義に声を掛け、尊氏は弟の再会を喜び合った。
「北条勢は手強いか」
 尊氏は直義に尋ねた。
「はい」
 素直に敗北を認める直義は、憮然と頷いた。
「されど、兄上が来たからには、最早北条など物の数ほどでもござらん」
「御舎弟殿、ご油断は禁物」
「ん? 何を申されるか、佐渡殿っ」
 直義は目を剥いて道誉を睨め付けた。
「勢いに乗った敵というものは手強い。ここは我らも慎重にならねば」
「当代きっての婆沙羅な男と呼ばれたる、佐々木佐渡殿のお言葉とは思えぬほどの弱腰でござるな」
「まあ、好きに申されよ」
 道誉は若い直義の挑発に乗ることはなく、軽く受け流した。
「して、総大将としてどのようになさる。足利殿のご存念を是非とも我らにお聞かせ願いたい」
 道誉は正面の床机に腰掛ける尊氏を見やって尋ねた。
「全軍を以って謀叛人北条勝寿丸とその家人共を討つっ」
 尊氏の存念を確認した足利一門と道誉は、
「応っ!」
 と快げな声を発した。
 九日、遠江国橋本、十二日、小夜の中山の地にて、足利一門の今川頼国らの奮戦によって敵方北条一門の名越高邦を打ち取った。
「よしっ、いけるぞぉっ、北条方を蹴散らせっ!」
 馬上の尊氏は将兵たちを鼓舞する。
 それに応えるかのように足利勢は快進撃を続けた。
「戦場でのあ奴は見違えるようじゃ。京にいた頃のあの女々しい姿はどこかに吹っ飛んでいったわいっ」
 尊氏の間近で、全軍を指揮する彼の姿を目の当たりにした道誉は感心した。
「兄上は、やはり戦場がよう似合っております」
 直義も道誉の意見に同調するかのように頷いた。
 足利勢の快進撃はまだまだ続いた。
 十四日には、駿河国の清見関および国衙にて、敵方の諏訪小二郎金刺頼秀を討ち取った。
 十七日に箱根を越え、翌十八日に相模国に入ると、相模川を挟んで両軍が激しくぶつかり合い、今川頼国、頼周兄弟が討死した。
「敵は逃げ腰ぞっ!」
「勝機は我らにありっ」
 足利本陣で尊氏らは檄を飛ばした。
 道誉も自ら佐々木勢を率い前戦で北条方と激戦を繰り広げた。
 飛び交う矢が、馬上の道誉の兜を掠める。
「我に続けっ!」
 道誉は佐々木勢を率い、敵方に突撃を敢行する。
「佐々木勢に後れを取るなっ」
 足利勢の一翼を担う家宰の高師直が鼓舞し、道誉の後を追って敵方に突撃した。
 戦局は一進一退の攻防を繰り広げていたが、次第に足利方が優勢となり、劣勢に立たされた北条方は徐々に後退した。
 十九日、相模国辻堂の戦いで足利方に敗れた北条方の諏訪頼重が鎌倉勝長寿院で自刃して果てた。時行は供回り衆に護られ、鎌倉を落ち延びた。
 二引き両の陣幕に囲われた足利本陣では尊氏を中心とした諸将が集い、
「エイエイッオオーーーーっ!!」
 勝鬨を上げて勝利を喜び合った。
 そこには、戦勝を祝う美酒に酔う道誉の姿もあった。
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