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第9話 冬闘祖后の訪問
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「やあ、しばらく来ぬうちに、ずいぶんと仰々しくなったものだな」
その女性は一度門を通ると、案内無しでつかつかと大股で真っ直ぐ後宮の方へと足を向けた。
大きなマントは背の高い身体に似合う。足には馬に乗る厚手の革靴、腰のベルトには刺繍の施された革の短剣、長い黒髪は後ろで太く三つ編みにされている。
「久しいな、四代目」
「……貴女の方でしたか……」
皇帝はあからさまにほっとした顔になる。
「これが四代目の皇后か。まだほんの少女だな。おお、それに赤子が居る!」
すぐにでも抱きたそうな様子に、さすがに女官長が横から濡らした布を差し出した。
「貴女様がどなたであれ、皇太子殿下に埃まみれの手で触らせる訳にはいきません」
「ふむ。それは正しい。済まないな」
確かにそれは正しい、と呆気にとられて眺めるサボンにも感じられた。そしておそらく女官長にとって、この「天下御免」を持つ――― そして皇太后でもない女性が誰なのか、判っているのだ。
「いらっしゃるなら少しでもご連絡を下さればこちらも……」
「それが煩わしいと、以前言ったはずだが」
「二十年も昔のことを覚えていられますか」
アリカは首を傾げる。そうか、この方は二十年前にもやって来た――― もしくは、そのくらいの間を置いてしかやって来ないのか、と。
「手も顔も拭いたぞ、抱くのは湯浴みをしてから、とレレンネイは言いそうだから、せめて顔をみせてくれ」
「はい」
アリカはそう言うと、抱いたまま位置を変え、天下御免の女人を見上げた。淡い青い瞳が空の色の様だ、とアリカは思った。
「賢そうな女だな。名は何と?」
「ムギム・アリカケシュ・サヘでございます。―――ダリヤ冬闘祖后様」
それを聞いて側のサボンはあからさまに目を見開いた。
「聞いたのか? 私が誰であるかを」
「いえ、でも現在の太后様ではない天下御免をお持ちの方と言えば貴女様しか」
「そう。私しか居ない。残念ながら。あれは最近来るのか? カヤ」
腰に手を当て、彼女は皇帝を名で呼んだ。
「来ません。来ても会いたくはありません」
「まあいい加減来そうな頃合いだがな」
そう言いながらダリヤはちょん、と赤子の頬に指先で軽く触れる。
「すべすべだな!」
「可愛らしいでしょう!」
女官長が何故か誇らしげに共感を求めた。
「ああ、実に可愛らしい。全くもって、生まれたばかりの赤子というのはいいものだな」
ふふっと笑みを見せるダリヤに、アリカはふと「知識」が教える彼女の子のことを思い出した。
冬闘祖后ダリヤ――― つまりは初代皇后。現在の皇帝の曾祖母にあたる存在である。だがその外見は皇帝同様、二十歳前位の若々しいままである。
その頃に子を産んでいるのだろう、とアリカは思った。そしてその後夫と共に帝国の成立に協力したと聞く。
だが彼女の子、二代皇帝の治世は短かった。彼は皇后が自害してしまったことで大きな衝撃を受け、残りの人生をひたすら周辺国の蹂躙で費やした。
そのやり方を止めたのが、後に武帝と称される先帝だった。父親を殺してその地位を継いだ彼は、諸国を平定の手段を変えた。戦う必要がある時にも最低限で収める方法を知っていた。
二代帝の悪名高い治世は先帝が成長するまでの時間だけで済んだ。
だがそれは、今ここに居る初代皇后にとっては辛いことだっただろう。息子を殺したのは孫であり、そのおかげで多くの庶民が助かったのだから。
「元気に育つがいい。今は昔と違う。充分な時間もあるだろう。それに其方」
はい、と咄嗟にアリカは返事をした。
「この曾孫が頼りない分は其方が動けばいい」
「祖后様」
「以前来た時と殆ど何も変わっていないかと思ったが、少しばかり変わった所も無きにしもあらず。無理ない変化なら、帝国を善き方向に進めるだろう」
決して大きくは無い声だったが、その力は強かった。
「はい、好きにするが良い、と陛下から仰せつかっております」
「ふふん、その紙の束もその結果か」
「こんな時まで休みもせずにこれですのよ!」
「言うなレレンネイ。仕方が無いことだ。そもそもそう眠らずとも、この皇后は大丈夫だ。むしろ何もさせないと何をしでかすか判らないぞ」
脅かさないで下さい、と女官長は震え上がった。
「ところでカヤ」
「はい」
皇帝は急に重くなった曾祖母の言葉に軽く肩を震わせた。
「来る前にお前の育ての母のところを通ってきたのだが、結構弱ってきている様だ」
「……え」
「其方自身が行くのが一番早そうだ」
太公主も不安げに彼を見る。幾つかの思いが彼の中でせめぎ合っているのは、アリ
カにも判った。
「馬を出せば数日で行ける」
「構わないのでしょうか」
「お前にとってはあれが母だろう?」
「無論です」
「だったら今は行くがいい。その間は請け合おう。一応私は今の大臣にも顔は知れている。それに」
一つため息をつく。
「お前が会いたくない女が、来る前にな」
それが誰であるかは、その場に居る者皆が判っていた。女官長はさっとその場を下がった。これは決定だろう、と踏んだのだ。
アリカは少し戸惑った。あれだけ皇帝が憎んでいるという太后が来るというのか。
「行ってもいいだろうか」
そう太公主の方を向いて、彼は問いかける。
「ぜひお行き下さい。後のことは皆が何とか致します」
彼女もまた普段の春の様な柔らかさではなく、強い意志を持った言葉で応えた。
その女性は一度門を通ると、案内無しでつかつかと大股で真っ直ぐ後宮の方へと足を向けた。
大きなマントは背の高い身体に似合う。足には馬に乗る厚手の革靴、腰のベルトには刺繍の施された革の短剣、長い黒髪は後ろで太く三つ編みにされている。
「久しいな、四代目」
「……貴女の方でしたか……」
皇帝はあからさまにほっとした顔になる。
「これが四代目の皇后か。まだほんの少女だな。おお、それに赤子が居る!」
すぐにでも抱きたそうな様子に、さすがに女官長が横から濡らした布を差し出した。
「貴女様がどなたであれ、皇太子殿下に埃まみれの手で触らせる訳にはいきません」
「ふむ。それは正しい。済まないな」
確かにそれは正しい、と呆気にとられて眺めるサボンにも感じられた。そしておそらく女官長にとって、この「天下御免」を持つ――― そして皇太后でもない女性が誰なのか、判っているのだ。
「いらっしゃるなら少しでもご連絡を下さればこちらも……」
「それが煩わしいと、以前言ったはずだが」
「二十年も昔のことを覚えていられますか」
アリカは首を傾げる。そうか、この方は二十年前にもやって来た――― もしくは、そのくらいの間を置いてしかやって来ないのか、と。
「手も顔も拭いたぞ、抱くのは湯浴みをしてから、とレレンネイは言いそうだから、せめて顔をみせてくれ」
「はい」
アリカはそう言うと、抱いたまま位置を変え、天下御免の女人を見上げた。淡い青い瞳が空の色の様だ、とアリカは思った。
「賢そうな女だな。名は何と?」
「ムギム・アリカケシュ・サヘでございます。―――ダリヤ冬闘祖后様」
それを聞いて側のサボンはあからさまに目を見開いた。
「聞いたのか? 私が誰であるかを」
「いえ、でも現在の太后様ではない天下御免をお持ちの方と言えば貴女様しか」
「そう。私しか居ない。残念ながら。あれは最近来るのか? カヤ」
腰に手を当て、彼女は皇帝を名で呼んだ。
「来ません。来ても会いたくはありません」
「まあいい加減来そうな頃合いだがな」
そう言いながらダリヤはちょん、と赤子の頬に指先で軽く触れる。
「すべすべだな!」
「可愛らしいでしょう!」
女官長が何故か誇らしげに共感を求めた。
「ああ、実に可愛らしい。全くもって、生まれたばかりの赤子というのはいいものだな」
ふふっと笑みを見せるダリヤに、アリカはふと「知識」が教える彼女の子のことを思い出した。
冬闘祖后ダリヤ――― つまりは初代皇后。現在の皇帝の曾祖母にあたる存在である。だがその外見は皇帝同様、二十歳前位の若々しいままである。
その頃に子を産んでいるのだろう、とアリカは思った。そしてその後夫と共に帝国の成立に協力したと聞く。
だが彼女の子、二代皇帝の治世は短かった。彼は皇后が自害してしまったことで大きな衝撃を受け、残りの人生をひたすら周辺国の蹂躙で費やした。
そのやり方を止めたのが、後に武帝と称される先帝だった。父親を殺してその地位を継いだ彼は、諸国を平定の手段を変えた。戦う必要がある時にも最低限で収める方法を知っていた。
二代帝の悪名高い治世は先帝が成長するまでの時間だけで済んだ。
だがそれは、今ここに居る初代皇后にとっては辛いことだっただろう。息子を殺したのは孫であり、そのおかげで多くの庶民が助かったのだから。
「元気に育つがいい。今は昔と違う。充分な時間もあるだろう。それに其方」
はい、と咄嗟にアリカは返事をした。
「この曾孫が頼りない分は其方が動けばいい」
「祖后様」
「以前来た時と殆ど何も変わっていないかと思ったが、少しばかり変わった所も無きにしもあらず。無理ない変化なら、帝国を善き方向に進めるだろう」
決して大きくは無い声だったが、その力は強かった。
「はい、好きにするが良い、と陛下から仰せつかっております」
「ふふん、その紙の束もその結果か」
「こんな時まで休みもせずにこれですのよ!」
「言うなレレンネイ。仕方が無いことだ。そもそもそう眠らずとも、この皇后は大丈夫だ。むしろ何もさせないと何をしでかすか判らないぞ」
脅かさないで下さい、と女官長は震え上がった。
「ところでカヤ」
「はい」
皇帝は急に重くなった曾祖母の言葉に軽く肩を震わせた。
「来る前にお前の育ての母のところを通ってきたのだが、結構弱ってきている様だ」
「……え」
「其方自身が行くのが一番早そうだ」
太公主も不安げに彼を見る。幾つかの思いが彼の中でせめぎ合っているのは、アリ
カにも判った。
「馬を出せば数日で行ける」
「構わないのでしょうか」
「お前にとってはあれが母だろう?」
「無論です」
「だったら今は行くがいい。その間は請け合おう。一応私は今の大臣にも顔は知れている。それに」
一つため息をつく。
「お前が会いたくない女が、来る前にな」
それが誰であるかは、その場に居る者皆が判っていた。女官長はさっとその場を下がった。これは決定だろう、と踏んだのだ。
アリカは少し戸惑った。あれだけ皇帝が憎んでいるという太后が来るというのか。
「行ってもいいだろうか」
そう太公主の方を向いて、彼は問いかける。
「ぜひお行き下さい。後のことは皆が何とか致します」
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