道化の世界探索記

黒石廉

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第2部2章 草原とヒト

084 さらわれたからとりもどす

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 朝はウシの乳をしぼる。
 朝食はこれを沸かして飲む。
 沸かさず飲んだら、腹を下して大変なことになった。だから、それ以降俺たちは沸かしている。
 しぼりたての乳はかすかに甘い。
 貴重な甘味を丁寧に感じながらゆっくりと数杯飲む。朝食はこれだけだ。

 朝食を飲んだら、ウシを放牧しにいく。
 幸いなことに俺たちは襲撃はされていないが、オークたちとのウシの盗り合いは続いている。神話レベルから続くような話なのだから、ずっと当たり前のように続くのだろう。

 昼食はない。
 朝しぼったウシの乳は木の器に入れておくと、午後には発酵し、ヨーグルト状になっている。
 飲む分は皮袋に取り分けておく。

 夕方採血した血は粥に混ぜ込む。米は自分たちで作れないので貴重だ。だから、少しずつ使う。
 粥を食べ、沸かした牛乳を飲む。最後に酸味のあるヨーグルトを食べて、夕食は終わる。

 夕食を食べると、小屋に戻る。
 小屋は俺とチュウジで1つ、ミカとサチさんで1つ、サゴさんが1つ使っている。
 最初は俺とミカ、チュウジとサチさんという組み合わせで使えと言われたが、俺が強硬に反対した。
 新婚生活みたいな暮らしは憧れるが、いろいろと我慢がきかなくなりそうだからである。
 
 「これが護身よ」
 そううそぶく俺にミカは、
 「あたしのこと、怪物みたいに言わないで」
 と言ったあと、小さな声でありがととつけ加えてくれた。
 
 俺たちはソの野営地で夏を過ごしてきた。
 サゴさんと俺が同率一位で言語習得能力が低そうであるが、そんな俺たちですら多少はソのことばで意思疎通ができるようになった。

 夏の終わりも見え、キャンプ地も移動しようかというある日、ジョクさんが俺たちの小屋にやってきた。
 呼ばれて外に出てみると、酒をかかげたジョクさんがにんまりと笑っている。俺とチュウジもにやっと笑い返すと、外にしつらえた焚き火のまわりで酒を回し飲みする。
 酒があるなら、サゴさんも呼ばねばなるまい。そう思って呼びに行こうとしたら、向こうからやってきた。センサーでもついているのだろうか。
 そのうち、ミカとサチさんもやってきて、賑やかになる。

 チュウジが小屋に戻り、ワナで獲った小動物を燻製にしたものを持ってくる。
 放牧地ではワナなんかかけられないが、小屋の中にワナをかけておくと、たまに人間からおこぼれをかすめ取ろうとする獲物がかかることがある。
 小さな飛べないコウモリみたいやつだが、貴重な肉だ。ただし、チュウジは機嫌の良いときにしか出してくれない。

 「あ、燻製出してくれたんだっ。ありがとっ!」
 ミカは燻製肉を両手で持ってかじりだす。相変わらずリスっぽい。ドングリをもたせたくなる。食べるところを見ているだけで飽きない。じっと見つめているとリスの耳が赤くなる。焚き火に照らされただけなのか、それとも照れているのか。
 「……じっと見られていると恥ずかしいよ……」
 小声でそういうところ見ると、後者だったらしい。

 サチさんはシロアリみたいな虫を炒ったやつをもってきてくれる。
 最初見たときは正直ぎょっとしたものだが、これがナッツみたいでなかなか美味い。
 サゴさんの好物で放っておくと、酒片手にひたすら無心でつまんでいる。
 いつもなら俺が惚気話をしたり、彼女に見とれていたりするとツッコミをいれてくる彼が静かなのはこのせいである。焚き火の光で頭を輝かせながら、彼は虫をつまみ、酒を流し込んでいる。

 それにしても、チュウジとサチさんの順応力はすごい。
 ありとあらゆるところに首をつっこんでいるうちに馴染んでしまっている。
 インディージョー○ズのところのサラブレッドと民族学マニアだけある。
 ちなみにチュウジはウシ乗りレオン(あいつはいつも通り中2病アクセルを全開にふかし「真名」とかいうものを名乗ったのだ)などと呼ばれて、ウシの乗り方をソの戦士たちに教授している。これも奴が馴染んでいる理由だろう。鞍もあぶみもないうえに騎乗に適していないだろう動物をよく乗りこなせるものだ。チュウジは技能の恩恵にすぎないが、ソの男たちの運動神経と筋力には舌をまく。
 
 歓談が続く。
 皆、上機嫌で酒を飲む。
 楽しいひとときをすごし、ジョクさんは立ち上がると一言言い残して去っていった。

 「近々子どもたちを取り戻しに行くから、準備しておいてくれ」
 
 ◆◆◆

 このキャンプの青年から壮年の男は60名ほどいる。
 それが全員武装している様子はなかなか壮観だ。

 「取り戻しに行く?」
 そう尋ねる俺にチュオじいさんが説明してくれる。
 彼は居残り組らしく、相変わらずそれが不満そうである。

 俺のつたない語学力でわかった範囲だと、以前にオークの襲撃で子どもを取られたから、それを取り戻しに行くのだそうだ。
 ウシ盗りと同じくこれにもまた、妙な決まりがあって、事前に通達した上で草原で戦うらしい。
 その事前通達の使者が帰ってきたらしい。

 ソの男たちは基本的に革鎧と革張りの大盾、弓と槍で武装している。
 大盾にはなんかの木の樹皮をすりつぶして作ったという赤い染料で紋様が描かれていてちょっとかっこいい。
 ジョクさん曰く、こうした赤い紋様が敵の鮮血を呼び込むんだそうだ。
 ムキムキの大男たちが槍と盾を持ってそろう姿は、俺の好きな映画の一場面に似てかっこいい。

 「勝ち負けはどうやって決まるんですか?」
 ジョクさんにたずねると逃げたら負けだという。

 「俺たちが逃げるってことはあるんですか?」
 俺はさらに質問を重ねる。
 「俺たち」と言ったが、「俺」を含めたパーティーメンバーは危うくなったら躊躇せずに逃げようということになっている。
 「命を大事に」作戦だ。

 ただ、ソの男たちが逃げるというのも考えにくい。
 これだけ戦いを重んじるんだ。
 背中の傷は士道不覚悟みたいなことを言い出しそうな気がしている。
 でも、それは思い込みで、あっさりとくつがえされる。

 「不利になったら逃げるんだ。まぁ、突破されたら、さっさと逃げるのが正解だ」
 敗走するのは恥ずかしいことではないのか。
 そうたずねた俺にジョクさんは笑って答える。
 「戦いは一生だ。それともお前は相手の槍の間合いで勝負し続けるのか?」
 そう言われるとそうだ。
 自分に不利な間合いだったら、詰めるか切るかでその場で粘ったりはしない。
 戦いだって不利だったら、逃げて立て直せば良いということなのか。
 治療を拒み傷あとを誇るような不思議なことをしながら、ものすごく合理的な考え方も披露する。
 この人たちの考え方は相変わらず面白い。

 ◆◆◆

 草原の向こう側にオークたちが並んでいるのが見える。
 こちら側とほぼ同数。
 彼らもソの人たちと同じような武装で同じようにムキムキだ。
 運動会の騎馬戦を思い出す。
 どうも彼らの戦いには命をかけていながら、牧歌的な印象がつきまとう。

 サゴさんと俺とミカは他のソと一緒に前列に並ぶ。
 あまり乱戦向きではないチュウジはサチさんの護衛に回る。
 癒し手の力をあまり好まないソの戦士たちを彼女は時間をかけて説得してきた。
 結果として、死につながるような傷に関しては治療を受けるというところが落とし所となっている。

 「治療されて、もう一度全力で戦ってこいって言いました。戦士ならば永久に戦い続けろって」
 どうやって説得したのとたずねた俺にサチさんは笑って教えてくれた。
 やはり、彼女は俺よりも彼らの考え方を理解しているようだ。

 開始の合図はない。
 なんとなくお互いが弓を構えると、ばらばらと射ちだす。
 俺はミカの盾の後ろに隠れさせてもらいながら、クロスボウを射つ。
 射撃戦が一通り終わると、敵も味方もときの声をあげて、突っ込んでいく。

 サゴさん、俺、ミカは3人組で連携して戦うことに決めていた。
 ぬりかべが疾走する。後ろから付き従うのはカッパに鬼。妖怪小隊だ。くだらないことが頭に浮かぶ。

 ぬりかべの盾が相手の槍を弾き飛ばす。
 鬼が金棒を振り回して、敵の盾に強烈な一撃をくらわす。
 最後にカッパが飛び出してきて、長柄の得物の半月の刃を敵の首に押し込む。
 鬼が叫びながら金棒を振り回して、左右の敵を威嚇する。

 鬼が金棒を振り下ろす。
 上段からの一撃に対応しようと手をあげた敵の足元をカッパのスコップが薙ぎ払う。
 ぬりかべがメイスを振りこむ。
 カッパが長柄の両端についた刃で相手を牽制する。

 カッパが敵の槍をいなす。
 ぬりかべが盾で相手を突き飛ばす。
 鬼が金棒を振り下ろす。
 ぬりかべが盾を構え直して周囲を見回す。

 妖怪小隊は再び駆け出す。
 
 敵方が少しずつ押し込まれていく中、歓声があがる。
 全身血まみれのラーンさんが敵に槍を突き刺したまま雄叫びをあげている。

 オークが後退していく。
 取り決め通り追撃はしない。

 「敵は下がった。俺たちの勝ちだ」
 誰かが叫ぶ。
 皆が歓声で呼応する。
 そして、歌い始める。
 草原で血と汗にまみれた筋骨隆々の男たちが大音声で合唱するという(俺から見るととても)シュールな光景で戦いは終わった。

 ◆◆◆

 男たちは合唱しながら、オークのキャンプがあるという村に行く。
 抵抗はない。
 略奪もない。
 さらわれたというソの子どもを取り返すと同時にオークの幼児を抱えていく。
 
 「こちらもさらったりするの?」
 心配そうな顔でジョクさんにたずねるミカに彼は答える。
 
 「さらったりしない。取り戻しているだけだ」
 
 「でも、オークの子どもじゃないですか?」
 そうたずねる俺にジョクさんが言う。
 「彼らはソだ。オークに生まれてもソとして育つのだ。ソとして生きる者たちを取り戻しているんだ。お前らだって俺たちの小屋で生まれなかったがソだろう。何がおかしいのだ」
 言葉が多少わかったところで、彼らが当たり前のように話す思考は俺たちのそれとは違うことがしばしばある。
 異文化体験は常に新鮮な驚きに満ちている。
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