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○最終日 「わたしの名前は――」

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 せみの声が響く、夏の休日の真昼間まっぴるま。同居3日目にして、ついにわたしが千本木桜だってことがすぅちゃんに露見した。
 重い沈黙の中、ぐつぐつと煮えたぎる素麺そうめんを茹でる音だけが響く。

「さぁ、サクラさん。どうして嘘をついたのか、説明してもらおうじゃない」
「説明。説明か~。う~ん……」

 死にたくなかったからって言う本音以外の上手い言い訳が思いつかない。

「……そう。折角仲良くなったのに、残念だわ。お礼になるのかは分からないけれど、死神の私が直接、あなたを殺してあげる」
「わ~、光栄だけど願い下げしたいな~、なんて」
「却下よ。両膝をついて頭を垂れて、地面に這いつくばって感謝することね」
「いや、すぅちゃんに殺されるってことにそこまでの価値は無いから」

 殺されることに感謝する人なんていない。そう言ったわたしに、すぅちゃんは可愛く小首をかしげる。

「そう? 近い未来だと、部活に遅刻しそうになったあなたは点滅する信号を急いで渡るの。そうしたら右折する車が来て、接触。両足が折れるわ? そうして救急車を呼ぶことになるのだけど、一連の出来事でわき見運転をしていた別の車2台が交通事故。そのはずみで足を折って動けないサクラさんのところに大きなトラックがやって来て、ゆっくり、じっくりとあなたをひき殺すの」

 まるで事実を語るように、淡々と、すぅちゃんはわたしの悲惨な死に様の例を語る。

「その点。私が殺意を持って触れるだけで、あなたは痛みもなく眠るように死ぬことが出来る。どうせ死ぬなら痛みなく死にたい。人間なら、誰もが願うことでしょう?」
「それは、まぁ? そう思わなくはないけど……。だからって自分を殺す人に頭を下げるのは、なんか違うと思う」
「……まぁ良いわ。あなたが千本木桜だと分かった以上、私がやることは変わらないもの。何か言い残すことはある?」

 その笑顔は、これまで何度も見てきた、ちょっと生意気な笑顔でも、無邪気な笑顔でもない。どこまでも慈悲深く、包み込むような、包容力に満ちた大人の女性の笑顔だった。
 で、そんな、死神に言い残すこと……。

「うん、無いな」
「え、無いの? 私が言うのもお門違いかもしれないけれど、サクラさんはこれから理不尽に殺されるのよ? 恨み節の1つくらいあるでしょう?」
「う~ん、そう言われてもなぁ」

 不思議と、すぅちゃんに対する恨みなんかは無いんだよね。今のわたしの中にあるのは、「あ~、わたし、死ぬんだ」っていうどこか他人事みたいな感想だ。だって、仕方なくない? 痛みも苦しみもなく、触れるだけであなたを殺しますって言われてもなんと言うか、実感がわかない。
 そんな現実味のないことよりもわたしが今、気になるのは、素麺そうめんの茹で加減の方だ。あと、このままわたしが死んだとして、果たしてすぅちゃんが生きて行けるのかって言う不安だ。
 この子、いずれはいろんな人に見えるようになるんだよね? で、無防備なすぅちゃんだ。多分、嬉しさのあまり変な男の人について行って好き勝手される未来しか見えない。……あれ、めっちゃ不安になってきた。お母さん達も死んじゃう時、こんな気持ちになったのかな?

「えっと、言い残すことは無いけど、とりあえず素麺食べない? すぅちゃん、めんつゆの割り方とか分からないよね?」

 言いながらガスを止めて、シンクに置いたザルの中に素麵を流しいれて水道水で冷やしていく。

「え、ええ。分からないけれど……。って! もうだまされないわよ! いい加減、観念しなさ――」

 という言葉の途中で。すぅちゃんのお腹がくきゅるっと鳴いた。

「~~~~~~~~!」
「すぅちゃん、顔真っ赤! ……うんうん、そうだね。朝ごはんから結構時間、経つもんね」
「こ、これは違うわ! 確かにお腹は空いているけれど、我慢できないほどじゃ――」

 またしてもぐるるっと、今度は威勢よくすぅちゃんのお腹が鳴る。
 ご飯を美味しくする最高のスパイスは「空腹」と「一緒に食べる人」だってわたしは思ってる。だから、すぅちゃんに料理を美味しく食べてもらうために、それぞれの食事の量を調整していたのだ。

「はい、とりあえず座って待ってて? わたしを殺すにしても、美味しい素麺を食べた後で良くない?」
「うっ……。そ、そう……よね? あなたに逃げる意思がない以上、いつだって殺せるものね?」

 そんな風に自分に言い訳をしながら、座卓の前に座ったすぅちゃん。そのチョロさ、やっぱりお姉ちゃんは心配です。
 流水で冷やした素麺を今度は氷水でめた後、1口大に分けてお皿に盛りつける。こうすることで、水でおつゆが薄まるのを防げるんだよね。その代わりに、めんつゆの方を氷でキンキンに冷やす。氷が溶けることも考えて、4倍希釈のところをあえて3倍に。あとはチューブのショウガと刻みねぎを添えてあげれば……完成!

「お待たせ! 暑くて忙しい夏のお昼の救世主、素麺さんです!」

 すぅちゃんが待つ座卓に素麵を盛ったお皿と氷を入れためんつゆを置く。器と氷がぶつかり合って鳴るカランって音が、何とも涼しい。

「こ、この白い麺が素麺なのね? これをこの茶色い液体につけて食べる……?」
「そう! お好みでショウガとねぎを入れてね」
「ゴクリ……。そ、それじゃあ、頂きます」

 素麺の塊の1つを器用にお箸ですくいあげて、おつゆの中に浸したすぅちゃん。そして、なぜか「ふー、ふー」と素麺を冷ます素振りを見せた後、ちゅるりと小さな口ですすってみせた。

「――っ?! 冷たい?!」
「あははっ! そりゃそうだよ、氷で冷やしてるから」
「もぐもぐ……。っ?! 美味しい!」
「いつもながら、良い笑顔! わたしもめっちゃ作り甲斐ある」
「なるほど。まずはこの茶色い液体が美味しいのね。塩辛さが強いけれど、甘みもあって。口に含んだ後に広がる香ばしいような海鮮の香りがたまらない!」

 市販のめんつゆだけど、企業の人もここまで消費者に喜んでくれたら嬉しいと思う。

「だけどこの風味、どこかで……。あっ、親子丼の時だわ! さてはサクラさん、親子丼の時にも茶色い液体……えぇっと、めんつゆ? を使ったわね!」
「おっ、鋭い! めんつゆって結構、万能調味料なんだ~。これからも和食の時は結構な頻度で登場すると思う」
「でも、やっぱり主役はこの白い麺……素麺だわ! めんつゆの辛さが引いた後に噛みしめるからこそ、よく分かる。この麺の甘みがね!」

 それも、市販のやつだけどね。何なら、お中元の安売りしてたやつ。

「で、飲み込んだ後。めんつゆの香りが引いた後にほのかに香るふわっとした穀物の香り。海が見える小さな小屋と、小屋の前に広がる黄金色の畑が目に映るようだわ!」
「すぅちゃん、交番は知らないのに食に対する知識だけは尋常じゃないな?!」

 よくもまぁ、素麺1つでここまで語れるものだ。だけど不思議なもので、こうして目の前で美味しそうに食べてくれる人が居ると、ただの素麺もいつもより数倍美味しく感じる。
 ちゅるり、ちゅるりと、次々に素麺がすぅちゃんの胃袋に消えていく。そうして半分くらいになったころ、すぅちゃんが薬味に手を伸ばしたんだけど……。

「なるほど。ショウガとねぎの独特の風味。それから辛さが、めんつゆに加わると、一気に表情を変えてくるわね」
「そうだね。すぅちゃんも、笑顔から真面目な顔に変わったね。薬味を入れただけなのにね」
「最初にやってくるのはショウガなの。ツンとさっぱりした香りが、鼻の通りを良くしてくれる感じ。その後に噛みしめるとやって来るのが、葱なのね? 口の中をピリッと刺激したかと思えば、喉を通る時にスッと鋭い香りを残していく。だけどショウガも葱もしつこく残らないの。彼らが消え去った後に待っているのは、感覚だけが研ぎ澄まされたお口だけ。結果として、素麺とめんつゆの香りが引き立つ。たまらないわ!」

 ちゅるちゅる、もぐもぐ、ごっくん。ちゅるちゅる、もぐもぐ、ごっくん。そして、幸せそうな笑顔。わたしはあえて、分かり切っていることを聞いてみる。

「どう、美味しい? すぅちゃん」
「ええ! サクラさんが作る料理は、どれも最高だわ!」
「そっか。最期にそう言ってもらえただけ、わたしは幸せ者だよ」
「最期? 最期……。あっ」

 うん? 今、すぅちゃん「あっ」って言った? まるで何かを忘れていたみたいに、「あっ」って言った?! だとしたら、わたしは人生最大のミスを犯したことになる。

「まぁ、でも。わたしの料理を美味しいって言ってくれるすぅちゃんに殺されるなら、良いかなぁ」

 昔から、料理は好きだった。初めて料理をしたのは、こども園に通ってたくらい。お母さんのお手伝いって言う、ごく一般的な料理への入りだったと思う。
 めんどくさがる子もいるんだろうけど、わたしはそうは思わなかった。それはきっと、両親のおかげだ。2人とも、わたしが作った料理を「美味しい」って言って笑ってくれたから。それが子供ながらに嬉しくて、小学校高学年あたりからは1人で、かなりの頻度で作ってあげていた気がする。中学ではほぼ毎日、両親と自分のお弁当と晩ごはんを作っていた。
 でも、4か月前。事故では2人は居なくなった。誰も、わたしの手料理を食べてくれなくなった。

 ――そっか。わたしも、寂しかったんだ……。

「さ、サクラさん? 泣いているの?」
「ううん、何でもない」
「だけど……」
「ほんとに、何でもないから。すぅちゃんはそのまま、素麺全部食べちゃって?」
「良いの?! じゃ、じゃあ遠慮なく頂くけれど……。あとで文句は言わないでね」
「あはは……っ。ほんとにすぅちゃんは、食い意地が張ってるなぁ……」

 わたしもすぅちゃんも、ひとりぼっちで、寂しがり屋。似た者同士だったんだ。だから公園で見かけたあの時、同じように寂しがっていたすぅちゃんを、放っておけなかった。
 意地っ張りで、高慢ちきで、食い意地が張ってて。だけど泣き虫で、寂しがり屋で、わたしがこれまで会ってきた誰よりも美味しそうにご飯を食べる。それがすぅちゃんだ。でもわたしが死ねば、また、真っ暗なトンネルの中で1人、泣くことになるんだろうな。そう思うと、きゅっと胸が締め付けられる。

「あぁ……。死にたく、無いなぁ……」

 すぅちゃんに殺されそうになった時は出なかったその言葉が、ようやく、口からこぼれ落ちた気がした。

「ふぅ、ご馳走様でした。……ねぇ、サクラさん。1つ確認なのだけど、いいかしら?」
「うん? どうしたの?」
「これだけ美味しい料理を作れる人って、実はかなり貴重だったりする?」

 そんなすぅちゃんの問いに、わたしは正直に首を振った。

「ううん。プロの人とか、おじいちゃんおばあちゃんとか。わたしより美味しい料理を作る人は、たくさんいると思う」
「……そう」
「でもね。多分、わたしだけが。すぅちゃんを満足させる料理を作れると思う」

 だって、そもそも。死神を見ることが出来る人がすごく貴重だから。そんな限られた人たちの中でだったら、わたしは、誰よりも美味しい料理をすぅちゃんに作ってあげる自信があった。
 そうしてきっぱり言い切ったわたしに、お箸を置いて居住まいを正したすぅちゃんが口を開く。

「あのね、聞いて、サクラさん。自分でも不思議なのだけど、どうやら私、あなたを殺したくないみたい。いいえ、それだけじゃない。死んでほしくないとすら思っているわ。これからも、あなたが作った美味しい料理を食べて、そんな私を見て笑ってくれるあなたを見ていたいの」
「え、あ、うん。……ありがとう?」
「だから……ね? その……、私のお願い、聞いてくれないかしら?」
「お願い?」
「そう。えぇっと、私は、その辺で野垂れ死なないために、あなたを利用する。その代わり私は、あなたをあらゆる死の運命から守ってみせるわ。だってあなたは、この私、スカーレットが手ずから殺す予定の人だもの。だから――」

 そこで大きく息を吸ったすぅちゃんは、

「――私があなたを殺すその時まで。文字通り、一生、私をやしなって?」

 いつも通り。どこまでも上から目線な言葉遣いで、お願いをしてきた。

「えっと。わたしとしては、生きられるんならそりゃあ、ありがたい話だけど。すぅちゃんはそれで良いの?」
「ええ。あくまで私は死神として、サクラさんを利用するだけ。あなたはこれまで通り、美味しい料理を作って、私の話し相手になってくれれば良い。言っておくけれど、まずい料理を一度でも出してみなさい。即刻、殺してあげる。あと、私を放っておくことも許さないわ。常に第一に、私のことだけを考えて」
「あはは。ほんと、上からだなぁ……」

 でも、そっか。一生、すぅちゃんと一緒に居ることになるのか。ある意味では、すぅちゃんと結婚するようなものなのかな? そう思うと、さっきの言葉もプロポーズに聞こえなくもない。
 いずれにしても、わたしが生きられるのなら……ううん。すぅちゃんが、独《ひと》りでお腹を空かせて泣くような未来が、来ないと言うのなら。

「……うん、分かった。そのお願い、聞いてあげる!」
「本当?! やった!」

 それはもう、可愛い笑顔で声を弾ませたすぅちゃん。

「でも、わたしとすぅちゃんは対等。これ絶対。分かった?」
「ええ。その代わり、さっきも言ったけど、料理に手を抜いたり私を寂しがらせたりしたら許さないから」
「上等! すぅちゃんこそ、私の料理が美味しすぎて太らないように、ちゃんとお手伝いして身体動かそうね。じゃあ早速、食べたお皿と器、お水に浸けてきて!」
「わ、分かったわ! ……あれ、これで良いのかしら?」
「良いの! 口より先に、手を動かす! 家事の常識!」
「むぅ。なぜだか納得いかないわ……」

 口をとがらせながらも言われた通りにするすぅちゃんは……やっぱり、チョロい。

「あはは! わたし、千本木桜。改めてよろしくね、すぅちゃん?」
「ふんっ! 私に殺されないように、せいぜい頑張ってね、サクラさ……あっ」
「あっ……」

 すぅちゃんの手から滑り落ちたお皿とコップの割れる音が、夏空の下にむなしく響く。

「……すぅちゃんこそ。私に追い出されないように、せいぜい頑張ってね?」
「ご、ごめんなさい……」
「うん、まぁ、しゃーない! 折角だしこの後、すぅちゃん用の新しい食器、買いに行こっか」
「ほんと?! じゃ、じゃあ猫が描かれた食器が良いわ!」
「分かったけど、その前に。まずは怪我しないようにお片付けしようね」
「はい……」

 ちょっと不穏な始まりになっちゃったけど、なんでだろ。不思議と、にぎやかで楽しい共同生活になる確信が、わたしの中にはある。
 夏休み。ちょっとチョロくて食いしん坊で、とっても可愛い死神ちゃんとわたしの同棲どうせい生活(?)が、こうして始まったのだった。
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