エルフを殺せない世界 【第一章完結】

春風春音

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第一章

第028話 栄誉と策謀

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 王宮の廊下を駆け抜け、兄の部屋の前に立つ。扉の前には、兵士が立っていた。
 
 ――兄上、アルは……今、どこに。
 
「兄上は中にいるか?」
 
「アルアディアン様は、現在聖騎士たちとの軍議に出席中です」
 
「……軍議は、いつ終わる?」
 
「まもなくかと」
 
「ありがとう」
 
 兵士に礼を言い、扉の前で待っていると、背後から足音が近づいてきた。
 
「アレン、そこで何をしている?」
 振り返ると、兄が少し驚いた顔で立っていた。
 
「少し……話したいことがあるんだ」
 
 俺の表情を見て、兄は何かを察したのか、真剣な顔になる。
 
「わかった。中に入れ」
 
 部屋へ通されると、兄はふと笑って言った。
 
「アレンが俺の部屋を訪ねるなんて、何年ぶりだ?」
 
「ずいぶん……昔のことに感じる」
 
「茶でも入れるか?」
 
「いや、そんな長い話じゃない」
 
「……そうか。で、何を聞きたい?」
 
「記憶の塔から持ち出した、エルゴンの戦記……あれ、どうしたんだ?」
 
 兄は少し目を伏せて言った。
 
「燃やしたよ。綺麗にね」
 
「燃やした……? なぜそんなことを……」
 
「一時の……感情のままに、だ」
 
「そこには、何が書いてあった?」
 
「知りたかったことと、知りたくなかったこと」
 
「アルが知りたかったことって……?」
 
「俺たちの父親が、誰なのか――それだけだ」
 
 ――息を飲む。
 
「で、わかったのか……?」
 
 兄はじっと俺の目を見つめた。
 
「……なぜ、アレンはそれを知りたい?」
 
「それは……俺にも関係あるから」
 
「そうか。……じゃあ、なぜ俺が父を疑っていたことを、お前はすぐに受け入れた?」
 
「それは……」
 
「何を知っている、アレン」
 
 その目には、確信に近いものが宿っていた。
 
「……俺は、国王の正体を知ってる」
 
「なら、よかった」
 
「……は?」
 兄の反応に、耳を疑う。
 
「全てを知っているなら……俺が王になる時、いなくなったと受け入れてくれ」
 
「国王の正体を知ってて……従うつもりか?」
 
「お前たちを、守るためだ」
 
 拳を握る兄の姿に、俺は言葉を失った。
 
「……俺は、納得できない」
 
「もう、決まっていることだ」兄は背を向けて、冷たく言い捨てた。
 
 その背中に、堪らず手を伸ばし、肩を掴んで強引に振り向かせた――
 
 だが、振り返った兄の顔を見て、俺は息を呑む。
 
「……アル?」
 
 兄の頬を、一筋の涙が伝っていた。
 
 初めて見る、兄の涙だった。
 だがその表情は、どこか歪だった。まるで泣き方を知らない人形のように、無理に笑みを作っていた。
 
「……俺のせいなんだ。アイラの姿も……お前の記憶も……母上の病も……全部、俺のせいなんだ」
 
「どういうことだ……」
 
「俺が全てを知り、国王を――エルゴンを、脅したんだ」
 
「……脅した?」
 
「そうだ。情報をばら撒かない代わりに、家族の安全を保障しろと」
 兄は壁にもたれかかり、身体を滑らせるように座り込む。
 
「けど、その翌日から始まったのは……弟と妹への人体実験、そして母上は、俺を庇って薬漬けにされた……」
 
 ――そんな……そこまでのことが……。
 
「……俺は、家族を危険に晒した」
 
「違う……アルは、ずっと皆を守ってきた」
 
「それは、ただの罪滅ぼしだ」
 
「違うよ……」
 
「俺が従えば、家族は守れる……そう信じたかっただけだ」
 
 怒りが、俺の中で燃え上がる。
 
「……俺は、エルゴンを殺す」
 
「相手は、あのエルゴンだ……」
 
「今のアルなら、勝てるはずだ……!」
 
「無理だ……俺は、家族を……もうこれ以上、失いたくない……」
 
「アル……実は、力になってくれる仲間がいる。とても、頼もしい人が」
 
 だが、兄は俺の言葉にかぶせるように言った。
 
「無理なんだ……アレン、記憶の塔で見た龍を覚えているか?」
 
「ああ、もちろん」
 
「あれは……エルゴンの支配下にある」
 
「……え?」
 
「つまり……誰も、奴には勝てないということだ」
 
「そんな……」
 
 ――あの龍ですら、抗えないというのか……?
 
「……俺は、行かなくてはならない。夜の会議で、また会おう」
 
 扉が閉まる音がして、気がつけば、そこにはもう兄の姿はなかった。
 
 ――俺は……どうすれば、いいんだ。

「アレン様、中へお入りください」
 
 扉が静かに開くと、壮麗な円形の会議室が現れた。
 
 中央には一際大きな円卓が置かれ、そこには栄誉貴族の長たちがすでに腰を下ろしていた。
 
「アレン、主役が遅れてどうする?」
 
 国王――エルゴンが、笑みを浮かべて軽く手を振る。
 
「申し訳ありません、時間を……勘違いしておりました」
 
 俺はそう答えるしかなかった。――こいつが“本物の父”でないと知っている以上、笑顔を返す気には到底なれなかった。
 
「そこに座れ」
 
 指し示された席は兄の正面。
 左隣にはリグレイ卿が控えていた。
 
 リグレイ卿と目が合うと、静かに一礼を交わす。
 俺も同じように頭を下げて席に着いた。
 
 兄の隣にはストリーム卿、さらにその隣にヘルン卿が並んでいる。
 
「これで、後は兄上と……ヘルド卿だけだな」
 
 エルゴンが手元の書類を軽く叩きながら言った。
 
「本日はアスラン殿もご出席なさるのですか?」とストリーム卿が尋ねる。
 
「ああ、もちろんだ。アレンの師匠でもあるからな。わしが直接呼んだ」
 
「……とはいえ、ヘルド卿は今回も来ないでしょう?
 いっそ、栄誉貴族の席から外してもよいのでは?」
 
 ヘルン卿が苦々しげに吐き捨てるように言った。
 
「そう焦るな。彼には別の重要な任務を任せておる」
 
 ――ヘルド卿。噂ばかりで、俺は一度も会ったことがない。一体、どんな人物なんだ?
 
 しばらくすると、扉の外から兵士の声が響いた。
 
「アスラン様とヘルド卿、ご到着です!」
 
 扉が音を立てて開かれ、二つの影が室内に入ってきた。
 
「これはまた、珍しい取り合わせだな」
 
 国王が口角を上げながら目を細める。
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