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第10話 皇帝は出発し、祖后は過去の話を始める
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皇帝は実に素早く荷をまとめると、その日のうちに帝都を出発した。あまりの素早さに宮中ではまだまだ新参のアリカもサボンも呆気にとられた程だった。
「ずいぶんと軽装でしたね……」
「大丈夫なのですか?」
赤子がよほど気に入ったのか、ちょいちょいと指であやしているダリヤに向かってアリカは問いかける。
この初代の皇后は、湯浴みをして服を着替えた後も、そのままアリカの居る宮に居座っていた。
「まあ大丈夫だろう。皇帝も其方もそう簡単には何かあっても死ぬことはないしな。ああ、無論私もあの女もだが」
「なら良いのですが、あまりに軽装でしたので」
「あれは普段から自分を『宿屋の倅』と言っておるだろう?」
「はい」
「あれはずっとそうありたかったことをつい口にしてしまうのだ。まあ大目に見るといい」
大目も何も、一応皇帝の仕事というものはこなしている(らしい)のだから、アリカがどうこう言うことも無い。
そもそも帝国は先帝の時に皇帝無しでも国自体の動きは止まらない様な官僚機構を一応作り上げていた。
だからと言って皇帝の価値が損なわれることはない。正確に言えば、「損なわれる様なことが無い様な機構になっていた」のだ。
そして現在の皇帝カヤはその機構をわざわざひっくり返そうなどという気を一欠片も持っていない。
ただ下手にこの状況をひっくり返そうとした藩候などには軍を皇帝の名で差し向け、鎮圧する。その権限と決定権は彼にあった。
帝都を開ける時には、その次の皇族が―――ということになるが、実際のところ、カヤは殆ど遠出をしてこなかった。その代わり、各地の藩候の帝都住みを奨励した。半ば強制的な程に。
「下手に動くと、またあちらこちらに行きたくなるから、と仰有ってました」
太公主もそう言い添える。
「苦労をかけるな」
「いいえ、私の選んだことですし。私がカヤさんにできたことはそれしかなかったですから」
だが時間の流れが自分にだけのしかかって来ることに関して、彼女は何も思わなかったのだろうか? サボンはふとそう思う。
「どうしました?」
「な、何でもないです」
ふむ、と二人の様子を眺めていたダリヤは軽く首を傾けた。黒く長い、ざらりとした髪が湯浴み後だけあって、しっとりと流れていく。
やがて太公主も自分の宮へと戻って行くと、ダリヤは二人の元に近寄り、非常に小さな声で問いかけた。
「一つ聞きたい。どっちが本当の令嬢だ?」
ひゅっ、と二人の喉が鳴り、肩がびくついた。
「ああ別に責めようということではない。ただ事実だけ知りたいだけだ。普通の令嬢では無理だ、と思っていたのでな」
「……ご想像の通りです」
アリカは静かに答えた。
「成る程。やはりそうだろうな。まあそれは大したことではない。あれの母親などもっと大層な問題のある女だ。だがだからこそ、あれを妊み、産めたのだと私は思っている」
「どういうことですか?」
アリカは身を乗り出した。
「あれから話は聞いているか?」
「あの方から見た話ですが」
サボンも小さくうなづく。自分もまた、皇帝の話は聞いてはいたのだ。
「そう、あれの視点と、あの女の視点では話はまた変わってくる。そこがあの親子の問題でな……」
ダリヤは苦笑する。
「で、おそらく近々あの女がやってくる。そしてこの子に会いたがるだろう」
「どうすれば良いでしょうか」
「そこは其方の判断だ。だから今からあの女の話をしばらくしてやろう。どうせ長々しい夜だろうから、サボナンチュ? と言ったな。其方は時々眠るがいい。我々はそう眠らなくても大丈夫なのだ」
「大丈夫」
「そういう生き物なのだ」
それは? と言葉を無くし、サボンは首を傾げる。
「聞けるところまで聞いてください。それで明日の仕事に差し障る様でしたら、私が女官長にお願いします」
「それでいいのかしら」
「聞きたいのでしょう?」
それにはさすがにサボンも黙るしかなかった。
確かに彼女も、皇帝が母親を避ける気持ちは分かるのだが、何故皇太后がそういう女性だったのか、やはり理解できない部分が多すぎるのだ。
「私は今の陛下から受け継いでいる『記憶』も多少ありますが、やっぱりそれは皇帝方の視点ですから……」
そう。基本となる「知識」はアリカもダリヤも、近々やってくる皇太后も同じなのだろう。
だが、その上に多少なりとも先の皇帝達の「記憶」もうっすらと含まれている。ただそれは「知識」程には強烈なものではなかったので、アリカの頭の中では別の引き出しにしまい込んでおけば充分だったのだ。
それに「知識」の方がアリカには興味深すぎた。
誰と誰がどういう感情を持ってどういう経緯で惚れたはれたを行ったということは、アリカにとってはなかなか処理が難しいものだった。だからとりあえず横に置いておいたのだ。
「カヤの父親、私の孫の武帝と呼ばれた三代帝が生まれた頃はまだ国の中が酷くごたついていたんだ。私は私で、当時太后と言っても将軍の一人だったから、あちらこちらへ出向いていて、子を産んだ女のことをそう気にすることもできなかった。まあそれが最初の間違いだったんだ」
サボンはそっと立って、茶の用意をすることにした。本当に長くなりそうだ、と予想がついた。
「ずいぶんと軽装でしたね……」
「大丈夫なのですか?」
赤子がよほど気に入ったのか、ちょいちょいと指であやしているダリヤに向かってアリカは問いかける。
この初代の皇后は、湯浴みをして服を着替えた後も、そのままアリカの居る宮に居座っていた。
「まあ大丈夫だろう。皇帝も其方もそう簡単には何かあっても死ぬことはないしな。ああ、無論私もあの女もだが」
「なら良いのですが、あまりに軽装でしたので」
「あれは普段から自分を『宿屋の倅』と言っておるだろう?」
「はい」
「あれはずっとそうありたかったことをつい口にしてしまうのだ。まあ大目に見るといい」
大目も何も、一応皇帝の仕事というものはこなしている(らしい)のだから、アリカがどうこう言うことも無い。
そもそも帝国は先帝の時に皇帝無しでも国自体の動きは止まらない様な官僚機構を一応作り上げていた。
だからと言って皇帝の価値が損なわれることはない。正確に言えば、「損なわれる様なことが無い様な機構になっていた」のだ。
そして現在の皇帝カヤはその機構をわざわざひっくり返そうなどという気を一欠片も持っていない。
ただ下手にこの状況をひっくり返そうとした藩候などには軍を皇帝の名で差し向け、鎮圧する。その権限と決定権は彼にあった。
帝都を開ける時には、その次の皇族が―――ということになるが、実際のところ、カヤは殆ど遠出をしてこなかった。その代わり、各地の藩候の帝都住みを奨励した。半ば強制的な程に。
「下手に動くと、またあちらこちらに行きたくなるから、と仰有ってました」
太公主もそう言い添える。
「苦労をかけるな」
「いいえ、私の選んだことですし。私がカヤさんにできたことはそれしかなかったですから」
だが時間の流れが自分にだけのしかかって来ることに関して、彼女は何も思わなかったのだろうか? サボンはふとそう思う。
「どうしました?」
「な、何でもないです」
ふむ、と二人の様子を眺めていたダリヤは軽く首を傾けた。黒く長い、ざらりとした髪が湯浴み後だけあって、しっとりと流れていく。
やがて太公主も自分の宮へと戻って行くと、ダリヤは二人の元に近寄り、非常に小さな声で問いかけた。
「一つ聞きたい。どっちが本当の令嬢だ?」
ひゅっ、と二人の喉が鳴り、肩がびくついた。
「ああ別に責めようということではない。ただ事実だけ知りたいだけだ。普通の令嬢では無理だ、と思っていたのでな」
「……ご想像の通りです」
アリカは静かに答えた。
「成る程。やはりそうだろうな。まあそれは大したことではない。あれの母親などもっと大層な問題のある女だ。だがだからこそ、あれを妊み、産めたのだと私は思っている」
「どういうことですか?」
アリカは身を乗り出した。
「あれから話は聞いているか?」
「あの方から見た話ですが」
サボンも小さくうなづく。自分もまた、皇帝の話は聞いてはいたのだ。
「そう、あれの視点と、あの女の視点では話はまた変わってくる。そこがあの親子の問題でな……」
ダリヤは苦笑する。
「で、おそらく近々あの女がやってくる。そしてこの子に会いたがるだろう」
「どうすれば良いでしょうか」
「そこは其方の判断だ。だから今からあの女の話をしばらくしてやろう。どうせ長々しい夜だろうから、サボナンチュ? と言ったな。其方は時々眠るがいい。我々はそう眠らなくても大丈夫なのだ」
「大丈夫」
「そういう生き物なのだ」
それは? と言葉を無くし、サボンは首を傾げる。
「聞けるところまで聞いてください。それで明日の仕事に差し障る様でしたら、私が女官長にお願いします」
「それでいいのかしら」
「聞きたいのでしょう?」
それにはさすがにサボンも黙るしかなかった。
確かに彼女も、皇帝が母親を避ける気持ちは分かるのだが、何故皇太后がそういう女性だったのか、やはり理解できない部分が多すぎるのだ。
「私は今の陛下から受け継いでいる『記憶』も多少ありますが、やっぱりそれは皇帝方の視点ですから……」
そう。基本となる「知識」はアリカもダリヤも、近々やってくる皇太后も同じなのだろう。
だが、その上に多少なりとも先の皇帝達の「記憶」もうっすらと含まれている。ただそれは「知識」程には強烈なものではなかったので、アリカの頭の中では別の引き出しにしまい込んでおけば充分だったのだ。
それに「知識」の方がアリカには興味深すぎた。
誰と誰がどういう感情を持ってどういう経緯で惚れたはれたを行ったということは、アリカにとってはなかなか処理が難しいものだった。だからとりあえず横に置いておいたのだ。
「カヤの父親、私の孫の武帝と呼ばれた三代帝が生まれた頃はまだ国の中が酷くごたついていたんだ。私は私で、当時太后と言っても将軍の一人だったから、あちらこちらへ出向いていて、子を産んだ女のことをそう気にすることもできなかった。まあそれが最初の間違いだったんだ」
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