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15話目 西向きの窓
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「うちには幾つかの空き部屋があってな」
カエンは大きな椅子にもたれ掛かり、足を組んで言う。
「母が最後まで使っていた部屋も今ではその一つだ。父は後妻を迎えても、決してその部屋は使わせない。出入りは許されているが、そこに住まうことは誰一人として許されない」
「きっと父上はあなたの母上をずいぶん愛していらしたのね」
「さあそれはどうだか。もしかしたら亡くなってから気付いたのかもしれない。だがそれは父の問題であってワタシの問題ではない。父が亡くしたのは妻で、ワタシが亡くしたのは母だ。その母の部屋の窓が、南と西に大きく二つついていた。ところがワタシはつい最近まで、そこに西向きの窓があるとは気付かなかった。何故だと思う?」
「何故?」
「その窓から見える景色が母のお気に入りだったからだ。彼女は病気になってから、そこから見える夕暮れの景色をあきるまで眺めていたという。だがそこは母の死後、板が張られ、その上に大きな絵を掛けられて隠されてしまった。ところがひょんなことから召使いの一人が、その絵を落としてしまった。その召使いはワタシにはずいぶん慣れ親しんでいたからな、こういうものがありました、と丁寧に言ってきた。考えてみれば、微かに記憶はある。それは居場所の分からない景色だった。だから、もしかしたら、という気はしていた」
カエンはいつになく雄弁だった。
「結構その頃迷っていた。確かにワタシは第一中等まで行けた。勉強もした。だが、それ以上をどうしよう。たとえ高等専門に行けたとしても、ワタシがなりたい医者には決してなれない。あきらめかけていた」
「あきらめ?」
「ワタシは長子ではない。となると、何かと親戚がワタシの身の振り様にうるさい」
でしょうね、とカラシュはうなづいた。
「向こうの言うことにも一理ある。だからどうしたものか、ワタシはその頃かなり煮詰まっていた。コンデルハン夫人リュイファ様が前々から学問好きのワタシのことは聞いていたらしく、相談にのるとは言っていてくれたし、実際この話を持ってきてくれたのは彼女だ。まあ実際、他に行こうと思うような奴もいなかったらしいが。だが、かと言ってはいそうですか、とあっさり行くこともできない。八方手詰まりの気分だった」
とてもそうは見えない、とアーランは思う。
「まあその手詰まりなど、所詮ワタシ自身の問題だったんだ。それは後で気付いた。だけど、気付くにはきっかけが必要だった」
「きっかけ?」
カエンはうなづいた。
「何故か、どうしてもその絵を取り外したくなったんだ。ワタシはその召使いと一緒に絵を下ろし、板をはがしにかかった。父はその頃留守がちだった。ワタシの行動を止められる者など屋敷の中にはいなかった。思ったより板は薄くて、ワタシと召使いだけで、簡単に外れた。だがずっと誰の手も触れてなかっただけあって、蝶番もさびついていて、簡単には開かない。ペンキははげているし、ほこりだらけだし、ところどころ木の脂すらついていた。だがワタシと彼女はしつこかった。でとうとう開いた」
アーランはごくん、とつばを飲み込んだ。
「窓を開けたら、風が一気に吹き込んできた。乾いた風だ。近くの森の、野生の花々や木の香りをいっぱいにはらんだ風だ。よく晴れた初夏の日だった。そんな日の、長い長い日の暮れる頃だった。ワタシはしばらく動けなかった。綺麗すぎた。視界いっぱいに広がった空が綺麗すぎた。そこでワタシはしばらく動けなかった」
アーランはその光景を想像してみる。ふっと全身に震えが走る。
「その時、何かが自分の中をかき回したような気がした。それだけではない。一度部屋に飛び込んだ風が、もう一度外へ出ようとした時、勢いよく良くワタシの背中を押したんだ」
あ、とアーランは小さく声を立てた。
「西へ行け、と言われたような気がしたんだ」
それが何だか、アーランにも判るような気がした。それはささいなことかもしれない。だが確かに背を押してくれる何か、だったのだ。
「わかる」
だから、そう口にしてしまっていた。
「だろう?」
カエンはそう反応する。アーランはふとかっと身体が熱くなるのを感じた。
カエンは大きな椅子にもたれ掛かり、足を組んで言う。
「母が最後まで使っていた部屋も今ではその一つだ。父は後妻を迎えても、決してその部屋は使わせない。出入りは許されているが、そこに住まうことは誰一人として許されない」
「きっと父上はあなたの母上をずいぶん愛していらしたのね」
「さあそれはどうだか。もしかしたら亡くなってから気付いたのかもしれない。だがそれは父の問題であってワタシの問題ではない。父が亡くしたのは妻で、ワタシが亡くしたのは母だ。その母の部屋の窓が、南と西に大きく二つついていた。ところがワタシはつい最近まで、そこに西向きの窓があるとは気付かなかった。何故だと思う?」
「何故?」
「その窓から見える景色が母のお気に入りだったからだ。彼女は病気になってから、そこから見える夕暮れの景色をあきるまで眺めていたという。だがそこは母の死後、板が張られ、その上に大きな絵を掛けられて隠されてしまった。ところがひょんなことから召使いの一人が、その絵を落としてしまった。その召使いはワタシにはずいぶん慣れ親しんでいたからな、こういうものがありました、と丁寧に言ってきた。考えてみれば、微かに記憶はある。それは居場所の分からない景色だった。だから、もしかしたら、という気はしていた」
カエンはいつになく雄弁だった。
「結構その頃迷っていた。確かにワタシは第一中等まで行けた。勉強もした。だが、それ以上をどうしよう。たとえ高等専門に行けたとしても、ワタシがなりたい医者には決してなれない。あきらめかけていた」
「あきらめ?」
「ワタシは長子ではない。となると、何かと親戚がワタシの身の振り様にうるさい」
でしょうね、とカラシュはうなづいた。
「向こうの言うことにも一理ある。だからどうしたものか、ワタシはその頃かなり煮詰まっていた。コンデルハン夫人リュイファ様が前々から学問好きのワタシのことは聞いていたらしく、相談にのるとは言っていてくれたし、実際この話を持ってきてくれたのは彼女だ。まあ実際、他に行こうと思うような奴もいなかったらしいが。だが、かと言ってはいそうですか、とあっさり行くこともできない。八方手詰まりの気分だった」
とてもそうは見えない、とアーランは思う。
「まあその手詰まりなど、所詮ワタシ自身の問題だったんだ。それは後で気付いた。だけど、気付くにはきっかけが必要だった」
「きっかけ?」
カエンはうなづいた。
「何故か、どうしてもその絵を取り外したくなったんだ。ワタシはその召使いと一緒に絵を下ろし、板をはがしにかかった。父はその頃留守がちだった。ワタシの行動を止められる者など屋敷の中にはいなかった。思ったより板は薄くて、ワタシと召使いだけで、簡単に外れた。だがずっと誰の手も触れてなかっただけあって、蝶番もさびついていて、簡単には開かない。ペンキははげているし、ほこりだらけだし、ところどころ木の脂すらついていた。だがワタシと彼女はしつこかった。でとうとう開いた」
アーランはごくん、とつばを飲み込んだ。
「窓を開けたら、風が一気に吹き込んできた。乾いた風だ。近くの森の、野生の花々や木の香りをいっぱいにはらんだ風だ。よく晴れた初夏の日だった。そんな日の、長い長い日の暮れる頃だった。ワタシはしばらく動けなかった。綺麗すぎた。視界いっぱいに広がった空が綺麗すぎた。そこでワタシはしばらく動けなかった」
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「その時、何かが自分の中をかき回したような気がした。それだけではない。一度部屋に飛び込んだ風が、もう一度外へ出ようとした時、勢いよく良くワタシの背中を押したんだ」
あ、とアーランは小さく声を立てた。
「西へ行け、と言われたような気がしたんだ」
それが何だか、アーランにも判るような気がした。それはささいなことかもしれない。だが確かに背を押してくれる何か、だったのだ。
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