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9話目 「反対派」について。

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「反対派、か」

 昼間の怒涛のような講義を終え、遅い夕食、そしてやっとお茶の時間。
 その時カエンがぼそっとつぶやいた。相変わらずカップと本を両方手にしている。中身はコーヒーだった。

「どう思う?」

 問いかけながらアーランの方を向く。両手に抱え込んで持つはコーヒーのおすそ分け。ただし半分以上ミルク。気付いた彼女はやや困った顔になった。

「どうって」
「何故わざわざ反対されなくてはならないんだろうな?」
「だって、少なくとも今までになかったものじゃない? どんなものだって、何にしたって、新しいものって、まず反発が来るもんじゃないかしら?」
「そりゃあ、そんなものはあれこれあるさ。だけど昔、それこそアンドルース教授が向こうへ出かけた頃には、留学制度自体が初めてだったのに、反対派はそう出なかったらしい」
「そうなの?」

 アーランはカラシュの方を向く。カラシュはゆるく編んだ髪を揺らせてうなづいた。

「今回のと違って、結構当時は技術面とかにおいて、危機感があったらしいのよね。三十年くらい前かしら? 向こうとの国交を開いたばかりで、力関係にも不安があったって言うし」
「力関係?」

 耳慣れない言葉にアーランは首を傾げる。

「向こうに攻め込まれないか、っていう不安よね。帝国は今まで全て『勝って』きた国なのよ。はじめて負けるんじゃないか、って不安にさらされたって訳ね」
「ずっと勝ってきた? だって今まで戦はなかったじゃない」
「違うわよ」

 きっぱり言って、カラシュは首を振る。

「歴史の授業なら、そう言うでしょうよ。『内乱を平定し帝国の仲間入りをさせた』とか、『鎮圧して平和が来た』とかね。でも結局は全部同じね。この国はたくさんあった藩国を戦争によって併合していったんだから」
「最後の藩国『桜』はずいぶんひどい戦役らしかったな」
「まあね。そうは言ってもあたし達には所詮歴史なんだけど。……って、こう言っちゃ良くないのかもしれないけれど。とにかく帝国の軍隊は負けたことがなかったのよ。ところが『連合』には負けるかもしれない、と当時皇帝陛下はお考えになられたらしいわ」
「へえ」

 アーランは感心する。確かに成績は良かったが、内容自体に疑問を持ったことがなかった彼女には新鮮な見方だった。

「でも『連合』だって馬鹿じゃない。あの大砂漠を越えてまでこちらと戦ったり占領することはまず無いわ」
「どうして」
「費用がかかりすぎるもの」

 は、とアーランは目を見開いた。カラシュの言葉の意味が上手く判らない。

「それは判るな。軍が金食い虫だってことは常識だ。それを動かすよりは、外交で何とかした方がいい。こっちとある程度の条約を結んだ方がいいと考えたかもな」
「何はともあれ、国交を持ち出した時、皇帝陛下はそれを望まれなかった。少なくとも帝国では、それを決定するのは皇帝陛下だわ。だから連合にその気がないということは陛下も大臣達も、初めから判っていたというから、それだけは無かったと思うの」
「カラシュは詳しいな」

 カエンは顔を上げ、音を立てて本を閉じた。どうやら本よりも現在の話の方が面白いと考えたらしい。カラシュはその言葉にやや頬を染める。

「政治や歴史に滅茶苦茶詳しい人が近くに居たんですもの。あたしが苦手だ苦手だといくら言っても懲りないひとがね。おかげでこの程度には詳しくなってしまったわ」
「ほお」
「そのひとが言ったのよ。どう考えたって兵器の技術に差がありすぎる。向こうさん、どういうモノを持っているかをあっさりとこちら側の代表に見せたらしいわ。当時。皇帝陛下にも、当時の軍務大臣にもそう。全くもって無防備にね。つまりそれは、こっちが今何をしても無駄だ、ってことを見せつけたのよ」
「それで皇帝陛下は技術革新を急がれた?」
「兵器のためだけではないと思うけど。結果的には帝都周辺の都市開発とかも一気に行われた訳だし。問題は、当時確実に、帝国は連合になめられていた、ということなのよ。当時の連合の大統領は言ったらしいわ。『お互いの発展のために友好条約を結んだ方がいいと思いませんか?』」

「脅し」

 アーランは反射的にそう口に出していた。

「そ、脅しよ。威嚇よね。とは言え平和的ではあるけれどね。向こうはもともと戦争なんて起こしたくないのよ。さっきも言ったように、無駄の方が多いんだから。だから帝国に下手な真似されても困る。そのための威嚇よね。いい根性」
「で、それを君に話したのは、君の恋人か何かか?」

 アーランはそう口に出したカエンの方を見る。珍しくその唇の端には笑いが浮かんでいる。

「そうよ、悪い?」
「別に悪くはないさ。だけど留学の件は反対されなかったのか?」
「それは内緒です」

 片眉を上げ、カラシュはにっこりと笑った。
 どんな人なのか。アーランはカラシュの恋人という人物に興味を持った。
 彼女達程度の歳なら、恋人どころか結婚話が来ていいもおかしくはない。貴族ならなおさらだ。

「恋人ってどういうひと?」

 カラシュはその質問が来るとは思っていなかったらしく、一瞬目を瞬かせた。少し弱り顔でうめくと、やや考え込む。

「どう言ったものかしらね」

 前置きをすると、実に幸せそうな、夢見るような目になって話し出した。

「とにかく何って言ったらしいいのかしらね。カエンみたいに黒い髪、黒い目なのよ。細いんだけど筋肉質で、えーと、声がいいの。低くって、何っかいつもけだるそうなんだけど」

 はあ、とアーランはうなづいた。これは大のろけだ。
 カラシュは続ける。

「歳はね、多少上。だけどあたしをそう言った理由で見下すってこともないし。時々、凄ぉくいい根性だなあって思うことはあるし、何かペースに巻き込まれてしまうことも多いんだけど。でも何といっても、あたしの方が確実に一つ弱味があるのよね」
「どんな?」
「先に惚れた方が負けなのよ」
「ほお」

 それしか二人はあいづちを打てなかった。
 カラシュの言葉は止まらない。真面目な話の時とはうって変わったように、物事の順番がごちゃごちゃになるのも気がついているのか気がついていないのか。
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