傾国の女 於市

西村重紀

文字の大きさ
3 / 32
第一章

しおりを挟む
「松平次郎三郎清康殿、討死っ」
 の一報を近習から受けると、信光は森山城本丸主殿の一室で、火鉢の中の真っ赤な炭を箸で突き、一人ほくそ笑んだ。
「紙と硯を持て。義父上と勝幡の兄者に文をしたためる」
「ははっ」
 近習は一礼して、その場から去った。
「のう室よ」
 信光は、先ほどから傍らで、この様子を見ていた正室北の方に声を掛けた。
「何事でございましょうか殿」
 北の方は、その美しい容姿には似合わない氷のような冷たい眼差しを、夫信光に注いだ。
「其方の父上も、なかなかの策士よの……」
 正室北の方を前にして信光は、彼女の父親であり自身の岳父に当たる松平信定を揶揄するかのような口調で告げた。
「あら、殿の方こそ、悪いお方。勝幡の兄上を討たせるなどと途方もないことを口にして、妾の従兄岡崎の次郎三郎殿を誘い出した張本人は何処の何方で遊ばした」
「それを申すな室よ。全ては其方の父上が仕組んだことじゃ。儂と兄者はそれに賭けてみただけじゃ」
「まあ、ご冗談を」
 北の方は、その肉厚の蠱惑的な唇の端に妖艶な笑みを浮かべた。
 信光は北の方の方に歩み寄った。彼女の胸元にそうと手を忍ばせる。
「お戯れを……」
 北の方は妖艶な笑みを浮かべた。
 信光は北の方の豊満な乳房を揉みしだきながら、語り始めた。
「義父上が三河を平定した暁には、今度こそ勝幡の兄者を討ち、この儂が織田弾正忠家の主となる」
「まあ、それこそお戯れを……」
 北の方は呆れ顔で言うと、信光の袴の中にそっと手を忍ばせて、彼の男根を握った。
「これ、室よ。痛いっ、儂の魔羅を引っ張るな。もそっと優しゅう握ってはくれぬか……」
 そこへ、先ほどの近習が、紙と硯箱を持って現れた。ゴホンと咳払いする。
「そこに置いて下がれ……」
 信光は吐き捨てるように言ったあと、北の方の肉厚の唇を奪い、濃密な接吻を交わした。
「室よ、其方は強い漢(おとこ)が好きじゃと申しておったな。この儂は強いぞ。兄者には決して負けぬ」
「まあ、斯様なことを申されながら……朝っぱらから妾を……あぁあん……そこは……」
 信光の太い指で秘部を弄られ、北の方は我慢出来ず喘ぎ声を漏らした。
 信光は北の方を抱きながら、尾張の盟主になった時の自分の姿を脳裏に描いた。

 天文七年(一五三八)、勝幡城主織田信秀は、駿河今川氏の同族で尾張今川氏を継いだ氏豊の居城那古屋城を奪い、拠点を移した。翌天文八年(一五三九)には、尾張国愛知郡古渡の地に新たに城を築きここに遷った。謀略によって尾張今川氏から奪った那古屋城は、嫡男の吉法師に譲った。
 月日が流れた。
 天文十五年(一五四六)夏。
 森山城本丸主殿の一室で史記を黙読する信光は、苦虫を噛みつぶしたような顰め面をしていた。
「如何なされました殿、そのような浮かないお顔をなされて」
 北の方が問い掛けた。
「あれはいかん。あのうつけが家督を継いだ日には、我が織田一族も美濃の道三入道か駿河の今川殿に喰われてしまう」
「確かに……噂によりますると、彼(か)の者、頭は茶筅髷、半袴に湯帷子の袖を落とした物を身に着け、それを三五縄で締め、瓢箪や火打袋をぶら下げて、城下を練り歩く際は他人の肩にぶら下がるという有様。これではほんに義兄上が憐れでなりませぬ」
 北の方は、唇の端に意地悪な笑みを浮かべた。
「いっそ我らの手で、三郎信長めを亡き者に致そうか」
「まあ、恐ろしい……」
 北の方は夫信光を煽るかのような視線を向けた。その眸には冷気が宿っている。
 ごくりと生唾を飲み込むと、
「まだ時期が早いの……」
 と信光は自分に言い聞かせるようにかぶりを振った。
「して、室よ」
「はい、如何なる用でござりまするか……」
「腹の子は健やかに育っておるか」
 信光は笑みを浮かべ訊ねる。
「はい」
 北の方は頷いた。
 この時、信光には既に二人の男児がいた。何れも側室に産ませた子だった。
 市介と四郎三郎である。正室北の方が産んだ子が、もし仮に男児ならば嫡男ということになる。
「臨月(うみづき)は……」
「まだ先のこと」
 北の方は口に手のひらを当て素っ気なく笑うと、視線を庭の松の枝に向けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

元亀戦記 江北の虎

西村重紀
歴史・時代
浅井長政の一代記です

【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

影武者の天下盗り

井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」 百姓の男が“信長”を演じ続けた。 やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。 貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。 戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。 炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。 家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。 偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。 「俺が、信長だ」 虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。 時は戦国。 貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。 そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。 その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。 歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。 (このドラマは史実を基にしたフィクションです)

処理中です...