8 / 40
7.三つにつながった鶴
しおりを挟む
「……全く、『遠野サマ』にも困ったもんだよなー」
あの声は島村だ、と高村はちら、と横目で見る。今日の眼鏡のフレームは、鼈甲の太枠だった。確か今朝聞いたところによると、「有閑マダム風」だそうだ。
「また何か、あったんですか?」
別の教師が問いかけている。明らかに島村のぼやきは、誰かに聞かせるためのものに違いなかった。独り言にしては、声が大きすぎる。
「んー、まあ別に、一人で休むんならいいですよ、あいつ、成績いいし、理解力あるし。だけどなー」
はああ、とややわざとらしく両手を広げ、島村は大きなため息をついている。
「あれがボイコットすると、うちとか、隣のクラスの女子とか、結構便乗する奴が増えちゃってねー」
便乗? ふと高村は注意を向けてしまう。
「……で、今後のスケジュールの変更についてですが…… 高村先生、聞いてますか?」
「は、はい!」
職員室の端にある応接スペースで、彼は教頭と一対一で向かい合っていた。
「……慣れないことの連続であるのは判りますが、皆、最低二度は通る道です。しゃんとして下さいよ、しゃんと!」
「はい!」
高村は思わず姿勢を正した。
確かにこの教頭の口調には、人を鼓舞する何かがある。正しいことを、正しく守らせようとする人だ、という印象があった。
そう言えば。彼は南雲にもそんな傾向を感じていた。ただ教頭の方が、言葉に重みが感じられる。
「……あの、教頭先生、一つ聞いてもいいですか?」
ふと彼は、昨夜軽く疑問に感じていたことを口にしてみた。
「何ですか?」
「昨日、結局、朝礼は無かったんですよね」
「ええ。あなたも遅刻したことですし」
そう言われると、きり、と高村の心臓も痛む。
「でもオレのせいではない、って聞きましたけど……」
「誰からですか」
「いえ、誰という程でもなく……」
教頭は眼鏡の下の目を軽く細めた。
「この学校には、この学校なりの事情がある、ということです」
なるほど、と短い答えに彼は悟った。
下手にそのことについて頭を突っ込むな、ということか。
だったらこれ以上、ここで聞いても仕方あるまい。この女性は決してそれ以上を口にしないだろう。彼は教頭に軽く頭を下げた。
「判りました。ありがとうございます」
「判ってくれたのなら、良いのです。次に……」
教頭の話は先へ先へと進められて行く。しかし一度立ち上がった疑問はそう簡単に消せるものではないことを、彼は良く知っていた。
*
「ふうん」
夕方。化学準備室の中、南雲は高村の提出した指導案を一瞥すると、一言そう言った。
「ど、どうでしょうか」
高村は思わず弱腰になる。
実習生は、実際の授業実習の前に、必ず指導案を担当に提出し、指導を受けることを義務づけられている。
彼なりに、何とか形にしてみた案だった。時間もそれなりに掛かっている。一応、大学の「教材研究」授業でも実際の授業の指導案の書き方は習ってきたつもりだった。模擬授業も経験している。
なのに、一瞥するなり、この態度だ。
さすがに高村は、どう反応していいのか判らなかった。
南雲はデスクの上に、彼の書いた指導案を軽く投げ出した。
「どうでしょうか、もどうも、ないわね」
「……って」
南雲はにっこりと笑った。だがその目は決して笑っていない。
「まあ、そう固くならないで。一度、やってみなくては判らないでしょう? 生ものだし。授業は」
「は?」
まだ合点がいかない、という表情で高村は彼女を見つめた。
「つまりですね」
何やら紙を丁寧に折り畳んでいる森岡が、そこで初めて口をはさんだ。
「君の指導案はまだまだ全然、詰められていない、ということですよ、高村君」
南雲はち、と舌打ちをし、軽く目を細めた。
「詰められて、いない?」
「内容がスカスカだ、ということです」
「スカスカ……」
「それこそベテラン教師なら、その案で授業も進められるでしょう。彼らは蓄積がありますからね。しかし君の様に、初めてとか、数回限りの実習生の場合、手順や予想される反応等、きっちり詰めておく必要がある、ということですよ」
はあ、と高村は思わずうなづいた。穏やかな口調なのに、言うことに容赦はまるで無かった。
「でもまあ、やってみてそれが判る、というのも確かにありですね、南雲さん」
そうですね、と言いつつ、振られた南雲の目は相変わらず笑っていなかった。
それに気付いたのか気付かないのか、森岡は付け足した。
「ああそうそう、それと高村君、ハッタリも一つの手ですよ」
「ハッタリ?」
いきなり何を言うんだ、と高村は思わず声を張り上げた。
「君が何よりも、彼らに呑まれない、なめられないことの方が大事ですよ。教える内容よりもね」
「……?」
「彼らは後期生です。授業を聞くも聞かないも、自己の裁量に任せられている訳です」
「はあ?」
「ひらたく言えば、彼らに聞く気にさせて、飽きさせなければ、いいんです。……まあ、私が言えた義理ではないですがね」
よし、と森岡は両手をほら、と広げて見せる。
「あ」
思わず高村は目を見張った。その手の間には、三つにつながった鶴ができあがっていた。
あの声は島村だ、と高村はちら、と横目で見る。今日の眼鏡のフレームは、鼈甲の太枠だった。確か今朝聞いたところによると、「有閑マダム風」だそうだ。
「また何か、あったんですか?」
別の教師が問いかけている。明らかに島村のぼやきは、誰かに聞かせるためのものに違いなかった。独り言にしては、声が大きすぎる。
「んー、まあ別に、一人で休むんならいいですよ、あいつ、成績いいし、理解力あるし。だけどなー」
はああ、とややわざとらしく両手を広げ、島村は大きなため息をついている。
「あれがボイコットすると、うちとか、隣のクラスの女子とか、結構便乗する奴が増えちゃってねー」
便乗? ふと高村は注意を向けてしまう。
「……で、今後のスケジュールの変更についてですが…… 高村先生、聞いてますか?」
「は、はい!」
職員室の端にある応接スペースで、彼は教頭と一対一で向かい合っていた。
「……慣れないことの連続であるのは判りますが、皆、最低二度は通る道です。しゃんとして下さいよ、しゃんと!」
「はい!」
高村は思わず姿勢を正した。
確かにこの教頭の口調には、人を鼓舞する何かがある。正しいことを、正しく守らせようとする人だ、という印象があった。
そう言えば。彼は南雲にもそんな傾向を感じていた。ただ教頭の方が、言葉に重みが感じられる。
「……あの、教頭先生、一つ聞いてもいいですか?」
ふと彼は、昨夜軽く疑問に感じていたことを口にしてみた。
「何ですか?」
「昨日、結局、朝礼は無かったんですよね」
「ええ。あなたも遅刻したことですし」
そう言われると、きり、と高村の心臓も痛む。
「でもオレのせいではない、って聞きましたけど……」
「誰からですか」
「いえ、誰という程でもなく……」
教頭は眼鏡の下の目を軽く細めた。
「この学校には、この学校なりの事情がある、ということです」
なるほど、と短い答えに彼は悟った。
下手にそのことについて頭を突っ込むな、ということか。
だったらこれ以上、ここで聞いても仕方あるまい。この女性は決してそれ以上を口にしないだろう。彼は教頭に軽く頭を下げた。
「判りました。ありがとうございます」
「判ってくれたのなら、良いのです。次に……」
教頭の話は先へ先へと進められて行く。しかし一度立ち上がった疑問はそう簡単に消せるものではないことを、彼は良く知っていた。
*
「ふうん」
夕方。化学準備室の中、南雲は高村の提出した指導案を一瞥すると、一言そう言った。
「ど、どうでしょうか」
高村は思わず弱腰になる。
実習生は、実際の授業実習の前に、必ず指導案を担当に提出し、指導を受けることを義務づけられている。
彼なりに、何とか形にしてみた案だった。時間もそれなりに掛かっている。一応、大学の「教材研究」授業でも実際の授業の指導案の書き方は習ってきたつもりだった。模擬授業も経験している。
なのに、一瞥するなり、この態度だ。
さすがに高村は、どう反応していいのか判らなかった。
南雲はデスクの上に、彼の書いた指導案を軽く投げ出した。
「どうでしょうか、もどうも、ないわね」
「……って」
南雲はにっこりと笑った。だがその目は決して笑っていない。
「まあ、そう固くならないで。一度、やってみなくては判らないでしょう? 生ものだし。授業は」
「は?」
まだ合点がいかない、という表情で高村は彼女を見つめた。
「つまりですね」
何やら紙を丁寧に折り畳んでいる森岡が、そこで初めて口をはさんだ。
「君の指導案はまだまだ全然、詰められていない、ということですよ、高村君」
南雲はち、と舌打ちをし、軽く目を細めた。
「詰められて、いない?」
「内容がスカスカだ、ということです」
「スカスカ……」
「それこそベテラン教師なら、その案で授業も進められるでしょう。彼らは蓄積がありますからね。しかし君の様に、初めてとか、数回限りの実習生の場合、手順や予想される反応等、きっちり詰めておく必要がある、ということですよ」
はあ、と高村は思わずうなづいた。穏やかな口調なのに、言うことに容赦はまるで無かった。
「でもまあ、やってみてそれが判る、というのも確かにありですね、南雲さん」
そうですね、と言いつつ、振られた南雲の目は相変わらず笑っていなかった。
それに気付いたのか気付かないのか、森岡は付け足した。
「ああそうそう、それと高村君、ハッタリも一つの手ですよ」
「ハッタリ?」
いきなり何を言うんだ、と高村は思わず声を張り上げた。
「君が何よりも、彼らに呑まれない、なめられないことの方が大事ですよ。教える内容よりもね」
「……?」
「彼らは後期生です。授業を聞くも聞かないも、自己の裁量に任せられている訳です」
「はあ?」
「ひらたく言えば、彼らに聞く気にさせて、飽きさせなければ、いいんです。……まあ、私が言えた義理ではないですがね」
よし、と森岡は両手をほら、と広げて見せる。
「あ」
思わず高村は目を見張った。その手の間には、三つにつながった鶴ができあがっていた。
0
あなたにおすすめの小説
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる