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72.「今回の逃げ方はすごいな」
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「布由さんっ!良かった!あの都市には行かなかったんですねっ!
何のことか、布由にはすぐには判らなかった。その時は。
すぐさま土岐は布由を、だらんと着たシャツの裾を引っ張って実家の居間のTVの前へ座らせた。土岐の母親まで、布由さん良かった良かった、とほとんど涙ぐんでいた。
TVは国営放送がかかっていた。何ごとだと思った。特別番組。台風でも地震でもないのに?
なのに。
国営放送のアナウンサーは、繰り返し同じ言葉を言っていた。
―――市中心部から半径十五キロメートルで大規模な地震が起こりました―――
―――現在交通機関は―――
―――私鉄は―――
何を言っているんだろう、と布由はその時思った。
地震だったら、たいてい全国地図が出て、ぽつんぽつんと違う色の、数字のついた丸が地図の上にへばりつき、各地の震度は幾つ、とか、今回の地震のマグニチュードは幾つで、とか言う筈なのに、そういう意味の画像もアナウンスもない。
ただ―――市中心部から十五キロ…… と同じことを繰り返していた。
ちょっと待て、と布由は一つのことを思い出していた。
「今日は―――のライヴがあったんじゃないかっ」
「あんた行ったんじゃないですかっ!」
間髪入れずに土岐は叫んだ。
だがその時間は、普通ならライヴをやっている時間だった。だいたいアンコール程度の時間だった。
「行ってないんですね?」
布由はうなづく。
「ライヴは行ってない」
確かに。
「行ってないんですか?」
確かに行っていない。だが、市内には入った。会場にも行った。あれは公会堂だ。「TM」の、公園の中にある会場。
そして、HALにも、会った。
会って。
会って…… どうした?
「中心は、市内、『TM』―――」
「ちょっと布由さん、会場の付近じゃないですかっ!」
土岐は叫んでいる。だが布由は奇妙に冷静に考えていた。
違うよ土岐。会場の付近、じゃない。
震源地が、会場なんだ。
理由もなく、布由はそう思っていた。
この会場を中心に半径十五キロが揺れたんだ。彼を中心に。
どうして自分がそう思うのか、布由にも判らなかった。だが、確信していた。そうつぶやいていた。誰の耳に届くとも判らないのに。
耳。
そして声がまだ耳に残っている。
「行かないで」
それはどちらの声にも、聞こえた。彼の声にも、都市の声にも。
*
「HALの気配が感じられない?」
芳紫は訊ねた。
「ああ」
朱明は答えた。
「だけどそれっていつものことじゃん」
満月の夜、突然戻ってきてからずっと姿を見せなかったこの友人兼同僚は、黄色の公安長官の執務室へ来た時、ひどく疲れた顔をしていた。
「何、気がついたらいなかったの?」
「まあな」
「それからずっと?」
「ああ」
煮詰まったコーヒーをミルクも砂糖も入れずにジョッキ一杯にして芳紫は朱明に手渡す。下手に彼にやらせると、自分の呑む分まで無くなりそうだったから。
ああサンキュ、と取ると、ひどく苦々しげな表情で朱明はそれを半分飲み干した。
「……煮詰めすぎじゃねえの?」
「文句言わない!」
へえへえ、と彼は残りを飲み干した。だがさすがにその苦さは何となくぼんやりした彼の頭をしゃんとさせる。
「見てねえか?」
「見てないよ。抜け殻はそこらで見たけど、中に奴はいなかったから」
「……とすると」
「向こうへ行ってるな」
向こう、と彼らはそこをとりあえず呼んでいた。以前HALがM線を借りて安岐と朱夏を連れていったあの空間である。
時間が止まった、「川」の中と同じ類の。
彼らがそこに行ったことは無い。普通の人間はそうそう行ける所ではないのだ。HALにしても、「向こうとこちらをつなぐ」列車を媒体にしなければ安岐と朱夏を連れては来られなかった程である。
その「向こう」へ行っていると、朱明にしても凝縮したHALの気配は感じとれなくなるのだ。
「今回の逃げ方はすごいな」
ぎろり、と朱明は横目で友人をにらむ。だが芳紫は微動だにしない。
「言っちゃったんだお前に…… HALさん」
「え?」
どん、と朱明は殆ど空になったジョッキをデスクの上に叩きつけるように置いた。
ほんの少し残っていただけだったが、濃いコーヒーは飛び跳ねて、デスクの上に染みを作った。
芳紫はその染みをちら、と見たが、いつもの冗談めいた小言もその口からは出なかった。
「……って何だ? 芳紫お前、何か知っていたのか?」
芳紫は黙って、ついでに入れた自分用のコーヒー割りのミルクを口に運ぶ。
「俺だけが、知らなかったって、言うのか?」
「まあね」
大きなカップにやや反響した声が、簡潔に告げる。
「どうして」
「それは俺が言うべきことじゃないんじゃない?」
ぐっと朱明は詰まる。確かにそれはそうだ。それは芳紫に聞いて済むというものでもない。
だが。
「でもHALさんが言う訳ないよな」
芳紫はややあきらめたように顔を上げた。
「あのさ朱明、HALさんはさ、一番大切なことは、一番大切な当事者には、絶対言えない奴なんだ」
ぴん、と朱明の濃い眉が両方つり上がる。
「本当のことも嘘のこともいろいろ言うだろ。ほら、『小枝を隠すなら森の中』みたいにさ。で、HALさんは、かなり大事なこととか、二番目くらいに大切なもののことは、何だかんだ言って、言ってるんだよ。言葉の端々に」
「ああ」
覚えはある。
「だけど、そうやって散りばめても、本当に、一番のものは、絶対言わないんだ。言葉にはしないんだ」
「どうしてそんなことが判る?」
さあどうしてかな、と芳紫は笑った。
「だからHALさんは言ったんだよ、十年前、動ける身体が欲しい、って藍地と俺に、理由付きで」
「……」
「あの頃、あの人よく夢を通して出てきたよね」
「ああ」
何のことか、布由にはすぐには判らなかった。その時は。
すぐさま土岐は布由を、だらんと着たシャツの裾を引っ張って実家の居間のTVの前へ座らせた。土岐の母親まで、布由さん良かった良かった、とほとんど涙ぐんでいた。
TVは国営放送がかかっていた。何ごとだと思った。特別番組。台風でも地震でもないのに?
なのに。
国営放送のアナウンサーは、繰り返し同じ言葉を言っていた。
―――市中心部から半径十五キロメートルで大規模な地震が起こりました―――
―――現在交通機関は―――
―――私鉄は―――
何を言っているんだろう、と布由はその時思った。
地震だったら、たいてい全国地図が出て、ぽつんぽつんと違う色の、数字のついた丸が地図の上にへばりつき、各地の震度は幾つ、とか、今回の地震のマグニチュードは幾つで、とか言う筈なのに、そういう意味の画像もアナウンスもない。
ただ―――市中心部から十五キロ…… と同じことを繰り返していた。
ちょっと待て、と布由は一つのことを思い出していた。
「今日は―――のライヴがあったんじゃないかっ」
「あんた行ったんじゃないですかっ!」
間髪入れずに土岐は叫んだ。
だがその時間は、普通ならライヴをやっている時間だった。だいたいアンコール程度の時間だった。
「行ってないんですね?」
布由はうなづく。
「ライヴは行ってない」
確かに。
「行ってないんですか?」
確かに行っていない。だが、市内には入った。会場にも行った。あれは公会堂だ。「TM」の、公園の中にある会場。
そして、HALにも、会った。
会って。
会って…… どうした?
「中心は、市内、『TM』―――」
「ちょっと布由さん、会場の付近じゃないですかっ!」
土岐は叫んでいる。だが布由は奇妙に冷静に考えていた。
違うよ土岐。会場の付近、じゃない。
震源地が、会場なんだ。
理由もなく、布由はそう思っていた。
この会場を中心に半径十五キロが揺れたんだ。彼を中心に。
どうして自分がそう思うのか、布由にも判らなかった。だが、確信していた。そうつぶやいていた。誰の耳に届くとも判らないのに。
耳。
そして声がまだ耳に残っている。
「行かないで」
それはどちらの声にも、聞こえた。彼の声にも、都市の声にも。
*
「HALの気配が感じられない?」
芳紫は訊ねた。
「ああ」
朱明は答えた。
「だけどそれっていつものことじゃん」
満月の夜、突然戻ってきてからずっと姿を見せなかったこの友人兼同僚は、黄色の公安長官の執務室へ来た時、ひどく疲れた顔をしていた。
「何、気がついたらいなかったの?」
「まあな」
「それからずっと?」
「ああ」
煮詰まったコーヒーをミルクも砂糖も入れずにジョッキ一杯にして芳紫は朱明に手渡す。下手に彼にやらせると、自分の呑む分まで無くなりそうだったから。
ああサンキュ、と取ると、ひどく苦々しげな表情で朱明はそれを半分飲み干した。
「……煮詰めすぎじゃねえの?」
「文句言わない!」
へえへえ、と彼は残りを飲み干した。だがさすがにその苦さは何となくぼんやりした彼の頭をしゃんとさせる。
「見てねえか?」
「見てないよ。抜け殻はそこらで見たけど、中に奴はいなかったから」
「……とすると」
「向こうへ行ってるな」
向こう、と彼らはそこをとりあえず呼んでいた。以前HALがM線を借りて安岐と朱夏を連れていったあの空間である。
時間が止まった、「川」の中と同じ類の。
彼らがそこに行ったことは無い。普通の人間はそうそう行ける所ではないのだ。HALにしても、「向こうとこちらをつなぐ」列車を媒体にしなければ安岐と朱夏を連れては来られなかった程である。
その「向こう」へ行っていると、朱明にしても凝縮したHALの気配は感じとれなくなるのだ。
「今回の逃げ方はすごいな」
ぎろり、と朱明は横目で友人をにらむ。だが芳紫は微動だにしない。
「言っちゃったんだお前に…… HALさん」
「え?」
どん、と朱明は殆ど空になったジョッキをデスクの上に叩きつけるように置いた。
ほんの少し残っていただけだったが、濃いコーヒーは飛び跳ねて、デスクの上に染みを作った。
芳紫はその染みをちら、と見たが、いつもの冗談めいた小言もその口からは出なかった。
「……って何だ? 芳紫お前、何か知っていたのか?」
芳紫は黙って、ついでに入れた自分用のコーヒー割りのミルクを口に運ぶ。
「俺だけが、知らなかったって、言うのか?」
「まあね」
大きなカップにやや反響した声が、簡潔に告げる。
「どうして」
「それは俺が言うべきことじゃないんじゃない?」
ぐっと朱明は詰まる。確かにそれはそうだ。それは芳紫に聞いて済むというものでもない。
だが。
「でもHALさんが言う訳ないよな」
芳紫はややあきらめたように顔を上げた。
「あのさ朱明、HALさんはさ、一番大切なことは、一番大切な当事者には、絶対言えない奴なんだ」
ぴん、と朱明の濃い眉が両方つり上がる。
「本当のことも嘘のこともいろいろ言うだろ。ほら、『小枝を隠すなら森の中』みたいにさ。で、HALさんは、かなり大事なこととか、二番目くらいに大切なもののことは、何だかんだ言って、言ってるんだよ。言葉の端々に」
「ああ」
覚えはある。
「だけど、そうやって散りばめても、本当に、一番のものは、絶対言わないんだ。言葉にはしないんだ」
「どうしてそんなことが判る?」
さあどうしてかな、と芳紫は笑った。
「だからHALさんは言ったんだよ、十年前、動ける身体が欲しい、って藍地と俺に、理由付きで」
「……」
「あの頃、あの人よく夢を通して出てきたよね」
「ああ」
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