2 / 32
第一章
一
しおりを挟む
天文四年(一五三五)十二月五日早暁。尾張国、森山城。
江戸時代初期の旗本大久保彦左衛門忠教の著書『三河物語』によると、この日、尾張森山城主織田備前守孫三郎信光は、実兄である織田弾正少忠三郎信秀打倒を目指す隣国三河の松平次郎三郎清康に内応して、彼を居城の森山城に呼び寄せた、となっている。
この時、森山城外曲輪にあった松平陣中で異変が生じた。俄かに数頭の馬が暴れ出したのだ。生憎、辺り一面は濃霧に包まれ、視界が定かではなかった。まだ、軍馬の暴走は続いている。
不意に、背後から何者が近づく気配を感じ、清康は手綱を握ったまま首だけで振り向いた。濃い霧の中、三つ葉葵の幟旗が揺らぐのが見えた。一人の騎馬武者が近づいて来る。
「誰か」
「新六にござる」
「おう、新六か……」
清康は、濃霧の中から現れた近習の一人、植村新六郎氏明の甲冑姿を視界に捉え、軽く頷いた。
馬の鳴き声が先ほどから途切れることなく聞こえている。
「馬が暴れておりまする」
清康に併走する新六郎が答えた。
「左様か……」
納得がいった清康は頷くと、再び正面を向いた。
濃霧の中に、薄っすらと森山城の本丸御殿の影が浮かんでいた。
「父の仇っ、次郎三郎、覚悟致せっ!」
突如、背後から叫び声が聞こえた。
「何っ!?」
振り向き様、清康は右脇腹に激しい痛みを覚えた。
清康を襲った暗殺者の刃は、彼の右脇腹を貫いていた。因みにこの凶行に使用された刀が村正であった。
鮮血が師走の寒空に舞い上がった。
薄れゆく意識の中で、清康は修羅の如き阿部弥七郎正豊の姿を見た。
清康の身体は、ゆっくりと崩れ落ちた。
弥七郎は、先ほどの軍馬の暴走を、主君清康の手によって父阿部大蔵定吉が討たれたのだと勘違いして、背後から主君清康を襲ったのだ。
異変の遠因は、父定吉と主君清康の不仲にあった。以前から定吉が清康を見限り尾張織田方に寝返るのではないか、という好からぬ噂が流れ、清康はそれをあっさりと信じ込んでしまった。
出陣するに当たり定吉は、嫡男弥七郎を側に呼びつけ、
「もし儂が、謀反の濡れ衣で殺されるようなら、これを殿に見せて潔白を証明致せ」
と誓書を弥七郎に手渡していた。
しかし、父定吉の願いも虚しく、勘違いの末に弥七郎は主君清康を手に掛けてしまったのだ。
この時、主君松平清康を弑逆した阿部弥七郎正豊は、偶々この場に居合わせた植村新六郎氏明の手によって即座に討ち取られた。
これが世にいう森山崩れのことの顛末である。
江戸時代初期の旗本大久保彦左衛門忠教の著書『三河物語』によると、この日、尾張森山城主織田備前守孫三郎信光は、実兄である織田弾正少忠三郎信秀打倒を目指す隣国三河の松平次郎三郎清康に内応して、彼を居城の森山城に呼び寄せた、となっている。
この時、森山城外曲輪にあった松平陣中で異変が生じた。俄かに数頭の馬が暴れ出したのだ。生憎、辺り一面は濃霧に包まれ、視界が定かではなかった。まだ、軍馬の暴走は続いている。
不意に、背後から何者が近づく気配を感じ、清康は手綱を握ったまま首だけで振り向いた。濃い霧の中、三つ葉葵の幟旗が揺らぐのが見えた。一人の騎馬武者が近づいて来る。
「誰か」
「新六にござる」
「おう、新六か……」
清康は、濃霧の中から現れた近習の一人、植村新六郎氏明の甲冑姿を視界に捉え、軽く頷いた。
馬の鳴き声が先ほどから途切れることなく聞こえている。
「馬が暴れておりまする」
清康に併走する新六郎が答えた。
「左様か……」
納得がいった清康は頷くと、再び正面を向いた。
濃霧の中に、薄っすらと森山城の本丸御殿の影が浮かんでいた。
「父の仇っ、次郎三郎、覚悟致せっ!」
突如、背後から叫び声が聞こえた。
「何っ!?」
振り向き様、清康は右脇腹に激しい痛みを覚えた。
清康を襲った暗殺者の刃は、彼の右脇腹を貫いていた。因みにこの凶行に使用された刀が村正であった。
鮮血が師走の寒空に舞い上がった。
薄れゆく意識の中で、清康は修羅の如き阿部弥七郎正豊の姿を見た。
清康の身体は、ゆっくりと崩れ落ちた。
弥七郎は、先ほどの軍馬の暴走を、主君清康の手によって父阿部大蔵定吉が討たれたのだと勘違いして、背後から主君清康を襲ったのだ。
異変の遠因は、父定吉と主君清康の不仲にあった。以前から定吉が清康を見限り尾張織田方に寝返るのではないか、という好からぬ噂が流れ、清康はそれをあっさりと信じ込んでしまった。
出陣するに当たり定吉は、嫡男弥七郎を側に呼びつけ、
「もし儂が、謀反の濡れ衣で殺されるようなら、これを殿に見せて潔白を証明致せ」
と誓書を弥七郎に手渡していた。
しかし、父定吉の願いも虚しく、勘違いの末に弥七郎は主君清康を手に掛けてしまったのだ。
この時、主君松平清康を弑逆した阿部弥七郎正豊は、偶々この場に居合わせた植村新六郎氏明の手によって即座に討ち取られた。
これが世にいう森山崩れのことの顛末である。
0
あなたにおすすめの小説
【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる