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61.微笑ましいしらばっくれ方

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「用…… そうなんだよなあ……」

 Gは思わず天井を振り仰ぐ。下手に取り繕ったところで仕方が無い。

「君、さっきあのレンガの店の脇のゴミ箱に何か捨てたろ?」
「何のこと?」

 おやおや、とGはそのしらばっくれ方にふと微笑ましいものを感じる。あの余裕たっぶりな奴も、昔はこんな時代があったのだな。

「別に知らないならいいけど。ただ、少しあれには危険なものが挟まってたからさ」
「危険な?」

 相手の表情が30%程翳る。自分はちゃんと調べたはずだったのに、と言う気持ちが渦巻いているだろうことがGには露骨に判る。

「……例えば良質の亜熟果香とかさ」
「!」

 少年は瞬間、唇を歪めた。

「……へえ。そういう物騒なものがあったの?」
「知らない?」
「知らないなあ」

 ふうん、とGはにやりと笑った。そのまま一歩、二歩と少年に近づいていく。

「まあ別に、君が知らないならいいけど、もしそうだったら大変なことが起きるだろうなあ、と思ってね」
「何だよその大変なことって」

 ことさらに平静をつくろって、少年はGに問いかける。他人事の興味の様に聞いているが、目が笑っていない。

「いや、でも想像はできるんじゃないかい?」

 別に君が関係ないならいいんだけど、とGは付け足す。少年はう、と声を漏らす。

「……どうしてあんたは、そんなことを知ってるんだ?」
「君がそうなの?」
「そんなこと言ってない! だけど、あんたが拾った財布に、そんなものが入ってたのか? それ、どういう風に隠してあるったんだよ」
「裏地さ。裏地の糸の一本一本が、上質の香になってる」

 微かに少年の目が細められた。

「なるほど、そういうこともあるんだね。じゃあこれからは気を付けるさ」
「強情だなあ」

 少年ははっとして、扉の中に入ろうとしたが、相手の方が上手だった。
 開けようとした瞬間、その手が取られた。
 ぐい、と腕をひねられる。何故自分の身体が相手の真正面にあるのか、少年には理解できない様だった。

「別に俺は君をどうこうしようってんじゃないんだよ」
「だから俺は」
「あいにく見てたの、俺は」

 かっ、と少年の顔に血が上る。その隙を捉えて、Gは少年の瞳を捕らえた。
 視線が合う。
 相手の目は、自分から逃れられない。

「……あれで暮らしを立ててるのか?」

 ぶるぶる、と少年は首を横に振る。

「遊びか?」
「……違う!」

 スリ・かっぱらいが決して正しい、とはGは思っていない。
 だがそれしか生きて行く手段が無い時だったら別だ。
 それしか無いのなら、それは仕方が無いだろう、と。危険を伴う行動だったとしても。
 だがその危険を冒してでもそうしなくては生きていけない。そんな時、どんな正論も何の意味も為さなくなることを、彼はよく知っているのだ。

「遊びだったら」
「だから遊びじゃない!」
「じゃあ何だ?」

 彼は少年の首筋に手を這わせる。どくどく、と血管が脈打っているのが判る。

「……仲間がいる?」

 はっとして少年は、目を大きく広げた。図星だろう。

「仲間との活動資金?」
「……」

 少年はぐっと歯を食いしばる。何だって初対面の人間に、こうもいちいち暴かれていかなくてはならないんだ。無言の視線は雄弁だった。

「別に俺はどうしろとは言わないさ」
「……じゃあ」
「気を付けろ、と俺は言いに来たんだ。遊びの延長で組織作りごっこなんかするんじゃない」
「遊びじゃない!」
「そう、遊びじゃないんだよ、組織作りは。学校の班活動じゃあないんだ。キッズ・ギャング気取りか?」

 少年は震える。掴まれた肩に力がこもる。

「……だから一体……」
「お前はね、イェ・ホウ、亜熟果香なんか秘密に運んでる奴の邪魔をしてしまったんだよ」
「……」
「お前がどう思おうと、それは、そいつの取引を邪魔したことになるって言うことだ。つまりお前が、その邪魔する側の人間だ、と思われて当然ってことなんだよ」
「……だけど俺は……」
「お前の目的が金であるとか財布の表地であるとか、そんなのは、相手の知ったことじゃないんだ」

 少年の顔がくしゃ、と歪む。

「……だけど」
「何?」
「俺達には、金が必要なんだよ!」

 少年は拳を握りしめる。

「何大声出してるのよ、ホウ」
 扉の中から女の声がした。
「ね、ねーちゃん…… ごめん、起こした?」
「どっちにしても、そろそろ行かなくちゃならないでしょ、時間……」
「だからその時間まで、寝てて良かったのに」

 ふい、とGは位置を変えて、扉の中をのぞき込む。少年と何処となく似た女性が、起きたばかりなのだろうか、柔らかそうな髪の毛をふわふわと首筋に絡みつかせていた。

「少し早いけど、行ってくるわ。……お客様だったら、入ってもらいなさいな……え?」

 視線が合う。Gは反射的ににっこりと笑いかけた。少年の姉は、真っ赤になって凍り付く。

「初めまして」

 おそらく少年は、自分のやっていることを、この姉にはそう知られたくないのだろう。Gと姉を見比べては、何と言ったものか、とまごついている。

「……今から私、病院に行ってきますの。弟とまだお話があるなら、立ち話も何ですし…… 中へどうぞ」
「いえ、そう長い時間は」

 そしてまた見事に微笑みかける。姉娘は小さなバッグを持った手を思わず胸に当てる。

「……それじゃ、行ってくるわね」
「気を付けてけよ、ねーちゃん。変な奴が多いんだから」
「大丈夫よ。近いんだし」
「……うん、じゃあ、もし何かあったら、絶対に、いつものアレ、鳴らしてよ」
「判ってるってば」

 姉娘はひらひら、と手を振る。イェ・ホウはその後ろ姿を見送りながら、しばらく黙っていた。

「……中に入る?」



「ずっと、病気なんだ」

 Gの前にとん、と茶碗を置きながら、イェ・ホウは言った。

「別に何処かがすごく悪いとかそういうのではないんだけど…… ただ何か、ずっと起きてることができなくて」
「ああやって病院に行く時だけ起きてる?」
「まあね」
「親は?」
「居たはずなんだけど…… いつの間にか、消えてた」
「消えて?」
「この街では、よくあることだよ。それに、姉貴のこと、ずっと何か、ぶつぶつ言ってたし」
「……ふうん」

 それで、金が必要なのか、とGは納得する。

「俺だってさ、一応、ちゃんとした仕事もしてるんだぜ?」
「へえ?」

 何の仕事、と彼は問いかける。

「料理店で、皿洗いや買い物。そんなことしか、俺くらいの歳じゃできねえもん」
「将来は、じゃあ料理人なんだ?」

 くす、とGは笑う。確かに、今口にする茶も、決して悪くはない。素質はあったのだろう。
 朝食をそこで取ったのだろう、まだ調味料や、粥の上に乗せる漬け物がテーブルの上には残っていた。少年はGの向かいに腰を下ろした。

「……うーん…… 別に料理人になりたいって訳じゃあないけど」
「他に、なりたいものがあるの?」
「判らない。まだ俺には、そこまで考えられない」

 なるほど、とGはうなづく。

「……って何で俺、あんたにそんなこと言ってるんだよ。そうじゃなくてさ」
「何?」
「……だから、とにかく、ここには、そういう奴が多い、ってことだよ! 親が居なくて、それでも生きていかなくちゃならないガキってのがさ」
「さっきの連中?」
「そうだよ」

 少年はきっぱりと答える。

「皆そんな、スリやかっぱらいなのか?」
「そんなのばかりじゃあないさ。皆自分のできることをやってる。使い走りとか、広場の饅頭売りとか。ただ、それだけではやっていけない時、俺達は、持ってそうな奴だけ狙ってやるんだ」
「なるほどね」

 それはそれで、一理あるだろう、と彼も思う。きれい事だけでは食ってはいけない。

「……だけどあんたの言うことも……」

 ぶるぶる、と少年は首を横に振る。

「うん、危険は俺も嫌だ。……でも、どうしたらいい?」

 顔を上げる。

「仲間に火の粉が降りかかる前に、俺に何ができる?」

 イェ・ホウは身を乗り出した。 
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