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第六章
二
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道誉が予想した通り、十二月五日の正午から戌の正刻(午後八時)の間、安部川の河口で繰り広げられた手越河原の戦いは、足利方の大敗で終わった。
この戦いで足利方として戦った道誉は、左肩に矢を受け負傷した。また、実弟の高屋貞満が討死した。
道誉は左肩に刺さった鏃を抜き、治療を終えると、共に戦った家人の松村嘉兵衛ら家来を伴い、一引き両の陣幕で囲われた新田義貞の本陣に赴いた。官軍の軍門に降ったのだ。
同じ清和源氏源義家の三男義国を祖とする足利と新田は、引き両の紋を使用していた。兄貴筋に当たる新田が一引き両を、弟筋に当たる足利が二引き両を使っていた。
「この佐々木佐渡守判官高氏入道道誉、畏れ多くも天子様に弓引いたことを悔い改め、新田殿に降伏致す所存でござる」
道誉は恭しく平伏した。
正面総大将が座る床机には、大鎧を纏った上将軍の尊良親王の姿がった。その脇を固めるのは、軍事に疎い公家たちであった。
実質上の大将である新田義貞は、脇に据えられた床机に腰掛け、道誉と応対した。
「本来ならばその首を撥ね、首級を主上がおわす都に送り届けたいところであるが、此度のこと不問と致す」
義貞は道誉の降伏を受け入れ、官軍に加わることを許可した。
翌六日、箱根付近まで敗走した足利本隊を追って新田勢は動き出した。道誉率いる佐々木勢は、官軍に加わり、鎌倉に向けて出立した。
「三郎兄上、我らはこれで良かったのござるか」
道誉は、並走する実兄の佐々木三郎貞氏入道善観に問い掛けた。
「今更何を申すか、四郎」
道誉の兄善観は、北条得宗家の高時が出家した折、それに倣い道誉と共に出家した人物である。
「我らは無益なこの合戦で弟を一人喪ったのだぞ。ここは是が非でも新田殿に勝って頂けねば、我らが官軍に寝返った意味がない」
「……三郎兄上、この道誉に一つ妙案がござる。お耳を拝借致したい」
と言って、道誉は兄善観の耳元に近寄った。
一方、手越河原の戦いで大敗を喫した直義率いる足利勢は、箱根の水吞峠まで兵を引いていた。
二引き両の幔幕に覆われた足利本陣では、本来なら大将である尊氏不在のまま、軍議が執り行われ、暗澹たる重い空気が包んでいた。
正面の床机に腰掛ける直義は、先ほどから無言のまま宙を見詰めていた。
「降伏致すか」
と細川頼春が意見した。
「降伏? 蔵人殿は新田如きに降ると申すのかっ!」
吉良義満が唸った。
「ならば三郎殿、他に何か打つ手がござるのかっ!」
「まあまあまあ、方々、興奮なさらず落ち着かれませ」
いつものように師直は言い争う両者の間に割って入った。
「高左衛門尉っ、其方、足利家に代々仕える家宰であろう。御大将のご出陣の方はどうなっておるのかぁっ!?」
白い歯をむき出し鬼の形相で、烈火の如く義満が叫んだ。
「使いの者を扇ガ谷に遣っております」
師直は面目なさげに頭を下げつつ答えた。
「斯様な呑気なことを……」
頼春は呆れ顔で言うと、憮然とかぶりを振った。
そこに、具足を身に着けた足利家の家人が現れ、師直の足元で片膝をついた。
「官軍新田勢に降った佐々木殿の使いの者が参っておりまする」
「佐々木殿の……?」
訝しげに眉根を寄せると、師直は険しい表情を作った。
「斬れっ、斬って捨てよ」
と唸ったのは、頼春だった。
「待て、ここに通せ」
師直は家人に指示した。
「高殿、何を今更……」
頼春は穿った眼差しを師直に向け、首を傾げた。
暫くすると、一人の雑色が現れた。農夫の格好をしている。
師直の足許で片膝をつき畏まった。
「某、佐々木佐渡に仕える雑色の服部善助なる者でござる。この書状を我が主、佐渡守から預かっておりまする」
と告げると善助は、大鎧を纏い床机に腰掛ける師直に直に手渡した。
善助から密書を受け取った師直は、それを広げ黙読した。
足利本陣に集う諸将たちの視線が、師直一人に向けられた。
「何と書いてござる、兄者」
と隣に腰掛ける師泰が問い掛けた。
「これを」
言いながら師直は、道誉からの密書を師泰に渡した。
「上様の旗印が戦場で見えたならば、今一度足利方に与する」
と、声に出して師泰は道誉からの密書を読み上げた。
「善助と申したな。この高左衛門尉師直、確と承った。佐渡殿に宜しくお伝え下され」
「はっ、然らば某はこのまま扇ガ谷の浄光明寺へ向かい、足利様にお伝え致しまする」
一礼すると、善助は師直たち足利方の諸将の前から忽然と姿を消した。
「佐々木佐渡殿は、斯様な人外化生の輩を使うのか……」
ことの成り行きを黙って見ていた直義は、半ば呆れたように言った。
「かの者が扇ガ谷に隠遁する殿を口説いてくれれば、我らにも勝機が……」
師直は唇の端に薄い笑みを浮かべながら言った。
翌々日未明、官軍に加わった佐々木勢の本陣に善助が現れた。
善助の身形は雑兵のような具足を纏っていた。
「首尾は」
床机に腰掛ける道誉は短く問うた。
すると、善助は辺りを見回し、新田方の間者紛れ込んでいないことを確かめ、
「手筈通り進みました」
と答えた。
「よしっ」
道誉は満面に笑みを浮かべ頷いた。
「兄上、我ら江州勢は頃合いを見て動きましょうぞ」
「相分かった」
善観は美髯を紙縒りながら言った。
「参陣する他の佐々木一門にも伝えよ」
道誉は顎をしゃくって善助に告げた。
「はっ」
善助は一礼し、道誉の前から姿を消した。
篝火が風を受け揺れていた。
新田義貞を裏切る手筈は出来ていた。あとは機が熟すのを待つのみだけだった。
この戦いで足利方として戦った道誉は、左肩に矢を受け負傷した。また、実弟の高屋貞満が討死した。
道誉は左肩に刺さった鏃を抜き、治療を終えると、共に戦った家人の松村嘉兵衛ら家来を伴い、一引き両の陣幕で囲われた新田義貞の本陣に赴いた。官軍の軍門に降ったのだ。
同じ清和源氏源義家の三男義国を祖とする足利と新田は、引き両の紋を使用していた。兄貴筋に当たる新田が一引き両を、弟筋に当たる足利が二引き両を使っていた。
「この佐々木佐渡守判官高氏入道道誉、畏れ多くも天子様に弓引いたことを悔い改め、新田殿に降伏致す所存でござる」
道誉は恭しく平伏した。
正面総大将が座る床机には、大鎧を纏った上将軍の尊良親王の姿がった。その脇を固めるのは、軍事に疎い公家たちであった。
実質上の大将である新田義貞は、脇に据えられた床机に腰掛け、道誉と応対した。
「本来ならばその首を撥ね、首級を主上がおわす都に送り届けたいところであるが、此度のこと不問と致す」
義貞は道誉の降伏を受け入れ、官軍に加わることを許可した。
翌六日、箱根付近まで敗走した足利本隊を追って新田勢は動き出した。道誉率いる佐々木勢は、官軍に加わり、鎌倉に向けて出立した。
「三郎兄上、我らはこれで良かったのござるか」
道誉は、並走する実兄の佐々木三郎貞氏入道善観に問い掛けた。
「今更何を申すか、四郎」
道誉の兄善観は、北条得宗家の高時が出家した折、それに倣い道誉と共に出家した人物である。
「我らは無益なこの合戦で弟を一人喪ったのだぞ。ここは是が非でも新田殿に勝って頂けねば、我らが官軍に寝返った意味がない」
「……三郎兄上、この道誉に一つ妙案がござる。お耳を拝借致したい」
と言って、道誉は兄善観の耳元に近寄った。
一方、手越河原の戦いで大敗を喫した直義率いる足利勢は、箱根の水吞峠まで兵を引いていた。
二引き両の幔幕に覆われた足利本陣では、本来なら大将である尊氏不在のまま、軍議が執り行われ、暗澹たる重い空気が包んでいた。
正面の床机に腰掛ける直義は、先ほどから無言のまま宙を見詰めていた。
「降伏致すか」
と細川頼春が意見した。
「降伏? 蔵人殿は新田如きに降ると申すのかっ!」
吉良義満が唸った。
「ならば三郎殿、他に何か打つ手がござるのかっ!」
「まあまあまあ、方々、興奮なさらず落ち着かれませ」
いつものように師直は言い争う両者の間に割って入った。
「高左衛門尉っ、其方、足利家に代々仕える家宰であろう。御大将のご出陣の方はどうなっておるのかぁっ!?」
白い歯をむき出し鬼の形相で、烈火の如く義満が叫んだ。
「使いの者を扇ガ谷に遣っております」
師直は面目なさげに頭を下げつつ答えた。
「斯様な呑気なことを……」
頼春は呆れ顔で言うと、憮然とかぶりを振った。
そこに、具足を身に着けた足利家の家人が現れ、師直の足元で片膝をついた。
「官軍新田勢に降った佐々木殿の使いの者が参っておりまする」
「佐々木殿の……?」
訝しげに眉根を寄せると、師直は険しい表情を作った。
「斬れっ、斬って捨てよ」
と唸ったのは、頼春だった。
「待て、ここに通せ」
師直は家人に指示した。
「高殿、何を今更……」
頼春は穿った眼差しを師直に向け、首を傾げた。
暫くすると、一人の雑色が現れた。農夫の格好をしている。
師直の足許で片膝をつき畏まった。
「某、佐々木佐渡に仕える雑色の服部善助なる者でござる。この書状を我が主、佐渡守から預かっておりまする」
と告げると善助は、大鎧を纏い床机に腰掛ける師直に直に手渡した。
善助から密書を受け取った師直は、それを広げ黙読した。
足利本陣に集う諸将たちの視線が、師直一人に向けられた。
「何と書いてござる、兄者」
と隣に腰掛ける師泰が問い掛けた。
「これを」
言いながら師直は、道誉からの密書を師泰に渡した。
「上様の旗印が戦場で見えたならば、今一度足利方に与する」
と、声に出して師泰は道誉からの密書を読み上げた。
「善助と申したな。この高左衛門尉師直、確と承った。佐渡殿に宜しくお伝え下され」
「はっ、然らば某はこのまま扇ガ谷の浄光明寺へ向かい、足利様にお伝え致しまする」
一礼すると、善助は師直たち足利方の諸将の前から忽然と姿を消した。
「佐々木佐渡殿は、斯様な人外化生の輩を使うのか……」
ことの成り行きを黙って見ていた直義は、半ば呆れたように言った。
「かの者が扇ガ谷に隠遁する殿を口説いてくれれば、我らにも勝機が……」
師直は唇の端に薄い笑みを浮かべながら言った。
翌々日未明、官軍に加わった佐々木勢の本陣に善助が現れた。
善助の身形は雑兵のような具足を纏っていた。
「首尾は」
床机に腰掛ける道誉は短く問うた。
すると、善助は辺りを見回し、新田方の間者紛れ込んでいないことを確かめ、
「手筈通り進みました」
と答えた。
「よしっ」
道誉は満面に笑みを浮かべ頷いた。
「兄上、我ら江州勢は頃合いを見て動きましょうぞ」
「相分かった」
善観は美髯を紙縒りながら言った。
「参陣する他の佐々木一門にも伝えよ」
道誉は顎をしゃくって善助に告げた。
「はっ」
善助は一礼し、道誉の前から姿を消した。
篝火が風を受け揺れていた。
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