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番外編

2、父

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「勝負は三回。私から打てたら結婚を認めよう」

 どうしたら敦美との結婚を認めてもらえるのか、智紀が問えば、敦美の父――重厚がそう答えたのだ。

 そしてなぜか河川敷に智紀は連れ出されていた。どうやらこの場所で勝負をするらしい。ピッチャーは重厚でバッターは智紀。そして。

「何で俺まで……」

 キャッチャーは拓也だ。急遽呼び出された敦美の兄だ。拓也は智紀に「大変ですね」と面倒くさそうに呟く。

「お父さんって、何してる人ですか?」

「ああ、オヤジは高校教師で野球部の顧問をしてますね。高校生の時に時速百五十キロオーバーの球を投げてたらしいですけど、さすがに今はそんな球は投げられないと思いますよ」
「百五十キロ……」
「……頑張ってください」

「おおーい、そろそろ行くぞ! お前ら位置に付け!」
「よろしくお願いします」
「はぁ……面倒くさ……」

 よっこらしょ、と拓也は腰を落とす。重厚と智紀はそれぞれ構えた。

 第一球目。

 緊張感が高まる。重厚が振りかぶってボールを投げた。ボールは目にも留まらぬ速さで智紀の脇をすり抜け、バスッとミットに収まった。一瞬の攻防過ぎて、智紀は手が出なかった。

「は、早いな……」

 野球は正直したことない。時速百五十キロで飛んでくる球など、目で追えないし、来る、と思ったらもう既にミットの中にボールが入っているのだ。実際に時速何キロで投げているのかはわからないが、相当速い。智紀の額から汗がじんわりとにじみ出る。

「振ってこ、振ってこ~」

 拓也が気だるそうに智紀を応援する。

 そうだよな。振らなきゃ当たらないんだ。打てなきゃ認めてもらえないんだから、打つという選択肢しか無い。

 第二球目。

 重厚がフォームを整える。振りかぶって、ボールを投げた。ブン、という音が耳を撫で、風を纏いながらボールが迫ってくる。さっきよりは遅い気がする。いける! そう思って智紀はフルスイングしたが、突然ボールが落下するように軌道を変えた。

 え、ストレートじゃないの!?

 ブン、と空振った智紀。バスン、とミットにボールが収まった。二球目はどうやらフォークボールだったようだ。

 いや、こんなの打てないでしょ。……でも、もう後が残されていない。残り一球……。さすがにやばいな……。

「でも、打つ」

 自分に言い聞かせるように呟く智紀に、拓也が「腰、もうちょっと落としたほうがいいですよ」と助言する。

「ありがとうございます」
「じゃあ、ラスト、頑張ってください」

 智紀は言われたとおりに腰を落とした。重心が安定したような気がする。バットを構え、送球を待つ。

 絶対に打つ。

 体から火が出るほどの闘志を燃やし、重厚を見つめる。

 ラスト、三球目。

 重厚が振りかぶる。鍛え抜かれた右腕はボールを放つとき、まるで鞭のようにしなった。ボールは一直線に智紀目掛けてやってくる。超高速球だ。一球目、二球目とは桁違いに速い。

 ミットに吸い込まれるように滑空したボールは、そのままミットへ――。いや、それを遮るように智紀はバットを振った。バットがミットとボールの間に丁度割って入る。
 
 智紀の手にはボールがぶつかる、ずしっと重い感触があった。しかしボールはミットへ入りたいと、抵抗する。それを阻止するために智紀は歯を食いしばって、そのまま力任せに思いっきり振り抜いた。

「ふんっ!」

 カキーン……と甲子園の中継などで聞いたことのある音が耳をつんざく。

「ホームラン……」

 ぼそりと呟く拓也の声が、智紀の背に祝福としてかけられた。


 ***


「智紀さん大丈夫かな……?」

 敦美は一緒に河川敷に行こうとしたが、ここは男の勝負だから来るなと重厚に言われて家で待っていた。

「大丈夫よ。きっと打つわよ」

「どうしてわかるの?」
「なんとなくよ。まあでも、お父さんの気持ちも分かってあげて」

「え?」
「ずっと大切に育ててきた子よ。知らない男に取られるのは、寂しいのよ。……敦美はすごく可愛がられてたから。小学校の授業参観だって、運動会だって。何が何でも見に行っていたわ。自分も仕事があるのにね」

 確かに何かにつけて父は見に来てくれていた気がする。

 当時の授業参観では母親ばかりが並んでいる中で、休みが取れなかった母の代わりに父が見に来てくれていたのだ。あれは少し恥ずかしかったが、父が見に来てくれているのは私だけという特別感があって本当は嬉しかったのを覚えている。

「……そういえば、ブランコから落ちて怪我をしたときに、体に傷が残らないかって、お父さんすごい心配してた気がする」

 それを聞いて由美が懐かしそうに笑う。皺の増えた母の笑顔と少しだけ増えた白髪。過去見ていた母を今、改めて見るとずいぶんと時間の経過を感じてしまった。確かに久しぶりに見た父の姿は、少しだけ小さくなったような気がする。

「ふふふ。そうよ。それに、あなたが大学に行くために家から出た時だって、誰よりも引越し準備を手伝ってくれたのはお父さんでしょう?」
「……うん」

「それはね」

 ゆっくりと由美は敦美を見つめた。

「あなたが可愛くて、大切だからよ」
「……うん」

 強面の父はあまり言葉では言わない。きっと口下手なのだろう。確かに常に行動を取ってくれていた。今考えればそれは当たり前ではなく、愛だったのだと実感する。

 今までの父との思い出が走馬灯のように駆け巡り、敦美は目頭が熱くなった。

「もうそろそろ帰ってくるわ。もう、敦美ったら。ほら、鼻かみなさい」
「うん」
 
 気づけば涙と鼻水が大量に出ていた。せっせと鼻をかんでいれば、玄関の扉が開く。

「完敗だった」
「いやいや、お父さんのピッチングは凄かったですよ」

 すがすがしい笑顔で帰ってきた二人。その姿がなんだか嬉しくて、敦美の涙が再び溢れた。
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