女性バンドPH7②マイペースな女性ギタリストが男の娘と暮らしていた件について。

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
48 / 51

第48話 蝶々をつけてあげよう

しおりを挟む
『……はい、港屋です』
「……あ、その声は、トキちゃん」
『DBちゃん! い、今どこに居るの!』
「……って」
『みんなDBちゃんが居ないから、って探しに出てしまってるのよ!』
「みんな」

 ふう、と彼はその言葉を聞くと全身に暖かいものが広がるのを感じた。ありがたい。本当に、あのひと達は。


『……ええと…… それで、今、DBちゃん何処にいるの?』
「どこって」

 彼は心配そうに見ている従業員に目で訴える。ここは何処? 従業員は慌ててプラスチックのケースに入れたホテルのパンフを示す。

「……えーと、……ああ、目黒みたい」
『目黒! って……目黒のどのへんなの?』
お客様…… 駅だったらそう遠くはございませんが……」
『あのねDBちゃん、伝言があるの!』
「……伝言?」

 視界の端で男はエレベーターの中に消えていった。途端、身体に残る弛緩作用が戻ってくる。一錠で何時間効果があっただろう。

『P子さん今日、目黒のライヴハウスに居るって』
「ライヴハウスに?」

 目黒のライヴハウス、と言えば。彼は記憶をたどる。あそこだ。老舗ライヴハウス。彼女から聞いたことがある。元演芸場だったとか、かび臭いとか、ポスターが壁にこれでもかとばかりに貼られているとか、空調が南極とか。

「誰からの、伝言だったの? ……トキちゃん」
『……HISAKAさん。DBちゃん、ごめんね』
「何」
『……だから、色々』

 色々の内容は予想がつく。いいよ、と彼は答えた。

「……ママ達と連絡取れたら、取ってくれない? 今から僕、そっちに向かうからって」
『そっちって…… ライヴハウスに?』
「うん。僕は大丈夫だから、って」

 わかった、と向こう側から声がする。受話器を置くと、彼はありがとうございました、と深々と従業員に頭を下げる。この場を貸してくれてありがとう、と素直に頭を下げる。

「……ありがとうついでで何ですが、あの」

 ライヴハウスの名を告げ、彼は道を訊ねた。さすがに従業員はあああそこか、とうなづいた。
 そう遠くはない。首都圏の距離感と地方の距離感は違う。地方出身の彼には、決して遠くはない距離だった。

「……僕行きますから、五階の…… あの部屋の料金は、あのひとから取ってください。警察沙汰にはしないから、って」

 ホテルの従業員は、従業員であるだけ、客の顔は覚えているだろう。
 少なくとも、この服を着た自分と、その連れは。自分が実は男だった、というのは従業員もびっくりだったろうが。

「お客様」

 何、と出て行こうとする彼を従業員は呼び止めた。

「これ、どうぞ」

 従業員は館内用スリッパを差し出した。サンダルに近い。ありがとう、と彼はもう一度頭を下げた。
 歩き出す。公道をスリッパというのは妙な感触だ。
 だが近いのなら、行かなくてはならないだろう。おそらく、HISAKAというひとは、それを見越して伝言したのだ。そのまま助けを待っているのか、それとも、自分で行ける所まで行くのか、と。
 ぺたぺた、と歩くたびに音がする。破れた服、素足にスリッパ、スカートの下には下着もつけていない。髪も乱れているだろう。正直、鏡が今ここにあっても見たくな気分だった。
 そして彼はホテルの従業員から言われた道順を反芻する。二番目の通りを右……次の交差点はまっすぐ…… 信号があったら……

 信号が…… ない?

 彼は息を呑んだ。立ち止まる。前方を見る。通りはある。だが信号はない。
 明るい通りだ。すずらん灯が点いている。
 おそらく店が立ち並んでいるから、道は聞けるだろう。彼は迷わずに進んだ。交差点に立つ。右少し向こうにコンビニ。そこにたどりつくまでに数名の人。

「……あの、すみません……」

 そのうちの一人に、声をかけてみる。はい? と振り返る、鮮やかなオレンジとグリーンの服を着た少女は、ひっ、と声を立てると、コンビニへと走り込んだ。
 見渡すと、じろじろと好奇の視線。自分の半径数メートルには、誰も近づいていない。そうだよなひどい格好だもんな。だがそこでめげる訳にはいかない。コンビニエンスから出てくる客に声を掛ける。

「……って、この道でいいんですか?」
「さあ知らない」

と一人は引きつった顔で答えた。

「えー、こっちじゃなかったっけー」
「こっちだと思ったけどお」
「うん、こっちだよねえ」

 三人組の女子高生は、金に近い茶髪に頭にひまわりをべたべたとくっつけてそう言い合った。派手な格好だ。頭の花だけでなく、服までもひまわりよろしくぽんぽんと色も形も飛び跳ねている。

「ところであんたもー、何かのパーティの帰りい?」
「そう見えるう?」

 見えるう、とけたけたと少女達は笑った。

「ファンデ取れまくってるよー。色だいじょーぶだったら、あたしの、貸したげよーか?」

 彼は自分の口の端が和らぐのを感じる。

「ありがと。だけど、だいじょうぶ」
「ホントにー?」
「ホントホント」
「ふーん。ちゃんとたどり着けると、いいね」
「ホント、こっちだと思うんだけどなー」
「うん一応、行ってみる。間違ったら、また誰かに聞くよ」

 そぉ、と三人組は顔を見合わせあってうなづく。

「あ、そだ」

 一人がバッグにつけていた細いリボンを抜き取ると、彼の襟元の飾りとボタン穴にする、と通した。
 鮮やかで、ごついくらいの印象のある爪を持つ手は、案外器用にそこに蝶々を作った。

「ちょっとかわいそーだしさあ」
「……ありがとう」

 じゃあね、と少女達は立ち去って行った。彼は軽く手を振った。その様子を、コンビニからまた出て来たカップルが気味悪そうな顔で、横目で見て行く。

 さて、と。

 彼は蝶々に一度触れると、言われた道の方へと歩いて行った。ぺたぺたぺた、とまたスリッパが音を立てる。
 次に話しかけた人から、次の大通りで、歩道橋を上がって、下がって、すぐだ、と教えられた。
 だがなかなか歩道橋は見つからない。間違えたのだろうか、と彼は道の標識を探す。付近の商工会の地図のようなものを探す。少し遠目に辺りを見渡す。歩道橋は何処だ。
 仕方ない、と彼は元来た道を引き返す。迷った時にはそれが一番なのだ。……もっとも、今の場合、戻った時点が何処なのか、それすら判っていないのだが。
 数歩、戻りかけた時だった。

「ねえ君、どっか、探してるの?」

 女性の声が、問いかけてきた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

第一王子様から選ばれるのは自分だと確信していた妹だったけれど、選ばれたのは私でした。

睡蓮
恋愛
ルビー第一王子様からもたらされた招待状には、名前が書かれていなかった。けれど、それを自分に宛てたものだと確信する妹のミーアは、私の事をさげすみ始める…。しかしルビー様が最後に選んだのは、ミーアではなく私だったのでした。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

無能扱いされ、パーティーを追放されたおっさん、実はチートスキル持ちでした。戻ってきてくれ、と言ってももう遅い。田舎でゆったりスローライフ。

さくら
ファンタジー
かつて勇者パーティーに所属していたジル。 だが「無能」と嘲られ、役立たずと追放されてしまう。 行くあてもなく田舎の村へ流れ着いた彼は、鍬を振るい畑を耕し、のんびり暮らすつもりだった。 ――だが、誰も知らなかった。 ジルには“世界を覆すほどのチートスキル”が隠されていたのだ。 襲いかかる魔物を一撃で粉砕し、村を脅かす街の圧力をはねのけ、いつしか彼は「英雄」と呼ばれる存在に。 「戻ってきてくれ」と泣きつく元仲間? もう遅い。 俺はこの村で、仲間と共に、気ままにスローライフを楽しむ――そう決めたんだ。 無能扱いされたおっさんが、実は最強チートで世界を揺るがす!? のんびり田舎暮らし×無双ファンタジー、ここに開幕!

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

処理中です...