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第1話 マドリョンカの副帝都への帰還
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彼女が副帝都の家に戻るのは二年ぶりだった。
それまではどれだけかつての友人達が「時には顔を見せて」と言っても戻らなかった彼女が。
きっかけは先日の「皇太子誕生」だった。
宮中において皇太子がご誕生!
それはもう、現在の皇宮ができてから初めてのことだった。
無論皇帝の子は何人も―――何十人と生まれてはいた。だがその全てが皇女であり、世継ぎにできる皇子が生まれることは全くなかった。
それが何故か。
今だったら何となく彼女には判る。少なくとも彼女が見聞きした情報から考えるに。
賢く、丈夫な、そして度胸が座った娘!
どれも欠けてはいけない。何せ同じ父を持つ妹は死の可能性を恐れて自分の乳母子を身代わりにしたのだ。
結果、その乳母子が皇后となった。
そう、現在もまだ帝都で祝いが繰り広げられている皇太子の母は、妹の乳母子なのだ。
生まれは草原の、今は無い部族。
異様に賢く、必ずしも器用とは言いがたいが、回数を踏んで身につけるだけの持久力と体力、そして何と言っても妹と代わるだけの度胸があった。
自分だったら?
マドリョンカは思う。
無理だ。
そのくらいの判断は彼女にもできる。
自分はあの妹の乳母子よりは器用だが、頭と度胸は確実に叶わない。もし自分が本当に妹の立場にあったら――― やはり乳母子のメイリョンに話を持ちかけるかもしれない。
ただメイリョンは元のサボン程には度胸は無い。待っていたのは、誰も産まないか、皇女を産んで放っておかれるか、さもなければお産で死ぬか狂うか。どれかだったろう。
だがもし何かの間違いで皇太子を産むことができていたら?
現在の「皇后アリカケシュ」は、出産までの十月十日の間に幾つかの新しいものを彼女達の間に送り出した。
例えば編み飾りとそれに使う幾つかの種類の棒。例えば細い文字が簡単に描ける硬筆。市井の菓子や料理の中から美しいもの。
一つ一つはほんの小さなものである。だがそれを伝えると、そのままではなく、伝えた側に居るその道に堪能な者が競う様に新たな手法を、素材を、応用法を考えてくる。
そんな発端となるものを新たな皇后は彼女達に持ち出してきたのだ。
それはもう、産み月間近になってまで続き、女官長達やサヘ家の夫人二人をもはらはらさせたものだったが、当の本人はあっさりと「今日生まれますね」などと言い、あり得ないくらいの安産だったという。
皇帝は生まれた子が確かに男子だったと実際に見せられた時、その場にうずくまって号泣したという。共に見舞いに来ていた太公主が必死でなだめたことは口外しないように、とマドリョンカも言われていることなのだが。
だがともかく居てしまったのだ。見てしまったのだ。
皇后が爆弾発言をしたものだから、サヘ家の当主は無論、女達も熱を出して動けなかったすぐ上の姉を除き動員された。
ところが身なりを整えて駆けつけたら既にお産は終わっていた。
唖然としていたのはサヘ家の女だけではなかった。驚いていなかったのはおそらくは「本当の妹」だけだったろう。
女官長達だけでなく、医師も「ありえない!」と祝いの言葉の前に現実を疑っていた。
その直後、太公主のもとに住まう様になっていた皇帝が共にやってきた。そして確認してこの騒ぎだった。
マドリョンカは思いだし、やはり何か解せないものがある。
本当に若々しい――― 「妹」と結婚して当然な外見の皇帝が、その祖母と言ってもいい程の太公主と共にやってきた。そして横に寝かせられている「息子」が「息子」であることを確認し―――
「これは夢ではないな、本当にこうたいしていいのだな」
そう言った。そう聞こえた。
「皇太子でいいのだな」でなく、「交代していいのだな」とマドリョンカの耳には届いた。
生まれたことを喜ぶというよりは、何かから解放されたかの様な―――
皇后アリカの表情は普段と変わらなかった。
サボンだった時から大して笑いも泣きもしない子だ、とマドリョンカは思っていたが、この時も変わらなかった。
そしてうずくまってひたすら泣きじゃくり歓喜の声を上げる皇帝を、太公主は確かに伴侶の持つ親しさでなだめていたのだ。
やがて落ち着くと皇帝は皇后に言った。
「ありがとう本当にありがとう。俺はこれで本当にこのひとと一緒にいける」
何処へ?
何処かへ行く、という意味ではない。そうする意味が皇帝には無いのだ。ここは彼の国で、彼を傷つける者は誰も居なくて。
だとしたら。
無論マドリョンカはその場では顔色一つ変えなかった。母と義母も同様だった。
ただ、姉だけが微妙な表情をしていた。
その意味を帰宅してから訊ねたら、彼女はこう答えた。
「陛下は引退なさるおつもりなのだろうか」
と。
「引退も何も、皇帝陛下であることは代わりようが無いじゃないの」
「だがマドリョンカ、今上の陛下が即位なさった時、先帝陛下はその姿をお隠しになったとある。私はその記述を比喩かと当初は思っていたのだが」
理屈で考える側の頭は自分よりずっと良い姉はそこで考え込んでしまった。少し先帝の時代のことを調べてみる、と言い、それ以来学問仲間と飛び回っているという。
下手な発言はしない様に、とミチャ夫人から言われているので、シャンポンもあくまで「先帝の功績」を調べているに留めているらしいが。
マドリョンカは姉のこだわりが今一つ掴めなかった。おかしいとは思う。だが今現在の自分としては、問題はそこではない。
皇太子が生まれたのだ! だったら、今度は皇后になれる娘を作らなくては!
本当の「アリカ」は自分から何かしらの勝負から逃げた。だが自分はまだそのスタートラインにすら上がっていなかったのだ。
だったら―――
ト・マドリョンカ・サヘはそう願って副帝都へ戻ってきたのだ。
それまではどれだけかつての友人達が「時には顔を見せて」と言っても戻らなかった彼女が。
きっかけは先日の「皇太子誕生」だった。
宮中において皇太子がご誕生!
それはもう、現在の皇宮ができてから初めてのことだった。
無論皇帝の子は何人も―――何十人と生まれてはいた。だがその全てが皇女であり、世継ぎにできる皇子が生まれることは全くなかった。
それが何故か。
今だったら何となく彼女には判る。少なくとも彼女が見聞きした情報から考えるに。
賢く、丈夫な、そして度胸が座った娘!
どれも欠けてはいけない。何せ同じ父を持つ妹は死の可能性を恐れて自分の乳母子を身代わりにしたのだ。
結果、その乳母子が皇后となった。
そう、現在もまだ帝都で祝いが繰り広げられている皇太子の母は、妹の乳母子なのだ。
生まれは草原の、今は無い部族。
異様に賢く、必ずしも器用とは言いがたいが、回数を踏んで身につけるだけの持久力と体力、そして何と言っても妹と代わるだけの度胸があった。
自分だったら?
マドリョンカは思う。
無理だ。
そのくらいの判断は彼女にもできる。
自分はあの妹の乳母子よりは器用だが、頭と度胸は確実に叶わない。もし自分が本当に妹の立場にあったら――― やはり乳母子のメイリョンに話を持ちかけるかもしれない。
ただメイリョンは元のサボン程には度胸は無い。待っていたのは、誰も産まないか、皇女を産んで放っておかれるか、さもなければお産で死ぬか狂うか。どれかだったろう。
だがもし何かの間違いで皇太子を産むことができていたら?
現在の「皇后アリカケシュ」は、出産までの十月十日の間に幾つかの新しいものを彼女達の間に送り出した。
例えば編み飾りとそれに使う幾つかの種類の棒。例えば細い文字が簡単に描ける硬筆。市井の菓子や料理の中から美しいもの。
一つ一つはほんの小さなものである。だがそれを伝えると、そのままではなく、伝えた側に居るその道に堪能な者が競う様に新たな手法を、素材を、応用法を考えてくる。
そんな発端となるものを新たな皇后は彼女達に持ち出してきたのだ。
それはもう、産み月間近になってまで続き、女官長達やサヘ家の夫人二人をもはらはらさせたものだったが、当の本人はあっさりと「今日生まれますね」などと言い、あり得ないくらいの安産だったという。
皇帝は生まれた子が確かに男子だったと実際に見せられた時、その場にうずくまって号泣したという。共に見舞いに来ていた太公主が必死でなだめたことは口外しないように、とマドリョンカも言われていることなのだが。
だがともかく居てしまったのだ。見てしまったのだ。
皇后が爆弾発言をしたものだから、サヘ家の当主は無論、女達も熱を出して動けなかったすぐ上の姉を除き動員された。
ところが身なりを整えて駆けつけたら既にお産は終わっていた。
唖然としていたのはサヘ家の女だけではなかった。驚いていなかったのはおそらくは「本当の妹」だけだったろう。
女官長達だけでなく、医師も「ありえない!」と祝いの言葉の前に現実を疑っていた。
その直後、太公主のもとに住まう様になっていた皇帝が共にやってきた。そして確認してこの騒ぎだった。
マドリョンカは思いだし、やはり何か解せないものがある。
本当に若々しい――― 「妹」と結婚して当然な外見の皇帝が、その祖母と言ってもいい程の太公主と共にやってきた。そして横に寝かせられている「息子」が「息子」であることを確認し―――
「これは夢ではないな、本当にこうたいしていいのだな」
そう言った。そう聞こえた。
「皇太子でいいのだな」でなく、「交代していいのだな」とマドリョンカの耳には届いた。
生まれたことを喜ぶというよりは、何かから解放されたかの様な―――
皇后アリカの表情は普段と変わらなかった。
サボンだった時から大して笑いも泣きもしない子だ、とマドリョンカは思っていたが、この時も変わらなかった。
そしてうずくまってひたすら泣きじゃくり歓喜の声を上げる皇帝を、太公主は確かに伴侶の持つ親しさでなだめていたのだ。
やがて落ち着くと皇帝は皇后に言った。
「ありがとう本当にありがとう。俺はこれで本当にこのひとと一緒にいける」
何処へ?
何処かへ行く、という意味ではない。そうする意味が皇帝には無いのだ。ここは彼の国で、彼を傷つける者は誰も居なくて。
だとしたら。
無論マドリョンカはその場では顔色一つ変えなかった。母と義母も同様だった。
ただ、姉だけが微妙な表情をしていた。
その意味を帰宅してから訊ねたら、彼女はこう答えた。
「陛下は引退なさるおつもりなのだろうか」
と。
「引退も何も、皇帝陛下であることは代わりようが無いじゃないの」
「だがマドリョンカ、今上の陛下が即位なさった時、先帝陛下はその姿をお隠しになったとある。私はその記述を比喩かと当初は思っていたのだが」
理屈で考える側の頭は自分よりずっと良い姉はそこで考え込んでしまった。少し先帝の時代のことを調べてみる、と言い、それ以来学問仲間と飛び回っているという。
下手な発言はしない様に、とミチャ夫人から言われているので、シャンポンもあくまで「先帝の功績」を調べているに留めているらしいが。
マドリョンカは姉のこだわりが今一つ掴めなかった。おかしいとは思う。だが今現在の自分としては、問題はそこではない。
皇太子が生まれたのだ! だったら、今度は皇后になれる娘を作らなくては!
本当の「アリカ」は自分から何かしらの勝負から逃げた。だが自分はまだそのスタートラインにすら上がっていなかったのだ。
だったら―――
ト・マドリョンカ・サヘはそう願って副帝都へ戻ってきたのだ。
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