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58.記憶の中の未来
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「見えたんだ」
Gは離れた唇でつぶやいた。自分の頬に当てられた手に、手を重ねる。
「あなたには、もう、それが、見えてるんだな。未来の記憶として。俺が、どうするのか、判ってるんだな。判っていて俺を」
Mはじっと彼の顔を見つめる。
「俺が、あなたの敵になれる者だから。いやそうじゃない。俺しか、それにはなれないから。伯爵はあなたを崇拝しているから、敵にはなれない。でも俺は違う。俺はあなたを」
言葉が止まる。
「俺は、あなたを」
手を握る力が、ぐっと強くなる。何と言い表せばいいんだろう。この気持ちを。
側にいてずっとこのひとのために何かをしたい。伯爵はそうだろう。あの連絡員もそうだ。近くで、このひとの望むことを、察知して、その通りに動く。彼らはこのひとをとても敬愛しているからだ。崇拝しているからだ。
けど俺はそうじゃない。
Gは思う。
このひとが自分に望むのは、そんなことじゃない。本当にこのひとが何よりも強く望むのは、そんなことじゃない。
崇拝者など、どの時代の誰でもできる。たとえばあのくだもの患者達の様に。
あれがどの時代にそういうことになったのか、まだ今の彼には判らない。だが一つ選択を間違えるとどんどん違う道を指してしまう迷路の中で、亜熟果香の患者が存在する。
このひとを崇拝する者達。実際にこのひとの手が動かされたかどうかは判らない。それは大した問題ではない。
そんなものは、放っておいても、手に入る。望むと望まずに関わらず。
「……俺しか、あなたの敵にはなれないのだろう? あなたの望む、永遠の敵には。俺だけだ」
「そうだ」
掴まれていた手をするりと外し、MはGの髪をかき上げる。
「あなたは生きなくてはならないんだ」
それが誰のためなのか、今のGにはもう判っていた。ずるいよ、と彼は心中つぶやく。死んでしまったひとには、決して叶わない。
色あせた金髪。やせこけた身体。それなのに、子供の様な笑顔で。
骨ばかりになった指が、このひとの手を握る。最期の願いだと。
ずるいよ。
どんなことをしても、死んでしまった人の位置には座ることができない。
そこが無理なら。Gは思う。
「……そして生きるためには、永遠に、敵が必要なんだろう?」
皮肉気な笑顔を、自分が作っているだろうことが、判る。
「生きていくだけなら、味方が身内が居ればいいだろうけれど、生き続けていくには、それだけでは足りないんだ。味方なんてあなたには、幾らでも手に入る。どんな手をも、あなたには使うことができる。でもあなたの敵で居続けることはできない。だって、あなたの敵は、身を翻してあなたの味方になるか、あなたに殺されるしかないのだから」
彼はじっとMの目を見据える。
「だけど俺は」
視線を外さない。
「俺は、決してあなたに殺されない。何があろうが。そういう身体だ。『人間ではない』あなたと同じ種族の」
「……」
「人間じゃない。俺も、あなたも。俺の身体は、俺が死なないためにだったら、時空を飛び越える。俺はあなたがどんなことをしようが、あなたからどんな攻撃を受けようが、死なない。生き続ける。あなた自身が死を選ぶまで。そうだろう?」
「そうだ」
「俺達は、永遠に、戦い続けることができる。そうだろう?」
「そうだ」
Mは大きくうなづく。
「だから私は、お前を待っていたのだ」
Gもまた、うなづく。
「悲劇だよね、それは」
そして笑う。
「それとも、喜劇かな?」
どんな顔になっているか、判らない。だけど、彼は笑っていた。笑うしかない。笑うしかないじゃないか。
「泣くな」
「泣いていない」
冷たい唇が、頬に触れる。その手が、背に回される。見かけによらない強い力が、自分を抱きしめるのを、彼は感じる。
強い目眩が、彼を襲う。腕を伸ばす。
「俺は、あなたを―――」
言葉が飲み込まれる。
そのまま彼は床へ崩れ落ちる。長い黒い髪が、首筋に絡みつく。まるで生き物の様だ。
目を閉じる。冷たい唇が、重ねられるのが判る。背筋が凍る。
刻み込んで、おきたかった。この冷たさを。
他の誰でも、自分は熱くなることはできる。そんな身体なのだ。自分を強く蹂躙してくれる、誰かに、熱くなることはできる。
だけどこの冷たさは、誰も持っていない。
その手が、その胸が、その指が、その唇が。
身体の芯を貫き通す、背筋から脳天まで突き抜ける、凍えてしまえ程の、冷たさが。
だから、もう誰にも求めない。
誰に熱くされても、本当に欲しいものは、決して。
*
行くのか、とMは問いかけた。行くんだ、とGはうなづいた。
「何処へ?」
「あなたがそれは一番知ってるだろう?」
そうだな、とMはうなづいた。
「さよなら」
Gはそう口にした。
微かに唇が、その後に動く。
Mが軽く目を伏せると、既に彼の姿はそこには無かった。
*
彼は自分の中のものに命ずる。行くんだ。
何処へ? とそれは問いかける。
「俺を待つ場所へ」
他の誰でもない、自分を待つ誰かが、呼ぶ場所へ。
彼は自分の中の何かに命ずる。
「行くんだ」
もう後戻りは、できない。
*
ファンファン、とサイレンの音が、通り過ぎると、いきなり音の調子を変える。
「ドップラー効果って言うんだぜ」
黒い髪の少年は声をひそめてつぶやく。へえ、と連れの少年は、感心する。
「ホウは何でも良く知ってるよなー」
そんなでも無いよ、と言いながらも、まんざらではない。この間調べたばかりのことなのだが。
「お前ももうちょっと本読んでおいたほうがいいよ」
「そんな暇、無いこと、ホウだって知ってるくせに!」
暇というもんは作るもんだよ。ホウと呼ばれた少年は思う。
フランス積みのレンガの壁に背をつけ、指につばをつけ、先刻すれ違った男からすり取った財布の中身を数える。
そんな彼を、手ぶらの少年は、うらやましそうに眺める。
「相変わらず腕がいいよなあ……」
「そういうお前、どうなんだよ、シューリン」
「俺?」
シューリンと呼ばれた少年は押し黙る。
「仕方ねえなあ」
ホウは数えていた札の中から、二枚ほどを抜き取ると、シューレンに押しつける。
「……いつもごめんよ」
「ホントにお前どんくさいんだからよ。いいか絶対、お前は使うなよ。ねーちゃんに渡すんだぞ」
「わ、判ったよ」
「ホントかあ? またこないだの様に、途中のサイダースタンドで呑んでたら、ぶち殴るぞ」
親切でそんなことをしている訳ではないのだ。シューリンの姉には、もっと小さい頃から色々世話になっている。彼女は今病気だ。だったら。
「ぶち殴るだけじゃ済まねえぞ」
「……怖いよホウ」
「俺はもともと温厚だぜ。怒らせるのはお前が悪いんだろ」
ぺっ、とガム入りの唾を道に吐く。ホウは札をポケットに突っ込むと、他に何か入っていないか、と確かめる。「Q」の路地ではそれが常識だった。
財布の縫い目まで綺麗に切り開き、裏を返し表にし、財布の革地に何か書かれていないか確かめる。そうしてからやっと、その財布はゴミ箱行きとなるのだ。
その財布の表面生地が新しい時や、有名ブランドのものだったら、それだけを引き取る裏業者へ持っていく。それで偽物を作る専門が居るのだ。無論売る時には「本物」とつける。
しかしまあ、そんな綺麗なものでも、有名どころのブランドの模様もついていなかったから、ホウはあっさりその布片になった財布をゴミ箱へと投げ捨てる。
ブリキの缶でできたゴミ箱は、レンガ作りのビルの中にある安レストランの生ゴミがいつもあふれている。玉ねぎや鶏肉の皮の腐った臭いが、路地には平気で漂っている。
惑星「Q」では、当たり前の光景である。
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言葉が止まる。
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けど俺はそうじゃない。
Gは思う。
このひとが自分に望むのは、そんなことじゃない。本当にこのひとが何よりも強く望むのは、そんなことじゃない。
崇拝者など、どの時代の誰でもできる。たとえばあのくだもの患者達の様に。
あれがどの時代にそういうことになったのか、まだ今の彼には判らない。だが一つ選択を間違えるとどんどん違う道を指してしまう迷路の中で、亜熟果香の患者が存在する。
このひとを崇拝する者達。実際にこのひとの手が動かされたかどうかは判らない。それは大した問題ではない。
そんなものは、放っておいても、手に入る。望むと望まずに関わらず。
「……俺しか、あなたの敵にはなれないのだろう? あなたの望む、永遠の敵には。俺だけだ」
「そうだ」
掴まれていた手をするりと外し、MはGの髪をかき上げる。
「あなたは生きなくてはならないんだ」
それが誰のためなのか、今のGにはもう判っていた。ずるいよ、と彼は心中つぶやく。死んでしまったひとには、決して叶わない。
色あせた金髪。やせこけた身体。それなのに、子供の様な笑顔で。
骨ばかりになった指が、このひとの手を握る。最期の願いだと。
ずるいよ。
どんなことをしても、死んでしまった人の位置には座ることができない。
そこが無理なら。Gは思う。
「……そして生きるためには、永遠に、敵が必要なんだろう?」
皮肉気な笑顔を、自分が作っているだろうことが、判る。
「生きていくだけなら、味方が身内が居ればいいだろうけれど、生き続けていくには、それだけでは足りないんだ。味方なんてあなたには、幾らでも手に入る。どんな手をも、あなたには使うことができる。でもあなたの敵で居続けることはできない。だって、あなたの敵は、身を翻してあなたの味方になるか、あなたに殺されるしかないのだから」
彼はじっとMの目を見据える。
「だけど俺は」
視線を外さない。
「俺は、決してあなたに殺されない。何があろうが。そういう身体だ。『人間ではない』あなたと同じ種族の」
「……」
「人間じゃない。俺も、あなたも。俺の身体は、俺が死なないためにだったら、時空を飛び越える。俺はあなたがどんなことをしようが、あなたからどんな攻撃を受けようが、死なない。生き続ける。あなた自身が死を選ぶまで。そうだろう?」
「そうだ」
「俺達は、永遠に、戦い続けることができる。そうだろう?」
「そうだ」
Mは大きくうなづく。
「だから私は、お前を待っていたのだ」
Gもまた、うなづく。
「悲劇だよね、それは」
そして笑う。
「それとも、喜劇かな?」
どんな顔になっているか、判らない。だけど、彼は笑っていた。笑うしかない。笑うしかないじゃないか。
「泣くな」
「泣いていない」
冷たい唇が、頬に触れる。その手が、背に回される。見かけによらない強い力が、自分を抱きしめるのを、彼は感じる。
強い目眩が、彼を襲う。腕を伸ばす。
「俺は、あなたを―――」
言葉が飲み込まれる。
そのまま彼は床へ崩れ落ちる。長い黒い髪が、首筋に絡みつく。まるで生き物の様だ。
目を閉じる。冷たい唇が、重ねられるのが判る。背筋が凍る。
刻み込んで、おきたかった。この冷たさを。
他の誰でも、自分は熱くなることはできる。そんな身体なのだ。自分を強く蹂躙してくれる、誰かに、熱くなることはできる。
だけどこの冷たさは、誰も持っていない。
その手が、その胸が、その指が、その唇が。
身体の芯を貫き通す、背筋から脳天まで突き抜ける、凍えてしまえ程の、冷たさが。
だから、もう誰にも求めない。
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*
行くのか、とMは問いかけた。行くんだ、とGはうなづいた。
「何処へ?」
「あなたがそれは一番知ってるだろう?」
そうだな、とMはうなづいた。
「さよなら」
Gはそう口にした。
微かに唇が、その後に動く。
Mが軽く目を伏せると、既に彼の姿はそこには無かった。
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