ヤクザ娘の生き方

翠華

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失ったもの

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考えれば考える程頭が混乱してくる。


「花子さん」


ゆっちが今まで見た事もないような優しい顔で笑いかけてくる。


「少し、俺の話を聞いて下さい」


そう言ってゆっちは静かに話し始めた。


----六年前----


黒田 優12歳。


「今日はどうもありがとうございました」


「いえいえ。では、失礼致します」


引越し業者が頭を下げてトラックに乗りこむ。


「お疲れ様でした」


笑顔で見送る外面の良い父。


家の中に入ると表情はいつも通りだ。


そんな父を見ながら、母はただ俺の手を握っている。


昔は父のやる事に反対していた母だったが、親しい友人や職場の同僚が事故で亡くなったり、行方不明になり、次第に口数が減っていった。


だが父はそれだけでは終わらなかった。


母がこっそり両親と共に父がやった事を調べ、証拠を集めていたのを知ってしまったのだ。


それからすぐ、母の両親は事故で亡くなった。


この時は見るに耐えなかった。さすがの母も父に泣き叫んでいた。


同じ事を何度も何度も泣き叫ぶ母に父は一度も目を向けなかった。ただソファに座ってテレビをつまらなそうに見ていた。


それからしばらくしての引っ越しは父の都合だった。


いつからかは知らないが、ヤクザに入ったのか関わっていただけなのか、子供ながらに悪い事をしているというのだけは分かった。


母は両親が亡くなってから俺といる時はずっと俺の手を握っている。


そんな母を、他人事のように見てしまっていた。そして、何を生きがいにして生きているのだろうかと考えていた。


その度に俺には父の血が濃く入っているのだと実感し、ショックを受けた。


学校に通っていなかった俺は、いつも一人で公園に来てはブランコに乗って周りの子供を見ながら違う人生を想像してみたりした。


だけど今の人生しか知らず、学校にも行った事がない俺に今と違う人生を想像する事は出来なかった。


そうやって、いつも何もないままただ家に帰る。その繰り返しの日々だった。


「はぁ………」


空を見上げてみてもいつもと変わらない。


「どうしたの?」


「うわっ」


目の前に人の顔が出てきて思わずブランコから落ちそうになる。


「どうしたの?溜め息ついて」


「………」


同い年くらいの男の子が目の前に立って無邪気な顔で見ている。


同い年の子どころか人と話すのが久しぶり過ぎて言葉がすぐには出てこなかった。


「……別に」


「暇なら僕と遊ばない?」


「…俺と?」


「うん。君しかいないよ」


「…いいよ」


初めて遊びに誘われ、とても嬉しくなった。


「じゃあだるまさんがころんだしよう」


「だるまさんがころんだ?」


「?…しらないの?」


「うん…」


「じゃあ教えてあげる」


そう言って男の子は俺の手を引いていく。


母とは違う温かさを持った手だ。


それから公園で会う度に色んな遊びを教えてくれた。


だんだん公園に行くのが楽しみになっていた俺は、父に監視されている事に気づきもしなかった。


男の子に出会ってから二ヶ月程過ぎた頃、父が初めて俺に笑顔で話しかけてきた。


「なぁ優。お前、最近お友達が出来たんだって?」


「……うん…」


「父さんにも紹介してくれよ」


「え?」


「いいだろ?父さんもお前の友達に会ってみたいんだ」


初めて俺に対して興味を持ってくれたのかと、少しの期待と喜びを感じながらも、何故かその笑顔が不気味に見えた。それでも、俺に拒否権はなかった。


「わ…わかった……」


それから3日後、男の子と公園で会った俺は、家に遊びに来るよう誘った。


男の子は喜んで来てくれて、俺も嬉しかった。そうやってこれからどんどん家族と家族らしくなりたい、友達も一緒に仲良く過ごしたい。そんな希望を持ち始めていた。


家に帰ると、父さんが夕飯を用意してくれおり、とても驚いた。父さんも変わってきてくれたんだ。そう思った。


だけど、夕飯を食べる時に母の姿がなく、違和感を感じる。


夕飯を食べ終え男の子と話をしていると、いつの間にか21時を過ぎていた。


父は家まで送ると言って男の子と共に出て行く。


そしてその日から父が家に帰る事はなかった。


嫌な予感がした。


それでも、違うと自分に言い聞かせながら毎日公園に行った。


だけど、何時間待っても何週間経っても男の子が公園に来る事はなかった。


絶望の中、何気なくつけたテレビのニュースを見て俺は吐き気を抑えきれなかった。


テレビでは見た事のある男の子の顔写真と共に、殺人事件の経緯と死体の状態が報道されていた。


そして最後に、『犯人はまだ捕まっていない』と言っていた。


男の子は金持ちの息子だった。父はそれに目をつけた。そして、多分帰ってこないのは金を得たからだ。


足から力が抜け、地面に倒れ込む。


その時、俺の傍に来た母が握ろうとした手を初めて振り払ってしまった。


それどころじゃなかった。現実を受け入れられなかった。自分のした事をこんなに後悔した事はない。違和感は感じていた。嫌な予感もしていた。それでも、間違った判断をして初めて出来た友達を失った。とても、大切な人だったのに。


利用された怒り。分かっていたのに期待してしまった自分への怒り。元凶の父への怒り。何も言わなかった母への怒り。


そんな行き場のない怒りをその場にいた母に向けてしまった。


どうして何も言ってくれなかったのかと。あの時、ご飯を食べに来なかったのは父から来ないように言われていたからだ。母の様子は誰が見てもおかしい。男の子に母を見せると気味悪がられるのは分かっていたんだ。


何度も何度も母を責め、その次の日、母は自殺した。


絶対に離さないよう、手紙を握りしめて。


ここで初めて疑問だった、母がずっと俺の手を握っていた理由を知る。


手紙には父のした事、母が自殺した理由が書かれていた。


母は苦しんでいた。自分に何も出来ない事。誰も助けられなかった事。俺に幸せを感じさせてあげられなかった事。


そして、母の生きがいは"俺"であった事。


俺がいたから母は生きて、何も出来なくても、ずっと傍にいてくれていた。


俺にちゃんと傍にいる事を伝える為に手を握り続けていてくれた。


その時初めて俺は、母が手を握ってくれていたおかげで今まで不安になる事がなく、父へ恐怖を感じる事もなかったのだと気づき、母の大切さと愛を実感した。


それから3日、自分に絶望しながら泣き続けた。


男の子も母も、何も返せず自分の都合で死に追いやってしまった。


それから警察が動いたが、父の行方は分からず、俺は施設に預けられる事になった。


その時、丁度同じタイミングで入ってきた咲也と会う。


咲也に男の子と似たものを感じた俺は、自然に親しみを感じてしまった。


母を殺したと周りから避けられていた俺と同じように周りから嫌われ、距離を置かれていた咲也。そのおかげかすぐに打ち解ける事が出来た。


その後、先に入っていた叶真や泰明や真白が似たような境遇で周りから嫌われていると知り、話すようになって仲良くなった。


俺は叶真達を家族のように思い、いつの間にか五人だけの世界を作って周りを拒絶するようになった。


そして誰も俺達の世界に踏み入れないように、母のように傷つけてしまわないように、大切にしよう、ずっと守っていこうと心に誓った。
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