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六話
しおりを挟むその後、俺と新堂とは大して親しくならなかった。
顔を合せれば必ず声を掛けてくれたが、そもそも学部が違うのでキャンパスで頻繁に会うこともない。
それに新堂は、バイトの掛け持ちで忙しく、サークルにはめったに顔を出さなかった。
中学、高校が新堂と同じだという友達の話では、新堂は中学のとき両親を亡くし、子どものいない叔父夫婦に引き取られたという。
その養父母は会社を経営していて、甥っ子は跡取りとして大事にされているというのだが、新堂は負担を掛けまいと、学費や小遣いを自分で稼ごうとしているらしかった。
めったに会えなくても、思いは勝手に降り積もっていく。
大教室の窓際の席で、サークル仲間のたまり場で、時々友達に囲まれた新堂を見る。
遠くから眺めていられたそんな日は、それだけで一日中幸せだった。
俺に気づいて声を掛けてもらえた時は、ドギマギ焦って壊れそうになる心臓を服の上から抑えた。
どんなに思い焦がれても、この恋の成就はありえない。
分かっているのに、どうして告白などと身の程知らずなことを考えてしまったのか。
それにはあるきっかけがあった。
季節は秋になり、学祭の打上げの席だった。
「好みの女には振られるし、告ってくる女はブスだし……」
酒も入り、同じ一年の一人が、彼女ができないと愚痴り始めた。チャラい男のブスという言葉がキツくて、俺はふいと顔を背けた。
「告られてんなら、その娘でいいんじゃね」
断るとは十年早いと、周りは囃し立てる。
「いいわけねぇ! おまえ鏡見たことあんのかよって、ついそいつに言っちまったよ!」
みんな驚きながらも、酷いやつだと失笑している。
誰もが笑うその場にあって、俺はやり切れない気持ちになった。
――ホモなんてキショク悪ぃ!
面と向かって言われたことはないが、そんな罵りの言葉は容易に想像がつく。
「ブスの上にデブ。そんなマニアックなの、連れて歩けるかよっ!」
――ホモに告られたなんて、人に言えるか。
好きな相手に告白するためには、どれだけの勇気がいるのだろう。
それなのに、ブスの一言で笑いものにされる。
その子の辛さが、俺には酷く痛かった。贅沢を言うなと野次られて、ムキになったそいつが更に何か言おうとしたのを、新堂の一言が制した。
「もう、それぐらいにしとけ」
みんなが笑っている中、ひとり真顔で、新堂は不快感を露わにしている。
途端にそいつは口ごもり、周囲も空気を読んで押し黙った。
「ごめ……、新堂」
「俺に言うな。その子に言え」
謝罪の言葉がそいつの口から出て、新堂はむっとした顔で小さく吐き捨てた。
「ほら、緒方どん引きじゃん。罰として、今夜の飲み代おまえ持ちな」
突然名前を出されてびっくりした。新堂は俺の様子に気づいていたのだ。
「えー、そんな、酷ぇ!」
そいつの情けない声に、周囲も釣り込まれて笑う。
何もなかったかのように、新堂はもういつもの笑顔に戻っていた。
もしかしたら、新堂なら俺の気持ちを受け止めてくれるのではないのか。
忘れてくれと頼めば、自分の胸ひとつに収めて、何も言わずに流してくれるんじゃないのか。
告白して何かが変わるとは思っていない。
でも、好きだと一言、この気持ちを新堂に伝えてみたい。
あの日は、休講で四限目がぽっかり空いて、珍しく新堂がひとり学食で本を読んでいるのを見掛けた。
日の傾き始めた人のまばらな時間帯、強い西日が長い影を作り、安っぽいテーブルを茜色に照らしている。
春に新堂を知り、告白しようと心に決めたのが秋で、それから半年悩みに悩み、季節は再び春になっていた。
周囲には誰もいなくて、チャンスだと思った俺は、ちょっといいかと声を掛けた。
手にした新書から顔を上げ、新堂はくしゃりと目を細める。
その笑顔に勇気を貰い、向かい側にぎこちなく腰を下ろした。
「ただ、聞いてくれるだけでいい。後はできたら忘れてくれる?」
心臓は、体からはみ出しそうなほど大きく脈打ち、頬は火のように熱かった。
気が遠くなりそうな緊張の中、ついに俺は、この半年の間、こねくり回したセリフを口にした。
「好き…なんだ。君のこと、そういう意味で」
ずっと心に抱いていた気持ちを吐露した瞬間、新堂の顔を見ていられなかった。
胸はさらに高鳴って息苦しくなってくる。
「好きって……、恋愛的な意味?」
「あ……、うん」
静かな声で聞き返されて顔を上げた。
新堂は、ほんの少し目を見開き、やや驚いた様子でまっすぐ俺を見ている。
「それって、ゲイってこと?」
「いや……ちが……、いや……ぶっちゃけ、そ…うなんだけど……」
条件反射で違うと言い掛けて、この期に及んで誤魔化そうとする自分にうんざりしながら、そうだと正直にうなずいた。
初めて、本当の自分を口に出して認めた。するりと滑り落ちた言葉の自然さに、何とも不思議な心持ちがする。
「何で、俺なの?」
新堂はきょとんとした顔で聞いてきた。
こんなのはシミュレーションできていなくて、気が動転したが、一生懸命に気持ちを伝えた。
「新堂なら……、イイやつだし。こんな告白でも……、ちゃんと聞いてくれるって……」
新堂だからこそ、今こうして告白している。
「俺がイイやつ?」
さらに聞かれて、困ってしまう。
俯いたまま、正直に思ったとおり答えた。
「裏表がなくて、誰にでも優しい……」
真っ赤に火照った頬が、穴があったら入りたいほど恥ずかしかったが、勇気を出して顔を上げた。
すると、新堂の顔から、さっきまでの驚きや、俺への親しみが消え失せている。
いつもの優しい目を期待していた俺は、表情のないその顔にぎくりとした。
「へーぇ、俺って『裏表がない』『優しい』『イイやつ』だったのか。それは知らなかったな」
酷く冷たい、皮肉るような言い方をされた。
俺の言ったことが気に障ったのか、急に雲行きが怪しくなり、激しく狼狽した。
「好きっていうのは、寝たいってことだよね」
「え……?」
普段は下ネタさえ言わない新堂の、思いもよらぬ言葉に我が耳を疑う。
「ゲイってさ、要はセックスなんだろ?」
露骨な単語、ゲイへの偏見。うすら笑いを浮かべた男に、俺は椅子の上で硬直した。
「やらせてくれるなら、付き合ってもいいよ」
「……」
ぎゅっと抱きしめられたらどんな感じだろうと、そんなことを想像することはあっても、キスすら思い描いたことがない。
それなのに、やらせるなどと、信じられずに、目の前の男を見返した。
「男となんて考えたこともなかったけど、興味がないわけじゃない。
まぁ、一回試してみて、もし、できそうなら」
興味、試す、新堂の意図するところが鈍い俺にも見えてくる。
男という物珍しさ。
ただそれだけ。好きだと告白した俺の気持ちなど、端からどうでもいいということだ。
熱くなった耳から、血の気が引いていくようだった。
口先だけでしゃべるこいつは、本当にあの優しい新堂なのか。
「付き合うっていっても、勘違いするなよ。
俺、彼女と別れるつもりはないから。
男同士の遊びと女は別物だと思っていいよね」
澄んだ瞳で、不誠実極まりないことを言う。
まるで別人、そうとしか言いようがない。
俺の知る新堂が善の人なら、この男は悪だ。新堂の皮を被った別人が俺に向かって毒を吐く。
「緒方のことは、誰にも口外しないよ。
おまえだってカミングアウトしてるわけじゃないだろ?
そんな噂は聞いたことないし」
唖然とする俺を置き去りにして、新堂はとても事務的に、バイトか何かのように条件を挙げていく。
「今日は俺、これから用事があるんだ。でも、明日なら時間が取れる」
にこりと笑って、新堂は俺にボールを預けてきた。
「どうする? 俺と寝る?」
焦がれ続けた優しい微笑みが、今は悪魔のそれに見える。
「やめておく? 俺はどっちでもいいよ」
ぴしりと胸にヒビが入った。
興味本位の体だけの誘い、その誘いさえ、どっちでもいいと投げやりな言い方をされる。
「悪かったよ……。変なこと言って」
頭の中は真っ白だった。
ふらりと立ち上がると、軽い貧血でも起こしたようにリノリウムの床がぐにゃりと曲がる。
右、左、右……、機械式の足を交互に前に出すが、数歩進んだところで、足の電池が切れてしまった。
立ち止まった俺の背中に、悪魔が平然と声を掛けてくる。
「俺、自宅なんだ。緒方は一人暮らしだよね。
明日講義が終わったら、この辺で待っててくれない?」
こんなありがたいお誘いを、ゲイが断るはずがないと足元を見られた。
新堂のそっけない言い様が、俺を嘲笑うように聞こえる。
わんわんと耳鳴りがする。
テーブルの脚やいすに派手にぶつかりながら、俺はその場を立ち去った。
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