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悪徳の流転
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舞踏会は荘厳なものであった。
新王国では国王が政務に復帰できず離宮にて養生中で、現代は第一王子が摂政についている。その彼が催したものだ。
第一王子が立太子されないのは、正妃ではなく妾腹というその出自による。
しかし、世間の評判では、学識もあり開明的で、優秀な改革者として期待が高い。
ただ、それは地方に権益を持つ門閥貴族を廃して王権の強化を図ろうという姿勢でもある。
開明派の青年貴族たちからは受けがいいものの、従来の権益を守りたい守旧派の有力諸侯、旧来の勢力は王妃の子である第二王子を次代の王に据えようと水面下で争っている。
第二王子は、騎士道に憧れて武芸に励んでおり、軍事的指導者という点では王として申し分ないが、粗暴な性格と今の時代にそぐわない点が問題視されている。
この他、第三王子がいるが、まだ年少なうえに心が子供のまま成長しないということで、王位継承の争いからは除外されている。
そんな中で催された第一王子主催の舞踏会は、諸侯の旗色を窺い、支持を取り付けるという政治的なものが多分にあった。
「ようこそ、皆様のおでましを歓迎いたします」
美しかった妾姫の地を引くだけに、第一王子は金髪碧眼の美男子である。
まだ年も若く、十分以上に魅力的な青年であろう。
社交界で浮名を流し、言い寄る貴族の娘たちは数知れず。
この舞踏会も、将来のお后候補を見繕うという意味もあった。
着飾った年頃の令嬢たちが、その寵愛を獲得しようと取り巻いている。
「ごめんあそばせ――」
フリージアも、極上の真紅のドレスを纏ってその場に登場する。
ダークエルフの執事、そして従者のエリンを従えてのお出ましに、その場の一同は息を呑んだ。
フリージアは、誰もが見違えるような色香を纏っていた。
エリンをいたぶる中で得た陶酔と自分が放つものに対してのゆるぎのない確信、伯爵夫人の教育や闘技場での体験を通じて身体に刻み込まれた快楽への欲求が、また自然と相手を誘うような雰囲気となって現れている。
豪奢な巻毛は金糸のように輝き、つややか。
露わとなった肩と開いた胸から覗く肌は、高級な白磁を思わせる滑らかさ。
公爵家の令嬢として申し分のない気品と、人を吸い寄せながらも触れるのをためらわせる何か。
言葉にすれば、悪の気配であろうか?
そしてまた、フリージアはまだ誰にも身体を許してはいない処女なのだ。
たとえ、女戦士に肉体を弄ばれ、多数の好色な視線を無数に浴びて穢されても、第一線はいまだ越えていない。
「これはこれは、公爵令嬢様。ようこそおいでくださいました」
「おひさしゅうございます、王子」
双方とも、礼法に乗っ取りうやうやしく礼を交わした。
ひそひそと、そんなフリージアを噂する声が聞こえてくる。
ギュスターランド公爵家に、いい噂などあるわけはない。嫉妬混じりの誹謗や中傷、そんなものだろう。
だが、悪に手を染めようとも、フリージアは処女である。
純潔の乙女という自身の揺らぎなさも、威厳を保っているのだ。
そんなフリージアの登場に、取り巻く貴族たちも、ざわついている。
悪の公爵令嬢に、表沙汰にできぬ醜聞や後ろ暗いことを掴まれていないか? 戦々恐々なのだ。
第一王子だけは平然としているが、彼もまた鵺たちが跋扈する宮廷遊戯の指し手である。油断はできない。
「よろしければ、どうか一曲私めと踊ってください」
「ええ、よろこんで」
第一王子から、フリージアを誘う。
会の主催者にして王族、高位者の男性である第一王子から最初に踊るのが習わしである。
必然的に、出席者の注目が集まった。
優雅な調べに乗せて、ふたりは身を寄せて踊る。
踊りながら、囁きあった。
「ギュスターランド公爵家のご令嬢が、お招きに応じてお出ましになられるとは思いもしませんでした」
「当家は“悪の公爵家”と噂されておりますから、人前に出るのは憚られますの」
「ははは、それも王家のために尽くされてのことう。しかし、あなたのような方に悪の毒があるとは思えません」
「……どうでしょう? その噂を真に受けた者のせいで、命が危うくなったことはあった、とだけ」
「難儀なされておられるようで。私でよければお助けいたしますとも」
「ですが、殿下にも悪の毒が回るかもしれませんわよ?」
「構いません。美しい薔薇には棘がある……そういいますから。毒が回っても、本望ですとも」
「まあ、お上手……」
睦言を交わしながらも、第一王子とフリージアはお互いの腹の中を探り合っている。
エリンを刺客に送り込んだのは、第一王子の可能性は確かに高い。
だが、完全な確証とはなっていない。
それに証拠もなく、仮にエリンが証言したとしても、知らぬ存ぜぬを決められればそこで終わりだ。
相手は身分を持った王族である。
告発をしくじれば、こちらが反逆の罪を問われてしまうのだ。
「……フリージア嬢、私は妾腹ゆえに敵が多うございます。ギュスターランド公爵家のお力添えがあれば、これほど心強いことはありません」
誘いが来たと、フリージアは気を引き締める。
これも駆け引きである。
慎重に出方を見ながら、第一王子の腹のうちを探らねばならない。
新興貴族と開明派を後ろ盾とする彼が勢力としては劣勢で、派閥争いから距離を置く公爵家の力添えを求めるのは道理ではある。
しかし、守旧派につかれる前に消してしまおうとする理由も十分にあるのだ。
「わたくしに、そのような力はございません。代々の当主が気づいた評判にも、耐えかねておりますのに……」
「いいえ、あなたは十分なお力をもっていらっしゃる。ギュスターランド公爵家の手は、まだ長いままだと」
「わたくしの素顔を、まるでご存知のようですわね」
「ふふ、美しい薔薇には棘がある……もう一度申しましょうか」
その言葉を聞いて、フリージアはぐっと第一王子に身体を預けるようにした。
音楽も、酔いを回すような曲調に変わる。
「殿下は、仮面をかぶったわたくしの顔……ご覧になられましたのね」
「…………!」
一瞬浮かんだ、戸惑いの顔。
しかし、フリージアは踊りながら、その太腿を王子の股間に差し入れた。
身体を密着させるような姿勢である。
「侍従、飲み物を取ってきて」
「はい、お嬢様……」
従者とお仕着せをまとったエリンが、薄い黄金色の発泡ワインが満たされたグラスを盆に乗せて運んでくる。
「ありがとう、下がってよろしくてよ。さっ、殿下もどうぞ」
「いただきましょう」
グラスを空けて、一礼して別れる。
主催の花形を独占するのは、マナーに反するのだ。
「いかがでした、お嬢様?」
執事が耳元でささやく。
第一王子が本当に刺客を放ち、フリージアの命を狙ったのか? その確信について当たのだ。
「間違いありません。あの人、闘技場にいたはずです。わたくしが仮面をつけたこと、それにエリンの顔を見たとき、硬くしましたから……。想像したのでしょうね。わたくしたちの痴態を」
あの姿を見られたと思うと屈辱ではあったが、確信が得られたのは収穫である。
第一王子は間違いなく闇の宴に参加し、フリージアと暗殺に失敗したエリンを消そうとしたのだ。
新王国では国王が政務に復帰できず離宮にて養生中で、現代は第一王子が摂政についている。その彼が催したものだ。
第一王子が立太子されないのは、正妃ではなく妾腹というその出自による。
しかし、世間の評判では、学識もあり開明的で、優秀な改革者として期待が高い。
ただ、それは地方に権益を持つ門閥貴族を廃して王権の強化を図ろうという姿勢でもある。
開明派の青年貴族たちからは受けがいいものの、従来の権益を守りたい守旧派の有力諸侯、旧来の勢力は王妃の子である第二王子を次代の王に据えようと水面下で争っている。
第二王子は、騎士道に憧れて武芸に励んでおり、軍事的指導者という点では王として申し分ないが、粗暴な性格と今の時代にそぐわない点が問題視されている。
この他、第三王子がいるが、まだ年少なうえに心が子供のまま成長しないということで、王位継承の争いからは除外されている。
そんな中で催された第一王子主催の舞踏会は、諸侯の旗色を窺い、支持を取り付けるという政治的なものが多分にあった。
「ようこそ、皆様のおでましを歓迎いたします」
美しかった妾姫の地を引くだけに、第一王子は金髪碧眼の美男子である。
まだ年も若く、十分以上に魅力的な青年であろう。
社交界で浮名を流し、言い寄る貴族の娘たちは数知れず。
この舞踏会も、将来のお后候補を見繕うという意味もあった。
着飾った年頃の令嬢たちが、その寵愛を獲得しようと取り巻いている。
「ごめんあそばせ――」
フリージアも、極上の真紅のドレスを纏ってその場に登場する。
ダークエルフの執事、そして従者のエリンを従えてのお出ましに、その場の一同は息を呑んだ。
フリージアは、誰もが見違えるような色香を纏っていた。
エリンをいたぶる中で得た陶酔と自分が放つものに対してのゆるぎのない確信、伯爵夫人の教育や闘技場での体験を通じて身体に刻み込まれた快楽への欲求が、また自然と相手を誘うような雰囲気となって現れている。
豪奢な巻毛は金糸のように輝き、つややか。
露わとなった肩と開いた胸から覗く肌は、高級な白磁を思わせる滑らかさ。
公爵家の令嬢として申し分のない気品と、人を吸い寄せながらも触れるのをためらわせる何か。
言葉にすれば、悪の気配であろうか?
そしてまた、フリージアはまだ誰にも身体を許してはいない処女なのだ。
たとえ、女戦士に肉体を弄ばれ、多数の好色な視線を無数に浴びて穢されても、第一線はいまだ越えていない。
「これはこれは、公爵令嬢様。ようこそおいでくださいました」
「おひさしゅうございます、王子」
双方とも、礼法に乗っ取りうやうやしく礼を交わした。
ひそひそと、そんなフリージアを噂する声が聞こえてくる。
ギュスターランド公爵家に、いい噂などあるわけはない。嫉妬混じりの誹謗や中傷、そんなものだろう。
だが、悪に手を染めようとも、フリージアは処女である。
純潔の乙女という自身の揺らぎなさも、威厳を保っているのだ。
そんなフリージアの登場に、取り巻く貴族たちも、ざわついている。
悪の公爵令嬢に、表沙汰にできぬ醜聞や後ろ暗いことを掴まれていないか? 戦々恐々なのだ。
第一王子だけは平然としているが、彼もまた鵺たちが跋扈する宮廷遊戯の指し手である。油断はできない。
「よろしければ、どうか一曲私めと踊ってください」
「ええ、よろこんで」
第一王子から、フリージアを誘う。
会の主催者にして王族、高位者の男性である第一王子から最初に踊るのが習わしである。
必然的に、出席者の注目が集まった。
優雅な調べに乗せて、ふたりは身を寄せて踊る。
踊りながら、囁きあった。
「ギュスターランド公爵家のご令嬢が、お招きに応じてお出ましになられるとは思いもしませんでした」
「当家は“悪の公爵家”と噂されておりますから、人前に出るのは憚られますの」
「ははは、それも王家のために尽くされてのことう。しかし、あなたのような方に悪の毒があるとは思えません」
「……どうでしょう? その噂を真に受けた者のせいで、命が危うくなったことはあった、とだけ」
「難儀なされておられるようで。私でよければお助けいたしますとも」
「ですが、殿下にも悪の毒が回るかもしれませんわよ?」
「構いません。美しい薔薇には棘がある……そういいますから。毒が回っても、本望ですとも」
「まあ、お上手……」
睦言を交わしながらも、第一王子とフリージアはお互いの腹の中を探り合っている。
エリンを刺客に送り込んだのは、第一王子の可能性は確かに高い。
だが、完全な確証とはなっていない。
それに証拠もなく、仮にエリンが証言したとしても、知らぬ存ぜぬを決められればそこで終わりだ。
相手は身分を持った王族である。
告発をしくじれば、こちらが反逆の罪を問われてしまうのだ。
「……フリージア嬢、私は妾腹ゆえに敵が多うございます。ギュスターランド公爵家のお力添えがあれば、これほど心強いことはありません」
誘いが来たと、フリージアは気を引き締める。
これも駆け引きである。
慎重に出方を見ながら、第一王子の腹のうちを探らねばならない。
新興貴族と開明派を後ろ盾とする彼が勢力としては劣勢で、派閥争いから距離を置く公爵家の力添えを求めるのは道理ではある。
しかし、守旧派につかれる前に消してしまおうとする理由も十分にあるのだ。
「わたくしに、そのような力はございません。代々の当主が気づいた評判にも、耐えかねておりますのに……」
「いいえ、あなたは十分なお力をもっていらっしゃる。ギュスターランド公爵家の手は、まだ長いままだと」
「わたくしの素顔を、まるでご存知のようですわね」
「ふふ、美しい薔薇には棘がある……もう一度申しましょうか」
その言葉を聞いて、フリージアはぐっと第一王子に身体を預けるようにした。
音楽も、酔いを回すような曲調に変わる。
「殿下は、仮面をかぶったわたくしの顔……ご覧になられましたのね」
「…………!」
一瞬浮かんだ、戸惑いの顔。
しかし、フリージアは踊りながら、その太腿を王子の股間に差し入れた。
身体を密着させるような姿勢である。
「侍従、飲み物を取ってきて」
「はい、お嬢様……」
従者とお仕着せをまとったエリンが、薄い黄金色の発泡ワインが満たされたグラスを盆に乗せて運んでくる。
「ありがとう、下がってよろしくてよ。さっ、殿下もどうぞ」
「いただきましょう」
グラスを空けて、一礼して別れる。
主催の花形を独占するのは、マナーに反するのだ。
「いかがでした、お嬢様?」
執事が耳元でささやく。
第一王子が本当に刺客を放ち、フリージアの命を狙ったのか? その確信について当たのだ。
「間違いありません。あの人、闘技場にいたはずです。わたくしが仮面をつけたこと、それにエリンの顔を見たとき、硬くしましたから……。想像したのでしょうね。わたくしたちの痴態を」
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