九年セフレ

三雲久遠

文字の大きさ
6 / 25

六話

しおりを挟む

 その後、俺と新堂とは大して親しくならなかった。
顔を合せれば必ず声を掛けてくれたが、そもそも学部が違うのでキャンパスで頻繁に会うこともない。
それに新堂は、バイトの掛け持ちで忙しく、サークルにはめったに顔を出さなかった。

 中学、高校が新堂と同じだという友達の話では、新堂は中学のとき両親を亡くし、子どものいない叔父夫婦に引き取られたという。
その養父母は会社を経営していて、甥っ子は跡取りとして大事にされているというのだが、新堂は負担を掛けまいと、学費や小遣いを自分で稼ごうとしているらしかった。

 めったに会えなくても、思いは勝手に降り積もっていく。
大教室の窓際の席で、サークル仲間のたまり場で、時々友達に囲まれた新堂を見る。
遠くから眺めていられたそんな日は、それだけで一日中幸せだった。
俺に気づいて声を掛けてもらえた時は、ドギマギ焦って壊れそうになる心臓を服の上から抑えた。

 どんなに思い焦がれても、この恋の成就はありえない。
分かっているのに、どうして告白などと身の程知らずなことを考えてしまったのか。
それにはあるきっかけがあった。

 季節は秋になり、学祭の打上げの席だった。

「好みの女には振られるし、告ってくる女はブスだし……」
 
 酒も入り、同じ一年の一人が、彼女ができないと愚痴り始めた。チャラい男のブスという言葉がキツくて、俺はふいと顔を背けた。

「告られてんなら、その娘でいいんじゃね」

 断るとは十年早いと、周りは囃し立てる。

「いいわけねぇ! おまえ鏡見たことあんのかよって、ついそいつに言っちまったよ!」

 みんな驚きながらも、酷いやつだと失笑している。
誰もが笑うその場にあって、俺はやり切れない気持ちになった。

  ――ホモなんてキショク悪ぃ!

 面と向かって言われたことはないが、そんな罵りの言葉は容易に想像がつく。

「ブスの上にデブ。そんなマニアックなの、連れて歩けるかよっ!」

  ――ホモに告られたなんて、人に言えるか。
 
 好きな相手に告白するためには、どれだけの勇気がいるのだろう。
それなのに、ブスの一言で笑いものにされる。
その子の辛さが、俺には酷く痛かった。贅沢を言うなと野次られて、ムキになったそいつが更に何か言おうとしたのを、新堂の一言が制した。

「もう、それぐらいにしとけ」

 みんなが笑っている中、ひとり真顔で、新堂は不快感を露わにしている。
途端にそいつは口ごもり、周囲も空気を読んで押し黙った。

「ごめ……、新堂」
「俺に言うな。その子に言え」

 謝罪の言葉がそいつの口から出て、新堂はむっとした顔で小さく吐き捨てた。

「ほら、緒方どん引きじゃん。罰として、今夜の飲み代おまえ持ちな」

 突然名前を出されてびっくりした。新堂は俺の様子に気づいていたのだ。

「えー、そんな、酷ぇ!」

 そいつの情けない声に、周囲も釣り込まれて笑う。
何もなかったかのように、新堂はもういつもの笑顔に戻っていた。

 もしかしたら、新堂なら俺の気持ちを受け止めてくれるのではないのか。
忘れてくれと頼めば、自分の胸ひとつに収めて、何も言わずに流してくれるんじゃないのか。
告白して何かが変わるとは思っていない。
でも、好きだと一言、この気持ちを新堂に伝えてみたい。

 あの日は、休講で四限目がぽっかり空いて、珍しく新堂がひとり学食で本を読んでいるのを見掛けた。
日の傾き始めた人のまばらな時間帯、強い西日が長い影を作り、安っぽいテーブルを茜色に照らしている。
春に新堂を知り、告白しようと心に決めたのが秋で、それから半年悩みに悩み、季節は再び春になっていた。

 周囲には誰もいなくて、チャンスだと思った俺は、ちょっといいかと声を掛けた。
手にした新書から顔を上げ、新堂はくしゃりと目を細める。
その笑顔に勇気を貰い、向かい側にぎこちなく腰を下ろした。

「ただ、聞いてくれるだけでいい。後はできたら忘れてくれる?」

 心臓は、体からはみ出しそうなほど大きく脈打ち、頬は火のように熱かった。
気が遠くなりそうな緊張の中、ついに俺は、この半年の間、こねくり回したセリフを口にした。

「好き…なんだ。君のこと、そういう意味で」

 ずっと心に抱いていた気持ちを吐露した瞬間、新堂の顔を見ていられなかった。
胸はさらに高鳴って息苦しくなってくる。

「好きって……、恋愛的な意味?」
「あ……、うん」

 静かな声で聞き返されて顔を上げた。
新堂は、ほんの少し目を見開き、やや驚いた様子でまっすぐ俺を見ている。

「それって、ゲイってこと?」
「いや……ちが……、いや……ぶっちゃけ、そ…うなんだけど……」

 条件反射で違うと言い掛けて、この期に及んで誤魔化そうとする自分にうんざりしながら、そうだと正直にうなずいた。
初めて、本当の自分を口に出して認めた。するりと滑り落ちた言葉の自然さに、何とも不思議な心持ちがする。

「何で、俺なの?」

 新堂はきょとんとした顔で聞いてきた。
こんなのはシミュレーションできていなくて、気が動転したが、一生懸命に気持ちを伝えた。

「新堂なら……、イイやつだし。こんな告白でも……、ちゃんと聞いてくれるって……」

 新堂だからこそ、今こうして告白している。

「俺がイイやつ?」

 さらに聞かれて、困ってしまう。
俯いたまま、正直に思ったとおり答えた。

「裏表がなくて、誰にでも優しい……」

 真っ赤に火照った頬が、穴があったら入りたいほど恥ずかしかったが、勇気を出して顔を上げた。
すると、新堂の顔から、さっきまでの驚きや、俺への親しみが消え失せている。
いつもの優しい目を期待していた俺は、表情のないその顔にぎくりとした。

「へーぇ、俺って『裏表がない』『優しい』『イイやつ』だったのか。それは知らなかったな」

 酷く冷たい、皮肉るような言い方をされた。
俺の言ったことが気に障ったのか、急に雲行きが怪しくなり、激しく狼狽した。

「好きっていうのは、寝たいってことだよね」
「え……?」

 普段は下ネタさえ言わない新堂の、思いもよらぬ言葉に我が耳を疑う。

「ゲイってさ、要はセックスなんだろ?」

 露骨な単語、ゲイへの偏見。うすら笑いを浮かべた男に、俺は椅子の上で硬直した。

「やらせてくれるなら、付き合ってもいいよ」
「……」

 ぎゅっと抱きしめられたらどんな感じだろうと、そんなことを想像することはあっても、キスすら思い描いたことがない。
それなのに、やらせるなどと、信じられずに、目の前の男を見返した。

「男となんて考えたこともなかったけど、興味がないわけじゃない。
 まぁ、一回試してみて、もし、できそうなら」
 
 興味、試す、新堂の意図するところが鈍い俺にも見えてくる。
男という物珍しさ。
ただそれだけ。好きだと告白した俺の気持ちなど、端からどうでもいいということだ。
熱くなった耳から、血の気が引いていくようだった。
口先だけでしゃべるこいつは、本当にあの優しい新堂なのか。

「付き合うっていっても、勘違いするなよ。
 俺、彼女と別れるつもりはないから。
 男同士の遊びと女は別物だと思っていいよね」
 
 澄んだ瞳で、不誠実極まりないことを言う。
まるで別人、そうとしか言いようがない。
俺の知る新堂が善の人なら、この男は悪だ。新堂の皮を被った別人が俺に向かって毒を吐く。

「緒方のことは、誰にも口外しないよ。
 おまえだってカミングアウトしてるわけじゃないだろ?
 そんな噂は聞いたことないし」

 唖然とする俺を置き去りにして、新堂はとても事務的に、バイトか何かのように条件を挙げていく。

「今日は俺、これから用事があるんだ。でも、明日なら時間が取れる」

 にこりと笑って、新堂は俺にボールを預けてきた。

「どうする? 俺と寝る?」

 焦がれ続けた優しい微笑みが、今は悪魔のそれに見える。

「やめておく? 俺はどっちでもいいよ」

 ぴしりと胸にヒビが入った。
興味本位の体だけの誘い、その誘いさえ、どっちでもいいと投げやりな言い方をされる。

「悪かったよ……。変なこと言って」

 頭の中は真っ白だった。
ふらりと立ち上がると、軽い貧血でも起こしたようにリノリウムの床がぐにゃりと曲がる。
右、左、右……、機械式の足を交互に前に出すが、数歩進んだところで、足の電池が切れてしまった。
立ち止まった俺の背中に、悪魔が平然と声を掛けてくる。

「俺、自宅なんだ。緒方は一人暮らしだよね。
 明日講義が終わったら、この辺で待っててくれない?」

 こんなありがたいお誘いを、ゲイが断るはずがないと足元を見られた。
新堂のそっけない言い様が、俺を嘲笑うように聞こえる。
わんわんと耳鳴りがする。
テーブルの脚やいすに派手にぶつかりながら、俺はその場を立ち去った。

しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

彼は罰ゲームでおれと付き合った

和泉奏
BL
「全部嘘だったなんて、知りたくなかった」

《完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

ラベンダーに想いを乗せて

光海 流星
BL
付き合っていた彼氏から突然の別れを告げられ ショックなうえにいじめられて精神的に追い詰められる 数年後まさかの再会をし、そしていじめられた真相を知った時

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

処理中です...