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83話
しおりを挟むお腹の中も、喉も、口の周りも。
焼けるように熱く、爛れるような痛みがあった。
レオンがマントで私の口元や手を拭ってくれている最中、私はそのレオンの手を押しのけ、何とか自分の口を塞ごうと必死だった。
「皇女様!!吐き出して下さい!!食べ過ぎですよ!!」
レオンの大きな声がすぐ近くで響いてる。
いくら懸命に拭いてくれても、顔も手も絶え間なく果汁で汚れていく。
どれだけ口を塞いでいても、僅かな隙間を見つけるようにして果汁が漏れ出してしまうのだ。
内臓があまりにも騒ぎ立てるから、欲のままにえずいてしまいたい。だけどそれでは今までの苦労が無駄になる。
咽せることすら命取り。私は何とか細く長い息を心掛け、喉に余計な負担をかけないようにした。
レオンは食べ過ぎたというけど、許容範囲を超えた分の果汁が勝手に流れ出てしまっているから、丸々一個分を摂取できているわけじゃない。
それに、過剰摂取で体が弾け飛んでしまうなら、その寸前にリセット魔法で朝に戻ってやる。
なんとか口の中のものを全て飲み込むと、今度は暴れ出しそうな体を自分自身で抱き締めた。
「うぅっ」
「なんて無茶なことを‥!」
「後味も最悪だわ‥!!でも、破裂しないみたい」
レオンは私の様子を見ながら、眉を下げて心配そうな表情を浮かべ続けている。
腐った果実を食べたみたい。熟れすぎた甘みと強烈なエグ味が混ざった味に、あの独特のぬちゃぬちゃした食感。
できることならもう二度と食べたくないわ‥。
「なんて食いしん坊なんだ、あんたは」
魔女の母がそう言って笑っている。食いしん坊なわけじゃないわよ失礼ね。
「‥‥‥過去を変えて、ぜんぶまっさらにしてやる」
私がそう言って魔女の母を睨みあげると、魔女の母は幼女の顔に似つかわしくない冷笑を浮かべた。
「まぁまずそれが一番に思い付く簡単な方法だろうね。でもあんたそれがどれほど罪なことか分かってるの?」
「‥‥罪?」
私たちはむしろ沢山の人々を救う為に行動してきたのに‥。
「ほら、何も深く考えていない。哀れだわ。ーーー歴史を変える、それはあんたらが今見えているものだけは救えるかもしれない。でも過去を変えたせいで消えてしまうものも多くある」
「消えてしまうもの‥?」
「そこにいる猫なんかはまさにそうさ」
魔女の母がそう言うと、レオンは口を真横に結んで黙り込んだ。なにか思い当たる節があるのかもしれない。
「猫の父は、元々フィアンセがいてね。そのフィアンセはあたしが力を授けた魔女だったのさ。でも魔女狩りで死んだ。だから猫の父は他の女と結婚して、こいつが生まれた」
魔女の母はそう言ってにんまりと笑った。
魔女の母の言う通り、私は自分の考えがどれだけ浅はかだったのかをここで思い知った。
魔女狩りという悲劇がなくなれば皆が幸せになれると思った。だけどそれによって本来生まれているはずの人が生まれない可能性もある‥。
「皇女様、世の中の人々は過去が改変されればその過去が“当たり前”として受け入れられます。つまり、魔女狩りがないのも当たり前、俺がいないのも当たり前。誕生する筈だった他の人たちに関しても同じです。だから躊躇う必要なんかないんですよ。多くの人たちが望んだはずの幸せな世界を作りましょう」
「ま、待ってよレオン‥私そこまで考えられてなかったの、だめよそんなこと‥。誕生する筈の事実が、改編されるなんてそんな‥‥」
どうしてこんな簡単なことが思い浮かばなかったんだろう。過去が変わったらレオンは騎士になっていないかもしれないなんて思っていたけど、そもそもいなかったことになってしまう。
「大丈夫ですよ。だってほら、もしかしたらそのフィアンセ?が事故死して結局俺の母ちゃんと結婚するとか、そういう流れになるかもしれないじゃないですか」
「何言ってるの‥」
「いや、本心です」
レオンも、それ以外の多くの人たちも、居なかったことになるなんてそんなの‥
「ーーーーー何の為にここまできたんですか」
「「え」」
突然聞こえた声に私もレオンも驚いて顔を上げた。
そこにいたのは血塗れでボロボロになったバートン卿。
「バートン卿‥よかった‥逃げられたんですね‥」
王宮から逃げ出したあの日、殿を勤めてくれたバートン卿は息も絶え絶えな状態だった。
「‥‥レオンは離れる際にここの谷のことを私に伝えてくれました。その為、なんとかここまでやってきたんです。‥‥皇女様、もう目と鼻の先に大勢の敵が向かってきてます。時間はありません」
バートン卿は魔女の母を一切見ないままそう言った。魔女の母の魔法に掛からないようにしているのね。
「待って下さい‥。そんな簡単に決断できることなんかじゃ‥」
「「皇女様」」
レオンとバートン卿の声が重なった。
「い、嫌よ‥。無理だわ、そんな‥」
狼狽える私を、魔女の母はにんまりと笑いながら見つめていた。こうして私の苦しむ姿を見ることが、魔女の母にとっての最後の復讐なのかもしれない。
「ーーー皇帝陛下やロジェ様のことをお忘れですか?皇女様はそもそも2人を守るためにここまで走り抜けてきたんじゃないですか」
そう言うレオンの表情はあまりにも清々しくて、私は涙が出そうになるのを何とか堪えた。
「とにかく過去に飛びましょう。もう時間がない。皇女様、方法はひとつじゃありません」
バートン卿の言葉に、私は小さく「え‥?」と声を漏らした。方法が他にもあるのなら、何としてでも縋りつきたい。
「兎に角私を信じて下さい。3人で、過去に‥‥!」
バートン卿がそう言うと、レオンは優しく口角を上げながら私の手を取った。
「皇女様、行きましょう」
「っ‥」
もう大勢の人影が見えていた。
リセットをして朝に戻ってもこの流れはきっと変えられない。
私は涙を溢しながら頷いた。
ーーー全てをやり直せるほどの過去に飛びたい‥。レオンとバートン卿と私の3人で、過去に‥‥。
そう願って指を鳴らした途端に体が何処かへ飛ばされていくような感覚があった。最後に見えた魔女の母は私をこの場で仕留めきれなかったからなのか、どこか悔しげな表情をしていた。
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