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第8話 ロン、握る

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 翌日から俺はジェシーの目を見て話すことを日々の目標にした。照れるからってそっぽを向いたり、すぐに目を逸らしたりするのはやめたんだ。

「‥‥ねぇ。‥私なにかした?」

 学校へ向かう馬車の中、ジェシーが眉を顰めながらそう言った。

「え?」

「‥‥ロン、ずっと睨んでくるんだもん」

 柔らかな白い頬を不服そうに膨らませたジェシー。
ジェシーは怒ると眉が下がる。困ったような顔をしながら怒るんだ。
 ‥‥‥と、惚れ惚れしている場合ではない。

「ーーーーーーは?!」

 睨んでるだと‥?
確かに意地でもジェシーのことを見てやろうとしていたけど、全然そんなつもりじゃ‥

「文句があるならそう言ってよ。ずっと怖い顔して睨まれたら嫌な気持ちにしかならないから」

 “嫌な気持ちにしかならない“
 ‥そんなつもりはなかったのにという動揺からか、ジェシーの言葉が脳内にこだまする。

「‥‥別に睨んでない」

「いつも目すらまともに合わせないくせにさ。何があったのか教えてくれてないと‥普通に悲しいよ」

「‥俺は別に睨んでないから!」

 誤解されたままでは嫌だ。そう思っていたら少し声を荒げてしまった。

 この時点で俺はまだ10歳。俺の態度のせいでジェシーを嫌な気持ちにさせてしまったんだ、と直ぐに反省できるほどの思考は持ち合わせていない。

 違うって言ってるだろ!と、カッとなってしまうだけだ。

 ジェシーは唇の先を尖らせたままプイッと外を見てしまった。俺もジェシーのように唇を尖らせ、適当に自分の膝あたりを視界に入れる。

 カタカタと揺れる馬車の中、嫌な沈黙が流れ続けていた。

 そんなに俺に見られたくなかったのかよと拗ねてしまったせいで、どう仲直りをすれば良いのかも分からないまま数日が過ぎた。
 ジェシーもこの時まだ12歳。幼い子ども同士だけど、多感になり始めてややこしい時期でもあった。

 いい加減そろそろ仲直りしたい。そう思った俺は、馬車の中で意を決してジェシーに声を掛けようとした。

 パッと顔を上げてジェシーを見ると、ジェシーも同じタイミングで俺を見た。

「‥‥ねぇ、ロン‥‥」

「‥なに」

「‥‥‥‥聞いた?私たちの‥その、こ、婚約のこと‥‥」

「え?!」

 突然飛び跳ねた心臓が心底痛かった。
そうか、父はもう動き出してくれたんだ‥。改まって婚約について父から何か言われたわけじゃないから、たぶんまだ正式に婚約が決まったわけじゃないと思う。
 叔父さんと叔母さんに婚約の提案が届いて、その話をジェシーが耳にしたっていう感じかな。

「その反応‥聞いてなかったんだね」

 ジェシーはもう怒ってはいないようだった。そんなジェシーの態度に安堵しながらも、“俺が駄々を捏ねて”ジェシーとの婚約を望んだことも伝わっていないのだと察した。

「‥‥あー‥」

 駄目だ、頬が熱くなってきた。
俺がジェシーと結婚したくて頼んだんだと言うべきなのか。‥いや、そんなことスマートに話せるわけがない。‥でも‥

 葛藤する俺を見て、ジェシーは何かを決意したように小さく頷いた。

「‥‥‥任せて、ロン!‥私、この婚約の話を取り消して貰えるように交渉してみせるから!」

「ーーーーーーーは?」

「きっとお母様と叔母様の仲が良すぎるからこんな事になったのよ‥。‥お母様も叔母様も、貴族でありながら恋愛結婚をしたのに‥。‥それなのに私たちの婚約は親同士が決めるなんて、私納得できないの」

 ジェシーが指先で柔らかな髪をくるくると弄っている。やるせ無さそうにため息を吐くジェシーは、俺の想いを知らない。

「‥‥そんなに嫌?」

「え?」

 ジェシーが俺のことを異性として見てないことは分かりきっていたけど、まざまざと痛感させられると心が痛くなる。

「‥‥俺と婚約すんの、そんなに嫌なわけ」

 唇の先が尖っているのを見られるのは恥ずかしかった。だから口元を手で隠しながら、ボソッと呟く。

「嫌っていうか‥。え、ロンは嫌じゃないの?」

 嫌なわけあるもんか。むしろ俺は望んだんだ。

「‥‥‥ジェシーを貰ってくれる人、他にいるの?‥‥貰い手がいなきゃ叔母さんたちも困るだろうし、仕方ないから俺が貰ってやっても別にいいけど」

 どうしてこの口からはこんなにも捻くれた台詞ばかり飛び出してくるんだろうか。

 ほら。ジェシーがムッとした。今の俺の台詞のせいだ。‥そう分かっている癖に、傷んでいる心のせいかジェシーを思いやる言葉が出てこない。

「‥‥まだ12歳だもん。この先のことなんて分からないよ。私のことだけを大切にしてくれて、すっごく愛してくれる人が現れるかもしれないでしょ」

 ーーそれは俺だよバーカ。

「‥そんなの信じてるの?いるわけないじゃんそんなやつ」

「‥‥‥もういい。ロンと話すのやめた」

 ムスッとしたジェシーの横顔を見て思う。
ジェシーのことだけを大切にして、俺よりもジェシーを想い続けることができる人なんて他にいない。‥だけど今現在、ジェシーを傷付けてる。

 異性として意識されていないことに腹が立って、勝手に傷付いて、ツンツンしてばっかり。

 こんなんじゃ意識してもらえるわけがない。

 窓の外を見ながらジェシーの手に向かって自分の手を伸ばした。横並びに座るジェシーの手は思ったよりも近くにあった。

 スーザンもここぞという時には素直になれと言っていた。これ以上拗らせない為にも今がその時だと思う。

「え?!なに?!」

 ジェシーの手を握る。さすがに顔は見れないから、窓の外を向いたまま。

「‥‥‥いいじゃん、俺で」

「‥‥‥え?!」

 またツンツンしたことを言いたくなったけど、ここはグッと堪えるべきだと自分に喝を入れる。

「‥むしろ駄目なの?」

「だ、駄目っていうか‥。私はちゃんと納得できる婚約がしたくて」

「じゃあ納得してよ」

「‥‥えぇっ?!だ、だって、ロンも嫌でしょ?!」

「嫌じゃない。だから、ジェシーも納得して」

「‥‥」

 ジェシーの返事が途絶えた為、ここにきて漸くチラリとジェシーを見た。
 白い柔肌がほんのりと赤くなっている。焦ったようにオロオロとするジェシーはこんな時でも可愛い。

「‥‥‥と、とりあえず手を離して?ロン」

「‥‥ん」

 そっと手を離す。お互いその後は一切言葉を発することができなかった。
 喧嘩の時の悪い空気感とは違う。むず痒くて恥ずかしくなる、妙な沈黙。

 互いに外を見ながらぱたぱたと手で頬を仰ぐ、不思議な時間だった。

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