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二章 士官学校
授業のはじまり①
しおりを挟む東寮管理人のミアの朝は早い。
日が昇り始める前には起きて、まずは寮の近くにある鶏小屋へと向かう。
「今日も冷えるわね…」
寒さに背筋を震わせながら、ミアは鶏たちのために井戸から水を汲みあげる。
鶏たちの世話をして卵のお裾分けを頂いてから、寮の食堂で召使いたちと食事の支度を始めるのだ。
そこに黒い子犬たちが現れた。
「あら、おはよう。ルー、ギードも」
2匹に怯えた鶏が小屋の中で暴れ、けたたましく鳴き声を上げる。
これでは仕事にならないと、ミアは2匹に声をかけた。
「鶏たちがあなたたちに怯えてしまっているわ。後で朝ご飯を持って行くから、私の子供達と一緒にいてもらえる?」
彼女の言葉に、2匹は素直に鶏小屋を後にする。しっぽを振りながら家の方へと向かって行ったのを確認して、ミアも東寮へと足を向けた。
これから朝食の支度が待っている。
「おはようございます、ミア女史。今日の卵ですか」
卵の入った籠を抱えて厨房に入ってきた彼女に、1人の男が声をかけた。
「おはよう、グリトン。今日は数が少ないの。何とかなるかしら」
彼女に声をかけたのは、料理人のグリトンだ。
若く見えるが、もう小さな孫がいる五十過ぎの男だ。人当たりの良い人物で、若い頃は騎士団で炊事係をしていたが、数年前に引退してからは家族の住む王都に腰を据え、この厨房で働いている。
「それだけあればなんとかなりますよ。チーズや野菜を入れて少し量を増しましょうか」
それを聞いて、ミアは近くにいた召使いに備蓄庫から芋を取ってくるように言いつけた。
東寮の専属料理人は彼1人だけで、到底手が足りない。
「卵に入れるんなら白芋がいいですかね。あとは緑の野菜も入れたら色が綺麗ですねぇ」
元気よく答える召使いは恰幅のいい中年の女性だ。
厨房や掃除婦として下働きをする召使いの大半が、三の郭から働きに来ている平民出身の騎士団員の妻たちで、彼女らはみな料理上手な働き者である。
「そうだねぇ。頼むよ、ラリサ。じゃあチーズはこれがいいかな…」
彼女の提案を聞いてグリトンが保冷庫から色の濃いチーズを取り出した。コクがあって、濃厚な固いチーズだが、熱が加わると蕩けて他の具材と合うだろう。
それを聞いてラリサは笑顔で備蓄庫へ向かって行った。
「今日から生徒たちも授業が始まるからなぁ。美味い朝ご飯食べて頑張ってもらわなきゃな」
そう言ってスープの味見をするグリトンの横で、ミアはパンを切り分けながら、そうねと返事を返した。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「お、今日の卵はなんだか豪勢だねぇ」
ディアは嬉しそうにそう言って、朝食を受け取った。
大皿には芋やチーズが入った卵料理と豚肉の腸詰めの輪切り、葉野菜が盛り付けられている。両手に抱えたトレイにその皿を乗せて、次の料理の前に移動する。
「ラリサおばさん、スープ大盛りで頂戴」
「はいよ」
大鍋に入っているスープは、1人分ずつラリサがよそってくれる。
ディアは小柄な身体のわりによく食べる。一体どこに収めているんだという程の大食いだ。
「トマトスープも美味しそう。今日は朝から幸せだなぁ」
彼の胃袋事情を知っているラリサはいつも多めに取り分けてくれるため、ディアは彼女と仲が良かった。雑談をしながらもラリサの手元はきびきびと動き、たっぷり盛ったスープをディアのトレイに乗せてくれた。
「今日から授業が始まるんだろ?しっかり食べて頑張っておくれよ!」
「ありがとー!」
笑顔でそう返し、ディアはトレイを抱えて机が並ぶ側へと足を向ける。
食堂は生徒たちでごった返していたが、時間が早いこともありまだ満席にはなっていない。
どこか空いている席はないかと食堂を見渡すと、入り口近くに意中の相手が座っているのをちょうど見つけた。これ幸いにと近づいて、当然のように横の席を引く。
「ジェイデン、おはよう」
「ああ、おはよう」
にこりと笑って挨拶を返すジェイデンに、ディアの顔が緩む。
これはきっと素晴らしい1日の始まりに違いないと、乙女じみた事を考えながらディアは朝食を食べ始めた。ひと口食べて、さらに顔が綻ぶ。
「あーおいしい!ねぇ、パンの籠こっちに近づけてくれる?」
机の上には籠に入ったパンが積まれており、それぞれ好きな分だけ取ることができる。ジェイデンがそれを聞いて、籠ごとディアの手の届く所まで近づけてやった。
「ありがと」
ディアは籠の上のパンに手を伸ばした。
パンは焼き立てで、ほんのりと温かい。ディアにとっては幸せの温もりである。
ディアは、この食堂の焼き立てパンが何より好物なのだ。
「ジェイデンはもう食べたの?」
ゆっくり焙煎豆茶を飲んでいるジェイデンの前には、朝食は置かれていない。
今日の授業で使う教科書を何となくめくっていた手を止めて、ジェイデンが返事をした。
「まだ食べてない。セオドアを待ってる」
ジェイデンはなんとも言い難い苦笑いを浮かべていた。
ほら、と指差す先では、トレイを器用に二つ持ったセオドアが列に並んでいる。
「いつもそうだっけ?前は自分で取りに行ってなかった?」
「俺は自分で取りにいくと言ったんだけどな。勝手に動くと怒られる」
主人の身の回りの世話は従者の仕事と言われてしまえばその通りなのだが、セオドアに世話をしてもらうこと自体にまだジェイデンが慣れることはなかった。
「東寮にも貴族の生徒はいるからね。体裁も大事なんだよ」
「だからこうして大人しくしているだろう」
少し憮然とした様子のジェイデンだ。
話しているうちにセオドアが両手に料理を抱えて戻ってきた。トレイごとジェイデンの前に置く。
「セオドアさん、おはようございます」
「おはよう。…ほら、ジェイデン」
「ありがとう」
素直に礼を言って、ジェイデンはスプーンを手にとった。トマトスープを口に運ぶのを見ながら、セオドアも向かいの席に座り、食事を始める。
もう半分以上食べ終わったディアが、そういえばと切り出した。彼は大食いだが、同時に早食いでもあるのだ。
「今日の授業、何するの?」
「確か、午前中は魔物学と薬草学だったな。午後は演習で剣術と魔法学だ」
「そうなんだ!午後の魔法学は僕も一緒。ルイス先生、厳しくて容赦ないよ」
それを聞いて担任のルイスを思い出しながら、他の授業についても聞く。他の生徒よりも一期分遅れているため、ジェイデンは少し焦りを感じていた。
「剣術学の先生はミアさんの旦那さんだけど、会った事ない?」
「いや、まだ会えてないな」
「真面目な人だよ~。俺は剣術の才能が全くないから、剣術学は取ってないけどね。薬草学の先生は耳長族の先生だよ。ちょっと偏屈だけど、色んな植物や薬草に詳しくてすごく勉強になる。あと、魔物学の先生は、まぁなんていうか…とにかく魔物が好き過ぎる変人」
魔物学の担当教師を変人と言い切ったディアに、ジェイデンが笑いながらセオドアを見た。
にやにやしているジェイデンの視線を感じて、セオドアも顔を上げる。
「お前みたいなのが他にもいるんだな」
「どういう意味だ」
「ふふふ。セオドアさんとは、また少し路線が違うかも。先生は従魔を50以上も抱える凄腕の魔物使いだよ」
「へぇ、それはすごいな」
魔物使いは希少職業の一つだ。魔法適性があるというよりは、そもそも生まれ持った才能がないと多くの魔物と契約し、使役すること自体が難しい。
「一角狼は学校に連れて行かない方がいいよ。きっと興奮して授業にならなくなるから」
「あいつらは最近、昼間は勝手に出かけていて俺の側にはいない」
ディアの助言がなくても、朝からルーとギードはミアの家に行ってしまったきりだ。
ミアの子供たちと仲良くなって、最近はいつも一緒にいる。
まだ小さい子供たちの遊び相手になって一の郭の端の公園へ行ったり、一緒にお昼寝をしたりと忙しい。
「放課後も補習があって構ってやれないからな。自由にさせている」
契約のおかげで、相棒とは離れていようがお互いがどこにいるかは把握できるのだ。
それに、たとえ見た目は子犬にしか見えなくても、一角狼は人語を理解でき、知性が高い。
「あんなに可愛くても一角狼だもんね」
ディアは北の辺境騎士団での2匹の活躍を知っているので、しみじみと頷いている。
騎獣としては特級の従魔だ。
主人への忠誠心はもとより、機動力と魔力も桁違いの種族である。
「ふつうの騎獣は主人を乗せて移動するだけだけど、あの子たちは違うもんねぇ」
任務ではジェイデンやセオドアが騎乗していない時は、単体でも容赦無く敵を屠り、並の騎士よりも優秀に働く従魔だ。研究材料としては他にない題材になりそうである。
「まぁ、変な人だけど優秀だから。王国の魔物分布図の作成とか、特異種の研究とか面白い事いろいろしてるよ」
話を戻したディアが、そう話を締めくくってトレイを手に立ち上がった。
「授業の用意があるから、じゃあね」
「ああ、また後で」
いつもより早く登校しないといけないと、急いでテーブルの上を片付けて食堂を出て行く。
「俺たちも急いだ方がいいな」
ディアを見送って、ジェイデンも初日に遅れるわけには行かないと、急いで残りの食事に取り掛かった。
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