2weeks, あるいはひまわりと太陽~学校に送られる官製暗殺者たち

江戸川ばた散歩

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プロローグ 夜中の校舎になんて来るもんじゃない!

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 そもそも、自分がここに居ることがおかしいのだ。

 そう彼女は思った。
 普通の生徒は、夜の校舎に用は無い。しかもゴールデンウイークの、最後の日だ。
 だから遊ぼう、と携帯で呼び出されたのは確かだ。最後の夜だから、心ゆくまで、と。誰も居ない校舎で遊ぼう、と。
 ただそれが誰からなのか、彼女はその時、確認しなかった。そんなことを急に言い出す友達は、彼女には幾らでも居たのだ。
 だが彼女は確認すべきだったのだ。しかしもはや遅い。
 メールには、「図書室で待っているから」とあった。
 図書室。それは彼女にとって、学校で最も縁の無い場所だった。

「日名《ひな》さん?」

 声が聞こえた。男の声だ。

「そう。誰?」
「来てくれて、ありがとう」

 楽しそうな低い声が、広い部屋の中に響いた。聞き覚えのある声の様な気がする。だが思い出せない。逆光で、顔も判らない。

「誰?!」

 返事は無い。

「からかってるんなら、あたし、帰るわ!」

 簡潔に判断を下すと、彼女は戻ろうとした。が。
 ぐい、と後ろから、スカートのサスペンダを互い違いに引っ張られた。喉に食い込み、息が苦しくなる。
 やめて、ともがくと、目の前で、きりきりという音がした。目を寄せた視界に入ったのは、分厚い刃のカッターだった。そして。

 ―――女の手、だった。

 男の動いた様子は無い。もう一人、女が居たのだ。

「夜遅くごめんね。ゲームをしようと思ってね」

 男が近づく気配がした。

「げ、ゲーム……?」

 彼女の声は震えた。

「そう。ただし、君が楽しめるかは、君の努力次第だけどね」

 背後の女はぴくりとも動かない。

「今から君を解き放つ。一分後に、後ろの彼女が君を追いかける。逃げ切って、この校舎の外に出ることができれば君の勝ち。できなかったら君の負け」
「負け…… って」

 その時、鼻の頭に、つ、と痛みが走った。

「切れ味がぁ、わるい」

 気怠そうな女の声が耳に飛び込む。何処かで聞いたことがある。何処かで……

「今すぐじゃあ、ダメなのぉ?」
「それじゃ、お前が面白く無いんだろう?」

「たぁしかにぃ」

 ぱ、と女は彼女を離した。男はポケットから携帯を出す。ぽ、と緑色の光が、その口元の笑みを浮かび上がらせた。

「では、よぉい」

 どん。

 調理室に逃げ込んだ彼女は、教卓の調理台の下に入り込んだ。
 足音は、一度強く響いたが、次第にその場から遠ざかって行く。
 大丈夫、こっちには来ない様だ。向こうの、普通教室の棟へと走って行ったんだわ―――
 彼女は端末を開く。液晶画面は、穴蔵の様な机の下で強い光を放った。今のうちに、誰か、助けを。
 ぴ、と画面に映った一つの名前を選択する。
 その時、かたん、と音がした。彼女は顔を上げる。

「見ぃつけた」

 端末の光が、くい、と上がる唇を闇に映し出す。のぞき込む顔が、間近にあった。
 背中の半分はあるだろう、重そうな髪をざんばらに乱して、女は至近距離から笑いかける。
 ひいっ、と彼女は尻餅をついたまま、机の下から飛び退いた。はずみでぱちん、と携帯の画面が閉じる。

「やぁだ。そんなに嫌わなくてもいいじゃあなぁい?」

 女はゆっくりと彼女に近づく。両手にはいつの間にか、鋭く、刃渡りの長い包丁が握られていた。
 背中が一気に冷たくなる。彼女は窓へと飛びすがった。
 手はひたすら鍵を探る。―――あった! がちゃ、とレバーを押し上げる。そのまま窓をぐい、と開けようとした時―――
 彼女は自分の頭が、アジアンタムの葉に埋まっているのを感じた。かしゃん、と軽い音が床に響いた。
 女は空けた左手と、身体全体で、彼女を植物の中へ押し倒していた。その力が強まる。ぺき、と奇妙な音が響いた。

「あああああああ」
「うるさぁい」

 女はそれまで首の付け根を掴んでいた左手を、彼女の口へ突っ込んだ。だらだらとよだれが流れるが、止めることもできない。

「あ・わわ・わ」

 彼女は大きく目を開いた。間近で見たその顔。
 自分はその顔を知っている! だけど何で! 
 思い切りもがく。
 逃げれば。逃げることさえできれば。こいつが誰か判るから。そうすれば。

「うるさい、って言ってるじゃないのぉ」

 さっ、と女の包丁が右に動く。
 彼女の目は大きく見開かれた。喉から血が吹き出す。ひゅうひゅう、とそこから音が漏れる。痛みにだらり、と両腕から力が抜ける。
 女は包丁を投げる。ステンレスの調理台が音を立てた。
 そしてそのまま軽々と、彼女を教卓の調理台の上に転がし、どん、と台の上に飛び乗った。
 馬乗りに押さえ込まれ、両手を左手でまとめ上げられた彼女は、打ち上げられた魚のように、ぴくぴくと身体を跳ねさせる。

「ねぇゾーキン、たくさん用意してよ」
「判ってる」

 男の声も聞こえた。
 そうだ、と痛みの中で、その時ようやく、彼女はその声の主を思い出した。クラスは違う。だけど知ってるはずだ。だって……

「いくら暖かくなったからって、夜にこんな薄着、女の子が良くないねぇ」

 さらり、と女は言った。
 そして包丁を持ちかえ、刃の先端を彼女の胸の真ん中に突き立て、思い切り力を込めた。

「!!!!!」

 彼女の身体は、大きくのけぞった。山吹色のシャツに真っ赤な染みがじわじわと広がった。
 女は一度勢い良く包丁を抜くと、二度三度とその付近を突き刺す。抜くたびに血が吹き出す。そしてまた刺すごとに、新たな血がにじみ出す。
 何度も何度も、それを女は繰り返した。
 やがて彼女の動きと呼吸は、完全に停止した。

「何してんのぉ」

 床で雑巾をかける男に、女は問いかけた。

「少し、飛んでた」
「ふぅん」
「喉の時のだ」
「仕方ないじゃなぁい。あんなとこに居るからさぁ」

 女は生徒用のステンレス台から飛び降りた。
 教卓の台には未だ遺体が乗せられ、それを取り囲む様に、幾枚もの雑巾が置かれていた。

「細かいよね、あんたいつも。そんなこと、後でいいじゃん」
「そういう訳には行かないだろう」

 ふうん、と女は首を傾げる。

「でもあんたは、あたしには早く消えてもらいたいんでしょ」

 男は遺体の足が投げ出されたシンクで雑巾を洗う。水は、シンクに流れた血も一緒に押し流して行った。

「だったら、早く、来てよ」

 女は男の背中に腕を回す。
 まだ点々と血が飛んでいる白い手が、男の首をゆるやかに愛撫する。ぴったりとしたTシャツからはちきれそうな胸が、彼の背中にぎゅっと張り付いた。

「ねぇ」

 ぐい、と女は男の首を自分の方へ向けさせ、有無を言わせずにキスを突きつけた。
 ことん、と男は赤い小さなびんを、台の上に置いた。

「ん……」

 熱い息と共に、男は女の唇に深く口づける。
 それはひどく長いキスだった。もつれ合い絡み合い、いつ終わるとも判らないものだった。
 だがふと、ごくん、と女の喉が鳴った。
 男はそれが合図の様に、女から唇を離した。
 女の腕から、次第に力が抜けて行く。
 やがて、女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「……お帰り」

 男は女の頬を撫でた。
 女はしばらく周囲を眺めると、やがて男に強くすがりつき、激しく泣きじゃくった。
 男はくり返しくり返し女の髪を撫でる。それは、それまで交わしていた長く、濃い時間の中で、決して女には与えなかった優しいものだった。

「それに」

 男は女の瞼にキスを落としながらつぶやく。

「これで、最後だ……」
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