菊智夕

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「すごいね!」

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なんつうか。

今、こいつを弟とかより面倒みてんな。

知的障害だった弟に、雨宮は顔も性格も似ている。

手がかかるのは本当によく似ている。

寝室じゃない方の、ちょっと小さな部屋で、雨宮の髪を切っている。

前にはデカい鏡がある。

前に、雨宮が切れ切れうるさいから、雨宮に買わせた奴だ。

雨宮はニヤけた顔をしている。



大体、切り終わった。

「こんなもんでいいか?」

「うん! ありがとう」

雨宮の笑顔に、俺も少し笑った。

人懐っこい顔だ。

「雪人すごいね!」

「床はお前が片付けろよ」

「はぁい」

俺は黙って道具を片付けた。



雨宮は昼飯を作り始めた。

「真琴、少しこっちに座ってくれないか?」

「うん」

俺の横に座った真琴。

左手で首筋に触れた。

真琴が俺の目を見た。

綺麗な目だ。

顔に触れた。

真琴は少し、目を伏せた。

「真琴」

キスをした。

愛しい。

できればまた、前のように意思をもって笑って欲しい。

「まだネックレス、つけてくれてたんだな」

「…うん」

「雨宮に言われなかったのか? 外せとか」

「ううん」

髪を指でといた。

変わらず綺麗な髪だ。

癖がなくて。

ただちょっと伸びたな。

「明日、お前の髪も切ろうか」

「…ううん」

「そうか」

もう1度キスをした。

今抱きてえ。

クソッ。

そんなことを考えてしまった自分が嫌になる。

真琴の心が苦しんでいるのに、体のことに気がいってしまうのが本当に嫌だった。

ましてや昨日は3回も。

俺は雨宮と変わらねえのか。

偉そうなことを言うのに、真琴を見ているだけで理性が吹っ飛ぶ自分が悔しい。

何か言葉をかけてやりたいのに、何も言えなかった。

キスをしたり、顔を触ったり、髪をといたり。

そんなことしかできなかった。



家を出る前に服を着替えていた。

雨宮が真琴を連れて入ってきた。

服を脱がせ始めた。

一応、俺が雨宮に声をかける。

「もうそろそろ出るぞ?」

「うん」

見るとはなしに見て、聞くとはなしに聞いていた。

服を脱がせ終わった真琴に、雨宮が言う。

「俺が帰るまで裸でいてね。で、帰るまでオナニーしてて。トイレ以外、この部屋から出ないでね」

「やめろって」

「んん? あ、そうだ。俺以外の電話に出てもダメだよ。わかった? 真琴」

んんじゃねえし。

真琴が小さく返事をした。

「うん」

俺は着替え終わって、真琴の傍に寄った。

「真琴。お前もうんじゃない。言うことばっか聞いてんな。しっかりしてくれ」

「私、どうすればいいの?」

急には無理か。

そうだよな、真琴に強く言っても仕方がない。

俺はうつむく真琴の頭を撫でながら、できるだけ優しく言った。

「わかった。じゃあな、しばらく俺の言うことだけを聞け。な?」

「うん…」

「雪人ぉ、なんで邪魔すんの?」

「邪魔されたくなかったら、俺なんか迎えに来んな」

雨宮が頭をかきながら言う。

「しょうがないなぁ」

テメエがしょうがねえんだよ。

雨宮は俺を押し退け、真琴の肩に手を置き、微笑んだ。

「じゃあ真琴、服着ていいけど、家からは出ないでね。寂しくなったら、俺に電話してね」

「うん」



服屋に向かって歩いている。

雨宮は無邪気に言う。

「もう暑いから、涼しい服が欲しいんだぁ」

「また俺っぽい服か」

「うん。雪人っぽい服」

真琴のことを、できるだけシンプルに話さんとな。

「取り敢えずな、お前、真琴のことを束縛しすぎんなよ」

「俺、そんなに束縛してる?」

無自覚だからヤバいんだろうな。

「お前らの間に束縛しかねえだろ。さっきのもな」

「あぁ、家から出さないヤツ?」

「それな。まあ、百歩譲ってそれをいいとしても、だ。何なんだ? 裸で1人でやっとけとか。おかしいだろ」

「だって真琴が浮気したらイヤだし」

ため息が出そうになる。

「服買うなんて1時間、かかってもせいぜい2時間だろうが。そんなんで浮気なんかできねえだろうし、そんな時間も離れられないとか、普通はねえな」

「イヤなんだ。ちょっとでも離れるの」

「離れるのが嫌なのはわかった。ただ、家の中でこうしとけとか、ましてやそこでその、変態的な要求を飲めとか、そういうことはやめろよ」

雨宮はうつむいて悲しそうに返事をした。

「うん」

「1日中一緒にいるとかそんなんはまだいいんだが。部屋にこもって裸で1人でって要求はアウトだ」

「うん」

「浮気どうこう言うが、されたことねえんだろ?」

「うん、ない」

「だったら、もう少し信じてやれ」

「うん」

「真琴はそんなことしねえだろ」

「真琴、浮気はしないけど、すぐ男に声かけられるし、見られるし」

「それはだから。真琴が魅力的な人間ってことだろうが。けど、自分からホイホイ股拡げるような女じゃねえし」

「そうだけど」

「お前だって女から見られてんぞ。そんだけツラが良いんだしな」

「真琴以外の女なんて気持ち悪いだけだよ」

「お前、女と付き合った経験ねえのか?」

「ちゃんとした彼女なんて作ったことないし、そもそも初めて好きになったの真琴だから」

「初恋か」

「うん」

雨宮は少し照れたようだった。

「真琴のどこがそんなに好きなんだ?」

「全部だよ?」

「最初はどこから好きになったんだ?」

「わからないけど、見た瞬間に全部好きになったよ?」

一目惚れか。

まあ確かに、そんな感じではあった。

初恋で一目惚れでハマってんのか。

「特に好きな部分はどこなんだ?」

「んー、どこだろ。やっぱり全部かな」

「体だろ?」

「そんなことないよ」

「いや、お前は真琴の体しかわかってねえ」

「じゃあ雪人はどうなのさ?」

「俺か? 俺は。真琴の目が好きだった。あとは髪かな」

「体じゃん、それ」

「内面で言うなら。前の真琴は、何でも積極的で。好きなもんを好きって言って。一生懸命に生きていて。俺はそんな真琴が好きだった」

「今好きじゃないの?」

「今の真琴にそんな要素は皆無だろうが。人形だ、あんなん」

「人形なのかな」

「ああ。ほぼ、笑わんし、喋らんし、自分の意思も持ってねえ」

「そうかな?」

「お前は3ヶ月も傍にいて、そんなこともわかんねえのか? 真琴が変わったのがわかってねえのか?」

雨宮は心底悲しそうな顔をした。

こいつは、本当はわかっている。

「もしかしたら真琴はうつ病とかかもな」

「え」

「まあ、様子を見て。最悪、専門家に見せよう」

「専門家って」

「精神科とか、心療内科とかな」

「ヤダよ、真琴といる時間減るのイヤだ」

「まあ、まだ先だし。俺だけ相談しに行ってもいいしな。オンラインカウンセリングとかもあるしな」

「…うん」

「俺もいろいろ調べてはみる」



少し黙って歩いた。

そういえば。

「お前、アニメの…は、知っているか?」

「タイトルは知ってるよ。めっちゃ有名だもんね」

「あれ、真琴と一緒に見たらどうだ?」

「え」

「真琴はあのアニメが好きだから。俺も見てねえけど、真琴はよく、その話をしていたからな」

「そうなんだ?」

「真琴の好きな奴を一緒に見たら、真琴との会話も増えるし、それにな」

俺は雨宮の背中を叩いた。

「そういうふうにしていれば、真琴はお前のことをもっと好きになるぞ?」

「マジで! 見る見る! 絶対見る!」

単純な奴だ。

雨宮のはしゃぎように、俺もやっと笑えた。

「雪人、ありがとう」

「ああ」

雨宮の礼に、俺も笑って答える。

基本こいつは素直なんだよな。

精神年齢が幼かったり、対人関係がなかったり、体は大人だから性欲に歯止めが効かなかったりするだけで。

あとまあ、多少変態だったりはするが。

また、こいつに真琴を奪われるんだろうか。

いや、俺は。

もう離れる気はない。

今日、真琴に謝ろう。

全部、俺が招いた種なんだから。



服を買った帰り。

ヘアワックスを買うために、俺だけコンビニに入った。

雨宮は外で待たせていた。

買い物を済ませて出ると、雨宮は割りと派手な20代後半くらいの女に絡まれていた。

やっぱりモテるな、あいつ。

近づいていきながら見ていると、雨宮が女に腕を絡められた。

雨宮は腕を振りほどきながら、笑顔で冷たい声で言った。

「触らないでくれる? 俺、あんたみたいなのに興味ないから」



歩きながら雨宮に聞いた。

「お前もあんなこと、よくあるんだろ」

「まぁね」

「なら真琴にそんなんがあっても気にすんな」

「それはイヤかなぁ」

しょうのない奴だ。

「雪人には言うけど。俺、女に金使ったことないんだよね」

ある意味すげえな。

「むしろ、お金巻き上げてたかなぁ。逆ナンが多かったからさぁ」

「金もらってたのか?」

「うん。結構みんなくれてたよ?」

「すげえな」

「でもね。そういうことしてるとだんだん女がイヤになってきたんだよ。結局それって、体売ってるのと変わらないからねぇ」

「そんなに稼いでたのか?」

「最高で20万かなぁ」

「1日?」

「1人」

「プロじゃねえか。食ってけるな」

「だから、女がイヤになったんだよ」

なるほど。

「それがあるから、真琴も信じられねえのか?」

「そうかも」



思いついたことを少しずつ話す。

「あとは、あれだ。体をもう少し動かした方がいいな。真琴も、お前も、俺も」

「運動?」

「真琴は特に筋力が落ちている。俺も落ちたし。体を動かすっていうのはメンタルにもいいしな」

「うん」

「一緒にやればいい。そこでまた会話も生まれるし。お前も。まあ俺も、もっと真琴に愛されるから」

「うん!」

「で。まあ、それとは別の話で大事なことなんだが」

「何?」

「俺はもう、真琴と離れる気はねえからな」

「それって、もう出て行かないってこと?」

「ああ」

「やったぁ」

雨宮は満面の笑みで喜んだ。

その笑みが眩しく見えた。



そして、家に帰った。
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