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第一章
第012話 恐怖と異形
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今までなかったはずの記憶が、浮かび上がる――。
それは約2年前のこと。兄と共に父の部屋に忍び込み、記憶の塔の鍵を盗んだ日だ。
記憶の塔には、国の重要書物や世に出ていない記録書が保管されていると兄から聞いていた。
その場所に入れるのは、国王と一部の貴族のみ。
聖騎士長ですら立ち入ることは許されていないらしい。
兄がなぜそんなことを知っていたのか、見当もつかなかった。――だが、当時の俺にとっては、そんなことはどうでもよかった。
塔に入りたかった理由はただ一つ――英雄たちの記録を読むため。
俺の目的は当然、アスランの記録だった。
一方で、兄は"父の記録を探す"と言っていた。
記憶の塔はその名の通り塔のような印象を受けるが、入口は地下にある。
当時の俺は、ただ兄の背中についていくことで精一杯で、場所の詳細など気にしていなかった。
だが今思うと、兄があの道を知っていたことに違和感を覚える。
まるで迷路のように入り組んだ道を進んでいたが、兄は一度も迷わずに目的の場所へと辿り着いた。
そして、鍵を使えば簡単に開くはずの大扉の前で、兄はふと足を止めた。
「……扉には強力な魔法がかかっている」
兄はそう言い、慎重に鍵を握りしめる。
「どんな魔法なの?」
「鍵の使用者の魔法の性質に反応して門が開く仕組みだ」
兄の言葉には、わずかな悔しさが滲んでいた。
それもそのはず。
父の魔法は"黒炎"、一方で兄は"金炎"俺は"黒雷"と、それぞれ異なっていたからだ。
「どうする?」
「一か八か、賭けるしかないな」
兄は少しの沈黙の後、そう呟いた。
「まさか……?」
「二人で鍵を使えば開くかもしれない」
「え? そんなの無理に決まってるよ!」
「挑戦してみないと分からないだろ。
それに、俺たちは父上の血を引いているんだ」
「でも、バレたら怒られるよ」
「鍵を盗んだことなんて、どうせそのうちバレるさ」
俺は兄に腕を引かれ、成り行きで鍵を手に取った。
「じゃあ、いくぞ――せーの!」
鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間、まばゆい光が溢れ、扉に刻まれた模様をなぞるように光が広がっていく。
そして、重々しい音を立てながら、扉は開いた。
「……ほら、成功したじゃないか!」
得意げに鼻を高くする兄を見て、俺は少し呆れつつも安堵の息を吐いた。
記憶の塔の内部は、まるで教会のようだった。
奥には巨大な馬上の戦士の像があり、その手前には本棚が何列も並んでいた。
本棚には隙間なく書物が詰められている。
俺たちは手分けして、目的の書物を探し始めた。
「アル、聞こえる?
ここって地下にあるはずなのに、外にいる気がするんだ。気のせいかな?」
心細さを紛らわせたくて、わざと大声を出す。
「確かに、さっきから風の音がする。
もしかすると、どこかへ転移したのかもしれないな」
少し離れた場所から兄の声が聞こえた。
地下にしては、風の音が大きすぎる。
俺はふと天井を見上げる――そこには、鮮やかなガラス細工でできた屋根があった。
ガラスを通して、日の光が差し込んでいる。
「何か見つかった?」
「いや、知らない名ばかりだ。魔物に関する調査書も多い……だが、驚くほど詳細に書かれている」
「こっちも収穫なしだよー」
「そもそも、アスランが目的なら王宮図書館にもいくらでも記録があるだろう」
「いーや、隠された戦いの記録があるに違いない!」
――本当は、兄と一緒にいたいだけだった。
「元聖騎士長の“隠された戦い”ねえ……可能性は低いと思うけど」
「アルこそ、なんで父上の書物を探してるの?」
「王宮図書館には、父についての書物が少ない。それが気になっただけだ」
「そりゃそうだよ。だって父上は戦いより外交や交渉の方が得意なタイプじゃないか」
「それはそうなんだが……ん? なんだこの書物は」
「何か見つけた? ちょっと待って、今行く!」
兄の声の方へ駆け寄ると、兄は黒い毛皮のような表紙の本を指さしていた。
「この本、変なんだ」
黒い獣の毛皮をそのまま使ったような、不気味な見た目の本だった――。
「確かに気味が悪いね」
「いや、それだけじゃない。まったく開かないんだ」
試しに俺も開こうとしたが、まるで石のように硬直し、ビクともしなかった。
「なんだこれ……?」
「魔法がかけられている可能性が高いな。一旦、俺の魔法で燃やしてみるか」
「いやいや、それじゃ一生読めなくなるよ!」
「こんなに厳重な封印だ、魔法くらいで焼失するはずがない」
兄が金の炎を灯したその瞬間――
「あー、絶対良くないことしてるよ……!」
内心は焦りながらも、興奮で胸が高鳴った。
毛皮に覆われた本は、炎の中でゆっくりと姿を変えていく。
やがて黒い表面は焼け落ち、下からは美しく装丁された本が姿を現した。
「やっぱり、正解だったな」
炎の中から本を取り上げ、兄は炎を鎮める。
「表紙には何て書いてある?」
「……古い文字だな。"生成術の書"と書かれている」
「生成術? 聞いたことないよ」
すると――本は、再び元の黒い毛皮に覆われていった。
「なんだこれ……再生している!?」
兄が手を放すと、本はまるで時間を巻き戻すかのように、元の姿に戻っていった。
「やっぱり気味が悪いね。他の書物を探そう」
兄の方へ視線を向けると――何か深く考え込むような表情を浮かべていた。
気づけば、奥の銅像の前まで来ていた。
「近くで見ると圧巻だな」
兄がそう呟く。
馬に乗った戦士の像は、兄の背丈の5倍以上もあり、近づくほどにその迫力が増していく。
剛毅な表情と鍛え抜かれた肉体、馬のたくましい脚筋まで精巧に彫られ、今にも動き出しそうだった。
「銅像の下に何かある」
兄の言葉に促されて覗き込むと、1冊の本が置かれていた。
「これは……"初代王・エルゴン"の戦記だ」
兄の顔がぱっと綻ぶ。無理もない。
王家に生まれた者にとって、“エルゴン”の名は特別なものだった。
この名を継ぐ資格を持つのは、ただ一人――王位を継承した者のみ。
――そして父・エイゼンこそが"4代目エルゴン"だった。
「アル、早く開けて中を見てみよう」
「待てよ……これは読めない文字だな。それに、どうやら魔法がかかっているみたいだ」
ページをめくろうとするが、書かれている文字はまるで異国の言語のようで、意味が取れない。
ただ、数字だけははっきりと読めた。
「ああ、数字だけが手がかりか……」
兄が下唇を噛み、悔しそうに呟く。
最後のページまで見ても、読めるのは数字だけだった。
「……父上を見つけたぞ。どうやらこの記録では、“エイゼン”ではなく、“エルゴン”の名で記されているようだ」
兄が指さしたのは、365という数字。
「365? なんの数字?」
「十字歴のことだろう。この年は、父が王位を継承した年だ。俺が生まれた年でもある」
「でも、これだけじゃ確信が持てないよ」
「いや、他にもある。例えば最初のページにある230は、国の創立年。
そして327は、先王エストラの即位年。
さらに、太字で記された期間はおそらく戦争の記録だ。この232‐244は三国聖戦の年と一致する」
「偶然とは思えないね……でも、肝心の内容が分からないままだ」
「俺は持ち帰って、解読しようと思う」
兄の言葉に、思わず息を呑んだ。
「……それ、本当に大丈夫? 怒られるどころじゃ済まないよ」
「問題ないさ。どうせ、いつか俺の名もここに刻まれる。先に読んだって、大した違いはないさ」
「……アルが王位を継いだら、この塔に自由に入れる許可を出してよ。そしたら、二人でゆっくり本を読める」
「ああ、もちろんさ」
兄は本を手に取り、立ち上がった。そのとき――
奥の方から、何かが動く音がした。
「……今の音、何?」
暗闇に目を凝らす。銅像の奥に、さらに奥へと続く空間があった。
兄は右手に炎を灯し、そっと照らす。光が届いた先には――新たな本棚が並んでいた。
「さっきまでは、なかった空間だね……」
「ああ。でも急がないと、父上が部屋に戻る時間だ。
その前に鍵を戻さなくてはならない。だが、せっかくの機会を無駄にするのも惜しい……少しだけ見てから出よう」
――やっぱり、兄とは最高に気が合うと思った。
兄が炎を掲げ、本棚を照らす。
俺は文字をじっくり読む余裕もなく、背表紙を流し見ていく。
すると――
「……なんだこれは」
兄が足を止めた。
視線を向けると、そこにあったのは黒い本。その背には、俺が探していた名が刻まれていた。
――監視調査書 対象者:アスラン・エルサクス
「アスランの監視って、どういうこと?」
「……俺にもわからない。ただ、この本は比較的新しいようだ」
兄は慎重に本を手に取り、ページを開こうとした――その瞬間。
得体の知れないものの鳴き声が響き渡った。
ぞわりと、全身の毛が逆立つ。
理性の奥底から這い上がる本能的な恐怖。
鼓膜を裂くような不気味な咆哮に、思わず息を呑んだ。
「……なんだ、今のは?」
兄が腰の剣に手をかけ、周囲を見渡す。
「上の方から、聞こえた気がする」
次の瞬間、空間が揺れた。天井の奥で何かが蠢いている――。
それがただの動物ではないことは明らかだった。
気配が異質すぎる。人間とはかけ離れた、何か”別のもの”。
「アレン、ここを出るぞ!」
兄が俺の腕を掴み、強引に引っ張る。なければ、俺は立ち尽くしていたかもしれない。
扉まであと半分――ふと、天井を見上げた。
かつて美しかったガラス細工の天井は、何か巨大な影に覆われ、光が遮られている。そして――
何かが開いた。
赤い円の中に、無数の黒点。瞬きもせず、じっとこちらを見つめている。
――”眼”だ。
「アル、上を見て……何かがいる」
「……何だ、この化け物は……」
それは、人の存在に気づいたのか、羽を大きく広げた。そして次の瞬間――
空間を震わせる、禍々しい叫び。
そして、聞きたくなかった音が続く。
――ガラスにひびが入る音。
それは次第に大きくなり、まるで空間そのものが崩れ落ちるかのようだった。
「アレン! 扉に向かって走れ! 振り返るな!」
兄の声で我に返る。恐怖に凍りついた身体が、ようやく動き出した。
先に兄が入口にたどり着き、俺に向かって手を差し伸べる。
――来るな、来るな、来るな。
必死に心の中で叫ぶが、足の感覚はすでになく、どうやって走っているのかも分からなかった。
ただ、恐怖だけが俺を突き動かしていた。
そして、“それ”は降り立った。轟音とともに。
圧倒的な衝撃に、俺の身体は吹き飛ばされ、扉の近くへと転がった。
――視線を向ける。
そこには、もはや”教会”だったものの残骸すらなかった。ただ、崩れ去った瓦礫と――
その中心に、“禍々しき獣”が佇んでいた。
無数の牙が生えた巨大な口。額にそびえる二本の角。
漆黒の翼を広げた4本足の異形。赤黒く爛れた眼が、獲物を見据えるようにこちらを捉えている。
――ああ、俺は今、“死”を見ている。
全身の感覚が失われ、ただ脳だけが理解する。
身体が完全に動かなくなる直前、兄の声が響いた。
「アレン、俺の後ろに下がっていろ!」
気づけば、兄が俺の前に立ち、化け物との間に割って入っていた。
「アル……無理だよ……」
「俺を信じろ。必ず守ってやる」
兄は腕を広げる。
その瞬間、金色の炎が舞い上がった。
炎は次第に形を成し、龍へと変貌していく。
――また、衝撃。
化け物が動いた。咆哮とともに、こちらへ迫る。
「炎天に飛べ!」
兄が叫ぶ。金の龍が羽ばたき、化け物へと飛びかかる。
炎と異形が絡み合い、空間が揺れた。
「門よ、閉じろ!」
兄が鍵に力を込める。
扉が、音を立てて閉まっていく。
隙間が狭まるにつれ、ようやく安堵の気持ちが湧き上がる。
――終われ……終われ……終われ!
心の底で、ただそれだけを願った。
俺は、この世で最も情けない姿をしていた。
腰が抜け、地面に這いつくばり、目を背けるだけの俺。
対して、兄は立ち向かい、役立たずな弟を守り抜いた。
これが”選ばれた者”と、そうでない者との差だと言うのなら――納得するしかなかった。
「もう大丈夫だ。扉は、もう閉まる」
兄の声で、ようやく目を開ける。
――だが、そこで再び恐怖が蘇る。
「アル……あいつがいる」
扉の隙間。
そこには、まだ”それ”がいた。
傷だらけの胴体、炎に焼かれた皮膚。
そして、扉が完全に閉まるまでの間、赤黒い眼が、ただじっと俺たちを見つめていた。
最後の一瞬まで――。
それは約2年前のこと。兄と共に父の部屋に忍び込み、記憶の塔の鍵を盗んだ日だ。
記憶の塔には、国の重要書物や世に出ていない記録書が保管されていると兄から聞いていた。
その場所に入れるのは、国王と一部の貴族のみ。
聖騎士長ですら立ち入ることは許されていないらしい。
兄がなぜそんなことを知っていたのか、見当もつかなかった。――だが、当時の俺にとっては、そんなことはどうでもよかった。
塔に入りたかった理由はただ一つ――英雄たちの記録を読むため。
俺の目的は当然、アスランの記録だった。
一方で、兄は"父の記録を探す"と言っていた。
記憶の塔はその名の通り塔のような印象を受けるが、入口は地下にある。
当時の俺は、ただ兄の背中についていくことで精一杯で、場所の詳細など気にしていなかった。
だが今思うと、兄があの道を知っていたことに違和感を覚える。
まるで迷路のように入り組んだ道を進んでいたが、兄は一度も迷わずに目的の場所へと辿り着いた。
そして、鍵を使えば簡単に開くはずの大扉の前で、兄はふと足を止めた。
「……扉には強力な魔法がかかっている」
兄はそう言い、慎重に鍵を握りしめる。
「どんな魔法なの?」
「鍵の使用者の魔法の性質に反応して門が開く仕組みだ」
兄の言葉には、わずかな悔しさが滲んでいた。
それもそのはず。
父の魔法は"黒炎"、一方で兄は"金炎"俺は"黒雷"と、それぞれ異なっていたからだ。
「どうする?」
「一か八か、賭けるしかないな」
兄は少しの沈黙の後、そう呟いた。
「まさか……?」
「二人で鍵を使えば開くかもしれない」
「え? そんなの無理に決まってるよ!」
「挑戦してみないと分からないだろ。
それに、俺たちは父上の血を引いているんだ」
「でも、バレたら怒られるよ」
「鍵を盗んだことなんて、どうせそのうちバレるさ」
俺は兄に腕を引かれ、成り行きで鍵を手に取った。
「じゃあ、いくぞ――せーの!」
鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間、まばゆい光が溢れ、扉に刻まれた模様をなぞるように光が広がっていく。
そして、重々しい音を立てながら、扉は開いた。
「……ほら、成功したじゃないか!」
得意げに鼻を高くする兄を見て、俺は少し呆れつつも安堵の息を吐いた。
記憶の塔の内部は、まるで教会のようだった。
奥には巨大な馬上の戦士の像があり、その手前には本棚が何列も並んでいた。
本棚には隙間なく書物が詰められている。
俺たちは手分けして、目的の書物を探し始めた。
「アル、聞こえる?
ここって地下にあるはずなのに、外にいる気がするんだ。気のせいかな?」
心細さを紛らわせたくて、わざと大声を出す。
「確かに、さっきから風の音がする。
もしかすると、どこかへ転移したのかもしれないな」
少し離れた場所から兄の声が聞こえた。
地下にしては、風の音が大きすぎる。
俺はふと天井を見上げる――そこには、鮮やかなガラス細工でできた屋根があった。
ガラスを通して、日の光が差し込んでいる。
「何か見つかった?」
「いや、知らない名ばかりだ。魔物に関する調査書も多い……だが、驚くほど詳細に書かれている」
「こっちも収穫なしだよー」
「そもそも、アスランが目的なら王宮図書館にもいくらでも記録があるだろう」
「いーや、隠された戦いの記録があるに違いない!」
――本当は、兄と一緒にいたいだけだった。
「元聖騎士長の“隠された戦い”ねえ……可能性は低いと思うけど」
「アルこそ、なんで父上の書物を探してるの?」
「王宮図書館には、父についての書物が少ない。それが気になっただけだ」
「そりゃそうだよ。だって父上は戦いより外交や交渉の方が得意なタイプじゃないか」
「それはそうなんだが……ん? なんだこの書物は」
「何か見つけた? ちょっと待って、今行く!」
兄の声の方へ駆け寄ると、兄は黒い毛皮のような表紙の本を指さしていた。
「この本、変なんだ」
黒い獣の毛皮をそのまま使ったような、不気味な見た目の本だった――。
「確かに気味が悪いね」
「いや、それだけじゃない。まったく開かないんだ」
試しに俺も開こうとしたが、まるで石のように硬直し、ビクともしなかった。
「なんだこれ……?」
「魔法がかけられている可能性が高いな。一旦、俺の魔法で燃やしてみるか」
「いやいや、それじゃ一生読めなくなるよ!」
「こんなに厳重な封印だ、魔法くらいで焼失するはずがない」
兄が金の炎を灯したその瞬間――
「あー、絶対良くないことしてるよ……!」
内心は焦りながらも、興奮で胸が高鳴った。
毛皮に覆われた本は、炎の中でゆっくりと姿を変えていく。
やがて黒い表面は焼け落ち、下からは美しく装丁された本が姿を現した。
「やっぱり、正解だったな」
炎の中から本を取り上げ、兄は炎を鎮める。
「表紙には何て書いてある?」
「……古い文字だな。"生成術の書"と書かれている」
「生成術? 聞いたことないよ」
すると――本は、再び元の黒い毛皮に覆われていった。
「なんだこれ……再生している!?」
兄が手を放すと、本はまるで時間を巻き戻すかのように、元の姿に戻っていった。
「やっぱり気味が悪いね。他の書物を探そう」
兄の方へ視線を向けると――何か深く考え込むような表情を浮かべていた。
気づけば、奥の銅像の前まで来ていた。
「近くで見ると圧巻だな」
兄がそう呟く。
馬に乗った戦士の像は、兄の背丈の5倍以上もあり、近づくほどにその迫力が増していく。
剛毅な表情と鍛え抜かれた肉体、馬のたくましい脚筋まで精巧に彫られ、今にも動き出しそうだった。
「銅像の下に何かある」
兄の言葉に促されて覗き込むと、1冊の本が置かれていた。
「これは……"初代王・エルゴン"の戦記だ」
兄の顔がぱっと綻ぶ。無理もない。
王家に生まれた者にとって、“エルゴン”の名は特別なものだった。
この名を継ぐ資格を持つのは、ただ一人――王位を継承した者のみ。
――そして父・エイゼンこそが"4代目エルゴン"だった。
「アル、早く開けて中を見てみよう」
「待てよ……これは読めない文字だな。それに、どうやら魔法がかかっているみたいだ」
ページをめくろうとするが、書かれている文字はまるで異国の言語のようで、意味が取れない。
ただ、数字だけははっきりと読めた。
「ああ、数字だけが手がかりか……」
兄が下唇を噛み、悔しそうに呟く。
最後のページまで見ても、読めるのは数字だけだった。
「……父上を見つけたぞ。どうやらこの記録では、“エイゼン”ではなく、“エルゴン”の名で記されているようだ」
兄が指さしたのは、365という数字。
「365? なんの数字?」
「十字歴のことだろう。この年は、父が王位を継承した年だ。俺が生まれた年でもある」
「でも、これだけじゃ確信が持てないよ」
「いや、他にもある。例えば最初のページにある230は、国の創立年。
そして327は、先王エストラの即位年。
さらに、太字で記された期間はおそらく戦争の記録だ。この232‐244は三国聖戦の年と一致する」
「偶然とは思えないね……でも、肝心の内容が分からないままだ」
「俺は持ち帰って、解読しようと思う」
兄の言葉に、思わず息を呑んだ。
「……それ、本当に大丈夫? 怒られるどころじゃ済まないよ」
「問題ないさ。どうせ、いつか俺の名もここに刻まれる。先に読んだって、大した違いはないさ」
「……アルが王位を継いだら、この塔に自由に入れる許可を出してよ。そしたら、二人でゆっくり本を読める」
「ああ、もちろんさ」
兄は本を手に取り、立ち上がった。そのとき――
奥の方から、何かが動く音がした。
「……今の音、何?」
暗闇に目を凝らす。銅像の奥に、さらに奥へと続く空間があった。
兄は右手に炎を灯し、そっと照らす。光が届いた先には――新たな本棚が並んでいた。
「さっきまでは、なかった空間だね……」
「ああ。でも急がないと、父上が部屋に戻る時間だ。
その前に鍵を戻さなくてはならない。だが、せっかくの機会を無駄にするのも惜しい……少しだけ見てから出よう」
――やっぱり、兄とは最高に気が合うと思った。
兄が炎を掲げ、本棚を照らす。
俺は文字をじっくり読む余裕もなく、背表紙を流し見ていく。
すると――
「……なんだこれは」
兄が足を止めた。
視線を向けると、そこにあったのは黒い本。その背には、俺が探していた名が刻まれていた。
――監視調査書 対象者:アスラン・エルサクス
「アスランの監視って、どういうこと?」
「……俺にもわからない。ただ、この本は比較的新しいようだ」
兄は慎重に本を手に取り、ページを開こうとした――その瞬間。
得体の知れないものの鳴き声が響き渡った。
ぞわりと、全身の毛が逆立つ。
理性の奥底から這い上がる本能的な恐怖。
鼓膜を裂くような不気味な咆哮に、思わず息を呑んだ。
「……なんだ、今のは?」
兄が腰の剣に手をかけ、周囲を見渡す。
「上の方から、聞こえた気がする」
次の瞬間、空間が揺れた。天井の奥で何かが蠢いている――。
それがただの動物ではないことは明らかだった。
気配が異質すぎる。人間とはかけ離れた、何か”別のもの”。
「アレン、ここを出るぞ!」
兄が俺の腕を掴み、強引に引っ張る。なければ、俺は立ち尽くしていたかもしれない。
扉まであと半分――ふと、天井を見上げた。
かつて美しかったガラス細工の天井は、何か巨大な影に覆われ、光が遮られている。そして――
何かが開いた。
赤い円の中に、無数の黒点。瞬きもせず、じっとこちらを見つめている。
――”眼”だ。
「アル、上を見て……何かがいる」
「……何だ、この化け物は……」
それは、人の存在に気づいたのか、羽を大きく広げた。そして次の瞬間――
空間を震わせる、禍々しい叫び。
そして、聞きたくなかった音が続く。
――ガラスにひびが入る音。
それは次第に大きくなり、まるで空間そのものが崩れ落ちるかのようだった。
「アレン! 扉に向かって走れ! 振り返るな!」
兄の声で我に返る。恐怖に凍りついた身体が、ようやく動き出した。
先に兄が入口にたどり着き、俺に向かって手を差し伸べる。
――来るな、来るな、来るな。
必死に心の中で叫ぶが、足の感覚はすでになく、どうやって走っているのかも分からなかった。
ただ、恐怖だけが俺を突き動かしていた。
そして、“それ”は降り立った。轟音とともに。
圧倒的な衝撃に、俺の身体は吹き飛ばされ、扉の近くへと転がった。
――視線を向ける。
そこには、もはや”教会”だったものの残骸すらなかった。ただ、崩れ去った瓦礫と――
その中心に、“禍々しき獣”が佇んでいた。
無数の牙が生えた巨大な口。額にそびえる二本の角。
漆黒の翼を広げた4本足の異形。赤黒く爛れた眼が、獲物を見据えるようにこちらを捉えている。
――ああ、俺は今、“死”を見ている。
全身の感覚が失われ、ただ脳だけが理解する。
身体が完全に動かなくなる直前、兄の声が響いた。
「アレン、俺の後ろに下がっていろ!」
気づけば、兄が俺の前に立ち、化け物との間に割って入っていた。
「アル……無理だよ……」
「俺を信じろ。必ず守ってやる」
兄は腕を広げる。
その瞬間、金色の炎が舞い上がった。
炎は次第に形を成し、龍へと変貌していく。
――また、衝撃。
化け物が動いた。咆哮とともに、こちらへ迫る。
「炎天に飛べ!」
兄が叫ぶ。金の龍が羽ばたき、化け物へと飛びかかる。
炎と異形が絡み合い、空間が揺れた。
「門よ、閉じろ!」
兄が鍵に力を込める。
扉が、音を立てて閉まっていく。
隙間が狭まるにつれ、ようやく安堵の気持ちが湧き上がる。
――終われ……終われ……終われ!
心の底で、ただそれだけを願った。
俺は、この世で最も情けない姿をしていた。
腰が抜け、地面に這いつくばり、目を背けるだけの俺。
対して、兄は立ち向かい、役立たずな弟を守り抜いた。
これが”選ばれた者”と、そうでない者との差だと言うのなら――納得するしかなかった。
「もう大丈夫だ。扉は、もう閉まる」
兄の声で、ようやく目を開ける。
――だが、そこで再び恐怖が蘇る。
「アル……あいつがいる」
扉の隙間。
そこには、まだ”それ”がいた。
傷だらけの胴体、炎に焼かれた皮膚。
そして、扉が完全に閉まるまでの間、赤黒い眼が、ただじっと俺たちを見つめていた。
最後の一瞬まで――。
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そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
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事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
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