感染日

えだ

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第六話

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 見知らぬ男性の声に驚いた玲花に事情を説明した。私がゾンビの前で固まってしまった時に助けてくれたことも話すと、玲花はホッと安心したような顔をしてくれた。

 玲花と共に部屋を出ると、リビングにいた男性が玲花に深く頭を下げた。


「こんな状況なのに、あの馬鹿が本当にすみません。絶対に警察に突き出します」

「あ、いえ、あなたは悪くないので頭を上げてください」


 玲花は本当に気にしていない素振りでそう言うと、今度は私と男性両方を見ながら「助けてくれてありがとうございます」と言った。
 
 男性の鼻と口を覆ってた布は外されていた。スッと通った鼻筋と形の良い唇だけを見れば塩顔っぽいのだが、なにせ目力がある。

 負けん気の強い猫のような目をしているが、今の彼は眉を下げて心苦しそうだ。


「‥君も、あの馬鹿がこんなことをしなければここに来る必要もなかったのに‥本当に申し訳ないです」


 男性はそう言って私にまで頭を下げた。玲花の言う通りこの人は悪くない。
 私が「気にしないでください」と伝えると、男性は少し気まずそうにぽりぽりとこめかみを掻いた。


「俺はここまで車で来てるんだけど‥ここはゾンビだらけだから、安心だと思えるところまで2人のことを送らせて欲しい」


 玲花も私も車はない。自転車だけでゾンビまみれの街を移動するのは危険だと思っていたから、この提案は本当にありがたいものだった。










 十文字じゅうもんじしん勝田かつた玲花れいか

 私たちは男性に、それぞれの名前と出身地を伝えた。私は宮城県出身で玲花は埼玉県出身だ。

 男性の名前は岳野たけの千弦ちづるさん。私たちよりも3歳上の26歳。

 青森に住んでいるけれど、年末年始休暇を利用して東京の実家に帰省していたところだったそうだ。

 実家は大田区にあり、親族たちを大田区外の避難所まで移動させ、連絡の付かない裕也くんに気を揉んでいたところ、やっと連絡がついたと思ったら「彼女を監禁した」という話を知らされたとのこと。

 ちなみに裕也くんは、岳野さんが17歳の時に父親の再婚によってできた弟で血は繋がっていないらしい。18歳で家を出た岳野さんと裕也くんはあまり接点もなかったそうだ。


「まともに関わったこともないのに俺にゲロったってことは、多分本人もえげつないことをしでかしたって自覚があるんだと思う。‥とはいっても、1ミリも許す必要なんてないけど」


 岳野さんはそう言いながらSUV車を運転している。裕也くんの家にあった飲料や食料など、使えそうなものは全て車に積み込んだ。

 岳野さんが目元や顔下半分を隠していたのはゾンビの血液が飛んでくるのを防ぐ為だったらしく、私と玲花は裕也くんの家にあったサングラスを持ち出すことにした。

 そこそこハイブランドのものだけど、彼は文句を言える立場ではないし、無事に生き延びて再開できるならばその時は返すつもりだ。

 ちなみに車に乗り込む前に向かいのお宅にマイナスドライバーを返却した。バールはゾンビの肉片が付いてしまっていたし、拭き取ってある程度綺麗にしたって気持ちの良いものではないからそのまま借り続けることにした。




 私は今、車の後部座席で玲花の隣に並んで座りながら「裕也くんとの間に何があったのか」を聞いていた。

 車からもゾンビが彷徨い歩いている姿が見えていて、まるでドラマの撮影現場に迷い込んでしまった気分だ。


「え?!じゃあ浮気されてたの?!凛花りんかちゃんと?!?!?!」

「そう。帰りの飛行機待ってる間に判明してもう最悪だよ。そんであたしはブチギレて別れる別れる言ってたんだけど、最後にどうしても渡したいものがあるからって言われて家に寄ったら監禁。やべーっしょ」

 玲花はそう言ってゲラゲラ笑っている。


 凛花ちゃんというのは、玲花の双子の妹。2人ともハーフ顔で堀が深く、透き通るような綺麗な白い肌が荒れた姿を見たこともない。誰もが振り返る美人なのに、同じ顔がこの世に2人もいるのだ。

 一卵性だからか男性の好みも似たのだろうか?あまり良いセンスだとは言えないけれど‥


「なんていうか‥その‥」


 裕也くんの愚行の話をすればするほど、岳野さんは気まずそうになっていく。


「岳野さんは何も悪くないですよ」

 私の言葉に玲花は「そうだそうだ!悪いのはあのクソ野郎!そしてあのバカ妹!!」とノリノリで同意してくれている。

 玲花は間違いなく高嶺の花ポジションの女性なのだが、天性の口の悪さで周囲を驚かせる天才だ。

 岳野さんも「お、おう‥」と戸惑っているような反応を見せている。


「まぁでも、今回のことは流石に許せないから絶対別れる。ってか向こうは死んでもいいと思ってこんなことしたんだと思うし」

「‥よりによってゾンビから逃げなきゃない状況だしね」


 私がそう言うと、玲花は「それ!」と大きな声を出した。逆に言ってしまえば、裕也くんはこのゾンビパニックの中で玲花を監禁したとも言える。

 この騒ぎの中ならば万が一玲花が命を落としていても誰にも気付かれなかったり、なんとか逃げ出した玲花がゾンビに襲われる可能性もあるわけで。

 それは、ゾンビが蔓延るこの環境だからこそ犯罪行為が有耶無耶になるということを示していた。

 幸い私たちは今、岳野さんの車に乗せてもらって行動できているからいいものの、若い女子2人きりでの逃亡劇もまた、冷静に考えればかなり危ういものなのかもしれない。


 金目当てでも、食料目当てでも、体目当てでも‥。無法地帯となって襲われ放題になる最悪のパターンだってあるかもしれない。

 みんながみんな、逃げ延びながらも手を取って助け合えるなら良いけれど、悲しいことに人としての心がぶっ飛んでいる人もいる。裕也くんがその例で、まさしく酷い行いをされたばかりだからこそ私たちは嫌でも警戒心を抱く必要があった。




 
 岳野さんは最終的に住まいのある青森方面へ行くらしいので、玲花の実家がある埼玉と私の実家がある宮城へ向かってもらうことになった。

 私と玲花のスマホは充電が切れてしまっている。新しい情報を得ることが出来ないまま、外の様子を注意深く観察していた。


「来た時より圧倒的に増えてる感じがする」


 そこら中を歩いているゾンビの数が見るからに増えている。大通りに出るとひっきりなしにクラクションが聞こえてきた。


 渋滞の車列も先程よりもかなり伸びている。歩道を走る人やバイクで隙間を縫おうとしている人達もいて、「まだこんなに人が残っていたんだ」と正直驚いてしまう程だ。



 私たちの前方では、ゾンビがクラクションの音を聞きつけて、渋滞を作っている車列に群がり始めている。


「や、やば‥」

「待ってこれやばくない?ゾンビどんどん増えてってる」


 長い車列の最後尾辺りの複数台はゾンビの群れによって車体がグラグラと揺らされていた。中にいる人たちが恐怖でパニックになりクラクションを鳴らしまくって、それに反応してゾンビ達があちこちから集まってきている。


「この道は無理だ、死ぬ」


 岳野さんはそう言って急ハンドルで来た道をUターンした。道路上を練り歩くゾンビを見事に回避しながら、岳野さんはアクセルを踏み込んでその場を離れていく。


 私と玲花が後ろを振り返ると、同じようにこの道を諦めて車列から抜け出そうとする車が何台かいた‥のだが、

 ーーーーバン!!!!!と音を立てて乗用車同士がぶつかり煙をあげている。



 ゾンビがタイヤに絡まったり、パニックになっている為かペダルを踏み間違えたりハンドル操作を誤ったことであちこちで事故が起きていた。

 事故を起こした車の上を何体ものゾンビがよじ登っている。まるで砂糖菓子に群がる蟻の大群のようだ。



 あそこには生きた人がいる。あの車列の人たちもみんな生きている。必死に逃げようとしている。





 でも、救いようがない。ゾンビはもう数え切れない程いた。恐らく30体は軽々と超えていた。

 あそこに私たちがいても、どうしようもない。



 車の中はしばらく沈黙が続いていた。あそこにいた人たちがどうにか生き延びていますように、と祈ることしかできなかった。

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