九年セフレ

三雲久遠

文字の大きさ
1 / 25

一話

しおりを挟む
 扉を開くと、俺の男がいつもの笑顔で立っていた。

 見上げる長身に細身ながら広い肩幅が、いかにも爽やかなスーツ姿をさらに見栄えよくする。
ショートの黒髪、面長ですっきりした顎の線、つんと尖った鼻筋に、意志の強そうな真っ直ぐな眉と、奥二重の甘い瞳、それにほんの少し大きめの口元。
これらが屈託のない笑顔になると、澄んだ瞳がくしゃりと潰れて、人好きのする愛嬌が浮かんでくる。
国内有数の大手企業に勤務するこの男の欠点を見つけるのは難しい。
温厚でノリも良く、常に人の輪の中心にいる。周囲からの信頼は厚く、有能で仕事ができ……。

「入っていいか?」

 よく通る少し高めの青年らしい声。
この声で甘く囁かれるたびに、深い安堵と、落ち着かない疼きを覚える。

「……どうぞ」

 口の端を柔らかく上げ、俺を見下ろす男は、包み込むように優しく目を細めた。

 もの音ひとつしない深い夜、隠れ家のようなこの場所で、俺はいつも、この男が来るのを待っている。
こいつがここに現れるとき、事前連絡などしてきた例はない。
何の前触れもなくふらりと現れ、終電までの数時間をここで過ごして帰っていく。

 外泊はしない主義だというこの男がここに泊まっていったのは、大昔に数回あったきり。
そのせいで、付き合いだけは長いというのに、この部屋に男の持ち物は何ひとつない。
仕事帰りに一杯ひっかけに寄るショットバーのよう。
いつだって他のお客は誰もいなくて、カウンターにはグラスを磨く俺というバーテンがひとり。

「残業?」
「いや、飲んできた」

 素面のようにすっきりした面持ちで、男は俺の問いに答える。
本当に飲んだだけ? 女じゃないのか?

 大学近くのワンルームマンション、俺は、卒業した今もこの部屋に住んでいる。
狭苦しい玄関に入ってきた大きな体を奥へ通し、すれ違いざま、上等そうなウール地の背中に甘ったるい女の匂いを探した。

 一か月ぐらい前、俺はこいつの服に染み込んだ香水の匂いに気付いた。
少しくせのある花の香は、その後も時折漂ってくる。
問い質せば、こいつはきっと悪びれもせず女だと答えるだろう。
なぜなら、俺に気を使って嘘で誤魔化す義務がこの男にはないからだ。
そして俺は、何も言えずにただ傷つき、打ちのめされるに違いない。

 嫌と言うほど分かっているから、本当のことは知りたくない。
穴蔵のようなこの部屋の外でこいつが何をしていようと、何も見ない、何も聞かない。
それが一番楽だから、ずっとそうしてやり過ごしてきた。

 上着を脱ぎ、男は壁に掛かっているハンガーに手を伸ばす。
唯一この部屋にあるこいつ専用のものだ。
そして、きちんと締めてあったネクタイを慣れた手つきで解くと、いつものように、ゆったりとため息を吐いた。

 俺の男、新堂孝司。
十九の頃からもう九年、俺はこいつに抱かれている。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

彼は罰ゲームでおれと付き合った

和泉奏
BL
「全部嘘だったなんて、知りたくなかった」

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

ラベンダーに想いを乗せて

光海 流星
BL
付き合っていた彼氏から突然の別れを告げられ ショックなうえにいじめられて精神的に追い詰められる 数年後まさかの再会をし、そしていじめられた真相を知った時

処理中です...