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25話 静山鳴動し、皇后は微笑む

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 冷静な皇帝とは裏腹に、次第に高官達の声は白熱してくる。

「要は国境までの路線をしばらくの間全て警備すればいいだけの話ではないか!」
「どれだけかかると思っていらっしゃる! 人員も、費用も!」
「連合との信頼関係には変えられぬのではないか!正確を究める横断列車の時刻表が予定が安全が」
「だが人命には変えられぬ」
「甘いっ! 甘いですよっ!」
「いや諸君、それより問題は現在何処かに居るだろう犯人を」

 話がずれてきそうだ、とアーランは次第に恐怖感よりも、うんざりとした気持ちが湧いてくる自分に気付いた。
 白熱してくる論争は、どんどん声の音量も上げていた。
 すると、ふだん落ち着いて喋る声とは何音か上がってくる。どんな高官とて例外ではない。中には興奮しすぎて声が裏返ってしまう者も居る。

「そう貴君は言われるが、絶対に列車が安全であるという保証が何処にあるのかね!」
「それでも警備が万全であればっ!」
「いいえっ! いくら勇猛を誇る部隊でも静山砲の一撃には被害を逃れ得ません!」
「静山砲、か?」

 そこで始めてその論争に皇帝が口をはさんだ。

「音だけで断定できるのか。保存庁長官」
「は…… 陛下」
「軍の者ならともかく、根っからの文民の、古いもの好きのお前が、現在の火器にそれ程詳しいとは、俺も知らなかったが」

 皇帝は足組みを解くと、ゆっくりと立ち上がる。
 そして通り道に居たアーランとカエンの頭を、それぞれぽんぽん、と軽く叩くと横に下がらせた。
 アーランは皇后のヴェールの下、口元が軽く上がるのを見た。

「さてどうかな?」

 皇帝の問いに、それでも保存庁長官はまっすぐ向き直った。

「おそれながら皇帝陛下、あの大音量をもって鳴る火器と言えば、静山砲に他なりません。わたくし如き武に疎い者でもそれ位は判ります」

 静山砲は、現在帝国軍務省における最も新型で破壊力のあるとされる大砲であった。
 無論実戦など、ここ何十年も無いのであるから、実際の攻撃にどうかは誰も知らない。軽い内乱は起こっても、砲術大隊が出動する程ではない。
 だが軍務省対内庁技術局の実験ではその破壊力を証明されている。その発射時の大音量も含め。
 正式名称は静山鳴動砲、という。静かな山すらもその大音量で目覚める、というのでその名前が付けられたが、いちいち正式名称を呼ぶのも面倒だ、ということで、現場では静山砲で通っている。

「ほおそうか」

 皇帝はさも感心したようにうなづく。

「確かにお前は過去の記録だけではなく、現在の火器にも精通しているらしいな。どうも俺にはあれは花火にしか聞こえなかったんだが。違うか? 軍務大臣」
「御意」

 軍務大臣は素早く起立する。

「あれは火器にあらず。但し」
「ただし、何だ?」
「どう考察すれども、常識では考えられる所の無い規模の花火かと」

 堅く堅く、あくまで堅く、表情一つ、抑揚一つ加えずに軍務大臣は答えた。

「辺境局長官。お前は現場の火器に詳しい。どうだ?」
「確かにやや危険かも知れませぬな。あれ程の巨大花火であれば。留学生各女はきちんと窓をお閉めになられなくてはなりませぬ。が、砂漠の嵐程の危険ではありませぬ」

 くっくっくっ、とアーランの耳に皇帝の含み笑いが聞こえてくる。

「技術局長官。どうだ?」

 先程の論争で、つばを飛ばすくらいの勢いで喋っていた技術武官は、うって変わった涼しげな笑顔になって言う。

「皇帝陛下、おふざけにも程がございますよ。音は静山砲に匹敵するくらいの『綺麗な火薬発火物』を大至急作れなど。おかげて民間の職人探しから始めて、うちの部下どもがどれだけ徹夜したことか」
「めでたい折だ。巨大花火くらい悪くなかろう。それにねずみのいぶり出しには充分な効果があっただろう?」
「へ、陛下」

 アーランの目に映った保存庁長官の顔色は、非常に分かりやすく変わっていった。
 論争に紅潮していた顔は、既に全身に震えが来ているのをたやすく想像させる程青ざめていたのである。

「さて、如何様にして保存庁長官には、静山砲などという発想が湧いたのかな、このめでたい日に」
「……」
「連れて来い」

 は、と警察局長官が席を立った。
 少しして戻ってきた長官は、部下と共に、数名の男を引き連れていた。あ、とアーランは声をもらし、カエンはこうつぶやいた。

「あのハゲ……」

 髪の手入れをする暇も無いようで、隠しに隠した不毛地帯があらわになってしまっていた、
 あの男が先頭に居た。アーランはあの時男に感じた、身震いするほどの嫌悪感は、相手が憔悴しているせいか、ずいぶん薄れているのに気付いた。

「ここで裁判沙汰を起こすのは好きではないし、茶番にも見えかねないが、ちょうど皆集まっていることだしな。警察局長官」

 深緑の官服の警察局長官は、はい、と言ってポケットに入れておいた折り畳んだ報告書を取りだした。

「先日ご依頼により、松芽枝市内に放置されていた怪しい人物六名を保護致しました。その後の調べによると、彼らは松芽枝市内で過去にも強引な商法で当局に注意を受けていたコグレ屋の代表とのこと。保護していただけだったので当局が釈放を申し渡しましたら、それを拒否」
「ほお。それは何故だ」
「ここに居れば安全だ、命を狙われる、と妙におびえてまして。そこで更に追求致しました所、ある人物に依頼され、今回の女子留学生の拉致誘拐をしたと自白致しました。彼女達をコグレ屋の本店の最上階に監禁したとのこと。そして彼らにそれを依頼した人物とは」
「言うな」

 うめき声のようだ、とアーランは思った。オクターブ下がったようなその声は、確かにそう言っていた。

「保存庁長官」
「言うなーっ!」

 名前を告げられるのを恐れたように、彼はいきなり叫んだ。

「どうしてそんなヤクザ者のことをお信じになります? 皇帝陛下。わたくしは陛下の、この帝国の忠実な臣民でございます。どうしてそんなことを」
「辺境局長官」

 警察庁長官に変わって辺境庁長官が報告書を取り出す。

「対内庁陸軍局から昨今わが辺境局へ調査依頼が来ました。依頼内容は、陸軍局の火器庫からこつぜんと消え失せた静山砲三台の行方。松芽枝市内の保存庁長官の別宅から見つかりました」
「でたらめだ! 皆でたらめだ!」

 冷静で有名な「過去の知識」保存人の彼はいつのまにか声を裏返し、頭を抱えて叫んでいた。

「そしてこれは保存局次官からの報告書です」

 次に文化大臣がゆったりと立ち上がった。

「帝国本紀編纂部から、資料が最近大量に盗まれた、との報告が入っています。主にそれはわが帝国の建国時の物が大半であり、貴重の度合いは保存局でも最高の部類に入ります」
「それは先日の松芽枝の捜索の際に発見致しまして、昨日より返却作業に入っております」

 もうよい、と皇帝は手を上げた。そして保存庁長官に向かい、口を開く。

「保存庁長官。お前は確かにこの帝国に忠誠を誓う臣民であるようだが、どうやらその忠誠はやや方向を違えたようだな」
「間違っている、間違っているんだ……」

 報告最中にも叫び過ぎて、もはや彼の声は枯れかけていた。がっくりと膝を床につく。

「……何故貴方様程の方が御存知ない、皇帝陛下…… わたくしが管轄していた過去の文献は全て、一つの方向を指していた。すなわちそれは、女が国政へ近付くことがこの帝国の滅亡につながる、と」

 殆どすがるような目で彼は皇帝を見上げる。

「お前は過去の知識の優秀な保存者だった。過去の知識は確かに未来の為に有効だ。だが過去という堰では未来へ向かう河はせき止められない」

 くっ、と彼は声を立てた。そしていきなり立ち上がると、赤いジュータンの上に飛び出した。手には細い短剣が握られていた。
 保存庁長官と短剣。その組み合わせが意外だったのか、周囲の反応は遅かった。アーランも同様だった。頭の中にあったのはただ一言。

 こっちへやってくる!

 アーランは自分が大声を上げていることに気付いていなかった。
 カエンは突差にアーランを抱え込んだ。

 やめて、あんたがやられる!

 それは声にはならない。身体はカエンを押し退けようともがく。だが無理だった。アーランは目をつぶる。

 と。

 鈍い音と、くぉ、と喉に絡まった時のような声が耳に飛び込んできた。
 何かが彼の顔面に命中したのだ。
 今だ、と警察局長官と辺境局長官が飛び出し、もともとこういったテロ行為に慣れていない筈の文官を取り押さえた。

「剣に触るな」

 辺境局長官は鋭い声で言った。

「毒が塗られている可能性がある」

 そうですね、とカエンは苦々しい顔でつぶやいた。
 そしてゆっくりとアーランを抱きしめていた手を解いた。ふう、とアーランは息をついた。
 目を開け、解かれた腕の中から脱け出しつつ、何が防いでくれたのか、と足元に目をやった。
 きらり、と何かが光った。堅い金の輪だった。皇后のヴェールを留めていた、美しい細工の施された髪飾りだった。
 そしてその先には、ヴェールがあった。ジュータンの上に落ちて、その赤を布越しに透かしていた。

「ああ全く。どうしてこうも無茶をするんだろうな、お前は」

 低い声が響く。そこへ女性の声が絡んだ。

「無茶ではありませんわ、大切な子達ですもの」

 アーランは慌てて顔を上げた。そして見覚えのある顔に向かって叫んだ。

「カラシュ!」

 皇后は実に鮮やかに笑ってみせた。
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