3days,あるいはまだ見ぬチューリップ~学内暗殺者の悲劇

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
2 / 21

第1話 間近に迫るバレンタイン・デイ

しおりを挟む
 ちっ、と彼は靴箱を開けて舌打ちをした。
 上段には、小さな、赤いガラスの小瓶が置かれている。今朝彼が置いたそのままに。
 中身は無い。やはり、無い。
 ぎ、と彼は歯ぎしりし、空の小瓶を強く握りしめる。
 何とかしなければ。彼は内心つぶやく。
 いや、自分にできる手は打ってある。自分程度の頭で、考えうる限りは。
 頭のいい相手には、通じないかもしれない。
 でも通じるかもしれない。
 何もしないより、よほどマシだ、と彼は思う。
 だがそれが通用しない奴が、確実に、一人だけ居る。
 ……自分自身だけは。

 2052年2月14日。
 某極東の小国では、全国的にバレンタイン・デイと呼ばれる日だった。



「哲ちゃーん!」

 急に背後から抱きつかれ、中里哲夫はわっ、と手にしていた大きなブリキのジョウロに頭をぶつける。
 わわわわ、とバランスを崩し、彼はしゃがみ込んでいた花壇のブロックの上から転げ落ちた。

「だ、だいじょうぶ?」

 抱きついた少女は、すんでの所で手を離したので無事だった。

「よし野、お前、急に抱きつくな、っていつも言ってるだろ! もしこれで、やっと芽を出しかけたこいつらに、俺が倒れかかったりしたらどうすんだ!」

 割れ鐘の様な大声が、よし野と呼ばれた少女の頭に浴びせかけられる。
 まず普通の生徒なら、その声、いやその声を発した本人を前にしただけで、萎縮してしまうだろう。
 やや縦に大きな骨張った顔、大きな口、濃い眉、そして何と言っても、相手をにらみつける、ぎょろりとしたつり上がった目。それが顔を真っ赤にして、目の前で自分を怒鳴りつけていたとしたら。まず普通の生徒なら自分の明日のために、走って逃げるだろう。
 だがこの少女は決して臆さない。自分より縦に頭二つ、横なら倍大きい男に向かい、太さ半分以下の眉を大きく寄せて、声を張り上げる。

「そりゃあ、哲ちゃんが転んだら、この子達、全滅だろうけど」

 そして結構身も蓋もないことを口にする。

「けどあたし、哲ちゃんのこと、もうさっきから、何度も呼んでたよ?」
「え?」

 彼の逆八の字だった眉が、一瞬のうちにひっくり返る。

「何度も何度も呼んだよ? だけど哲ちゃん、全然気付かないんだもの。だから仕方ないじゃない。お話があるのに」

 彼女はそう言って大きくふくれる。
 そう言われてみれば。中里も思う。何か後ろで声がしていた様な気がする。

「だーかーらー」

 よし野のふくれっ面は直らない。彼は仕方ねえなあ、と両手を上げた。

「……判った、俺が悪かった」
「わ、素直ぉ」

 途端に、眉がまたひっくり返る。

「誰のせいだと思ってるんだぁっ! ……ああ、作業が途中になっちまった」

 彼はジョウロを持って、再び水飲み場へと向かう。

「あー、待ってよぉ」

 途中、校舎と校舎の間を通る時に、冷たい風が大きく吹き抜け、彼女の短めの髪をくしゃくしゃに乱した。うわぁっ、と言いながら、よし野は彼の陰に回る。

「お前、俺のこといいカベだと思ってないか……?」
「だって哲ちゃんと居ると、暖かいんだもん」

 水を汲み、再びカベになった彼は、もう文句を言わなかった。
 さあっ、と黒い土の上に水が掛けられる。よし野も屈み込んで、その様子を見守る。

「おい、あまり近寄るなよ、水が飛ぶから」

 だがそんな彼の注意もお構い無しに、彼女は地面に顔を近づける。

「すごいね。もうずいぶん、色んなものの芽が出てきたんだあ。わ、つやつやしてる」
「ああ。チューリップ、ヒヤシンス、パンジー、キンギョソウ、スイートピー……」
「哲ちゃんそう言えば、秋頃、色々植えてたよね。ねえ、一番咲くのが早いのはどれ?」

 好奇心いっぱいの目で、彼女は中里を見上げる。

「さあ…… どれだったかな。パンジーはほれそこ」

 ほら、と中里は地面を指さす。鮮やかな黄色や青紫の花が、風に揺れていた。

「ホント、もうじき春だね。あ、でももう暦の上では春なんだって」
「ふうん?」

 がらん、とジョウロやスコップを一つにまとめながら彼はあいづちを打つ。

「でもそんなこと言っても、寒いよね、まだすごーく」
「ま、そーだよな……あ、よし野、寒くないか?」

 今更の様に彼は尋ねる。

「寒いに決まってるじゃない!」

 それはそうだ、と彼も思う。ブラウスにベストに上着の三点セットだけでは、さすがにまだ寒いはずだ。おまけに黒いソックスも長いとは言え、その上の膝は生足なのだ。
 彼等が住むこの地方は、太平洋側に位置して、冬でも雪があまり降らない。晴れの日が続き、日差しにだけは恵まれている。
 だがその代わりの様に、風は強い。体感温度の低さは、他の地方と匹敵する厳しいものもある。

「だーかーらー、さっきから、あたし哲ちゃんにくっつこうくっつこうと思ってたのに……哲ちゃん体温高いし、何かあまり寒くなさそうだし」
「……はいはいはい、俺が悪かった悪かった」

 確かに間違っていない。中里は体温が高い方だったし、寒さも感じない。
 あちらを向きこちらを向き、そして保健室の窓をちら、とにらんだ上で、彼はよし野を手招きした。

「ここならあまり、風が来ないぜ」

 窓のちょうど下、側溝の手前に彼は彼女を持ち上げ、ひょい、と乗せた。ちょうどそこは、天気の良い時の日向ぼっこにはちょうど良い場所なのだ。
 一方、中里は風上である西側に、無言で陣取った。

「あ、ホント、あったかーい」
「お前、スカート、大丈夫か?」
「だいじょーぶ。前座った時、白いのつかなかったし」

 いやそうじゃなくて。彼の無言の抗議など関せず、彼女は無造作に足を投げ出す。そう長くないスカートからは、膝小僧が丸出しになる。

「……で、よし野、お前どうしたんだよ、わざわざ昼休みに。いつも何かと一緒に居る『オトモダチ』の方はいいのか?」
「だって今日だよ!?」

 彼女は目を丸くして、即座に答える。

「14日だよ! 皆今日はチョコ持って、あっちこっちに行ってるもん」

 それもそうだ、と彼も思う。何せ今日は2月14日。世間的にもこの学校内的にも、バレンタイン・デーなのだ。

「で、お前も俺にチョコ?」
「……要らないって言ったの、哲ちゃんだよ……」
「……あ、そっか」

 いかんいかん、と彼は頭を振る。記憶力が低下している。まずい。

「ああ……そうそう、俺が言ったんだよな」
「そーだよ。それに、……本当にいいのかなあ、って思って」

 彼女の声が弱くなる。中里は口をへの字に曲げて、よし野の顔をじっとのぞき込んだ。

「本当にいいのかなあ、って何がだよ」

 彼女は顔を上げる。そしてやや怒った様な、それでいて何処か照れた様な目で中里をじっと見据えた。

「……だから、あたしが何か哲ちゃんにあげるのが普通じゃない。なのに」
「おい……」
「そりゃあ、チョコじゃなくて、あたしを……って言い出したのはあたしかもしれないけど」
「……ちょっと待て」

 きょろきょろ、と辺りを見て中里はよし野の口を大きな手で塞ぎ、もう片方の手で、上を指した。
 あ、と彼女も目を大きく開けた。
 保健室の窓が大きく開いている。おそらくあの保健室の主は、昼休みにも一斉に換気をするのだろう。
 よし、とばかりに中里はぱっ、と手を離した。

「……でも本当に、……」

 今度は小さな声で、囁く。

「いいんだよ! ほら、俺、寄宿舎の他の連中の様に、シュミとか遊びとか何も普段してねえから、仕送りだって結構使わないし、余ってるし……だから、旅行ったって、近場だし、大したことじゃねえって、あー……」

 しかしまだ彼女の表情は、何か言いたげだった。
 彼は節くれ立った両手の指で、伸ばしっぱなしの自分の髪をくしゃくしゃにかきむしる。
 ああまるで理由らしい理由になっていない。彼は思う。

「そうじゃなくてよ、……俺がしたいんだ。それじゃ、いけねえのか?」
「哲ちゃんがしたい、って……」

 そこまで言って、よし野の顔はかあっ、と赤くなる。

「や、あの、そういうことじゃなくて」
「違うの?」
「いや、違わなくて……したいけど……」

 本当にどう言えばいいんだろう。彼は本気で困っていた。
 だから、また注意力が散漫になっていたに違いない。

「……おいおいお前等、いつも私も言ってるだろ、往来で痴話喧嘩は止せ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...