銀の花嫁

くじらと空の猫

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18.水龍の長

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 どうして。
 どうしてそんなことが言えるの私に。
 道具だから?ただ銀龍を生む道具だから?
 だから私の気持ちは考えてくれないの?

 ずっと…ずっと思っていた。
 この谷を。龍の故郷であるこの谷を。憎みながらどこかで焦がれていた。 行きたいと願っていた。

 …もしかしたら、まだ私にも気づかなかった希望があったのかもしれない。その谷に迎えられることに。
 だから、壊せなかった。
 どこかでためらっていた。

 だけど… 違った。この思いは私一人だけの思い。自分勝手な思いこみ。
 私がここに受け入れられる理由は、ただ一つだけ。
 銀の花嫁という利用価値だけ。
 ただそれだけ…希望なんで持つんじゃなかった… レウシスや他の龍が、私に気遣ってくれた好意を信じるんじゃなかった。もしかしたら、昔とは変わったのかもしれないなど、思うんじゃなかった。そんな風に思っていたから今が苦しい。裏切られたように とても胸が痛い。

 …もういやだ…何もかも…逃げつづけるのにも疲れた…ここで道具としか見られないのもいやだ…だったらどうすればいい?

 …簡単なこと…なくしてしまえばいい。 消してしまえばいい。はじめからこうすれば良かった。父と母を失ったとき。龍に殺されたとき。怒りのままに、苦しみのままに、絶望のままにこの谷を。肉親を仲間である龍に殺された痛みを、知らしめてやるために。 

 …消してしまえばいい…もう…迷わない。教えて、知らしめなければ。貴方達の行ったことを。後悔させてやらねば。自分達がどれだけ罪深いことをしたのかを。そして私の苦しみを… 


******************************




 …結界?
 レウシスは、龍の谷に通じる森の前で足止めを食らっていた。谷へ入るには、この深い森を抜けなくてはならないのだが、何故かこの森は彼を拒んでいた。上空には強い風が渦巻き、彼を見張っているようにも 見える。

 …ここまでするとは思わなかったと、レウシスはため息をつく。こんなことをしているのは、長達だ。多分あいつの提案で。長達すべてが彼を拒み、谷にこれないようにしている。 だが、今の彼に助けを待っている暇などない。時間がない。あの中にはファリアがいる。中にいるシェイズ達を、当てにすることなどできない今、頼りになるのは自分だけだ。

 …頼りか…
 今更ながらに自分が彼らを、どれだけ 当てにしていたかに気づく。あの後、すべてに背を向けこの龍の谷を後にした自分が。
 そして、一人の人間の顔が頭に浮かぶ。この心の変化をくれたのは、あの人間のおかげだ。あの人間がいたから、自分は今こうしてここに居る。 そして、救われた。

「だから…今度は…」

 レウシスは、結界にゆっくりと触れる。

 …ビリ…
 小さいが鋭い痛みが伝わり、彼を牽制する。レウシスは、手を離すとゆっくりと自分の手を見る。

 …ふ…
  手には小さな火傷のような跡がある。彼は無表情のままそれを見て笑う。そして、いつになく鋭い目で結界を睨むと、いきなり自分のもつ魔力をたたきつける。




ドゥゥッ!!



 すさまじい音とともに、辺りに魔力同士の 光がぶつかる。瞳をつらぬくようなすさまじい光を放ち、辺りをつつむ。

 ビリビリ…
 魔力をたたきつけられた結界は、それを押し返そうと小さく震える。だが、さらに容赦なく魔力をたたきつけられ、結界は 悲鳴を上げるようにすさまじい音をあげ、ついに敗れ去った!

 ドゥゥ…
 結界を構成していた魔力が散会して消えていく。並の龍ではそう簡単に破れないだろう強い結界と、それを力任せに破りながら、全く疲れた様子のないレウシスはそれを無表情に眺めた後、 森の中へ足を踏み入れた。途端に、レウシスの魔力を感じてやってきたのだろう、風龍の友人が目の前に現れた。

「なんて無茶をするんだよ…」
「遅い。」

 不機嫌そうな顔をして、レウシスは容赦なく言い放つ。シェイズは彼の物言いにショックを受けた顔をした。

「お…遅いって… これでも、やっと長の目をごまかしてきたっていうのに…」
「シェイズ。そんな言い訳は彼には通用しないよ。」
「シアト-お前がいうか?」

 くすくすと笑いながら、ひょっこりと地龍のシアトが現れる。彼もレウシスがようやく来たのを感じてやってきたに違いない。彼は知己に会えた好意の笑みを浮かべた。

「久しぶりだね。レウシス。」
「ああ。」

 そっけない返事だか、シアトはそれで満足したらしい、ゆっくりとうなずいた。

「さてとこれ以上、再会を喜んでるひまはないね。急ごうか。」
「キルゼティスが 向こうにいて、他の奴らの目を引き付けているからその隙に…」

 シェイズがそう言って、体をひねるよう動き出そうとしたとき、レウシスはこちらにやってくる、よく知る気配を感じて瞳を険しい色へ映えた。

「レウ…?」
「やはり来たか。」
「!!」

 氷のように冷たく、冷淡な声。 
 そこに現れた水龍の長は、三人の行く手を塞ぐそうに現れた。水龍の長の登場に、シェイズとシアトも緊張した顔をみせ、彼がどんな動きをしてもすぐ対処できるよう身を引き締めた。


「久しぶりだな。」
「…」

 再会の喜びなど一切感じない、おざなり程度の言葉をレウシスは険しい目のままで答えた。水龍の長もそんなことはわかっていたのだろう、二人はしばらく無言のまま睨み合う。 

「シアト、シェイズ先に行ってくれ。」 
「レ…」
「わかった。」

 シェイズが何か言おうとするのをシアトは制し、心配そうに見るシェイズを促して二人はこの場から立ち去る。しばらく沈黙の時が流れた後、レウシスは静かに口を開いた。

「あくまでも…行かせないつもりか?」
「…お前にはこの70年… いや…その前からずっと手を焼かされてきたな…」
「思い通りに動かず、さぞ憎たらしかったことだろう?」

 レウシスは小さく笑う。相手を挑発する意味もあったのだが、水龍の長には全く堪えた様子はなく、彼の方はただ己の目的を全うしようとしていた。

「…だが、今度ばかりは邪魔はさせん。あの娘に近づかせる わけにはいかん。」

 そう言うと、水龍の長はいきなり龍の姿に戻る。
 青く長い龍体。長と名乗るだけあって、通常の龍よりも少しばかり大きく、その体には魔力がみなぎっていた。

「お前を全力で倒す。手加減はしない。」

 そう宣言した水龍の長の瞳は、いまにもレウシスを焼き殺さんばかりの殺気で溢れている。だが、レウシスはそれを見ても恐ろしいとは思わなかった。

 いや、逆に嬉しかった。これで正々堂々とぶつかることができると。
 笑みを浮かべたレウシスに、水龍の長は眉を潜めた。そして彼の言葉に理性をなくす。


「やっと、逃れられるというわけか?あいつを殺した張本人が。俺に怒りをぶつけることで、自分の悲しみを覆い隠そうとして。その罪をなすりつけようとして。」
「…だまれ…」
「俺を殺したとしても、お前の心は 一生晴れることはない。どんなに俺のせいにしても、お前の罪は消えない。」
「だまれ…だまれ!!だまれ!!!」

 長の怒りは雷を呼び、レウシスめがけすさまじい光と共に落ちて行く。レウシスは、相手が龍ならば手加減など する必要がないとばかりに、そばにある湖の水を一瞬のうちに凍らせると、細かく砕き雷にぶつける!

 ドオン!!
 雷は水の前に力を失い、四方へ力を拡散していく。だが、長は正気を失ったかのように、きかないとわかっている雷を、落とすことを止めようとしない。辺りを次々と雷が焼き尽くしていく。傍からみれば、龍の逆鱗に触れたような光景だった。だが、そんな水龍の長の姿をみて、 ふとレウシスはむなしさに襲われる。

 彼の思いと、自分の思いの形は違うものだ。だが、二人とも同じ者をいつまでも心に残している。何十年たっても、消え去らない者。罪悪感を持つ相手。水龍の騎士の歴代の中でも、最強の力を持っていた者。自分の気持ちに、 嘘を持たなかった者。そのものの影を追い続けて…苦しみからいつまでも、解放されることなく…
 自分ではこの人は救えない。この人を解放できるのは自分ではない。

 それは…あいつの…あいつの…娘だけ…ファリアだけ…

 グオオオ!!
 長は大きく咆哮をあげると、 龍の谷を覆うほどの巨大な雷を集め出す。それを見て、レウシスの顔は引き締まった。アレを下手に憂ければ自分の体が引き裂かれない。人の姿のままでは、完全に自分の力を解放できる龍を押さえることは難しい。レウシスも彼に対抗すべく、龍の姿へ戻ろうとしたとき、それは起きた。



 …消えてしまえばいい…

  ファリア!?
 レウシスが声の谷の奥へと視線を向けたとき、彼の目に入ったのは、まばゆいほどの銀色の光。この谷を覆い尽くし、引き裂こうとする美しい死神のような光だった。 


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