Eclipse/月蝕症候群

ひろい

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脅威、狂気、恐怖

その14

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 まだ物心がついて間もなかった幼少期。謙一は祖父のことを、師匠と呼んでいた。その頃好きだった漫画の影響で、そういう呼び方に憧れていたからだ。両親としては普通にお爺ちゃんと読んで欲しかったらしいが。
「切ることと斬ることは、違う」
 祖父はその頃には謙一と両親が住む実家を離れ、人里離れた山奥で一人ひっそりと暮らしていた。白髭をたくわえ、ゆったりとした袴に身を包むその姿は、時代劇などに出てくる達人の雰囲気を湛えていたように謙一は思っている。
「それってどーゆー意味なんー? お師匠ー」
 謙一はことある毎に祖父の小屋に通い、剣の指導を受けていた。礼よりも技を中心としたその内容は、剣道というよりも剣術というに近いともいえた。謙一はいつも祖父の小屋の庭で、ただ一心不乱に竹刀を振るい続けた。祖父は謙一に、なにを教えるというわけでもなかった。ただ基本の型をいくつか見せ、その反復練習のみを行わせた。そしてその様子を、庭先の安楽椅子から片手に文庫本を眺ながら観察していた。そして時折、指示をくれた。それは正直まだ子供だった自分には、理解しづらいものが多かった。
「切る、というのはわかるね。包丁で人参や玉葱を切ることだ」
 祖父の言葉は、いつも断定形だ。『など』や、『のような』といった曖昧な言葉を使わない。それに謙一はいつも、戦隊モノのヒーローじみたカッコよさを感じていた。
「あー、玉葱。あれ切るといったいんでしょー? おかあさん台所で泣きながら切ってるもん」
 汗を散らしながら笑顔で語られるどこか的外れな子供の言葉にも、師父は優しそうに口元を緩めるだけだった。
「そうだな、あれは痛いな。それに玉葱は、辛い。私も正直、苦手だよ」
 そうして二人で一頻り笑いあったあと、
「うん、うん。そいでー?」
 アホの子丸出しに尋ねる謙一に祖父は柔和な笑みを作り、
「斬るとはね、その魂を、解放することを言うんだよ――」

 その言葉が、現在の謙一の胸に蘇る。
 その時の自分にはまったく理解できなかったそれだが、ずっとそれを求めて剣を振ってきた。いつか斬りたいとは思っていた。だがそれは、今の自分が考えているような単なる人を殺すこととは、違うと思えた。未だ答えは、闇の中だ。それでも人ひとり刺し、ほんの少し、胸に期するものがあった。
 魂を、解放する――
「ギャバ」
 !?
 声すら出せなかった。ただ驚き、身を仰け反らした。避けたのとは違う、ただの反射。一瞬沈んだ思考の、間隙。そこをつかれた。それ以前にここまで出し抜けに攻撃してくるやつもいなかったから、完全に虚をつかれた。
 視線を、声の方へ。
 思わず、声を出していた。
「こ……康(こう)、なのか!? 」
 そこにいたのは――面識がある、クラスメイトだった。
「ひ、久々久々久々だねぇ、けんちゃん――――っ!」
 於莵寺康(おとでら こう)。クラスで一番背が低く言動も幼いため、それをネタにクラスメイトによくからかわれていた小動物系のキャラ。それゆえなのか、一匹狼の謙一に懐いているようなところもあった。それに謙一は煩わしさも感じながら、悪い気もしていなかった。望んで一匹狼になっているわけでもない。だからといって、群れるのが好きなわけでもないが。
「康……」
 呟く。康は、いつも通りだった。そのハリネズミのようにツンツンとした髪も、着崩した制服も、ちっこい体格も。
 ただその眉間には穴があいており、その瞳は白く、裏返っていた。
「けんちゃんけんちゃんけんちゃんけんちゃんけんちゃん――」
 うわ言のように繰り返し呟かれる、自分の名前。それに伴って、口元から泡が吹き出していた。涎が垂れ流されていた。ガタガタと、体が震えていた。
 今まで見た中で、最も汚染が酷い。
 身内がこんな状態になるというのは、想像以上にきついものだった。思わず左手で目じりを――
「…………っ!」
 そこで初めて、謙一は気づいた。目の前に持ってきたその、左腕には――

 やら、れた。
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