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22.「お城」―――都市管制コンピュータ
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目覚めた時には、既に辺りは暗かった。カーテンを開けると、ステーション前広場のモニュメントがライトアップされて奇妙な立体感をもって迫ってくるようだった。
大きく伸びをすると、彼は手櫛で髪を整え、後ろで一つに結んだ。首を回すとぽきぽきと音がする。気だるく、重い身体。確実にそれは彼の中で過ぎた時間を意味している。
ちゃり、と音のするキーを手にすると、朱明はもう一度重い扉を開けた。
何時にお帰りですか、などとフロントは余計なことは聞かない。丸いサングラスをして黒づくめの彼の姿に、やや何か言いたげではあったが、業務熱心なフロントマンは何も口にはしない。
そのまま足は地下鉄に向かう。
にぎわう地下街に、まだ何処かからの帰りなのか、それともまだ遊び足りないのか、そんな人々の間をすりぬける。流されて、切符売り場の、黒地に彩り鮮やかなメトロの地図を見上げる。基本的に路線は変わらないはずだ、と彼は思う。ただ管理するものが中心に居座ったというだけで。
そしてその中心に彼は用があった。
ポケットの中で、もう一つチャリ、と鳴るものがあった。それは有効だろうか。有効なはずだ。彼女が俺を呼んでいるならば。
音もなく、銀色の地下鉄がホームに滑り込む。あの頃と違って、閑散とすることなどない車内。彼は入り口近くの壁に背をつけると、目的の駅まで、ぼんやりと混み合う車内を眺めていた。派手な中吊りの広告。突然のカーブに、ぎゅ、と握りしめると切れるのではないかと錯覚してしまうような吊革。そんな中でも、学生だろうか、二十歳くらいの男女は疲れることを知らないように笑い合っている。
彼の知っているメトロとは、確実に、そして彼の望むように変わっていた。
そんなこと考えるのは老化の証拠だ、と相棒なら言うだろう。だがそれはそれでいいと思う。自分自身に関しては。
だが。
そこで彼はできれば考えるのを止めたかった。考えるのを止めてしまえば、とても楽だろう、と思った。
だがそれはできなかった。
あの頃、自分がハルに言ったことが、そのまま自分に返ってくる。自分が起こしたことは、自分で決着をつけなくてはならない。
速度が落ちる気配に、彼はややバランスを崩し、慌てて近くの手すりを握った。
恋人達のかたわれが、くす、と笑いかける。彼はやや照れ笑いを返した。
*
足下で、細かい石がざくざくと音を立てる。この場所だけは変わらない。
長い戦争の中で燃えた、はるか昔の建築物を再生した場所。そこは変わらずに、市民の愛する憩いの場となっているらしい。
透明な緑の光が、人気の無いその広場を煌々と照らしている。夜は立ち入り禁止だった。今もそうだろう。彼はその裏道を知っていた。
再築された建物――― そこは「お城」と呼ばれていた。実際に、遠い昔は、その地を治める領主の城だったらしい。白い壁に、浅黄色の屋根。その上には、やや人目を引くモニュメントが横たわっている。
奇妙なほどに、その市民は、その都市の象徴とも言える建物に、最新テクノロジーを導入することを拒まなかった。再築されたばかりの時に、いち早くエレベーターを入れたのは有名な話だが、今では都市管制コンピュータが、この中に据えられている。
その際、そのコンピュータの制作権を落札したのはスターライト社だった。
彼はしばらくその白い外壁の回りをぶらぶらと歩いていたが、一つの扉が壁の上に浮き上がって見えた時、その足を止めた。
チャリ、と音がする。彼はポケットの中を探ると、一つの鍵を取り出した。扉の前にふらりと足を向けると、常夜灯の柔らかな光でぎりぎり見える程度の、鍵穴にそれを差し込んだ。
かち、と音がする。彼はその扉を押し、入り込むと、後ろ手に閉めた。途端に闇が彼の周囲に満ちる。
その扉には、外側にノブや取っ手が無い。いや、そこは普段は扉ではないのだ。
おそらくそれは、普段はただの壁に見えているのだろう、と彼は思う。もともと小さな鍵穴以外、取っ手のついていない白い扉など、壁の一部として見せることは彼女にはたやすいことだろうから。
彼はひたすら暗いその場所で、待った。呼んでいるのなら、彼女は、そこから続く道を自分に示すだろう。
それは「不思議」に属することではある。だが彼はこの都市の中に居た間、「不思議」には慣れていた。慣れさせられていた。
「不思議」がどう不条理に見えようと、そこにある以上認めなくてはならないものだったし、それ以上に、彼と、その友人達は、その「不思議」を逆手に取らなくては、その都市と、彼の相棒を守ることは出来なかったのである。
常識で考えれば、あそこでまかりなりとも「支配」なんて構図が取れたのは冗談のようなものだ、と朱明は思う。実際冗談だろう、と今でも思う。
その時彼らがそんなことができたのは、その「不思議」をいち早く肯定したことと、眠っていた彼の相棒の、見えない力が働いていたからだった。
だから今、もしその状況になったとしても、彼はもうそんなことは御免だった。支配など、するのもされるのも好きではないのだ。
やがて、闇がその色をゆっくりと変えていった。来たな、と彼は思った。足下が柔らかくなる。色がそこだけ淡くなる。それが道なのだろう。彼は足を踏み出した。
不安定な足下が心許ない。大気が妙に濃密に感じられる。ここが違う空間であることが、肌で感じられる。
だがそれだけに「彼女」の呼び出しが本気ということが判る。そして本気だと言うことは。
不意に、大気の感触が軽くなる。彼は顔を上げた。
明るくはない部屋に、所々、眠らないランプが点いている。透明な扉が開くと、そこは、中央管制室だった。
「彼女」の姿があった。
「彼女」をその姿で見るのは、朱明にとっては初めてだった。
正確に言えば、朱明は「彼女」とまともに対峙したことはない。
彼がその存在に気付いたのは、まだ事件の前だった。それも、「違和感」という程度のもの。普通程度の勘を持つ人間なら、見過ごしてしまうような違和感を、朱明はある時相棒の上に見たからだった。
「はじめましてと、言うべきかね」
大きく伸びをすると、彼は手櫛で髪を整え、後ろで一つに結んだ。首を回すとぽきぽきと音がする。気だるく、重い身体。確実にそれは彼の中で過ぎた時間を意味している。
ちゃり、と音のするキーを手にすると、朱明はもう一度重い扉を開けた。
何時にお帰りですか、などとフロントは余計なことは聞かない。丸いサングラスをして黒づくめの彼の姿に、やや何か言いたげではあったが、業務熱心なフロントマンは何も口にはしない。
そのまま足は地下鉄に向かう。
にぎわう地下街に、まだ何処かからの帰りなのか、それともまだ遊び足りないのか、そんな人々の間をすりぬける。流されて、切符売り場の、黒地に彩り鮮やかなメトロの地図を見上げる。基本的に路線は変わらないはずだ、と彼は思う。ただ管理するものが中心に居座ったというだけで。
そしてその中心に彼は用があった。
ポケットの中で、もう一つチャリ、と鳴るものがあった。それは有効だろうか。有効なはずだ。彼女が俺を呼んでいるならば。
音もなく、銀色の地下鉄がホームに滑り込む。あの頃と違って、閑散とすることなどない車内。彼は入り口近くの壁に背をつけると、目的の駅まで、ぼんやりと混み合う車内を眺めていた。派手な中吊りの広告。突然のカーブに、ぎゅ、と握りしめると切れるのではないかと錯覚してしまうような吊革。そんな中でも、学生だろうか、二十歳くらいの男女は疲れることを知らないように笑い合っている。
彼の知っているメトロとは、確実に、そして彼の望むように変わっていた。
そんなこと考えるのは老化の証拠だ、と相棒なら言うだろう。だがそれはそれでいいと思う。自分自身に関しては。
だが。
そこで彼はできれば考えるのを止めたかった。考えるのを止めてしまえば、とても楽だろう、と思った。
だがそれはできなかった。
あの頃、自分がハルに言ったことが、そのまま自分に返ってくる。自分が起こしたことは、自分で決着をつけなくてはならない。
速度が落ちる気配に、彼はややバランスを崩し、慌てて近くの手すりを握った。
恋人達のかたわれが、くす、と笑いかける。彼はやや照れ笑いを返した。
*
足下で、細かい石がざくざくと音を立てる。この場所だけは変わらない。
長い戦争の中で燃えた、はるか昔の建築物を再生した場所。そこは変わらずに、市民の愛する憩いの場となっているらしい。
透明な緑の光が、人気の無いその広場を煌々と照らしている。夜は立ち入り禁止だった。今もそうだろう。彼はその裏道を知っていた。
再築された建物――― そこは「お城」と呼ばれていた。実際に、遠い昔は、その地を治める領主の城だったらしい。白い壁に、浅黄色の屋根。その上には、やや人目を引くモニュメントが横たわっている。
奇妙なほどに、その市民は、その都市の象徴とも言える建物に、最新テクノロジーを導入することを拒まなかった。再築されたばかりの時に、いち早くエレベーターを入れたのは有名な話だが、今では都市管制コンピュータが、この中に据えられている。
その際、そのコンピュータの制作権を落札したのはスターライト社だった。
彼はしばらくその白い外壁の回りをぶらぶらと歩いていたが、一つの扉が壁の上に浮き上がって見えた時、その足を止めた。
チャリ、と音がする。彼はポケットの中を探ると、一つの鍵を取り出した。扉の前にふらりと足を向けると、常夜灯の柔らかな光でぎりぎり見える程度の、鍵穴にそれを差し込んだ。
かち、と音がする。彼はその扉を押し、入り込むと、後ろ手に閉めた。途端に闇が彼の周囲に満ちる。
その扉には、外側にノブや取っ手が無い。いや、そこは普段は扉ではないのだ。
おそらくそれは、普段はただの壁に見えているのだろう、と彼は思う。もともと小さな鍵穴以外、取っ手のついていない白い扉など、壁の一部として見せることは彼女にはたやすいことだろうから。
彼はひたすら暗いその場所で、待った。呼んでいるのなら、彼女は、そこから続く道を自分に示すだろう。
それは「不思議」に属することではある。だが彼はこの都市の中に居た間、「不思議」には慣れていた。慣れさせられていた。
「不思議」がどう不条理に見えようと、そこにある以上認めなくてはならないものだったし、それ以上に、彼と、その友人達は、その「不思議」を逆手に取らなくては、その都市と、彼の相棒を守ることは出来なかったのである。
常識で考えれば、あそこでまかりなりとも「支配」なんて構図が取れたのは冗談のようなものだ、と朱明は思う。実際冗談だろう、と今でも思う。
その時彼らがそんなことができたのは、その「不思議」をいち早く肯定したことと、眠っていた彼の相棒の、見えない力が働いていたからだった。
だから今、もしその状況になったとしても、彼はもうそんなことは御免だった。支配など、するのもされるのも好きではないのだ。
やがて、闇がその色をゆっくりと変えていった。来たな、と彼は思った。足下が柔らかくなる。色がそこだけ淡くなる。それが道なのだろう。彼は足を踏み出した。
不安定な足下が心許ない。大気が妙に濃密に感じられる。ここが違う空間であることが、肌で感じられる。
だがそれだけに「彼女」の呼び出しが本気ということが判る。そして本気だと言うことは。
不意に、大気の感触が軽くなる。彼は顔を上げた。
明るくはない部屋に、所々、眠らないランプが点いている。透明な扉が開くと、そこは、中央管制室だった。
「彼女」の姿があった。
「彼女」をその姿で見るのは、朱明にとっては初めてだった。
正確に言えば、朱明は「彼女」とまともに対峙したことはない。
彼がその存在に気付いたのは、まだ事件の前だった。それも、「違和感」という程度のもの。普通程度の勘を持つ人間なら、見過ごしてしまうような違和感を、朱明はある時相棒の上に見たからだった。
「はじめましてと、言うべきかね」
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