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第6話 自分は「R」だから。
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「それはだなあ」
窓の向こうでしゃがみ込む相手の背に、岩室はため息をついた。
「お前、本当ーっに気付いていないのか?」
「はあ?」
中里はその時、ようやく顔を彼女の方に向けた。端から見たら思い切り凶悪な表情だった。そして構わずくっくっ、と笑う岩室に、こっちは真面目なんだよ、と彼は悪態をつく。
「だって、気になるんだろ? 心臓が飛び跳ねたんだろ?」
「ああ」
再び視線を花壇に戻して、中里はぼそっ、とつぶやいた。
「お前、他の女生徒見ても、そうなるのか?」
「いや……」
彼は簡単に首を振った。それは無い。一度も無い。
「お前なあ…… それで判らなかったら、頭、鳥以下だぞ」
「って!」
今度は首だけではなく、立ち上がり、身体ごと彼は窓の方を向いた。そして土まみれの真っ黒な手をぐっ、と握りしめた。
「じゃ中里よ、聞くが、お前は羽根のこと、嫌いか?」
「嫌いじゃ―――」
嫌い。違う。ただ。
「ただ俺は」
彼はそこで言いごもる。
「ただ何だ?」
「だから、俺は――― あいつが、俺のこと、親父みたいだって言うから、何か……」
「何か?」
「何か、腹が立って」
ほー、と彼女は眼鏡のフレームからはみ出る程に、両眉を大きく上げた。
「じゃあそれは何故だ?」
「だって、俺はあいつの親父じゃ、ない」
「それじゃお前、一体、羽根の何でありたいんだ?」
「俺は」
彼は言葉を止め、大きく目を見開いた。俺は。
「ふん、ようやく気付いたか。この鈍感。おーい」
そう言って、彼女はベッドのある場所のカーテンをさっと開いた。
「あ……」
そこには顔を真っ赤にし、硬直しているよし野がそこには立っていた。
「と、言う訳だ。はい、めでたくカップルの出来上がり」
「岩室さん、あんたはーっ!!」
「先生、だ」
そう言いながら、岩室はよし野を外の扉へと押し出した。
*
そして日々が過ぎ―――
慣れないことだらけのこのカップルではあったが、それでも地道に距離を縮めつつあった。
無論、その背後には、見ているとじれったくなってくる彼らを後押しする岩室の存在もあった。
堅苦しい呼び方も、名前と愛称に変わったし、内容はともかく、話をしよう、という意気込みが中里についたことは、非常に大きな発展と言えよう。
腕も組む様になった。もっとも、その時には、よし野がぶら下がっている様な格好になってしまうのは否めなかった。
*
そんな秋も深まったある日。
花壇の冬支度に精を出していた二人は、花壇の上にかがみ込んだまま、珍しい程会話が無かった。
何か授業であったのかな、と心配する程度には彼も気を回す様になっていた。
しかしそう納得しようとした時、彼女は不意に口を開いた。
「ねえ」
何、といつもの調子で彼はそれに応える。
「何で哲ちゃんって、あたしのこと、軽くしか抱きしめてくれないの?」
がたがた、と彼はその瞬間、立てかけていたフレームの金属棒を取り落とした。
「何で、って」
「だって」
彼女はじっと上目遣いで中里を見つめる。
「クラスの友達が言ってたもん。そうしてくれるのがとっても気持ちいい、って」
「気持ちいいって…… いや、だけど俺、力、強いから」
「強いから?」
どうやら一歩も引く気はなさそうである。
困った、と彼は本気で思った。彼もまた、彼女をぎゅっときつく抱きしめたくてならないのは山々である。無論それ以上だって。
だけど。
自分は「R」だから。
普段は意識することすら無いそのその言葉が、彼の中に突然重く、のし掛かってきた。
**
「R」。
それはある薬の名称でもあるし、それを服用する者を指す場合もある。そしてまたそれは、日本の「教育大改革」の暗い一面を示すものでもある。
2032年の「教育大改革」。
それは表向き、能力主義を徹底したものだった。
能力や適性の早期発見のため、子供は小学校のうちに頻繁に選別され、振り分けられる。
そしてその六年間で適正な「振り分け」をされた子供は、最終的には卒業時の小学校卒業適性検査とそれまでの日常成績により、自動的に六年制の中等学校へ送り込まれる。
能力と適性が全ての基準であるので、遠方からはるばるやってくる生徒も少なくない。そんな生徒には寄宿舎も用意され、国はその生活を補助する。
二十年経った現在、改革は成功し、かつて社会を悩ませたドロップアウトや引きこもり、いじめや凶悪犯罪も無くなったと思われた―――
しかしそれは、改革の表側の顔に過ぎなかった。
確かにそれまでの問題は無くなった。
一つの理由として、児童の頃からの度重なる振り分け移動の中で、「集団」より「個性」が重要になった―――ひらたく言えば、自分のことで精一杯で、他人をいじめている暇などない、という事も挙げられている。
しかしそれはあくまで表向きの理由である。
裏では、もっと単純でかつ効果的な方法が取られていたのだ。
すなわち、問題の根源を抹殺してしまうこと。
「ある種」の子供が居る。
いじめられる可能性を持つ子供、引きこもる可能性のある子供、凶悪犯罪を起こす可能性のある子供……
彼等は小学校を卒業する時に集められ、更に能力によって二つに分けられる。
それが「R」と「B」である。
その時のことを、中里はぼんやりとしか覚えていない。
小学校の卒業式の日に、証書と一緒にそっと渡された紙には、ある日時と場所が文部科学省の名で指定されていた。
だがたどり着いた場所に入った途端、彼は意識を失い―――
気付いた時には、小さな部屋に居た。
ぼんやりとした頭の彼に、姿を見せない「声」が幾つかのことを告げた。
自分は「間違うかもしれない」児童だから、ある処置をして、国がわざわざ「正しい」生徒にしてやったのだ、と。
そして「R」と呼ばれる政府の派遣員として、中等学校に通い、「間違った」生徒を消去するのだ、と。
断る自由はあった。ただし断った途端、「間違った」児童として消去する、と「声」は言った。
断ろうとは思ってもいなかった。
頭の芯がぼんやりとしていて、その後に言われたことも、ああそうですか、と感じるだけだった。元の名も家も既に無いことに対しても、その時の彼は、何とも思わなかった。
それからずっと、彼の頭の中心はぼんやりとしたままだった。
自分の身体が異様なまでの力を持ってしまったことも、寒さ暑さや痛みを上手く感じなくなってしまったことも、一日一回「R」と呼ばれる薬を口にしないと、自分が「危険な存在」になってしまうことも、「間違った」生徒をその手で撲殺してしまう時の気持ちも―――
全てが曖昧になっていた。
―――花と、よし野に会うまでは。
「R」は彼の元に、毎週水曜日、小さな赤いガラスの小瓶に、一週間分を入れて届けられる。一日一粒、計七粒。
しかし、それが六粒と、一枚の小さな紙の時がある。
それはその週のうちに、その紙に書かれた「間違った」生徒を消去せよ、という指令なのだ。
彼はそれに逆らうことはできなかった。いや、逆らおうとも思っていなかった。
「R」を自分に届けているのは、「B」という、自分よりランクが上の要員だ、ということは中里も知っていた。そしてその「B」の上に「インスペクター」という、標的を決定する者が居ることも。
だが中里は、それ以上のことは、知らない。
知ろうとして来なかったのだ。
**
「俺だって、よし野のこと、ぎゅっと抱きしめたいよ」
「じゃあ」
「だけど俺が本当にそうしたら、本当にお前なんかつぶれてしまう。俺はそういう奴なんだ」
すると彼女はにっこりと笑って言った。
「大丈夫だよ」
そして土で汚れたままの手で、彼の顔をくるみ、軽く唇を合わせた。
「お、おいお前」
「ねえ哲ちゃん、痛かったらあたしそう言うよ。そのために言葉があるんだよ」
言葉が。
「心を伝えるために、言葉があるんだよ。だから……」
やれやれ、と窓辺の自分に気付かない程の二人を、岩室は呆れながらも楽しそうに眺めていた。
窓の向こうでしゃがみ込む相手の背に、岩室はため息をついた。
「お前、本当ーっに気付いていないのか?」
「はあ?」
中里はその時、ようやく顔を彼女の方に向けた。端から見たら思い切り凶悪な表情だった。そして構わずくっくっ、と笑う岩室に、こっちは真面目なんだよ、と彼は悪態をつく。
「だって、気になるんだろ? 心臓が飛び跳ねたんだろ?」
「ああ」
再び視線を花壇に戻して、中里はぼそっ、とつぶやいた。
「お前、他の女生徒見ても、そうなるのか?」
「いや……」
彼は簡単に首を振った。それは無い。一度も無い。
「お前なあ…… それで判らなかったら、頭、鳥以下だぞ」
「って!」
今度は首だけではなく、立ち上がり、身体ごと彼は窓の方を向いた。そして土まみれの真っ黒な手をぐっ、と握りしめた。
「じゃ中里よ、聞くが、お前は羽根のこと、嫌いか?」
「嫌いじゃ―――」
嫌い。違う。ただ。
「ただ俺は」
彼はそこで言いごもる。
「ただ何だ?」
「だから、俺は――― あいつが、俺のこと、親父みたいだって言うから、何か……」
「何か?」
「何か、腹が立って」
ほー、と彼女は眼鏡のフレームからはみ出る程に、両眉を大きく上げた。
「じゃあそれは何故だ?」
「だって、俺はあいつの親父じゃ、ない」
「それじゃお前、一体、羽根の何でありたいんだ?」
「俺は」
彼は言葉を止め、大きく目を見開いた。俺は。
「ふん、ようやく気付いたか。この鈍感。おーい」
そう言って、彼女はベッドのある場所のカーテンをさっと開いた。
「あ……」
そこには顔を真っ赤にし、硬直しているよし野がそこには立っていた。
「と、言う訳だ。はい、めでたくカップルの出来上がり」
「岩室さん、あんたはーっ!!」
「先生、だ」
そう言いながら、岩室はよし野を外の扉へと押し出した。
*
そして日々が過ぎ―――
慣れないことだらけのこのカップルではあったが、それでも地道に距離を縮めつつあった。
無論、その背後には、見ているとじれったくなってくる彼らを後押しする岩室の存在もあった。
堅苦しい呼び方も、名前と愛称に変わったし、内容はともかく、話をしよう、という意気込みが中里についたことは、非常に大きな発展と言えよう。
腕も組む様になった。もっとも、その時には、よし野がぶら下がっている様な格好になってしまうのは否めなかった。
*
そんな秋も深まったある日。
花壇の冬支度に精を出していた二人は、花壇の上にかがみ込んだまま、珍しい程会話が無かった。
何か授業であったのかな、と心配する程度には彼も気を回す様になっていた。
しかしそう納得しようとした時、彼女は不意に口を開いた。
「ねえ」
何、といつもの調子で彼はそれに応える。
「何で哲ちゃんって、あたしのこと、軽くしか抱きしめてくれないの?」
がたがた、と彼はその瞬間、立てかけていたフレームの金属棒を取り落とした。
「何で、って」
「だって」
彼女はじっと上目遣いで中里を見つめる。
「クラスの友達が言ってたもん。そうしてくれるのがとっても気持ちいい、って」
「気持ちいいって…… いや、だけど俺、力、強いから」
「強いから?」
どうやら一歩も引く気はなさそうである。
困った、と彼は本気で思った。彼もまた、彼女をぎゅっときつく抱きしめたくてならないのは山々である。無論それ以上だって。
だけど。
自分は「R」だから。
普段は意識することすら無いそのその言葉が、彼の中に突然重く、のし掛かってきた。
**
「R」。
それはある薬の名称でもあるし、それを服用する者を指す場合もある。そしてまたそれは、日本の「教育大改革」の暗い一面を示すものでもある。
2032年の「教育大改革」。
それは表向き、能力主義を徹底したものだった。
能力や適性の早期発見のため、子供は小学校のうちに頻繁に選別され、振り分けられる。
そしてその六年間で適正な「振り分け」をされた子供は、最終的には卒業時の小学校卒業適性検査とそれまでの日常成績により、自動的に六年制の中等学校へ送り込まれる。
能力と適性が全ての基準であるので、遠方からはるばるやってくる生徒も少なくない。そんな生徒には寄宿舎も用意され、国はその生活を補助する。
二十年経った現在、改革は成功し、かつて社会を悩ませたドロップアウトや引きこもり、いじめや凶悪犯罪も無くなったと思われた―――
しかしそれは、改革の表側の顔に過ぎなかった。
確かにそれまでの問題は無くなった。
一つの理由として、児童の頃からの度重なる振り分け移動の中で、「集団」より「個性」が重要になった―――ひらたく言えば、自分のことで精一杯で、他人をいじめている暇などない、という事も挙げられている。
しかしそれはあくまで表向きの理由である。
裏では、もっと単純でかつ効果的な方法が取られていたのだ。
すなわち、問題の根源を抹殺してしまうこと。
「ある種」の子供が居る。
いじめられる可能性を持つ子供、引きこもる可能性のある子供、凶悪犯罪を起こす可能性のある子供……
彼等は小学校を卒業する時に集められ、更に能力によって二つに分けられる。
それが「R」と「B」である。
その時のことを、中里はぼんやりとしか覚えていない。
小学校の卒業式の日に、証書と一緒にそっと渡された紙には、ある日時と場所が文部科学省の名で指定されていた。
だがたどり着いた場所に入った途端、彼は意識を失い―――
気付いた時には、小さな部屋に居た。
ぼんやりとした頭の彼に、姿を見せない「声」が幾つかのことを告げた。
自分は「間違うかもしれない」児童だから、ある処置をして、国がわざわざ「正しい」生徒にしてやったのだ、と。
そして「R」と呼ばれる政府の派遣員として、中等学校に通い、「間違った」生徒を消去するのだ、と。
断る自由はあった。ただし断った途端、「間違った」児童として消去する、と「声」は言った。
断ろうとは思ってもいなかった。
頭の芯がぼんやりとしていて、その後に言われたことも、ああそうですか、と感じるだけだった。元の名も家も既に無いことに対しても、その時の彼は、何とも思わなかった。
それからずっと、彼の頭の中心はぼんやりとしたままだった。
自分の身体が異様なまでの力を持ってしまったことも、寒さ暑さや痛みを上手く感じなくなってしまったことも、一日一回「R」と呼ばれる薬を口にしないと、自分が「危険な存在」になってしまうことも、「間違った」生徒をその手で撲殺してしまう時の気持ちも―――
全てが曖昧になっていた。
―――花と、よし野に会うまでは。
「R」は彼の元に、毎週水曜日、小さな赤いガラスの小瓶に、一週間分を入れて届けられる。一日一粒、計七粒。
しかし、それが六粒と、一枚の小さな紙の時がある。
それはその週のうちに、その紙に書かれた「間違った」生徒を消去せよ、という指令なのだ。
彼はそれに逆らうことはできなかった。いや、逆らおうとも思っていなかった。
「R」を自分に届けているのは、「B」という、自分よりランクが上の要員だ、ということは中里も知っていた。そしてその「B」の上に「インスペクター」という、標的を決定する者が居ることも。
だが中里は、それ以上のことは、知らない。
知ろうとして来なかったのだ。
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「俺だって、よし野のこと、ぎゅっと抱きしめたいよ」
「じゃあ」
「だけど俺が本当にそうしたら、本当にお前なんかつぶれてしまう。俺はそういう奴なんだ」
すると彼女はにっこりと笑って言った。
「大丈夫だよ」
そして土で汚れたままの手で、彼の顔をくるみ、軽く唇を合わせた。
「お、おいお前」
「ねえ哲ちゃん、痛かったらあたしそう言うよ。そのために言葉があるんだよ」
言葉が。
「心を伝えるために、言葉があるんだよ。だから……」
やれやれ、と窓辺の自分に気付かない程の二人を、岩室は呆れながらも楽しそうに眺めていた。
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