24 / 25
二十四話
しおりを挟む
トレーナーの両袖を肘までまくり上げ、キッチンで真新しい雑巾を絞る。
それを広げながら、十年半住んでいた自分の部屋を眺めた。
「さてと……」
荷物を全て運び出し、がらんとした部屋はいつもよりずっと広く見える。
日に焼けたブラインドを上げ、ベランダへと続く吐き出し窓を全開にして、窓枠を丁寧に拭いていく。
俺は今、人材バンクで紹介してもらった大手ソフトウェア会社の正社員として働いている。
長らく引きこもっていた俺が、毎朝新堂と二人、通勤ラッシュに揉まれていた。
在宅ワークのときより生き生きしていると、新堂は目を細める。
確かに、仕事には遣り甲斐を感じる。
キャリアとして二十代のうちにやっておかねばならないことはたくさんある。
時間はいくらあっても足りない。
世話になった日野さんの会社へは、悩んだ末に行かなかった。
仕事内容、待遇、人間関係、あの会社なら安心して働ける。
でも俺は、敢えてチャレンジすることを選んだ。
俺が詫びると日野さんは、なぁにまたどこかで一緒に仕事をすることもあるさと、明るく言ってくれた。
日野さんに告白もどきをされた事も、ちゃんと新堂に話した。
やっぱりなと怒っていた。
話す必要はなかったかもしれないが、どんな些細なことでも、もう隠し事を作りたくなかった。
「緒方、もう運ぶものないよな。台車はもう管理人に返したぞ」
新居に荷物を運び終え、デニムに綿シャツ姿の新堂は、軍手を手にして戻ってきた。
「うん、全部終わり。後は掃除だけ」
「この週末ずっと天気がよくて、よかったな」
ベランダに出た新堂が、雲一つない澄み渡った晴天を眩しそうに仰ぐ。
のんびり構える新堂に対し、俺はというと、自分で立てた計画に合わせ、せっせと体を動かしていた。
季節は晩秋になり、爽やかな明るい日差しの下、今日は俺たちの引っ越しの日だった。
新居は、歩いて五分の場所にある築浅の分譲マンションだ。
駅近の低層マンションに二人で目を付け、複数の仲介業者にオファーを掛けておいたのだが、思ったより早く、最適な売り物件が出た。
頭金は二人で貯金をはたき、ローンの金額も折半だ。
稼ぎがいいのは新堂だが、持ち分は二分の一ずつ、これは俺の矜恃だった。
「新堂、掃除を手伝ってくれる?」
キッチンで絞った雑巾を、ベランダに立って暢気に外を見ている新堂に投げてやる。
「床拭きをお願い」
了解と答えて、新堂は掃除を始めた。
婚約解消による訴訟問題は、理事長の不祥事により成し崩し的に消滅した。
電車での移動中になにげなく見ていたネットニュースで、理事長の脱税容疑を知る。
元婚約者を送っていった時に見たモダンな豪邸に、段ボール箱を抱えた捜査員が続々と入っていく映像が何度もニュースで流された。
巨大医療法人理事長と大手メーカー役員との癒着問題は、未だに連日マスコミで取り上げられ、
理事長は即時退任したが、医療法人内での背任行為も追及されている。
この状況で婚約破棄の慰謝料を争っても、とても勝てないと向こうの弁護士も諦めたらしかった。
全ての発端は、新堂の会社での社内調査だった。
何がきっかけで理事長へのリベートが発覚したのか、気になって、新堂に聞いてみた。
――接待ゴルフに何度も付き合わされて、常務と理事長の内緒話を小耳に挟んだ。
それを、丁度ヘッドハントされてきた新任のCFOに耳打ちしたら、
それはもう、よく働いてくれたよ。
やられっぱなしっていうのは癪に障る、まぁ見とけと言っていた。
あれは、こういう事だったのかと、ようやく全てに合点がいった。
失地奪還のために新堂が放った秘策が、常務の息の根を止め、理事長を今、窮地に追い込んでいた。
――あっぶなかったなー
新堂、結婚してたら今頃どーなってたんだ?
理事長の不祥事が明るみに出てすぐ、木田が卒業以来久々に俺の部屋にやってきた。
手土産の日本酒で酒盛りして、賑やかに一騒ぎ。
今度引っ越すと話すと、じゃあ、新居にみんなを集めて、いよいよお披露目だなと言い出した。
パーティーのケータリングは任せろと言うのだが、まだどうなるか分からない。
緒方も腹をくくれ、前祝いだと言われたのは、こういう日を想定していたらしかった。
この数ヶ月、駆け足でいろんなことがあった。
めまぐるしくいろんなことが変わっていく。
ひとつひとつ、できることを終わらせていけばいいのだと、ここ数日、自分に言い聞かせている。
それを広げながら、十年半住んでいた自分の部屋を眺めた。
「さてと……」
荷物を全て運び出し、がらんとした部屋はいつもよりずっと広く見える。
日に焼けたブラインドを上げ、ベランダへと続く吐き出し窓を全開にして、窓枠を丁寧に拭いていく。
俺は今、人材バンクで紹介してもらった大手ソフトウェア会社の正社員として働いている。
長らく引きこもっていた俺が、毎朝新堂と二人、通勤ラッシュに揉まれていた。
在宅ワークのときより生き生きしていると、新堂は目を細める。
確かに、仕事には遣り甲斐を感じる。
キャリアとして二十代のうちにやっておかねばならないことはたくさんある。
時間はいくらあっても足りない。
世話になった日野さんの会社へは、悩んだ末に行かなかった。
仕事内容、待遇、人間関係、あの会社なら安心して働ける。
でも俺は、敢えてチャレンジすることを選んだ。
俺が詫びると日野さんは、なぁにまたどこかで一緒に仕事をすることもあるさと、明るく言ってくれた。
日野さんに告白もどきをされた事も、ちゃんと新堂に話した。
やっぱりなと怒っていた。
話す必要はなかったかもしれないが、どんな些細なことでも、もう隠し事を作りたくなかった。
「緒方、もう運ぶものないよな。台車はもう管理人に返したぞ」
新居に荷物を運び終え、デニムに綿シャツ姿の新堂は、軍手を手にして戻ってきた。
「うん、全部終わり。後は掃除だけ」
「この週末ずっと天気がよくて、よかったな」
ベランダに出た新堂が、雲一つない澄み渡った晴天を眩しそうに仰ぐ。
のんびり構える新堂に対し、俺はというと、自分で立てた計画に合わせ、せっせと体を動かしていた。
季節は晩秋になり、爽やかな明るい日差しの下、今日は俺たちの引っ越しの日だった。
新居は、歩いて五分の場所にある築浅の分譲マンションだ。
駅近の低層マンションに二人で目を付け、複数の仲介業者にオファーを掛けておいたのだが、思ったより早く、最適な売り物件が出た。
頭金は二人で貯金をはたき、ローンの金額も折半だ。
稼ぎがいいのは新堂だが、持ち分は二分の一ずつ、これは俺の矜恃だった。
「新堂、掃除を手伝ってくれる?」
キッチンで絞った雑巾を、ベランダに立って暢気に外を見ている新堂に投げてやる。
「床拭きをお願い」
了解と答えて、新堂は掃除を始めた。
婚約解消による訴訟問題は、理事長の不祥事により成し崩し的に消滅した。
電車での移動中になにげなく見ていたネットニュースで、理事長の脱税容疑を知る。
元婚約者を送っていった時に見たモダンな豪邸に、段ボール箱を抱えた捜査員が続々と入っていく映像が何度もニュースで流された。
巨大医療法人理事長と大手メーカー役員との癒着問題は、未だに連日マスコミで取り上げられ、
理事長は即時退任したが、医療法人内での背任行為も追及されている。
この状況で婚約破棄の慰謝料を争っても、とても勝てないと向こうの弁護士も諦めたらしかった。
全ての発端は、新堂の会社での社内調査だった。
何がきっかけで理事長へのリベートが発覚したのか、気になって、新堂に聞いてみた。
――接待ゴルフに何度も付き合わされて、常務と理事長の内緒話を小耳に挟んだ。
それを、丁度ヘッドハントされてきた新任のCFOに耳打ちしたら、
それはもう、よく働いてくれたよ。
やられっぱなしっていうのは癪に障る、まぁ見とけと言っていた。
あれは、こういう事だったのかと、ようやく全てに合点がいった。
失地奪還のために新堂が放った秘策が、常務の息の根を止め、理事長を今、窮地に追い込んでいた。
――あっぶなかったなー
新堂、結婚してたら今頃どーなってたんだ?
理事長の不祥事が明るみに出てすぐ、木田が卒業以来久々に俺の部屋にやってきた。
手土産の日本酒で酒盛りして、賑やかに一騒ぎ。
今度引っ越すと話すと、じゃあ、新居にみんなを集めて、いよいよお披露目だなと言い出した。
パーティーのケータリングは任せろと言うのだが、まだどうなるか分からない。
緒方も腹をくくれ、前祝いだと言われたのは、こういう日を想定していたらしかった。
この数ヶ月、駆け足でいろんなことがあった。
めまぐるしくいろんなことが変わっていく。
ひとつひとつ、できることを終わらせていけばいいのだと、ここ数日、自分に言い聞かせている。
27
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
《完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
幸せな復讐
志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。
明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。
だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。
でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。
君に捨てられた僕の恋の行方は……
それぞれの新生活を意識して書きました。
よろしくお願いします。
fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。
孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる