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第8話 豪快に乳をやる皇后
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そんな周囲の声も何のその、アリカは「ともかくしばらくはゆっくりと休んでいて下さい!」と言われても、寝台の横に書類と子を近くに置き、乳が欲しいと泣けばすぐに胸に抱き、吸われている間、しっかり支えつつも目は書類に向けている。
そして食事は思い切り摂る。
「本当にこんな方初めてだねえ……」
タボーは嘆息する。
ごろごろとした肉をとろとろになるまで野菜と一緒に煮た、やや酸味と香味の強いシチュウをまた豪快に何杯も皇后陛下はたいらげる。
「あれもありますか?」
そう問いかけたら「はい」と言わざるを得ない。茶会の時に情報と材料ルートを手に入れ、出産までに何だかんだでお気に入りのデザートにまでなってしまった、心太のバリエーション。
「確かに場所によってはそれに甘い蜜をかけるところがあるのですから、初めから甘くして固めればいいのですよね」
情報を流してくれた藩候夫人は試しで作ったものを試食し、大きくうなづいた。その中でアリカは甘くした乳茶に近いものを好んだ。とは言え、材料が手に入らない時には無理なのだが。
だがこんな時である。ここぞとばかりに彼女は要求した。藩候夫人も喜んで材料を提供した。
「何処の海で材料が採れやすいのか、その辺りも知りたいものだけど」
「……それ、今考える話ですか?」
胸に吸い付く子を一応あやしつつの言葉である。
そしてまたこの子が実に母親の乳をよく飲んだ。
アリカは皇帝が何故乳母ではなく自身の、という望みを叶えてくれたのか予想はついていた。
彼女の中の「知識」は、母体からの何かしらの抵抗力等が子供に受け継がれることを教えてくれる。皇帝は周囲の情に訴える振りをしつつ、皇后の力ができるだけ皇太子に伝わる様に、と考えたのだ。
とは言え、彼が実母の乳を飲まなかったことに関しては、どうやら天に感謝していることにアリカは気付いていた。それだけ彼は実の母は憎いのだ。
そしてふと思う。
「陛下」
太公主と共に実にしばしばやってくる皇帝に、アリカは問いかけた。
「ご生家のほうの母君に、一度お会いすることはできないでしょうか」
「母さんの方か?」
アリカは黙ってうなづいた。その間、太公主が共に来た側仕えの女官と共に皇太子を穴が空くくらいの熱心さで眺めていた。彼女はアリカの話は遮らない。
だが皇帝はため息をつく。
「俺もずっと会いたいと思っているのだが…… ともかく向こうから絶対に動こうとしないんだ。もう結構な歳になるから、俺の目の届くところに居て欲しいのだが……」
「だから今回のことを何とかして口実にできませんか?」
「そうだな……」
皇帝は思い返す。それまでの公主がどれだけ生まれたところで、旧藩国と他藩候領の境で宿屋をやっている彼の育ての母は決して動こうとしなかった。
「店は俺の幼馴染みが養女になり、婿を取って繁盛している。護衛もちゃんと街ぐるみで配置している。気付いてるとは思うが、そこは納得していただいた」
「元々はそういうことはお好きではないのですか?」
「本人が元々強かったからな。わざわざそこが俺の生まれた場所だと喧伝した訳でもなし」
出奔して以来、彼は絶対に戻らない様に、と育ての母から毎年毎年念を押すように手紙が来るのだという。
「ともかく今のめでたさは確かに母さんにも味わってもらいたいものだ」
あの女ではなく、という言葉は噛み殺していたが。
ちら、と皇帝は皇太子をあやす太公主を見る。自分がこんな地位につかなかったら、と思わないでもない。
無論その時は身分の差で添うことはできなかったろう。
それでも、彼女を独り身のまま、自身の子を孕むことも許されずに居ることはなかった。自分さえ居なかったならば、何処かの貴族なり、藩候の所へ嫁いでいただろうから。
自分もその時にはそれなりに諦めが付いただろう。これだけの執着を彼女に持ってしまったのは、自分に急に降りかかった運命に独りで立ち向かうことができなかった弱さからなのだから。
「あらららら」
太公主は腕の中で泣き出した子を見ておろおろする。それまで彼女が見てきた公主達と違い、実にこの子供は元気に育っていた。
公主として生まれた子達はすぐに乳母をつけられ、副帝都の別宮に送られてきた。母体が回復したら、その産んだ当人も。
回復しない時は、乳母がそのまま育てることとなり、十六まで帝都に戻ることはできない。
つまり現在、この子供がこの場に居るのは例外中の例外だった。
「良いのですか?」
無論アリカもそう訊ねた。自分ならすぐに移動もできる、という意味も込めて。
「皇太子は唯一この帝都に住むことができる子供ということにすればいい。これが最初なのだから。俺がそう決めた」
彼は口元を歪めた。
「大事な跡継ぎだ。手元で育てずしてどうしよう」
「ではもう少し育ったら、時折副帝都の境に遊び場を作りましょう」
「……」
「大人の中だけに置くのですか?」
「……確かにそれは面白くないだろうな」
彼は彼とて、小さな頃から近所の幼馴染み達と遊びながら世界を学んできたのだ。懐かしく楽しい日々。
「ではまたそれも検討しよう」
ありがとうございます、と言いながらアリカは太公主の手から泣く子を受け取った。無造作に胸を開くと子供は泣き止み、すぐに母親の胸に吸い付いた。
太公主はそれを見る皇帝の姿に、やはり胸の痛む。彼には無かったであろう光景。
そして―――
「陛下ーーっ!」
唐突にその場の空気がかき乱された。女官長が慌てふためいてやってくる。
「どうしたレレンネイ、其方がそう慌てることなどそう無いはずだが」
「……これが慌てずに居られましょうか」
はあはあ、と本気で走ってきたらしく、女官長は呼吸を整えるのに時間がかかった。
「東の正門に、『天下御免』を持つ女性が」
なに、と皇帝の声がうわずった。
そして食事は思い切り摂る。
「本当にこんな方初めてだねえ……」
タボーは嘆息する。
ごろごろとした肉をとろとろになるまで野菜と一緒に煮た、やや酸味と香味の強いシチュウをまた豪快に何杯も皇后陛下はたいらげる。
「あれもありますか?」
そう問いかけたら「はい」と言わざるを得ない。茶会の時に情報と材料ルートを手に入れ、出産までに何だかんだでお気に入りのデザートにまでなってしまった、心太のバリエーション。
「確かに場所によってはそれに甘い蜜をかけるところがあるのですから、初めから甘くして固めればいいのですよね」
情報を流してくれた藩候夫人は試しで作ったものを試食し、大きくうなづいた。その中でアリカは甘くした乳茶に近いものを好んだ。とは言え、材料が手に入らない時には無理なのだが。
だがこんな時である。ここぞとばかりに彼女は要求した。藩候夫人も喜んで材料を提供した。
「何処の海で材料が採れやすいのか、その辺りも知りたいものだけど」
「……それ、今考える話ですか?」
胸に吸い付く子を一応あやしつつの言葉である。
そしてまたこの子が実に母親の乳をよく飲んだ。
アリカは皇帝が何故乳母ではなく自身の、という望みを叶えてくれたのか予想はついていた。
彼女の中の「知識」は、母体からの何かしらの抵抗力等が子供に受け継がれることを教えてくれる。皇帝は周囲の情に訴える振りをしつつ、皇后の力ができるだけ皇太子に伝わる様に、と考えたのだ。
とは言え、彼が実母の乳を飲まなかったことに関しては、どうやら天に感謝していることにアリカは気付いていた。それだけ彼は実の母は憎いのだ。
そしてふと思う。
「陛下」
太公主と共に実にしばしばやってくる皇帝に、アリカは問いかけた。
「ご生家のほうの母君に、一度お会いすることはできないでしょうか」
「母さんの方か?」
アリカは黙ってうなづいた。その間、太公主が共に来た側仕えの女官と共に皇太子を穴が空くくらいの熱心さで眺めていた。彼女はアリカの話は遮らない。
だが皇帝はため息をつく。
「俺もずっと会いたいと思っているのだが…… ともかく向こうから絶対に動こうとしないんだ。もう結構な歳になるから、俺の目の届くところに居て欲しいのだが……」
「だから今回のことを何とかして口実にできませんか?」
「そうだな……」
皇帝は思い返す。それまでの公主がどれだけ生まれたところで、旧藩国と他藩候領の境で宿屋をやっている彼の育ての母は決して動こうとしなかった。
「店は俺の幼馴染みが養女になり、婿を取って繁盛している。護衛もちゃんと街ぐるみで配置している。気付いてるとは思うが、そこは納得していただいた」
「元々はそういうことはお好きではないのですか?」
「本人が元々強かったからな。わざわざそこが俺の生まれた場所だと喧伝した訳でもなし」
出奔して以来、彼は絶対に戻らない様に、と育ての母から毎年毎年念を押すように手紙が来るのだという。
「ともかく今のめでたさは確かに母さんにも味わってもらいたいものだ」
あの女ではなく、という言葉は噛み殺していたが。
ちら、と皇帝は皇太子をあやす太公主を見る。自分がこんな地位につかなかったら、と思わないでもない。
無論その時は身分の差で添うことはできなかったろう。
それでも、彼女を独り身のまま、自身の子を孕むことも許されずに居ることはなかった。自分さえ居なかったならば、何処かの貴族なり、藩候の所へ嫁いでいただろうから。
自分もその時にはそれなりに諦めが付いただろう。これだけの執着を彼女に持ってしまったのは、自分に急に降りかかった運命に独りで立ち向かうことができなかった弱さからなのだから。
「あらららら」
太公主は腕の中で泣き出した子を見ておろおろする。それまで彼女が見てきた公主達と違い、実にこの子供は元気に育っていた。
公主として生まれた子達はすぐに乳母をつけられ、副帝都の別宮に送られてきた。母体が回復したら、その産んだ当人も。
回復しない時は、乳母がそのまま育てることとなり、十六まで帝都に戻ることはできない。
つまり現在、この子供がこの場に居るのは例外中の例外だった。
「良いのですか?」
無論アリカもそう訊ねた。自分ならすぐに移動もできる、という意味も込めて。
「皇太子は唯一この帝都に住むことができる子供ということにすればいい。これが最初なのだから。俺がそう決めた」
彼は口元を歪めた。
「大事な跡継ぎだ。手元で育てずしてどうしよう」
「ではもう少し育ったら、時折副帝都の境に遊び場を作りましょう」
「……」
「大人の中だけに置くのですか?」
「……確かにそれは面白くないだろうな」
彼は彼とて、小さな頃から近所の幼馴染み達と遊びながら世界を学んできたのだ。懐かしく楽しい日々。
「ではまたそれも検討しよう」
ありがとうございます、と言いながらアリカは太公主の手から泣く子を受け取った。無造作に胸を開くと子供は泣き止み、すぐに母親の胸に吸い付いた。
太公主はそれを見る皇帝の姿に、やはり胸の痛む。彼には無かったであろう光景。
そして―――
「陛下ーーっ!」
唐突にその場の空気がかき乱された。女官長が慌てふためいてやってくる。
「どうしたレレンネイ、其方がそう慌てることなどそう無いはずだが」
「……これが慌てずに居られましょうか」
はあはあ、と本気で走ってきたらしく、女官長は呼吸を整えるのに時間がかかった。
「東の正門に、『天下御免』を持つ女性が」
なに、と皇帝の声がうわずった。
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