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第20話 いつかは行きたい場所

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 報告はその後も続いた。

「……やはりあの糸蛾は砂漠の飛び地のあの場所のみか」
「どう致しましょう?」

 フヨウは今までに報告を終えた女達を後に従え、アリカに問いかける。彼女達の気配は非常に淡く、すぐ近くに居るはずのサボンには精霊か何かが居る様な気がした。

「大量に生産しないなら、すぐにどうということはないだろう。とりあえずあの地に監視をつけておき、実際にその糸蛾に関する仕事につけ。人選はフヨウに任せる」
「承知」

 フヨウは一礼すると、皇后の私室の闇に溶け込む様に姿を消した。サボンは小声で訊ねる。

「つまり、カイ様に皇帝陛下がおつけになった監視役の様なことですね?」
「そうです」
「それだけで貴女としては現在は大丈夫だと?」
「飛び地で少量の生産をするだけならさして問題は無いんですよ。私が心配しているのは、その土地の作物に影響が出るか、ですから……」
「作物。色が変わった葉ですね」
「ええ。土に肥料を与えれば作物に何かしらの変化がある様に、元々の土があそこだけ何かしらの―――が作用していたとしたら」
「え?」

 聞き取れない単語があった気がする。

「ああ、すみません。毒の様なものだ、と思ってくださいな。ただし薬も使いようによっては毒になる、の類ですが」
「何かあるんですね。それが糸蛾から出される糸の色…… というか、貴女が危惧されてるのは光の方じゃないですか?」

 黙ってアリカは指を立てた。その通り、と口が動いた。

「私はその原因が現在何処にあるのか知りたいのですが…… こればかりは…… 動くので彼等に追わせても無理なのですよ」

 そう言うと彼女は珍しく苦笑して首を傾げた。

「追えば逃げる石、というのをサボン貴女は想像できますか?」
「え? 石は動かないものでしょう?」
「そうなんです。石は基本的には動かない。ただ私の知識の中にあるその石は、普通の人間が無理に近寄ると逃げるんですよ」
「……わけがわからないわ」
「ええ、それは貴女が知らなくても良いことです。ただ、私はいつか探しに行きたいとは思うのですが」

 え、とサボンはぽつんとこぼしたその言葉が妙に深々と自分の胸を刺したことに気付いた。



 数日後、皇太子ラテがそっと皇宮内に連れられてやってきた。
 十六歳未満の者は入ることが許されない政治の都に入ることができる、たった一人の子供。それが彼だった。
 皇宮内に馬車が入ると、ようやく隠されていた窓の帳が開く。だがまだすぐに下りることはできない。皇宮は広いのだ。
 後宮に入った時、ようやく彼は馬車から降りることができた。そして行きたい場所へとさっさと歩を進める。

「おやまあ殿下! お久しゅうございます!」

 太公主の館の女官が大仰な声を立てた。

「お戻りの時には連絡を下さいね。私は皇后陛下の元に」
「判ってるよ!」

 館の中に入って行くことを確認すると、同行したエガナは皇后の元へと向かう。

「やあ久しぶりだ。会う度ににお前は大きくなるな」
「父上はいつもお変わりないですね」

 その言葉には何の含みも無いのは判っている。だが皇帝カヤはそれにはただ苦笑を返すしかない。

「いつかお前も判るよ」
「今は判らないでいいのですか」
「判る時は、自分がどうあれ判ってしまうものなんだよ」

 この父が普通と「違う」ことを本格的に理解したのは副帝都で学問所に通う様になってからだった。
 学問所の子供達の中には親が直々に迎えに来たり、時には教師に呼び出され、赴いてくることもある。そんな者達を見る都度、ラテは首を傾げたものだった。

「ねえフェルリ、皆の父上って何であんな老けてるの?」

 その時のフェルリは相当素早く「弟」の口を塞いだものだった。ラテはただ単に疑問を口にしただけだった。だがどうやらそれはまずいことらしい、とその時初めて知った。
 帰り道、フェルリは小声で言った。

「俺の死んだ父さんもあんなものだよ。ラテの父上がとってもお若いって聞いてはいるけど…… そんなに違うんだな」

 それ以来、「弟」がそれだけ感覚がずれていることにフェルリは気をつける様になったものだった。
 そして改めてラテは父をまじまじと見る。どう見ても、自分の父というよりは兄と言った方か良い姿なのだ。
 そして一緒に暮らしているという太公主という女性は。
 副帝都でこの女性と歩いたならば、自分と彼女の関係は「孫と祖母」だろう。この後宮の中で育てられていた頃にはあまり気にしなかったことが、今になってみしみしと彼の中に染み渡ってきている。
 そして何と言っても母だ。一緒に来たというサボンと同じ歳だというが。
 外の世界を一度知ると、自分の居た環境が如何に特殊であるかにどんどん気付かされる。
 しかし今はその考えは横に置こう、とラテは思った。これは考え出すと止まらなくなる類いの案件だった。

「父上、トモレコル家に嫁がれた母上の姉君がお亡くなりになったと聞きました」
「らしいな。貴女も聞いているだろう?」

 茶を用意された同じテーブルに太公主もついている。

「そうね。ルーシュが嫁ぎ先でも彼女はよく招いていたということでお手紙が来たわ」

 桜の公主と呼ばれたアマダルシュは現在は降嫁し、そこでも夫人や令嬢を集めては常に面白いことを、と望んでいるということだった。
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