四代目は身代わりの皇后①発端

江戸川ばた散歩

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第1話 お嬢様の朝はお茶の香りで

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『敵は何人だ?』

 ……左翼から大隊二。うち中隊七。中に小隊が二十。小隊に兵はそれぞれ十二。だから―――

『矢は?』
『刀兵・弓兵・棒兵・徒手兵各何人だ?』 『答えろ』

 ……待って。一度に言わないで。

『答えろ』
『早く!』
『早く!』  

 急かす破鐘の様な声。
 揺さぶる大きな手、手、手。

『止めろ……』

 懐かしい、声。

『お願いだ、その子は』

 必死の声。男。それをまた、引き留める、手。殴りつける手。ぱん。

『頼む…… もうその子は……』
『何を甘いことを』

 覚えのある、声。
 女の声。

『皆が皆今この時必死だと言うのにあなたは! あなたの様な男を持って私は不幸です!』

 ……ああ、―――お母さん。

『さあごらん』

 格子越しに、強い手が。厳しい声が、顔を西に向ける。向けさせる。

『見るのです。お前のその目で。そして答えなさい。それがお前の』

 嫌。

『お前の』

 嫌だ。

『お前の―――』



 びく。
 足が震えた。
 その拍子にサボンは目を覚ました。息が詰まる。大きく深呼吸をする。
 障子を開ける。白んだ空。光。朝だ。
 ああ良かった。
 彼女はほっと息をつく。起きられる。起きていられる。
 そのまま身支度を整え、外の水盤で顔を洗う。まだ冷たい。目が覚める。顔の皮膚が一気に引き締まる。
 彼女は厨房へと向かう。仕事はこの瞬間から始まる。湯を沸かし、茶の用意をしなくてはならない。彼女の主人の、「お目覚の一杯」のために。
 冷たい水を入れた鉄瓶が、やがて蒸気を勢い良く吐き出す。

「ああ…… いい香りだね。新しいのかい」

 太い声が問い掛ける。朝の茶は、甘い花の香りで。

「はい。先日仕入れた甘南蔓茶のお許しが旦那様から頂けたとのことで」
「まあ、いろんなお茶が楽しめて良いことよ」

 ほっほっ、と同僚の中年女は前掛けをし、袖をまくる。
 ごぉん、と音を立てて、大鍋を火にかける。

「お嬢様は、お茶がことのほかお好きだから」
「まあ、ねえ」

 女はひゅっ、と眉を上げた。
 サボンはそれには答えずに、両手付きの塗りの盆を取る。茶器一式、それに皮が容易く剥ける水菓子を幾らか選んで器に乗せ、厨房を出て行った。
 厨房から主人の部屋までは遠い。
 一つ一つの廊下は長くは無い。
 だが幾つもの角を曲がらなくてはならない。
 離れの離れ。そこが彼女の主人の寝所だった。

「お嬢様、お目覚めですか?」

 そっと声を掛ける。返答は無い。

「お茶が、冷めてしまいます」
「んん…… もう少し、寝かせて…… サボン……」

 甘い声。彼女の名を、そのまま何度か繰り返す。サボン。サボン。
 彼女は軽く首を傾げる。緩い甘い赤茶の髪が、一房、こぼれる。
 名には名を。

「アリカ様。アリカケシュ様」

 ううう、と寝具のすき間から顔がのぞく。

「起きるわよ、だから……」

 すき間に手を掛ける。

「確か今朝の御膳には、旦那様がいらっしゃるのをお忘れで?」
「ああっ!」

 アリカと呼ばれた少女は飛び起きた。

「そうよお父様がお帰りだったんじゃないの! ああっどうしましょうどうしましょう。私またお寝坊してしまうところだったのだわ!」

 その様子を見て、サボンはふっと笑う。

「今ならまだお寝坊じゃあありませんよ」
「ああサボン大丈夫かしら。お父様本当に久しぶりで、私の顔もお忘れになっていないかしら」
「そんなことはございませんよ」
「本当?」
「サボンがアリカ様に嘘をついたことがございますか?」
「嘘は無いけど」

 んー、と甘い茶色の丸い目が、軽く上目づかいになる。ころん、と同じ色の髪が一房、ひざの上に転がる。
 同じ歳だとは、サボンにはどうしても思えない。愛らしいお嬢様。愛しいアリカ様。

「ああでもお父様は厳しい方だから! そうよだって今回だって難しい東海の視察にお出かけだったのよ! お疲れだったはずなのに、ああまた私のことでまた気を揉ませてては!」

 ばたばたばた。手が、首が、忙しなく動き回る。着替えようと用意された服に手を伸ばしては、自分でやるのと手伝ってもらうのではどちらがいいのか迷っている。
 どっちでもいいけど。サボンはくす、と口の中で笑う。

「お嬢様、今はとりあえずお茶を一口如何ですか」
「お茶」

 ぴた、とアリカの動きが止まる。

「そう言えば、いい香り…… あ、これ」
「ええ、東南の、桜州から仕入れたと言うお嬢様のお望みのお茶です。甘南蔓茶」
「ああこれが…… うう…… ん」

 ふうっ、とアリカは茶器から漂う香りを思い切り吸い込む。

「果物の香り。ううんそれとは違うわ。果物――― ああ、それとも、それ?」

 盆の上の白い皿には、桃と、小振りな葡萄が幾つか盛られている。

「いいえ水菓子ではこの様な強い香りは致しません」

 そう言いながらサボンは一杯を注ぎ、彼女の主人の前に差し出す。
 アリカは両手で受け取ると、香りを吸い込む様にして、一口すする。
 ああ、と声が漏れた。
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