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第33話 噂は当の本人が居ない時に限る
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「こないだはすみませんでしたね」
「あー? 何のこと?」
耳から後ろだけ、ストレートに長く伸ばした髪を暑そうにかき上げながら、TEARは問い返した。
「や、FAVさんが」
切り出す時には、話題の当人が居ない時を無論見計らう。
ベースのリハーサルをやっていたTEARがちょうど、飲み物を買いに廊下に出た時を、P子さんは見逃さなかった。
ソファにどん、と身を投げ出した彼女にふらふらと近づき、いいですか、と答えられる前に座った。
話題の当の本人は、音入れの最中だった。
FAVもまた、自分の音にはシビアだったから、結構長くかかる。
リズム隊のTEARや、ギターでもバッキング中心のP子さんに比べ、リードギターの彼女は、曲全体の雰囲気を左右するだけに。
「ああ」
髪ゴム持ってる? とTEARはP子さんに訊ねた。
P子さんはポケットから黒い太いゴムを取り出した。汗をかいたジャワティーの缶をテーブルの上に置くと、あんがとさん、と言ってTEARはそれで後ろの髪をまとめる。
まるでショートカットの様だ。長い部分は、腰のあたりまである。よくそこだけ伸ばしたものだ、と時々P子さんは感心する。
「別に。大したことじゃあないし」
「そうですか?」
「そらまあ、それなりにショックだったようだけど、でもまあ、あっちが自分自身それじゃあいけない、と思ってるんだからさ」
「そういうとこが、あのひとは偉いと思いますがね」
「あたしもそう思うよ」
照れもせず、TEARはそう言い放つ。
「あのひとはさ、自分で選んでしまったことなんだから、それで動揺したり悲しんだり怒ったりする資格はない、って思ってるんだよ」
「そういうものですかね」
「あたしはそうは思わない。いくらどんなこと選んだったって、誰だって迷うじゃないか。だったらそれはそれでいいと思う。それで愚痴の一つでも吐いて、酒呑んで、騒いで怒って笑って、一晩寝れば終わりにしたいよ」
「確かに」
考えたってどうしようもないことは色々ある。それをいちいち頭の中でぐるぐるさせたところで、結局自分の神経が痛むだけで、誰にも何にもならない。
「だけどあのひとはそうもいかないらしいからね。だったら、気の済むまでそうさせてやるしかないだろ」
ふうん、とP子さんはうなづいた。
「で、何とかなったんですか?」
「さあ」
「さあってアナタ」
「当人がそういう素振りを見せるんだから、あたしがどうこう言えることじゃあないしね」
「確かにそうですね」
あのプライドの高い魔女には、下手な同情は禁物だ。
「それに、あたしとしちゃ、あの辛さに耐えてる風情がたまらない、ってとこもあるし」
にやり、とTEARは笑った。P子さんは肩をすくめた。
「そーいえば、太かったそうですね、あのひと」
「うん。はっきり言ってしまえば、ホント、でぶだったよ」
「……ホントにはっきり言いますねえ」
「事実は事実。違うなんて言ったら、そのほうが失礼だよ。良くも悪くも、あたしが言うとすげえそれは侮辱らしいしね」
それはそうだ、とP子さんも思う。
TEARはその価値を否定しているとは言え、世間一般で言うナイスバディであることには間違いない。下手にそこで人のプロポーションを弁護するのはふざけている、と言われるだろう。当人がそれを一番良く知っていた。
「あたしが最初にあのひとに会ったのは、まだガキの頃だったよ。あたしは小学生で、あのひとは中学生だった」
「……まじですか?」
「ホント、ぐーぜん。これはマジでぐーぜんだよ」
ぐいぐい、とTEARはジャワティーを音を立てて飲む。
「横浜駅で迷子になった時に、たまたま何か、塾か何かで出てきていたのかな。背丈は今より10㎝は低かったけど、横幅はあったなあ…… だいたい顔が丸かったし」
「……予想がつきませんよ」
「だからさすがに、その時に名前聞いたおねーさん、が、後で好きになったバンドのギタリストさんとなかなか一致しなくてさあ」
「そりゃあそうでしょう……」
FAVの前のバンド、F.W.AのステージをP子さんは見たことはない。だが、噂は良く聞いていた。
鮮やかなたっぷりした衣装の下、細い、肉の無い腕でギターをかき鳴らす魔女。メイクと言うよりは舞台化粧を施したような顔は、汗一つかかないと言われていた。
「ただ、声がねえ」
「声?」
「MAVOちゃんとは違うタイプだけど、あのひとも、歌えるんだよ」
「それは初耳……」
「でまあ、あたしの中で、その中学生のおねーさん、の声があのひとがステージで叫んだりわめいたり笑ったりしてる時に思い出してさあ。でよくよく本名とか聞いてみると、何か昔聞いた名前がそんなだった気がするし、それに出身がそっちだって言うしさあ……」
「偶然ってあるんじゃないか、って思いました?」
「思ったねえ」
ふふ、とTEARは笑った。
「だからもう、こんな偶然は運命でしかない! って思いこむことにしてさ。あとはまあ、あんたも良く知る通り」
ははは、とP子さんは力無く笑う。
何しろFWA解散からPH7に加入するまでの彼女のFAVに対する積極的な行動の数々ときたら。何でそこまで自信持って行動できるんだ、とさすがにP子さんだけではなく、HISAKAもMAVOも呆れたものだった。
「彼女が落ちる勝算はあったんですか? そもそも」
「いんや、別に」
さらり、とTEARは答え、残りのジャワティーを一気に飲み干す。
「嫌われてはいない、と思ったからね。あとはまあ」
「あとはまあ?」
背後の声にTEARは飛び上がった。後ろで髪を太く三つ編みにしたFAVがそこには立っていた。
「あら早かったね」
それでもすぐに体勢を立て直し、いけしゃあしゃあと笑顔で答えるあたりがすごい、とP子さんは思う。
「順調に行っちゃ悪いかい? P子さんちょっとHISAKAが用があるってさ。見つけたら呼んで欲しいって言われたよ」
「あ、あんがとさん」
どういたしまして、とFAVは口元を上げた。
そのままHISAKAの居るレコーディングスタジオに向かうふりをして、残された二人をちら、と見る。
相変わらずFAVは素っ気ないし、TEARはそれにじゃれついている様に見える。……まあ結局は、何だかんだ言ったところで、口出しすれば馬に蹴られる類だ。
お見事だなあ、とP子さんは内心TEARに拍手する。
「あー? 何のこと?」
耳から後ろだけ、ストレートに長く伸ばした髪を暑そうにかき上げながら、TEARは問い返した。
「や、FAVさんが」
切り出す時には、話題の当人が居ない時を無論見計らう。
ベースのリハーサルをやっていたTEARがちょうど、飲み物を買いに廊下に出た時を、P子さんは見逃さなかった。
ソファにどん、と身を投げ出した彼女にふらふらと近づき、いいですか、と答えられる前に座った。
話題の当の本人は、音入れの最中だった。
FAVもまた、自分の音にはシビアだったから、結構長くかかる。
リズム隊のTEARや、ギターでもバッキング中心のP子さんに比べ、リードギターの彼女は、曲全体の雰囲気を左右するだけに。
「ああ」
髪ゴム持ってる? とTEARはP子さんに訊ねた。
P子さんはポケットから黒い太いゴムを取り出した。汗をかいたジャワティーの缶をテーブルの上に置くと、あんがとさん、と言ってTEARはそれで後ろの髪をまとめる。
まるでショートカットの様だ。長い部分は、腰のあたりまである。よくそこだけ伸ばしたものだ、と時々P子さんは感心する。
「別に。大したことじゃあないし」
「そうですか?」
「そらまあ、それなりにショックだったようだけど、でもまあ、あっちが自分自身それじゃあいけない、と思ってるんだからさ」
「そういうとこが、あのひとは偉いと思いますがね」
「あたしもそう思うよ」
照れもせず、TEARはそう言い放つ。
「あのひとはさ、自分で選んでしまったことなんだから、それで動揺したり悲しんだり怒ったりする資格はない、って思ってるんだよ」
「そういうものですかね」
「あたしはそうは思わない。いくらどんなこと選んだったって、誰だって迷うじゃないか。だったらそれはそれでいいと思う。それで愚痴の一つでも吐いて、酒呑んで、騒いで怒って笑って、一晩寝れば終わりにしたいよ」
「確かに」
考えたってどうしようもないことは色々ある。それをいちいち頭の中でぐるぐるさせたところで、結局自分の神経が痛むだけで、誰にも何にもならない。
「だけどあのひとはそうもいかないらしいからね。だったら、気の済むまでそうさせてやるしかないだろ」
ふうん、とP子さんはうなづいた。
「で、何とかなったんですか?」
「さあ」
「さあってアナタ」
「当人がそういう素振りを見せるんだから、あたしがどうこう言えることじゃあないしね」
「確かにそうですね」
あのプライドの高い魔女には、下手な同情は禁物だ。
「それに、あたしとしちゃ、あの辛さに耐えてる風情がたまらない、ってとこもあるし」
にやり、とTEARは笑った。P子さんは肩をすくめた。
「そーいえば、太かったそうですね、あのひと」
「うん。はっきり言ってしまえば、ホント、でぶだったよ」
「……ホントにはっきり言いますねえ」
「事実は事実。違うなんて言ったら、そのほうが失礼だよ。良くも悪くも、あたしが言うとすげえそれは侮辱らしいしね」
それはそうだ、とP子さんも思う。
TEARはその価値を否定しているとは言え、世間一般で言うナイスバディであることには間違いない。下手にそこで人のプロポーションを弁護するのはふざけている、と言われるだろう。当人がそれを一番良く知っていた。
「あたしが最初にあのひとに会ったのは、まだガキの頃だったよ。あたしは小学生で、あのひとは中学生だった」
「……まじですか?」
「ホント、ぐーぜん。これはマジでぐーぜんだよ」
ぐいぐい、とTEARはジャワティーを音を立てて飲む。
「横浜駅で迷子になった時に、たまたま何か、塾か何かで出てきていたのかな。背丈は今より10㎝は低かったけど、横幅はあったなあ…… だいたい顔が丸かったし」
「……予想がつきませんよ」
「だからさすがに、その時に名前聞いたおねーさん、が、後で好きになったバンドのギタリストさんとなかなか一致しなくてさあ」
「そりゃあそうでしょう……」
FAVの前のバンド、F.W.AのステージをP子さんは見たことはない。だが、噂は良く聞いていた。
鮮やかなたっぷりした衣装の下、細い、肉の無い腕でギターをかき鳴らす魔女。メイクと言うよりは舞台化粧を施したような顔は、汗一つかかないと言われていた。
「ただ、声がねえ」
「声?」
「MAVOちゃんとは違うタイプだけど、あのひとも、歌えるんだよ」
「それは初耳……」
「でまあ、あたしの中で、その中学生のおねーさん、の声があのひとがステージで叫んだりわめいたり笑ったりしてる時に思い出してさあ。でよくよく本名とか聞いてみると、何か昔聞いた名前がそんなだった気がするし、それに出身がそっちだって言うしさあ……」
「偶然ってあるんじゃないか、って思いました?」
「思ったねえ」
ふふ、とTEARは笑った。
「だからもう、こんな偶然は運命でしかない! って思いこむことにしてさ。あとはまあ、あんたも良く知る通り」
ははは、とP子さんは力無く笑う。
何しろFWA解散からPH7に加入するまでの彼女のFAVに対する積極的な行動の数々ときたら。何でそこまで自信持って行動できるんだ、とさすがにP子さんだけではなく、HISAKAもMAVOも呆れたものだった。
「彼女が落ちる勝算はあったんですか? そもそも」
「いんや、別に」
さらり、とTEARは答え、残りのジャワティーを一気に飲み干す。
「嫌われてはいない、と思ったからね。あとはまあ」
「あとはまあ?」
背後の声にTEARは飛び上がった。後ろで髪を太く三つ編みにしたFAVがそこには立っていた。
「あら早かったね」
それでもすぐに体勢を立て直し、いけしゃあしゃあと笑顔で答えるあたりがすごい、とP子さんは思う。
「順調に行っちゃ悪いかい? P子さんちょっとHISAKAが用があるってさ。見つけたら呼んで欲しいって言われたよ」
「あ、あんがとさん」
どういたしまして、とFAVは口元を上げた。
そのままHISAKAの居るレコーディングスタジオに向かうふりをして、残された二人をちら、と見る。
相変わらずFAVは素っ気ないし、TEARはそれにじゃれついている様に見える。……まあ結局は、何だかんだ言ったところで、口出しすれば馬に蹴られる類だ。
お見事だなあ、とP子さんは内心TEARに拍手する。
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