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一話
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扉を開くと、俺の男がいつもの笑顔で立っていた。
見上げる長身に細身ながら広い肩幅が、いかにも爽やかなスーツ姿をさらに見栄えよくする。
ショートの黒髪、面長ですっきりした顎の線、つんと尖った鼻筋に、意志の強そうな真っ直ぐな眉と、奥二重の甘い瞳、それにほんの少し大きめの口元。
これらが屈託のない笑顔になると、澄んだ瞳がくしゃりと潰れて、人好きのする愛嬌が浮かんでくる。
国内有数の大手企業に勤務するこの男の欠点を見つけるのは難しい。
温厚でノリも良く、常に人の輪の中心にいる。周囲からの信頼は厚く、有能で仕事ができ……。
「入っていいか?」
よく通る少し高めの青年らしい声。
この声で甘く囁かれるたびに、深い安堵と、落ち着かない疼きを覚える。
「……どうぞ」
口の端を柔らかく上げ、俺を見下ろす男は、包み込むように優しく目を細めた。
もの音ひとつしない深い夜、隠れ家のようなこの場所で、俺はいつも、この男が来るのを待っている。
こいつがここに現れるとき、事前連絡などしてきた例はない。
何の前触れもなくふらりと現れ、終電までの数時間をここで過ごして帰っていく。
外泊はしない主義だというこの男がここに泊まっていったのは、大昔に数回あったきり。
そのせいで、付き合いだけは長いというのに、この部屋に男の持ち物は何ひとつない。
仕事帰りに一杯ひっかけに寄るショットバーのよう。
いつだって他のお客は誰もいなくて、カウンターにはグラスを磨く俺というバーテンがひとり。
「残業?」
「いや、飲んできた」
素面のようにすっきりした面持ちで、男は俺の問いに答える。
本当に飲んだだけ? 女じゃないのか?
大学近くのワンルームマンション、俺は、卒業した今もこの部屋に住んでいる。
狭苦しい玄関に入ってきた大きな体を奥へ通し、すれ違いざま、上等そうなウール地の背中に甘ったるい女の匂いを探した。
一か月ぐらい前、俺はこいつの服に染み込んだ香水の匂いに気付いた。
少しくせのある花の香は、その後も時折漂ってくる。
問い質せば、こいつはきっと悪びれもせず女だと答えるだろう。
なぜなら、俺に気を使って嘘で誤魔化す義務がこの男にはないからだ。
そして俺は、何も言えずにただ傷つき、打ちのめされるに違いない。
嫌と言うほど分かっているから、本当のことは知りたくない。
穴蔵のようなこの部屋の外でこいつが何をしていようと、何も見ない、何も聞かない。
それが一番楽だから、ずっとそうしてやり過ごしてきた。
上着を脱ぎ、男は壁に掛かっているハンガーに手を伸ばす。
唯一この部屋にあるこいつ専用のものだ。
そして、きちんと締めてあったネクタイを慣れた手つきで解くと、いつものように、ゆったりとため息を吐いた。
俺の男、新堂孝司。
十九の頃からもう九年、俺はこいつに抱かれている。
見上げる長身に細身ながら広い肩幅が、いかにも爽やかなスーツ姿をさらに見栄えよくする。
ショートの黒髪、面長ですっきりした顎の線、つんと尖った鼻筋に、意志の強そうな真っ直ぐな眉と、奥二重の甘い瞳、それにほんの少し大きめの口元。
これらが屈託のない笑顔になると、澄んだ瞳がくしゃりと潰れて、人好きのする愛嬌が浮かんでくる。
国内有数の大手企業に勤務するこの男の欠点を見つけるのは難しい。
温厚でノリも良く、常に人の輪の中心にいる。周囲からの信頼は厚く、有能で仕事ができ……。
「入っていいか?」
よく通る少し高めの青年らしい声。
この声で甘く囁かれるたびに、深い安堵と、落ち着かない疼きを覚える。
「……どうぞ」
口の端を柔らかく上げ、俺を見下ろす男は、包み込むように優しく目を細めた。
もの音ひとつしない深い夜、隠れ家のようなこの場所で、俺はいつも、この男が来るのを待っている。
こいつがここに現れるとき、事前連絡などしてきた例はない。
何の前触れもなくふらりと現れ、終電までの数時間をここで過ごして帰っていく。
外泊はしない主義だというこの男がここに泊まっていったのは、大昔に数回あったきり。
そのせいで、付き合いだけは長いというのに、この部屋に男の持ち物は何ひとつない。
仕事帰りに一杯ひっかけに寄るショットバーのよう。
いつだって他のお客は誰もいなくて、カウンターにはグラスを磨く俺というバーテンがひとり。
「残業?」
「いや、飲んできた」
素面のようにすっきりした面持ちで、男は俺の問いに答える。
本当に飲んだだけ? 女じゃないのか?
大学近くのワンルームマンション、俺は、卒業した今もこの部屋に住んでいる。
狭苦しい玄関に入ってきた大きな体を奥へ通し、すれ違いざま、上等そうなウール地の背中に甘ったるい女の匂いを探した。
一か月ぐらい前、俺はこいつの服に染み込んだ香水の匂いに気付いた。
少しくせのある花の香は、その後も時折漂ってくる。
問い質せば、こいつはきっと悪びれもせず女だと答えるだろう。
なぜなら、俺に気を使って嘘で誤魔化す義務がこの男にはないからだ。
そして俺は、何も言えずにただ傷つき、打ちのめされるに違いない。
嫌と言うほど分かっているから、本当のことは知りたくない。
穴蔵のようなこの部屋の外でこいつが何をしていようと、何も見ない、何も聞かない。
それが一番楽だから、ずっとそうしてやり過ごしてきた。
上着を脱ぎ、男は壁に掛かっているハンガーに手を伸ばす。
唯一この部屋にあるこいつ専用のものだ。
そして、きちんと締めてあったネクタイを慣れた手つきで解くと、いつものように、ゆったりとため息を吐いた。
俺の男、新堂孝司。
十九の頃からもう九年、俺はこいつに抱かれている。
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