はじまらない物語 ~僕とあの子と完全犯罪~

玄武聡一郎

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出題篇 □■□■君は

第十六話 (2) 『悪意と体育倉庫荒し』

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「わっきー先輩ちょーかっこよかったですねー! バスケ上手いのは知ってましたけど、麗華さんとの一騎打ちとかやばかったです! もー、気分がうわぁー! って感じで、にゃっはー! って感じで!」
「せやなー! でもどっちかって言ったら、どーーーーん! って感じやったな! 個人的には!」
「どーーーーん! ですか! 確かにそうかもしれませんねっ!」
「南先生が聞いたら泡吹いて卒倒しそうな会話だよね……」

 ずずっと味の薄いミネストローネをすすりながら、僕は播磨さんと雅樹の会話に一応一言コメントを入れた(食事の席はこの前席替えをして、僕の片側は播磨さんになった)。
 何となく息が合いそうだなぁと思ってた二人だったけど、まさかここまでとは……。

 夕食の席について、再度簡単に説明しよう。
先述の通り、両隣は固定されているけれど、実は正面は毎日変わっていく。全員が一日ごとに左へ一個、席を移動することで、毎日色々な人と会話ができる仕組みになっている。
 今日は雅樹が正面に来る日だったので、丁度今日の放課後に行われた憂さ晴らしスポーツ大会の話で盛り上がっていた。
 その話に、隣に座っていた播磨さんが入ってきたという訳だ。

「わっきー先輩、バスケ部のエースなんですよねー。この前の交流試合とか、大大大活躍だったって聞きました!」
「へー、交流試合なんてあったんだ?」
「はいです! スポーツ系の部活は、現地校の人と定期的に交流戦をしてるんですよー! 惜しくも負けちゃったみたいですけど、わっきー先輩の活躍が見られたから超満足って友達が言ってました!」
「負けちゃったんだ」
「はいす! でもバスケ部の皆さんもそんなに落ち込んでませんでしたし、むしろ善戦したことでわっきーさんのすごさが際立ったみたいな!」
「負けても褒められるとか、羨ましすぎるやろ……。これがイケメンの特権か……」
「えー? でも雅樹先輩も結構かっこいい系ですよー?」
「ま、まじで⁈ ほんまに⁈ どの辺が⁈」
「んー、鼻とかー」
「鼻とか?」
「……鼻とか?」
「鼻だけなん⁈ 鼻だけイケメンってなに⁈」

 再び騒がしくなってきたところで、僕はふと、少し離れた席で立ちあがったララちゃんを見つけた。
 ララちゃんはそのまま先生に一言何かを告げると、食器を片づけ、食堂を出て行った。

 食事は全員が食べ終わるまでは席を立ってはいけないが、唯一「プラクティス」と呼ばれる音楽の個人授業の時だけは途中退室が許されることになっている。
 プラクティスは現地の先生によって行われ、先生の都合によって時間帯も変わる。たまに食事の時間と被ることがあるため、その時だけは例外、ということらしかった。
 ということはララちゃん、楽器も弾けるってことか。
 相変わらず万能と言うか、まぁもう色々通り越して驚きも薄くなってきたというか、なんというか……。あぁでも、一体なんの楽器を弾いてるかは、気になるかな。

「なぁなぁかなたっち。かなたっちはどう思う?」
「ん? なにが?」
「俺の顔でイケてるところ、あげてみて?」
「あー、鼻じゃない?」
「これだけ鼻推されると、一周回って自信出て来るかも」
 

◇◇◇

 
 夜の自習時間になっても、ララちゃんは教室に戻って来なかった。
 プラクティスの後も残って一人、音楽棟で自主練をしているのかもしれない。彼女がどんな楽器を弾くのか少し気になった僕は、ふらりと音楽棟へと遊びに行くことにした。
 本当は、今日は夢莉さんとスクフェスの話し合いをする予定だったけれど、どうにも体調が良くないという事だったので、僕は早めに就寝をすることを勧めた。

 喉をやられてしまったらしく、いつもの快活な声がちょっとしゃがれてしまっていたし、マスクまでしていたから、結構状態は良くないのだと思う。
 早く良くなって欲しいなと願いながら、僕は女子寮の横をゆっくりと通り過ぎた。

 女子寮は相変わらず外見が豪勢で、古き良き英国貴族の魅力を垣間見た気分になる。既にこっそりと、写真は何枚か撮ってあるけれど、再度スマホを向けたい衝動に駆られるくらいだ。
 洒落た形をした窓が、レンガで出来た外壁にいくつもくっついている。あの窓のどれかを覗けば、夢莉さんがいるのだろうか。寮内にいる時の夢莉さんは、どんな格好で、どんな事をしているのだろうか。パジャマの柄は? ガウンの色は? した――――

「やめよう。これ以上はだめだ……」

 いけない方向に走り出した思考をすんでの所で止めて、僕はかぶりを振った。
 別に僕は潔癖でも真面目でもない。変態三人衆と下ネタエロトークで盛り上がれるくらいには不純だ。
 健全に不純だ。言葉は矛盾しているけれど。

 それでも、と僕は思う。
 夢莉さんに対してそういう感情を抱き始めたら……。
 なんだか後には引けなくなる気がする。なんとなく、そう思う。

 ふわふわと綿毛が僕の前を横切った。
 七月から八月にかけて、ポプラの花が種をつけた。ポプラの種は綿毛の塊みたいになっていて、一時期校内は綿毛だらけになっていた。
 江口さんがあらあら困りました、とおっとりと笑いながら掃除してくれたお陰で、僕らの歩く道はいつも綺麗だったけれど。
 薄暗くなった校内を、音楽棟に向かってゆっくりと歩く。

 こうして一人で散歩する機会は、そう言えばあまりなかったかもしれない。
 思えば怒涛の様に色々なイベントに巻き込まれ、慣れない寮生活に慣れるために必死で、心に余裕が生まれることは中々なかった。
 やっとこさ、どうにか順応してきた今。たまには一人、こうして散歩するのも悪くないなと思った。
 男子寮の脇を抜け、小さな池の横を通ると、やがて音楽棟が見えてきた。

 音楽棟はプレハブ小屋やロッジが集合住宅の様にいくつも連なっており、練習する生徒は小屋を一つ借りて、その中で思う存分自分の楽器を奏でるのだ。
 防音設備は十分ではないらしく、明かりと音が、濃密さを増していく闇夜の中に溶け込んでいく。
 さて、ララちゃんはどこの部屋に――――

「――――っ」

 瞬間、

「っつ……ぁ……」

 それは、もちろん。

 比喩表現では、あるの、だけれども。

「まじ、か……」

 それが決して、誇張表現ではないということを、僕はここに明示したい。
 梅雨にアスファルトの地面を叩く、五月雨のように軽やかに。
 戦場に巻き散らかされた弾丸のごとく荒々しく。
 音の粒は容赦なく、絶え間なく、僕に襲い掛かる。
 粒でありながらも、渓流の性質も兼ね備えた、さながら光の様な音色の妙に魅せられて。 
 気づけば僕は。
 導かれるように、プレハブ小屋の扉を開けていた。
 音が止まる。

「誰かと思えば、カナタじゃないか。どうした、夜這いか?」

 そんなわけないだろ、とか。
 そもそも君は寝てないだろ、とか。
 そんな下らないツッコミは全て胃の中に落とし込んで、僕は言う。

「すごい」
「……?」
「すごいね、ララちゃん。ピアノも弾けるなんて」

 なんだそんなことか、とばかりに肩をすくめ、彼女はアップライトピアノを片づけ始めた。

「褒められるほどの物ではないさ。私は……音楽は比較的苦手だ」
「冗談でしょ?」

 あの曲は確か……確か……そう、ショパンのエチュード、第一番ハ長調、オーパス十の一。多分そんな名前だ。
 僕でも知ってるくらい有名で(というか何かの小説に出てきたはず)、そして、とてつもなく難しい曲である事は間違いない。

「とんでもない技巧だったと思ったんだけど……」
「練習曲(エチュード)、だからな。演奏効果も高い。まだ……誤魔化せる」
「……?」

 練習曲、だから何だというのだろう。
 僕がそれ以上問いただす前に、ララちゃんは言った。

「大体、この学院の人間は楽器を弾ける生徒が多いはずだ。そこまで驚かれるようなことではないよ」
「うーん、それとこれとは話が別の様な……」

 ここだけの話、この学院に通う生徒の家はお金持ちが多い。
 海外にある全寮制の学院ということで、学費は通常のそれと比較すると目玉が飛び出すくらいに高い。
 僕の家は会社から援助が出るという話だったけど、そうでない人は「生徒一人に付きベンツ一台分」の支払いが必要らしい。
 そんなべらぼうな額を払える家というのは、当然金銭的な余裕があって、総じて子供に習い事をさせている事が多い。
 そういう背景もあってか、うちの学院の生徒は騒がしく個性的でありながらもどこか品が良いし、音楽や美術など、何か一芸を持っていることが多いのだ。
 それにしたってララちゃんは芸に富み過ぎていると思うけれど。

「そんな事より、今日は七々扇さんと愛憎入り乱れた絡み合いはしないのか?」
「愛も憎悪もないし、なんなら肉体的接触はこれっぽっちもありません」

 いやまぁ、本当はこれっぽっちはあるけど。

「なんだ、そうなのか。それで暇になって私の元に遊びに来た、と。くく……あれだな、本妻に相手にされないから愛人の元に駆け込んだダメ男を見てる気分――――」
「はーいストップ。僕は純粋に、ララちゃんがどんな楽器を弾いてるのか気になって見に来ただけだよ」
「そうか」

 そう言って笑ったララちゃんの顔は少し……いつもより幼く見えた。決して口には出さなかったけれど。

「折角だ、少し話そう。そうだな……七々扇夢莉の本質は、そろそろ見えてきたか?」

 『七々扇夢莉には気を付けろ』。初めて会った時に僕に投げかけたその言葉は、今でも鮮烈に覚えている。
 あの時分からなかった言葉の真意は――――今尚、分からないままだ。僕は首を横に振って応える。

「全然。未だに何かの冗談だと思ってるよ」
「ふむ……?」

 おかしいな、と彼女は呟いた。

「私の見立てでは、そろそろ何かに気付いてくれるはずだと思っていたのだが……」
「おあいにく様。ララちゃんは僕の事、過大評価しすぎだと思うよ」
「まさかとは思うが、君。七々扇夢莉のこと好きになったりはしていないな?」
「…………まさか」

 反応が数テンポ遅れたのは、最早仕方のない事だと思う。
 流れるように、何の脈絡もなく、唐突に気にしていることをぶっこまれたら、誰だって同じような反応を取ってしまうに違いない。

「ほぅ……」

 僕だって普通の男子だ。
 ごくごく一般的な男子高校生の感性を持ち合わせた凡人だ。
 可愛くて愛嬌があって優しくて喋りやすくて、おまけになんかエロい女の子と、他の男子よりも一緒に居る時間が長くて。
 なんだか特別な時間を共有しているみたいに、錯覚してしまって。
 おまけに、どうやら自分に対して悪い印象は抱いていないようだという事を、なんとなく察してしまっていれば。
 当然好きか嫌いかで言えば好きになるし、なんならその「好き」は、友達に対して抱くそれとは、少し異なるものかもしれない。
 僕は言う。

「気になる……というか、なんというか……うん、少なくとも嫌いではない、よ……」

 歯切れの悪い答えだと苦笑いが零れそうになる。
 けれどまぁ、この答えが僕の今の精一杯かなとも思う。
 今更言うまでもないとは思うけれど、僕は自分にそこまで自信がある訳ではない。
 僕なんかがあの夢莉さんとどうこうなるなんてあり得ない。夢を見るのも大概にしろ、という心の声が聞こえてくる気がして、歯止めがかかってしまっているのは事実だ。わっきーみたいに飛び抜けたスペックがあるのであれば、もう少し違う想いを抱けたのかもしれない。

「なぁ、カナタ」
「なに、ララちゃん?」
「君はNTRという単語を知っているか?」
「うん、知ってる知ってる。お値段以上のあれでしょ?」
「あぁ、違う違う。ニトリではない。『寝取り』、もしくは『寝取られ』、という意味だ」

 いや、知ってるよ! 
 誰がニトリの事NTRって略すんだよ、営業妨害か!

「因みに寝取られの意味だが――――」
「大丈夫それは十分理解してるからそれ以上なにも言わなくていいよララちゃん」

 可愛らしい唇からえげつないワードの解説が飛び出そうとしたところを、僕は早口で止めた。
 男子寮の夜トーク舐めんなよ!
 寝取り寝取られジャンルに関するトークなんて、入寮一週間で既に終わってるわ!

「なんだ知っていたのか。なら話は早い。私は今まさに、そんな気分なのだよ」
「はい……?」 

 何言ってんのこの子?
 ふむ、これはなかなかどうして興味深い、とかなんとか言いながら近づいて来るララちゃんを、僕は疑問符を浮かべながら見ていた。
 と、おもむろにララちゃんが両手を僕の方に付き出し――――僕の服の中にずぼっと入れた。
 小さくて冷たい手が、僕の脇腹にぴたりと密着した。

「ひょわぉおおお⁈ つ、冷たい冷たいくすぐったい! ちょちょちょちょちょ! 何してんの? 何してんの⁈」
「私は末端冷え性でね。ピアノの鍵盤はこの時期でも冷たいから、体温をすっかり奪われてしまったんだよ。温めてくれたまえ」
「ポケットに手突っ込んだらどうでしょう⁈」
「なんだ知らないのか? ジャカルタでは、末端冷え性の女性はこうして男性の脇腹に手をくっつけて熱を分けてもらうのさ。ジャカルタ人は男性の事を「太陽ゾル」と呼ぶことに由来すると言われているね」
「本当か嘘か判断が付きにくいんだけど、なんにせよ僕たち日本人だからその作法に乗っ取る必要ないよね?」

 くく、といつもの通り不敵に笑って、ララちゃんは僕の脇腹から手を離した。

「何、ほんの気まぐれだ。忘れてくれ」
「別にいいけど……一体どうしたの?」
「だから気まぐれだよ。カナタを玩具にして遊びたくなっただけさ」

 そう、なのか……?
 少し引っ掛かる部分はありながらも、僕はそれ以上つっこまなかった。

「さて、そろそろ戻ろうか。あんまり長い事二人が抜けていると、密会と間違われてしまうかもしれないしな」

 付き合っている男女が、先生に隠れてどこかで会っている事をこの学院では『密会』と呼んでいる。恋愛禁止のこの学校では、密会中しているところがバレれば職員会議にかけられるほどの大ごととなる。
 そのため、密会場所にはみんなとても気を使っていて、音楽棟や人通りの少ない理科棟なんかは、密会の好適地として良く使われているらしい。

「そうだね、変に疑われても面倒くさいしね」

 同意し、部屋を出て行こうとした時、ゆるふわヘアーに手を突っ込みながら「あぁ、そうそう」とララちゃんが立ち止まった。

「一つ言い忘れていたよ」
「なに?」

 さっきの行動についてだろうか、それとも、それより前に話していた、夢莉さんの事についてだろうか。
 身構える僕に、ララちゃんはにやりと笑って言った。

「さっき言ってたジャカルタ人の話は嘘だ」
「うん、それは心底どうでもいいかな」

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