未来史シリーズ-③flower~閉ざされた都市で、人形は扉を開ける鍵を探す

江戸川ばた散歩

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27.1℃近く低く設定された彼の体温

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 その時、ひどく嫌な気分が走ったので、そのまま勢いで朱明は扉を開けた。手を裏に返し、慣れた場所にある照明のスイッチに手をかける。
 だがそれは点かない。

「疲れてるね」

 仮眠室はその使用する人数のわりに、常備しているベッドの数が多い。
 今もまた、誰も使用していない。空のベッドの上には、きちんと畳まれたシーツと毛布が置かれているだけである。
 その一つにHALはちょこんと腰掛けていた。
 窓際らしく、外のネオンの明かりをぼんやりと映したカーテンに、それらしいシルエットが浮かんでいる。
 朱明は黙ったまま、やや手探りで、その方へ動く。そして座っているHALの前に立つ。

「居たのか」
「ずっと居た訳じゃないよ」

 暗くて、表情が見えない。

「待ってたんだ」
「そんなことだろうと思ってた」

 朱明は差し向かいのベッドに腰を下ろす。髪をくくっているゴムを取ると、首をぐるりと回す。ぼきぼきと鳴る感触に、彼は確かに自分が疲れていたことに気付いた。

「でも俺は、今それでお前をあれこれ言う気力はねえんだ」
「ふーん……」

 朱明は畳まれていたシーツと毛布をぞんざいに広げる。要は寝られればいいのだ。別にベッドメーキングなどできていなくとも構わない。

「じゃ一緒に寝よ」

 さらりとHALは言う。

「何言ってんだ」
「別にからかってる訳じゃあないよ」
「信じられるかっていうの。それに俺は眠いんだ。ただ寝たいの。それ以上でもそれ以下でもねえんだ」
「別に俺だってそれ以上ともそれ以下とも言ってないよ。俺だってただ寝たいの。情報の整理が必要だからね」
「だからって何でそこで一緒に、ってのがつくんだよ」
「何かまずい訳? 今更」

 別にまずい訳ではないが。朱明は頭を抱える。その間にもHALはずるずると隣のベッドを横に引きずってくる。

「お前は俺と同じ部屋だと眠れないんじゃなかったっけ?」
「いつの話をしてるの」

 それは確かに昔の話だった。

「あの頃は確かにそうだったけどさ。お前起きてるとやかましいんだもの。別にそういう気はないんだろうし、お前なりに気はつかっているんだろうけど、ドアばたんばたん閉めるし、ものは落とすし」
「あー、確かにそうだったよな」
「でももうドアは閉じてるし、落とすようなものもないよ」
「電気も消えているし?」
「そう」
「お前が点けないんだろう?」
「俺以外に誰がそんなことするっていうの? ほらどいて、はさむよ」

 よいしょ、とHALは引っ張ったベッドを隣と勢いよくくっつける。
 朱明は慌てて自分の側のベッドに飛び乗る。
 何を考えてるんだ、と彼の闇に隠された顔は、苦虫を噛み潰したようなものになっている。
 居場所なら最近はわりあい掴めるが、HALが何を考えているのかは朱明にはさっぱり判らなかった。
 今更、と彼が言うように、そういう関係が全く無いという訳ではない。だがだからといって、それが本気であるかどうかなど、さっぱり判らないのだ。
 「外」に居た頃だったら。朱明は思う。まだ彼の行動は判りやすかった。
 HALには別に思う相手があるのは知っていたし、そのためか、自分がどう思おうと、それが実際の行動につながることはなかった。

 だけどあの時から。

 HALが厳密には彼自身でなくなった時から、彼の行動は読めなくなった。

 九年前。
 失われたと思った彼が再び朱明の前に、言葉を交わし触れ合える相手として現れた時、それまで抑えていた感情が切れた。間違えた、と朱明はその時思った。そうしてはいけなかったのだ、と思った。
 だがHALは拒まなかった。彼はそうしようと思えばできた筈なのだ。朱明の動きを止めることなど、その時の彼に雑作もないことだった。この部屋の電気を点けないように、「SK」の電気を止めたように。

 それなのに。

 考え事をしているうちに、横にもぞもぞと入られてしまった。
 参ったな、と彼は思うが、確かにHAL自身も「睡眠」を求めていたらしく、気がついた時には軽い寝息を立てていた。
 暑苦しい、といつも言われる自分より、1℃近く低く設定された彼の体温が感じられる。
 仕方がない、と朱明もまた毛布をかぶった。
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