桜咲く社で

鳳仙花。

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第三章

第三十二話 子供

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 (外界は真夏か)
薫子は桜の木の下から空を見上げる。大きな入道雲が真っ青な空に浮かんでいた。相変わらず季節が入り乱れているこの社では外の季節が把握しにくい。
 竹箒を握りながら入道雲の様子を見ていると、屋敷の方から蛇歌がやってくるのが見えた。
「蛇歌姐さん」
「また掃除してるのかい」
「またと言われましても、それが仕事なので…」
「神女になる娘だってのに、欲がないねぇ」
そうは言いつつ蛇歌の顔色は明るい。色々と解決したからなのか、憂いを帯びたため息も減ったように思う。
 爪雷の件で開かれた先日の裁判が終わった後、月読尊は蛇歌の堕神を撤回してくれた。元より彼女になんの罪もなく勝手に浄楼閣が下した事だったので、改めて月読尊の名の下に修正されている。蛇歌と同じ様に体裁を守るために犠牲となっていた無実の者たちも順次判決を改められているそうだ。
 それに伴い爪雷も身を粉にして働いているらしく、たまにあちこち飛び回っている爪雷を何人かが見かけるらしい。だが話を聞くに、昔の爪雷に戻りつつはあるようだった。薫子としてはそれが何よりも嬉しいと思う。
 (そういえば…)
薫子は蛇歌の横顔を見あげた。
「蛇歌姐さん、名前…このままで本当に良いのですか」
「まぁたその話かい」
 そう、堕神でなくなった蛇歌なのだが、なぜか薫子と史には呼び方は変えないで欲しいと希望してきたのだ。
「良いんだよ。蛇歌としてアタシはあんた達に出会った。今さら天大蛇なんて呼ばれてもむず痒い」
蛇歌は腕を組んで嫌そうな顔をする。そもそも名にこだわりがないらしく、重くとらえる必要は無いとの事。
 (まあ、本人がそう言うなら…)
なんだか納得するようなしないような複雑な面持ちのまま蛇歌の腹に視線を落とす。少しだけ腹が膨らんでいた。
「随分目立ってきましたね」
「まあね。まだ掛かるだろうけど」
蛇歌は自身の腹をひと撫でする。その顔は呆れつつも優しげに笑っていた。
 今彼女の腹には命が宿っている。爪雷との子供だそうだ。
(ずっと蛇歌姐さんが調子悪そうだったのは悪阻つわりもあったんだろう)
妊娠すると神力も安定しなくなるらしい。そんな中であの戦争があったのだと思うと、本当に母は強しと言わざるを得ない。
 しかも女の神が身内に雀梅しか居らず、彼女も妊娠経験は無いので皆がほぼ無知という事態になっていた。守護神達は長く生きてきた故に何となくは分かっているらしいが、詳しい事は分からないらしい。
 今雀梅と蛇歌、そして番である爪雷が出産までの対応と知識を集めているところだ。
(月読尊様も冷たいように見えて情に厚い方だったな)
爪雷に妊婦について調べる許可を出したのは他でもない月読尊である。というのも言い出しっぺは天照大御神らしい。本人曰く。

「よもや勝手に赤子が腹から出てくるとでも?舐めるなよ男ども」

らしい。
 お陰様で爪雷は雷神の責務と裁判の雑用、それに加えて書庫での見聞を漁るという仕事が増えている。
(神同士の子は無い訳では無いが珍しい、だったっけ)
歴史上いないわけではない。が、人と違って妊娠出産で繁栄している訳では無いのであまり前例がないということらしい。
(そういえば眷属とかは赤子として生まれたわけじゃないんだっけ)
薫子も詳しく知るわけじゃないが、多くの神は人間で言う親の立場の創造神が居て、顕現されると言う表現のほうが的確かもしれない。少なくとも伍将殿下はそれに含まれる筈である。
 (言い方的に茜鶴覇様達は天照大御神様が自ら腹を痛めて産んだ子ってことか)
神も人も、母は最強なり。
 薫子が蛇歌の腹を見つめていると、当の本人は空を仰ぎ見て口を開いた。
「それにしてももう夏になるのか。そろそろ海神わだつみの儀式だね」
海神わだつみの儀式?」
薫子が首を傾げると蛇歌は「ああ」と答える。
「何年かに一度海神の儀式というものをやるんだ。南の黎明れいめい家を筆頭に三大神族の当主連中がやるものなんだが、今年は色々あったからね。つくも家の穴を埋める為に神来社からいと家からも大勢祭祀が派遣されるはずだ」
蛇歌はそういうと手のひらに水を出し、いつかのように花弁を集めるのを手伝い始めた。
「海神の儀式ってのは文字通り海を司る神、蒼溟吹碧尊ソウメイスイヘキノミコトを祀る儀式のことだ」
(そうめ……覚えられん)
薫子は初めて聞く名前に気まずそうな顔をしてしまう。それに気づいた蛇歌はケラケラと笑った。
「皆蒼溟そうめいって呼んでるから安心しな。そうそう奴の名を呼ぶ事なんてないからね」
「そうですか…」
ホッとしたような申し訳ないような感覚で薫子は頷く。
 そこへふわりと風が吹いた。見上げると十六夜が木の上に寝そべり頬杖をついている。どこか懐かしむように笑った十六夜は喉の奥で笑った。
「久しいのう、その名は」
「十六夜様、落ちますよ」
薫子が声を掛けると「そう簡単に落ちるわけなかろう」と子供のように言い返すので、見兼ねた蛇歌は水蛇を上に放った。十六夜は目を見開いてとっさに地面に降り立つ。
 鼻で嗤う蛇歌を見上げ「こやつ正気か?」という顔の十六夜に薫子が訊ねた。
「蒼溟様とはどのような方なんですか?」
「そうじゃな…。一言では言い表せぬゆえちと難しい」
「五月蝿いヤツだよ。忙しなく動く子供のように」
悩む十六夜に代わり蛇歌が答える。薫子はイマイチ掴めないのか「なるほど…?」と微妙な返答を返した。
「容姿は会うたび変わっておるから見た目についての特徴は無い。強いて言うなら蒼い髪と瞳の事が多いのう」
「容姿が変わる、ですか」
たしかにある程度神は皆容姿をいじれる。それは薫子も目の前で見てきたことなので不思議ではないのだが、会うたびというと随分な飽き性なのかもしれない。
「性格は実に明るく活発なやつじゃ。海を常に駆け回っておるから中々同じ場所に留まることはない。忙しない、というのは奴の海神という肩書のせいでもあるのう」
元よりそういう性格じゃったが、と付け加えて説明した十六夜。色々な神が居ることはもう十分理解したつもりでは居たが、やはりまだまだ知らないことは多いようだ。
 すると、十六夜は突然何かを思いついたような顔で薫子を見上げる。
「そうじゃ。海神の儀式に遊びにでも行ってみたらどうじゃ」
「え?」
薫子は思わず声を漏らした。
「ずっと社に閉じ籠もるのも良くなかろう。史と共に行ってくるといい」
「ちょっと待ちなよ。二人だけは危ないだろ」
蛇歌は呆れたような顔で十六夜を咎めるが、彼は肩を竦めて言い返す。
「儀式の場には神族達も居る。それに立ち会いの神は雀梅じゃ。何かあっても対応はできるじゃろう」
「それはそうだけど」
「まあ、行く際には念の為式神を付けておけば良かろう。そうそう立ち会える儀式でもない、世界を知るというのは良い経験じゃよ薫子」
(十六夜様の言う事にも一理ある)
薫子は少し考えた後、彼の案に乗ることにした。頷いた薫子に十六夜は「雀梅と神族にはわしから伝えておこう」と言い残し社へ戻っていく。
(…蒼溟そうめい様か)
薫子は少し心配そうな蛇歌に笑って見せ、竹箒を握り直した。

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