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第4話 季明、不甲斐ない息子と辛い境遇の娘を諭す
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正頼が立ったことを確認してから、ようやく実忠は父の前に姿を現した。
「沢山言いたいことはあるが……」
季明は話し出した。
「世の中というものは、何かにつけて事が複雑になるというものだが、全て右から左に受け流していれば何とかなるものだ。それなのにお前は、頼みにならない女のことで身を持ち崩してしまった……」
「……儚いことを仰いますが、私にはそうではありませんでした」
実忠はぽつりぽつりと自分の思いを口にする。
「母上がお亡くなりになって後、世の中が全てつまらなく思えてしまい、生きていてもどうなろう、と考えておりました」
「それは私も同様だ。だからあれの死後、他の誰も妻にすることなく独身を通した。そなたこそ、子まで為した女性はどうしたというのだ。男の子の方など、悲しみのあまり死んでしまったというではないか。姫―――袖君《そでぎみ》と言ったか、それはどうしてしまったのだ? ここ数年、姫の母君は行者よりも身を慎んで生きているということだから、不義の子を宿すこともないだろう―――そもそもそなたは、その人をこの先どうするつもりなのだ?」
「……さあ、かつて住んでいた所にも今は居ないということです。私は世を厭う心持ちになりましたので、誰から聞きもしておりません」
「何ということだ。すぐにでも確かめさせよ。何にしても今のそなたは正気を失っている。親の私が死ぬ間際になっても、格別悲しいと思ってもいないらしいからな。ああ、全くお前は、妻も親も、皆悲しませる奴だ」
そう言って季明はおいおいと泣き出す。見ている周囲の者も涙を流さずにはいられない。
すると実正がずい、と身体を乗り出した。
「父上、実忠の北方は志賀の山もとにこの数年住んでおります」
「お、何と?」
「以前は三条堀川に住んでいたのですが、実忠の姿が見えないことで何かと言い寄る者がうるさくなったので、―――特に中将祐純どのなど、文を絶えずよこすので、それに困り果てて志賀へ移り住んだのだと聞いております」
それを聞いた実忠は「はっ」とする。
「仲忠がまだ中将だった時、志賀に一緒に行ったことがあります。まさか、そこだったのか……? あの時の女の子の声は娘だったのか…… 不思議な静かな住まい方をしているとは思っていたが…… ああ、私はそんなことにも気付くことができなかったのか……!」
あまりの自分の不甲斐なさに実忠は呆れるやら愕然とするやら、それ以外の何もできなかった。
一方の父は、息子達をせき立てた。
「早くその人達の居場所に訪ねて行きなさい。特に姫は、可哀想な目に遭わせてしまった。実忠は今は公にとってはどうしようも無い者になってしまっているので、姫は私の子として宮仕えでも何でも、ともかく幸せになれそうなことをしてやってくれ――― そう、多くの形見分けを、あの姫にしてやるのだ」
上の息子達は満足そうに顔を見合わせた。
*
季明はその後、娘である昭陽殿の君にも対面する。
「この家にはまだ中身を使っていない納所が五つある。その二つには尊い宝物がある。残り三つにはそなたにとって是非必要だと思われるものが全て置かせてある。荘園も沢山あるが、遠江、丹波、尾張、信濃、飛騨のものは特に優れている。これだけは何があっても手放してはならないよ」
「はい、お父様」
「……東宮はそなたには少々情が薄い様だ。それもまた、哀れなことだが仕方あるまい。兄弟の中でも、実正は頼りになる男だ。何かとこれからは彼がそなたのために口をきき、後ろ盾となってくれるだろう。私のことを忘れない者は、実正を訪ねて仕えてくれるだろう」
「ああ、お父様にもお判りになるのですね」
昭陽殿の君は嘆く。
「東宮さまは昔はあそこまではございませんでした。藤壺が入るまでは…… あれからです。私だけでなく、身分の高い他の女の方にもつれなくなってしまい、入内してこのかた、世間の者がああだこうだと嫌なことを取り沙汰する度に、私は父上がお元気で良かったと思っていたのです。……ですから、このたびのご不興を耳にした時は、目の前が真っ暗になる思いでした……」
嗚呼、と彼女は大きくため息をつく。
「今までそれでも何とか宮中で体面を保っていられたのは、お父様のおかげでした。遺言のことなど仰らないでください。どんな宝でも、お父様がお亡くなりになったら、すぐに無くなってしまいます。どうしてもあの世へ旅立たなければいけないと仰るなら、どうか私も連れていってくださいませ。全てのものは女が手にすると見る見るうちに無くなるものでございます」
そう言うと、とうとう大泣きをし始めた。
そんな娘をなだめる様に、季明は優しく諭す。
「何も心配することはない。何とかなるものだ。これからは何か異変が無い限り、参内しない方がいい。今であっても参内のための行列の用意が充分行き届かないだろうことが気がかりで仕方がない。今がこうならこの先はどうだろう。人の笑い者になってしまうのではないか、それくらいなら出入りをしない位の方が良い。見苦しいことだから」
黙って彼女はうなづいた。兄達も、現在の藤壺の様子を考えると、妹は自分達が守ってやるしかない、と思う。
「沢山言いたいことはあるが……」
季明は話し出した。
「世の中というものは、何かにつけて事が複雑になるというものだが、全て右から左に受け流していれば何とかなるものだ。それなのにお前は、頼みにならない女のことで身を持ち崩してしまった……」
「……儚いことを仰いますが、私にはそうではありませんでした」
実忠はぽつりぽつりと自分の思いを口にする。
「母上がお亡くなりになって後、世の中が全てつまらなく思えてしまい、生きていてもどうなろう、と考えておりました」
「それは私も同様だ。だからあれの死後、他の誰も妻にすることなく独身を通した。そなたこそ、子まで為した女性はどうしたというのだ。男の子の方など、悲しみのあまり死んでしまったというではないか。姫―――袖君《そでぎみ》と言ったか、それはどうしてしまったのだ? ここ数年、姫の母君は行者よりも身を慎んで生きているということだから、不義の子を宿すこともないだろう―――そもそもそなたは、その人をこの先どうするつもりなのだ?」
「……さあ、かつて住んでいた所にも今は居ないということです。私は世を厭う心持ちになりましたので、誰から聞きもしておりません」
「何ということだ。すぐにでも確かめさせよ。何にしても今のそなたは正気を失っている。親の私が死ぬ間際になっても、格別悲しいと思ってもいないらしいからな。ああ、全くお前は、妻も親も、皆悲しませる奴だ」
そう言って季明はおいおいと泣き出す。見ている周囲の者も涙を流さずにはいられない。
すると実正がずい、と身体を乗り出した。
「父上、実忠の北方は志賀の山もとにこの数年住んでおります」
「お、何と?」
「以前は三条堀川に住んでいたのですが、実忠の姿が見えないことで何かと言い寄る者がうるさくなったので、―――特に中将祐純どのなど、文を絶えずよこすので、それに困り果てて志賀へ移り住んだのだと聞いております」
それを聞いた実忠は「はっ」とする。
「仲忠がまだ中将だった時、志賀に一緒に行ったことがあります。まさか、そこだったのか……? あの時の女の子の声は娘だったのか…… 不思議な静かな住まい方をしているとは思っていたが…… ああ、私はそんなことにも気付くことができなかったのか……!」
あまりの自分の不甲斐なさに実忠は呆れるやら愕然とするやら、それ以外の何もできなかった。
一方の父は、息子達をせき立てた。
「早くその人達の居場所に訪ねて行きなさい。特に姫は、可哀想な目に遭わせてしまった。実忠は今は公にとってはどうしようも無い者になってしまっているので、姫は私の子として宮仕えでも何でも、ともかく幸せになれそうなことをしてやってくれ――― そう、多くの形見分けを、あの姫にしてやるのだ」
上の息子達は満足そうに顔を見合わせた。
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季明はその後、娘である昭陽殿の君にも対面する。
「この家にはまだ中身を使っていない納所が五つある。その二つには尊い宝物がある。残り三つにはそなたにとって是非必要だと思われるものが全て置かせてある。荘園も沢山あるが、遠江、丹波、尾張、信濃、飛騨のものは特に優れている。これだけは何があっても手放してはならないよ」
「はい、お父様」
「……東宮はそなたには少々情が薄い様だ。それもまた、哀れなことだが仕方あるまい。兄弟の中でも、実正は頼りになる男だ。何かとこれからは彼がそなたのために口をきき、後ろ盾となってくれるだろう。私のことを忘れない者は、実正を訪ねて仕えてくれるだろう」
「ああ、お父様にもお判りになるのですね」
昭陽殿の君は嘆く。
「東宮さまは昔はあそこまではございませんでした。藤壺が入るまでは…… あれからです。私だけでなく、身分の高い他の女の方にもつれなくなってしまい、入内してこのかた、世間の者がああだこうだと嫌なことを取り沙汰する度に、私は父上がお元気で良かったと思っていたのです。……ですから、このたびのご不興を耳にした時は、目の前が真っ暗になる思いでした……」
嗚呼、と彼女は大きくため息をつく。
「今までそれでも何とか宮中で体面を保っていられたのは、お父様のおかげでした。遺言のことなど仰らないでください。どんな宝でも、お父様がお亡くなりになったら、すぐに無くなってしまいます。どうしてもあの世へ旅立たなければいけないと仰るなら、どうか私も連れていってくださいませ。全てのものは女が手にすると見る見るうちに無くなるものでございます」
そう言うと、とうとう大泣きをし始めた。
そんな娘をなだめる様に、季明は優しく諭す。
「何も心配することはない。何とかなるものだ。これからは何か異変が無い限り、参内しない方がいい。今であっても参内のための行列の用意が充分行き届かないだろうことが気がかりで仕方がない。今がこうならこの先はどうだろう。人の笑い者になってしまうのではないか、それくらいなら出入りをしない位の方が良い。見苦しいことだから」
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